第12話「私たちの明日」

 すべての元凶であった僭王プルウィウス・アルクスが倒され、隠し村ランベの住人は妖精の森から解放された。

 いや、正確に言うと、……ってことで、いいのかな?


 それは、アルトさんたちとプルウィウスの戦いが終わった後、変わり果てた森の姿を前に、わたしが呆然としていた時だった。


「死んだ……死んだ? プルウィウスが?」


「あぁ、死んじゃった!! 死んだぞ! 僕らの妖精王オーヴェロンが死んだ!」


「大変だぁ、大変だぁ!! 明日から誰が王様やるの? 私たちの王様やるの?」


「プルウィウスだけじゃないぞ、もっとたくさん死んじゃった!! みんな死んでる!!」


 今回の一大事を生き残った妖精たちが騒ぎ始めた。

 遠くの方には、人間の生存者も見えるが……この度ばかりは、妖精たちの騒ぎ方も大袈裟ではない。


「もう駄目だ……。僕たち終わりだ。みんな死ぬんだ。妖精は終わり」


「馬鹿野郎、それがどうしたってんだい! 妖精は死なない、森に還るだけ。森さえありゃあ何とかなるんだよ!」


「けどよ、その森がこの有様なんだぜ。王様も居ないのに元通りにはならないよ。俺たちやっぱり、もう滅ぶしかないんじゃあ……」


「みんな。いる」


「少なくとも、この土地は捨てるしかないわねぇ。あたし、こんな汚い場所になんて住みたくないわ。……ん?」


「おうさま、いる」


 ふと、小さな妖精の女の子がこちらを見た。金髪の、ふわふわした服を着た、わたしの半分くらいの身長しかない娘。

 彼女がゆるりと腕を上げると、その人差し指がわたしに向けられていた。他の妖精たちもつられて、一斉にわたしを見る。


「………………えっ?」


「めが、きんいろ。プルウィウスとおなじ。ちからはちょっとよわいけど、でも、プルウィウスとおなじかんじ、する」


「同じ? 同じ? プルウィウスと?」


「なるほどそうか。さっそく生まれ変わったんだな? プルウィウスが! なるほどなるほど、プルウィウスの生まれ変わりの生まれたてだ。赤ん坊は弱いものだからな」


「やったぁ! 新しい王様だぁ!! 明日からもまたみんなで遊べるぞーぅ!!」


「え……え!?」


 魔力ちからが同じ、というのはわかる。わたしはプルウィウスの魔力から造られた人間妖精だ。

 でも、目が金色というのはちょっとよくわからない。鏡は見当たらないし、周囲に水溜まりは出来ているけど、泥で濁っていて代わりにはならない……。

 ―――と思っていたら、アルトさんがおもむろに懐から魔導書を取り出した。『ん』という促す声と共に開かれたページは、銀の光を纏い、周囲の鏡像を映していて、


「な……なにこれ」


 そこにあったのは、見慣れた薄紫ではなく、確かにプルウィウスと同じ金の瞳だった。

 意外ではあれど、冷静に考えれば別に不思議ではない。プルウィウス由来の魔力を解放した影響であることはすぐにわかった。

 けれど、こんなに露骨な変化があって……それから、妖精の王様と勘違いされるだなんて……!


妖精王オーヴェロン!! 僕らの新しい妖精王オーヴェロンだ!!」


「ふぇ……」


「「「妖精王オーヴェロン! 妖精王オーヴェロン! 妖精王オーヴェロン!」」」


「あううぅ……!! ど、どどどどうしましょうリンゼさん、アルトさん!?」


「えぇ? アタシらに聞かれても困るんだけど……」


「アッハッハ、いいじゃねェか別に。だがよォ、女の子レディなのに王様ってのはちょっと違ェなァ」


 あたふたするわたしを前に困り顔のリンゼさんと、対照的にけらけらと笑うアルトさん。

 そして何を思ったのか、アルトさんはわたしの肩に手を当てて、妖精たちの前へと押し出した。


「ひゃ、ぁ……アルト、さん……?」


「いいかァ、よく聞けろくでなしのクソ妖精ども!! この御方をどなたと心得る! 畏れ多くも、かのプルウィウス・アルクスなる天気使いの後継者! 金の瞳の取り替え子チェンジリング、妖精の王改め妖精の妃ティターニア! ノエル・ウィンバート様なるぞ!! 控えおろう!」


