第10話


マラビスバの朝は早い、朝の訪れを知らせる鐘の音よりも早い。

大劇場の一角のホールでは各々役に合った練習をこなしている、練習を始めてから一時間がたったころにやっと時計塔の鐘が重厚な音を鳴らしている


「よーし、今から呼ばれた者から衣装合わせしていくからなー」

「え、団長、衣装を新調するんですか??」

「国王陛下から他ではないような趣向に是非使ってほしいと資金をもらったからな…本当ならそれでボーナスにしてやりたいとこだがこればっかりはな」


ホークが何十枚かの紙束を片手にうなってみせると新人の劇団員からも落胆の声が漏れ出る、古参の団員はやれやれといった面持ちだ、こういう風にどこぞの金持ちが見栄の為にこういったふうに金を投げ入れる時がある、大体が『私が支援したので同じ劇でも衣装を変えてきている、私専用だ』というようなものなのでマラビスバとしてもなるべく資金を残す様にしては期待に応えている、マラビスバも慈善事業でもないのでそういった下卑た話しにも乗っておかなければいけないといった場面も多々ある

結局、世の中を回すのは金なのかもしれない


「この大劇場で公演するのは3回、他で大成功をおさめたとはいえ驕る事がないよう、しっかり練習するように、いつも通り午後からは通しもあるからな

あと新人!ひょっとしたら今回の頑張りで役をもらえるかもしれないってこと忘れるなよ

上を追い越せ!上は下に抜かれるなよ!」

「はい!」


さっそく数名の名前を読み上げたホークが別室へと移動するために廊下へ出た所をリゼットは呼びとめた


「団員!」

「ん?どうした?」

「あの、午前中の休憩時間に配達屋まで行きたいので外出許可を頂きたいのですが」

「おぉいいぞ。──あひょっとしていつもの手紙か?」

「ええ、アリーとあと姉に」

「ちょうど良かった、俺の分もたのむ」

「団長も何か送るのですか?」

「あーマリサは元気にしているか?」


ん?なぜ今マリサの事をきいてくるのかしら?


リゼットは首を捻る、それを気まずそうに見おろすホークはひとつ咳をする


「お前を預かったからにはマリサに定期連絡は必要だろう?」

「預かった?姉のマリサに預けられた覚えはありませんけど…わたしちゃんとテストで合格をもらったわけですし。それに姉に会ったのも入団式の一回きりじゃないですか」

「い、いやだからだな…妹をよろしくお願いしますと言われているからだな」

「それはどなたの関係者でも団長相手だったらそう言うと思いますけど?」


理路整然と言われたホークは苦悶の声と共にうぐぐと身体をのけぞらせた


「実はマリサに一目ぼれして、けどそれがリゼットの姉ででも妹は団員でそうなると贔屓にしているとか他の団員に思われでもしたら大変だ、しかもそれがマリサの耳に入りでもしたら俺は嫌われてしまう!」

「え」

「え」


リゼットとホークが同時に声を上げる。もちろん声の主はホークではないのはリゼットにもわかったが、思わずホークの心の声を聞いてしまった様に錯覚した


「ってことよ、リゼット、まったくそういうのには疎いのね~」

ホークの背後からひょっこり顔を出したのはフェリオだ


「えっ、じゃぁ…団員はマリサの事が好きなんですか?!」

「それはっそのなんだ…フェリオ!余計な事を…!」

「あら、だってマリサさんにまだお返事頂けていないんでしょう?これを期にリゼットにも協力してもらってはいかがかと」


上背のある二人を見上げていたリゼットはしばし呆気にとられていたが、その会話ではっと気が付く


「団長とマリサに返事を……えっそれって!」

「文法がおかしくなってはいるけど、まぁそういうことだな…けど断じてお前を特別扱いはしたことないからな」

「えぇ…それはもちろんです、けどまだ返事がないって」

「憐みの目を向けるのは止めろ、きっとマリサは忙しいだけだ!」


そっぽを向いて明らかに落ち込んでいるホークが実年齢よりもずっと幼く見えるも、リゼットはマリサとホークなら歳も近いので案外お似合いなのではと思っていた

けれども府に落ちないのはいくら多忙といってもそういった類の話しを引きのばしにしているのはマリサらしくない。


「…わたしがしゃしゃり出るのもあれなんですけど何か出来る事があれば言って下さいね…とりあえず外出許可だけお願いします」


侍女達と約束していたアリーへの手紙と近況を綴る姉への手紙に、両親に宛てた物をどうしても早めに届けておきたかったリゼットは昨晩の間にそれらを執筆し用意してきていた、

