馬鹿はただ走るだけ

 驚天童子――基、鞍馬九頭一の使う義経流とは、かの源義経が鞍馬山の天狗から教わったとされる日本古来から伝わる八つの剣術流派の一つとされているもので、京八流きょうはちりゅうとも呼ばれ、己の敏捷性を生かして懐に入り込み、短刀にて切り込むことを基本とした剣術である。

 驚天もまた、牛若丸と呼ばれるにまで至った義経の如き敏捷性を兼ね備えており、剣に腕の覚えのある者が集まる壊刀団の中でも屈指の敏捷性を有していた。

「あぁっ! いなぁい! いなぁい! ぶぅあぁぁっっっ!!!」

「くじゅにいちゃん、みっけ」

「おぉおぉ! 見つけられたなぁ! 賢いなぁ! 蘭丸はぁ!」

「そうだな。少なくともおまえより賢いよ」

 驚天と共に入団した佐天は、入団から三年後のとある任務に赴いた際に一人の女性を助けたことが縁となって結ばれ、翌年に子宝に恵まれた。

 名を蘭丸と名付けて可愛がっているのだが、唯一の心配は偶に遊びに来る驚天に豪く懐いていることで、友人として彼を罵倒するつもりはないのだが、天才と狂人は紙一重。前者に転べばいいのだがと、心配になってしまうのは無理もなかった。