「えええぇぇぇぇぇ!?」


「「「ははーッ!!」」」


「え!? え? えぇぇ!?」


「おいアルト、そのへんにしといてやれ。ノエル、『え』しか言えなくなってっから」


 ………………こうしてわたしは、森に住む妖精たちの女王様になったのでした。




 その後のことは、とんとん拍子で進んでいった。


 隠し村ランベの人たちは、物凄い大怪我をした人は居たけれど、奇跡的に――本当に奇跡的に!――ひとりも欠けることなく生きていた。

 わたしが森の暴走を鎮めるために頑張ったおかげだ、とアルトさんは言っていたが、正直わたしはいっぱいいっぱいで……。アルトさんがプルウィウスを素早く倒してくれたから、落ち着いて能力を使う余裕が出来たと言った方が正しい。

 でも、何にせよ死者が出なかったことについては、本当に良かったとわたしも思う。


 妖精の森の復興について。

 実は、森林そのものはあまり心配していない。

 植物と大地を操る力を持つ妖精はたくさん居る。特にわたしと同じプルウィウスの魔力から作られた人間妖精は、それこそ妖精王オーヴェロンの権能をわずかずつ受け継いでいて、彼らが中心となって森の復興を進めていくことになった。

 というか……わたしが妖精妃ティターニアとして命令したから、そのようにしてくれるはず、といったところ。ちょっとずるい気もするけど……。


 ランベ村の人々について。

 妖精たちに森の復興を任せた後、わたしたちは最寄りのレジータ市に迎え入れられることになった。

 厳密には、プルウィウスたちがレジータ市やその周辺から誘拐してきた人々が、元の住処に帰っただけとも言える。お父様とお母様も、昔に一緒に働いていた農家の人たちと再会を喜び合っていた。

 ただ、どうしても家族と連絡がつかない人や、森に来た頃から既に身寄りがなかった人や、森の中で生まれた世代の子供だって居る。

 故郷ふるさと、という言葉は、わたしの想像以上に、人間にとって大きく重たい意味を持っている。


 わたしたちは、いつか妖精の森に戻る必要があるのかも知れない。

 あまり良い思い出ばかりではないし、ランベ村はもう跡形もなくなってしまったけれど……わたしたちは確かにあの場所で――妖精とも一緒に――みんなで暮らしていたのだ。

 今はプルウィウスの支配の傷痕が残っているが、また森の妖精と向き合うべき時が、きっと来るに違いない。


 妖精の女王わたしを見送る妖精たちの姿を思い返す。

 実際、わたしたちはまったく違う種類の生き物で、完全にわかり合えることは永遠にないんじゃないかとも思う。

 けれど、そんなわたしたちにも、少しずつ歩み寄ることは出来るはずだ。

 明日への希望を夢見て笑う姿だけは、人も妖精も同じなのだから。




――――――――――――――――――――――――――――――




 ―――小鬼ゴブリン首長リーダー特異個体ユニーク、『赤斑アカブチ』。

 二つ名の通り、赤い肌に茶色の斑点を持つリーダー級ゴブリン。その起源について知られていることは少ないが、赤斑はどこかで地竜ベヒモスを狩り喰らったため、竜の知恵と魔力を得たと噂されている。

 自ら直率じきそつする戦士部隊『獣皮猟兵ウールヴヘジン』は、倒した魔物の皮を剥いで纏うことで魔法の触媒とし、ゴブリンの領域を超越した怪力と、野の獣に紛れる隠密性を得るという、唯一無二の特徴を持つ。