城から大劇場までは30分ほどの辻馬車だが、休憩時間に城まで戻っている時間はない


「わかったわかった、フェリオ…が共じゃ目立つか…他のだれかを連れていかせるか」

「あぁわたしに任せて、ちょーっと変装していけばいいんだから、それにわたしもちょっと行きたいお店があるから外出許可ください」

「ちょーっと、ねぇ…ま、いいか。お互い怪我がないように帰って来いよ」

「はい、で団長の物は?」

「それなら──」

「ホーク団長!!衣装合わせ始まってますよー!!」


遠くの部屋から顔だけ出して団長を呼ぶのは衣裳係だ、目が殺気だっているのはきっと公演に間に合わせるために何日も徹夜で作っていくからだろう。ある意味劇団の中でもトップで忙しい所間違いなしだ

いつぞやは、徹夜のしすぎで団員達が不気味な魔方陣を書いて悪魔召喚で仕事を手伝ってもらおうとしていたとか、さすがにあの時は全員で衣装部門を労ったのをリゼットは生涯忘れないだろう


「今行く!!──悪いな今日は手が離せないから、俺の鞄の中から持って行ってくれ」

「わかりました」


ホークと別れたリゼットとフェリオは休憩時間までたっぷりとある時間を稽古に費やした

セレスティとベネディクトの二人は揃って読み合わせ稽古をしているらしい、主役の二人にはたっぷりとした台詞がある、どれもすこし古風な言い回しが多いので気をつけていないとテンポが悪くなってしまう

ベネディクトはまさに祝福で溢れかえったような男だ、濃いゴールドの髪はウェーブかかっており深緑を思わせる瞳は常に憂いを称えている、引きしまった体躯はどんな衣装でもぴたりと合わさってしまう。天使でもいたら彼がそうなのではないだろうか

アイリッシュは自分の見せ場である箇所を何度も繰り返し練習している、脇役であってもいかに自分を輝かせて見せるかに余念がない

リゼットは大きな姿見の前で身ぶり手ぶりで自分の表情をチェックしている。身体で表現しなければならないこの役では眉の動き、瞳の開け方流し方それだけでまったく違う物なってしまうからだ


何度目かの衣装合わせの呼び出しがあったが主だった役の衣装合わせは午前中には回ってこない様子で、とうとう正午を知らせる鐘が鳴ってしまった

稽古場の端にある団長の机の上には鞄がおかれ、不用心ながらもすでに中身が丸見えのそれを覗けば、分厚い封筒がある、薄い黄色の封筒には愛らしい青い鳥が描かれている

まったくホークらしくないそれはマリサ宛てだとすぐにわかる


「これよね」


ひょいとつまみだして、宛名を見れば大当たりだ。


「あの団長が姉と…ねぇ…世の中わからないことだらけだわ」


いつか姉もウェディングドレスを着て幸せな結婚をするのだろうか、アイリッシュでさえも結婚を望むのだ、まるでそこが女の最終地点のようでリゼットはぶるぶると頭を振った


もし、結婚して子供を産んでも相手の男がまともかどうかで女の人生は大いに狂ってしまう、仮にあのまま相手がユーリであったならばリゼットは今頃不幸のどん底にいたに違いない不誠実な夫を持つほど不幸な事は無いのだから