「さぁ、蘭丸! もう一度隠れん坊だぁ! 今度は見つけられるかなぁ?!」

「今更だが、おまえの場合声を張り上げた時点である程度の位置はわかるぞ。隠れん坊するなら声を抑えろ、この馬鹿」

「いいではないか! その方が蘭丸もすぐに見つけられて! なぁ、蘭丸!」

「くじゅにいちゃん、だっこぉ」

「おぉおぉ! 抱っこだなぁ! そらぁっ!」

「馬鹿! それは所謂いわゆる高い高いだ! いい加減違いを覚えろ!」

 それでもきゃっきゃ、きゃっきゃと喜ぶ息子を見ると過度に注意できなくなってしまうから複雑だ。やはり波長が合うのだろう。

 だからこそ、少し心配になってしまうのだが。

「そんな眉間にしわを作らなくともいいではありませんか、貴方」

「しかしだなぁ」

「あの子が楽んでいるのなら、いいではありませんか」

 佐天の妻もまた、楽観的だった。

 命を賭して自分を護ってくれた夫の知り合いというだけで、驚天のことを豪く信用していた。

 確かに悪い奴ではない。驚天は言葉遣いは悪いし汚い言葉も使うが、性格はまるで子供だ。だからこそ、蘭丸を含めた子供達とすぐ仲良くなる。

 難聴なので聞こえにくいにしたって人の言うことを聞かないし、物凄い短気。人と合わせるということがなかなかできず、道場では彼と手合わせしてくれる人などいなかった。

 人並み外れた才能と感性は、常人には理解しがたいものだ。唯一の友である佐天とて、彼の考えを理解できているとは自信を持って言えない。

 それこそ驚天動地――彼の意外性のある発想と、それを実行してしまえる身体能力、そして行動力と決断力の速さには、驚かされてばかりである。

「佐天龍之介殿! 佐天龍之介殿はご在宅でしょうか!」

「貴方、お呼びです」

「あぁ、行って来る」

 壊刀団の団員にはそれぞれ支部または本部から近い場所に寮が設けてあるが、一般人と結婚した団員には一定範囲内ならば個別の住居を構えることを許されている。

 佐天もまた、寮から離れた場所にあった家を買ったため、何か伝令があれば本部でも一番役職の低い新人が報告書を持って走って来るのだ。

 妖刀の存在を表に出してはならないため、外で口に出すことは許されない。そのため、書面にて見るだけに留めるのだ。

 余談だが、仮に盲目の者の場合は使者より直接伝令を聞くことになるのだが、形として耳元に囁く形になるので怪しいことのこの上ない。

 だが佐天の場合、文書にした方が幸いである理由がもう一つ。言うまでもなく、声量調整のできない馬鹿者が度々、家に上がり込んでいるからである。

 特にこのとき届けられた内容は、世間には知られてはならない最高位の機密情報であり、受け取った佐天自身、目を疑ったものだ。

「……少し話が聞きたい。茶を持ってくるから、付き合ってくれるか」

「は、はい……」

 ぜぇぜぇと息を切らしていた青年に茶を出し、玄関で話す。

 驚天に聞かれぬように声を潜め、妻に奴を見張らせた。

「よろしいのでしょうか。私のような末弟が、茶菓子まで頂いてしまって。お話しできることも、そんなにないというのに」

「俺も人のことを言えた義理ではないが、生真面目過ぎるのも体に毒だ。息抜きできる場所を見つけられたなら、息抜きをすればいい。あいつは、楽観的過ぎるがな」

 我が子と遊ぶ驚天を差して言う。

 驚天は楽観主義者というよりは、誰にも負けぬ自信家だと思っていたのだが、言われると確かに楽観的なのかもしれない。自分こそが最強であると、本気で信じているのだから。

「しかしこれは本当か。異国の船と妖刀の取引をしようとしているなどと。妖刀が異国に渡れば回収はより困難になる上、外交問題にまで発展しかねないぞ……」

 おそらく目前の金のためなら、国などいくらでも売るような連中の集まりなのだろう。でなければ、取引などするはずがない。

 妖刀が渡った国で大きな事件でも起きれば、日本は世界中から敵と見做され、自分達の命とて危ない未来すら見えていないのだ。余りにも浅はか。

「調査の結果は見ての通り。横浜を根城とする商会の裏取引のようです。なんでも幕府と昔から馴染みのあるらしく、表沙汰にしたくないとかで」

「要は尻拭いということか。表沙汰にすれば幕府の裏の顔が垣間見えてしまうから秘密裡に処理してくれと」

「の、ようです、ね……」

 新米の面持ちは暗い。無理もない話だ。

 彼にも思うところがあるはずだ。彼もまた、己の正義に従って入団した身。最初の御遣いばかりの仕事など、呑み込んで耐えていたはず。なのにあろうことか、自分達のいる壊刀団を組織した幕府の尻拭いをさせられるなど、心情は複雑に違いない。

 仕事に私情を挟むなと言われたところで、彼も含め団員は皆、想いを馳せる人間だ。それも己の正義を胸に戦うため来たのなら、正義の裏にあった顔など見るに堪えないだろうし、それを理由にやめた者も少なくない。

 だが、正義の裏の顔に失望したから去ると言うのなら、それの掲げた正義など、所詮その程度だったというだけの話。

 その点で言えば、あれに迷いなど生じないのだろう。

 馬鹿だが実直かつ愚直。馬のようにただ目先の目的、目標に向かって走ることしかない。人より広い視野を持っていながら、見つめているのはただ一点。周囲から馬鹿と罵られる部分も、このときばかりは羨ましいとさえ思えて来る。

 己を貫くことに迷いも葛藤もない。それこそまさに、天才か狂人の領域にある人間の思考回路だろう。とても、そうなりたいなどとは思えないが。

「不快な思いにさせてすまない。ゆっくりしていけ。玄関ですまないが」

「い、いえ。私はもうこれで失礼します。お茶菓子美味しかったです、御馳走様でした」

 寂しい背中だ。迷っていますと書かれているのが隠せずにいる若い背中。

 佐天龍之介と、同じ背中だ。

「りゅうのすけぇぇっ!!! 仕事か!? 仕事の話か!?」

 まったくもって羨ましい。あれに悩みなど、迷走などないのだろうか。

「あぁ、仕事だ! 仕事だから黙って聞け! この馬鹿!」


  ◀  ◀  ◀  ◀  ◀


 神奈川県、横浜港。

 傍からは漁船にしか見えないように偽装された船から、異国人がゾロゾロと出て来る。

 黒肌を漆黒の意匠に身を包んだ彼らは、まるで闇夜からの使者の如く。仄暗い倉庫へと舞い込んできたときには、死神でもやってきたのではないかと狼狽える者すらいた。

「@*?あ)))?」

 方言でも訛りでもない。完全なる異国語。黒い肌といい、自分達と同じ人間だとは思えない。

 織田信長が面白がって家臣にしたという話を聞くが、そんな度胸は彼らにはなかった。

 自分達よりもずっと筋肉質で、身長も高く一回り以上大きな相手を雇おうなどと思えない。味方ならば確かに頼り甲斐のあることこの上ないが、裏切られたら脅威でしかない。

 この交渉に扱ぎ付けるまでだって、どれだけ慎重に進めて来たことか。

「早速取引と行こうか、と申しております」

「そ、そうか。では早速、物の交換としましょうかね。お互い、もう積もる話もないことですし――」

「おぉいおえぇぇよああああぁぁぁぁ!!!」

 突然、雷が落ちたかのような怒号。人の声だとわかるのに、一瞬の時間を要さざるを得ず、何よりなんと言ったのか聞き取れない。反響する倉庫内では、彼の声はあまりにも大き過ぎた。

 周囲に気付かれまいと仄暗い明かりに押さえていたのが裏目に出て、商会の方も異国人らも、招かざる来客の位置が掴めなかった。

「かぅおあえぇぇああああああぁ?! ぎゃふんと言わせてやるぜぇぇぇっっ!!!」

「いいから行くならさっさと行けぇ!」

 耳を押さえながら急かす佐天の声など届いていない。だが奇跡的に急かされた直後のタイミングで、驚天は積み上げられた荷の上から颯爽と飛び降り、着地と同時に一挙に距離を詰める。

 もう一度説明すると、彼が身に付けた義経流は自らの敏捷性を生かして相手の懐に飛び込むことを基本戦術としており、自然と獲物の長さは短い物が求められる。

 故に障害物がある方が彼にとっては好都合であり、暗闇の中での暗殺は彼の得意分野でもあったのだが、皮肉かなその性格と難聴故の破壊的声量の大きさには、とても暗殺なんて静かな戦いは似合わな過ぎた。

 が、似合わないだけで不得手ではなく、苦手でもない。漆黒の異国意匠に身を包んだ黒人を死神と思った者達は、真の死神の姿を見たことだろう。

 いや、訂正。彼は死神などではない。

 死神すらも狩り殺しかねない、死んでも治らぬ大馬鹿者だ。

 口に血塗れの短刀をくわえ、前傾姿勢で息を荒くしながら両手の短刀を握り締める様がどれだけ恐ろしく見えようとも、その足元に目を見開いた死体がいくつ転がっていようとも、彼は死神ではない。

 馬鹿はただ、真っすぐに愚直に走るだけだ。

「はぁ(さぁ)! あふんほいいははれ(ぎゃふんと言いやがれ)ぇぇぇぇっっっ!!!」

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