 体格では過去に出現したキング級や皇帝エンペラー級に劣るものの、知性と群れを育てる術に長け、勢力の大きさに限ればアンファリス大陸屈指の脅威と称されることもある。


 そんな赤斑は、かねてより妖精の森と、隠し村ランベに住まう人間たちに目をつけていた。

 強大な魔力を勝手気ままに振るう妖精には以上の価値を見出せなかったが、人間を飼って労働力や非常食とする発想には感銘を受けた。

 故に、最強の大妖精であるプルウィウス・アルクスが倒れた暁には、妖精の森の土地と"捕虜"を簒奪するよう準備していたのだった。

 ランベ村の人々に死者が出なかったのは、まさに混乱の原因となった赤斑とその群れに、そもそも彼ら捕虜を傷つける意志が無かったためでもあった。


 しかし、それらの計画はすべて台無しになってしまった。

 妖精王プルウィウスは完全に狂っており、戦いの中で怒りを爆発させ、妖精の森と人間の集落を破壊し尽くした。

 最大の目的であった妖精の捕虜たちは、レジータ市からやってきた救援部隊によって連れ出され、もはや一人として残ってはいない。


 赤斑もまた多くの手駒を失い、得たものと言えば数匹の妖精の死体くらいだった。

 有用な資源ではある。しかし今回の遠征に費やした頭数、食料、装備の損失を埋め合わせるには至らない。


 つまりはひどい徒労であったことを悟り―――赤斑は、ならばせめて最大限の補填をしようと考えた。

 あの魔法使い、恐らくは人間の中でも最高峰の実力であろう者が放った攻撃は、プルウィウスの肉体を跡形もなく消滅させたように見えた。

 しかし、あれほど強大な妖精が、本当に一切何の痕跡も残さず消えてなくなるとは考えにくい。

 森の僭主、妖精王オーヴェロンの遺骸。そのたった一欠片でも回収できないか、と。

 生き残った配下を集め、プルウィウスが陣取っていた地点を掘り返していた、その時だった。


「―――――あぁ。君たち、まだ居たんだね」


 声が、あった。


 膝下まで伸びる、薄桃色の長髪。男女の区別も曖昧な、超然とした美貌。満天の星空を閉じ込めたが如き、複雑怪奇な輝きを湛える瞳。

 神官を思わせる紋様入りの貫頭衣を身に纏い、穏やかな微笑みを浮かべるそれは、どこからどう見てもただの人間にしか見えない。


 否。

 


 歩いて近づいてきたなら、赤斑でなくとも配下の誰かが気づいただろう。獣譲りの優れた嗅覚による探知は、獣皮猟兵ウールヴヘジンの基本的な能力のひとつだ。

 魔法を用いての空間転移であれば、魔力の感覚に優れる赤斑が必ず察知できるはずだ。空間転移テレポートはどのような形であれ大量の魔力と複雑な術式を必要とし、発動の予兆や痕跡を隠し通すのは不可能に近い。

 赤斑にはそのような魔法の知識があるわけではないが、とにかく魔法ほどことは経験として理解していた。


 この者はたった今、赤斑と配下らの目の前に、何の前触れもなく出現した。

 それは明白に異常な事態で、ゴブリン種随一の頭脳を誇る赤斑ですら、ほんの一瞬思考が停止した。


「ぐ」


 突如として出現した『ひとがた』の気配は、信じられないほど希薄で穏やかだった。

 そんなわけがないのに。赤斑にも配下の群れにも気づかれず現れ、こうしてゴブリンの集団の真ん中で立っていられる存在が、ただの人間であるはずがないのに。

 本能的な直感と理性的な思考にズレが生じ、配下たちを指揮しようにも、くぐもった呻き声しか出せない。

 普段ならば赤斑の意図を察し、命令される前から最適な配置へ動き始めている精鋭の群れも、赤斑が混乱しているという現実の異常性に足が竦んでいる。


「グ……、ガ、ルル、ぁア」


「みんなで仲良く探し物なんて楽しそう。じゃあ、もしかして……」


 そして、次の行動を見てからようやく、赤斑は自身の理性考えの方が正しいことを確信した。


「探しているのは、これかな?」


 その者が掲げた右腕には、一匹の妖精が上半身だけになって引きずられていた。

 ずたずたになった半身の断面から、思い出したかのように大量の血液が噴き出し、内臓が露出して垂れ下がる。

 どう考えても致命傷だったが、赤斑の見立てでは、あの傷はまだ新しい。昨夜の内に負わされたものではない。


「うん、僕はもういらないからあげるね。一番良いところを取っちゃった余り物だけど、そこはごめん。こういうのは早い者勝ちだもん」


 無造作に放り投げられた亡骸の背中には、どうも身長に比べて大きすぎる4枚の翅があった。まるで、一度膨らんだものが、後で元に戻ったかのように。

 そして赤斑は、その妖精の蜻蛉とんぼ型の翅に見覚えがあった。妖精フェアリー種の翼としては珍しくないタイプだが、それでもものを間違うはずもない。


「だから、まぁ……今日のところは、それで勘弁してくれないかな。みんなの勝利に水を差したくないんだ。僕が手伝ったって知ったら、アルトもリーシャもまた怒っちゃうだろうし……」