舞踏会の夜のユーリの振る舞いを思い出してぞっとする。一度はしぼみ掛けていた復讐心もふつふつと蘇ってきていた


『君を捕まえてみせるよ』

「絶対に捕まらないわよ!跳ね返して返り討ちにして捨ててやるんだから!」


思い切り握りこぶしを作って決意する。


「はいはい、復讐劇はそこまで」

「むぐっ…」


背後から口を押さえられて初めてリゼットが大声でしゃべってしまっていたことに気付く

フェリオが呆れた顔で見おろしてくるのでそっと辺りを伺ってみれば、奇妙な物を見てしまったという団員達の視線があった

セレスティは冷ややかな目で見ている辺り、近々雷が落ちそうな気配がする


「復讐劇の練習よ、ね?ほほほ…」

「是非ともその内容を詳しく教えてほしいな、わたしの好奇心を大いにくすぐってくれそうだ」


その声に部屋がざわりとどよめく

大きめの扉にはこの場にそぐわない人物が立っていたからだ。濃いブルーのスーツを着こなしシルクハットの横からは金髪が見えている

その人物にリゼットは思わず背後から手を伸ばしていたフェリオのそれをきゅっと掴んだ

瞬間、ユーリの目が細められた気がするも瞬きをする間に柔和な微笑みをリゼットに向ける


「ユーリロンバルト殿下…このような場所にお越しくださいますとはマラビスバ一同恐縮な思いでいますわ」


そういって団長の代わりをとったのはさすがのセレスティだ。完璧なお辞儀をしたセレスティはゆっくりとユーリと目を合わせる


「急に来てしまって申し訳ない、ただどうにもわたしも世間知らずなため少しでも貴方達に学べたらと思ったのだ。それに父の我儘のせいで急遽こうして公演を開く事になってしまった詫びもいれたい」


シルクハットを胸に宛てて会釈を返すユーリにセレスティはあせることもなく


「そうなのですね、さすが時期王位をお継ぎになられるお方、どうぞご存分にご鑑賞くださいませ、もちろんわたくし達のほうが殿下から学ぶ事が多いと思いますが…」

「ありがとう、お言葉に甘えさせていただく──さすがマラビスバの一姫、教養も礼義も素晴らしい、もちろんその御美しさもですが」

「まぁ!お上手なのですね」


セレスティはユーリの言葉を少し俯きながらもしっかりと受け取った


「そうですわ、この劇団の事でしたらベネディクトかフェリオにお聞きになるのが一番かと…」

「そうしたいところ山々ですが、わたしは今から団長に頼まれごとをしていますので不在となります、どうぞベネディクトにお聞きください」


きっぱりと躊躇なく断わったフェリオにセレスティもリゼットも…いやこの場にいる団員全員が目を丸くしたが、当の本人はにっこりとわらっていた


「ほう、団長殿の?」

「ええ、そのためにリゼットと街まで行く予定になっています」

「ふむ、では街ならわたしが案内しよう、ここ首都は広いのでわたしがいれば困る事は無い」

「めっそうもない!殿下にそのような…」

「わたしもたまには外の様子も見ておきたいと思っていたのでちょうどいい、さぁ行こう」


くるりと背を向けて歩き出したユーリの背後で


やだ、うそでしょう?!


「ちょっとフェリオわたしはいやよ…!」


ひそひそと声を立てるとフェリオは


「いやって…断われないでしょう!だってあのひと王太子なのよ?」

「どうにかしてっフェリオ」

「まさか復讐って…嘘でしょう?あの人なの?」


顔面蒼白のフェリオは美しい顔を引きつっている、リゼットはそんなのおかまいなしにフェリオの腕を強く握る


「あぁもうとにかく今はもう無理よ、あきらめてっわたしが…とりあえずわたしにひっついておきなさい、わかった?!」

「もう…フェリオが余計な事言うから!」


泣きそうなリゼットをなんとかなだめようとフェリオはリゼットの肩を抱き寄せてユーリの後に続くように部屋を出る

通路を歩くユーリの背後でぼそぼそと囁き合う二人がユーリの目にどうのようにうつったかは今は知る由もない

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