 血まみれの手には、黄緑色の電光で形作られた王冠がある。

 妖精王にして金の瞳の戦士、天気使いプルウィウス・アルクスの王冠が。


「君たちも、そこの妖精みたいにはなりたくないでしょ?」


 目を細めて満面の笑みで言うそれを前に、凶悪無比で知られるゴブリンリーダー・赤斑の群れですら絶句した。

 ハッタリではない。それが持つ異常な気配に、多少なりとも慣れてきた今なら理解できる。理解できてしまう。

 この者はきっと、その気になれば即座に自分たちを皆殺しにできる。

 仮に、もし、あの電光の王冠を奪おうなどと考えようものなら、死すら生ぬるい絶望が待っている。


「……ギ……ギイィッ……、グゥゥゥ……」


「?」


「オ……オマエ、なニ、モノ」


 ただ、それでも、赤斑は賢明だった。

 名前などにはあまり意味が無いことはわかっていた。この者の異様な気配は、一度会ったらそうそう忘れられるものではない。


「僕? 僕は―――シア」


 しかし、ここで問うておかなければならない。生存本能というよりは、なけなしの意地のようなものが、限りなく強迫観念に近い焦燥があった。

 この理不尽な存在について、より多くを知っておくことで、自分の中で納得したかった。

 我々の住まう広い大地には、自分たちの力ではどうしようもない災いがあるということを。


「シア=ペイラー。人の神。アルト=ペイラーの盟友」


 赤斑は、それ以上何も返事をしなかった。

 荷物係の配下を呼び寄せ、プルウィウスの遺骸を背負子しょいごに放り込んで縄で縛る。

 続いて、号令係に角笛を吹かせ、配下すべてを招集。事態を飲み込めず不満そうにしているゴブリンも居たが、赤斑が睨みを利かせるまでもなく、シアに襲いかかろうとする愚か者はついぞ現れなかった。

 隊列を組んで帰路に就く。得たものは少なく、失ったものは多く、あるいは屈辱とも言える経験をしたが、赤斑の心には安堵こそあれ後悔は無かった。

 一瞬だけ振り返って見た『人の神』の姿は、素直に――ゴブリンである赤斑の感性から見ても――とても美しく、ひざまずきたくなるほどに恐ろしかった。




――――――――――――――――――――――――――――――




 そして今、レジータ市へと辿り着いた私たちは、その一画にある集団住宅地で寄り添うように暮らしている。

 ランベ村の人たちはこっちでもそれぞれ仕事を見つけ、あるいはかつての職場に復帰し、生活は徐々に安定してきている。

 けれど、やはり大変なこともまだまだ多い。お父様とお母様は、ランベ村とレジータ市の住民それぞれの橋渡しとして、毎日忙しなく走り回っている。

 ……私も早く、ふたりを手伝えるようになりたいな―――。




「―――――と思ってるであろう迷える子羊ちゃんに提案なんですけどォ」


「ひゃあああぁぁぁぁぁ!?」




 自室の窓に、逆さまになった人間の顔が飛んできたように見えて、私は思わず素っ頓狂な叫び声を挙げてしまった。

 ……何とも恐ろしいことに、知らない顔ではない。肉食獣めいて吊り上がった目で、人形細工のように整った顔立ちを悪戯っぽく綻ばせる彼は、間違いなくあの魔法使いアルト・ディエゴ=ペイラーさんだ。


「あ、アルトさん!? どうしてここに……。お仕事を終えて、王都に帰ったんじゃ? ……ていうかここ4階―――」


「いや帰ったも何も……お上の勅命でそこら中飛び回らなきゃなんねェ立場なのよ、俺。つーか、そんなことよりもお前、あれから何してんだ? どォよ最近」


「ふぇ? どうって……うーんと、そうですね……」


 質問自体は難しくない。突然の出来事に驚いた気持ちをどうにか落ち着ける。

 5秒だけ使って短く深呼吸し、わたしは率直な事実を語った。


「村に居た頃とそんなに変わりませんよ。基本的に家事の手伝いをしてます。最近ちょっと用事を増やしたんですけどね、少しでも両親の力になりたくて。あと……暇な時間は、村の子供たちと遊んだりとか」


「エッマジで? 華のJCだかJKだかのタイムテーブルじゃなくねェそれ?」


「……じぇいしぃ? じぇいけぃ?」


 使う言葉が難しくて、たまに何を言っているかわからないことがあるのも、相変わらずと言えば相変わらずだ。

 レジータに来てアルトさんたちと一度別れてから、まだ3ヶ月も経っていないはずだけど、何だかもう懐かしいな。少しほっとしちゃう。


「かかっ、わかんねェなら別にいい。―――なァ、ノエル」


 ぱちん。


「突然だけど、プレゼントだ」


 アルトさんが指を鳴らすと同時に、何もない虚空でごくごく小さな火花が弾け、紙吹雪とリボンと白い煙が撒き散らされた。

 恐らくは魔法だか錬金術だかで作り出されたそれは、窓から漏れてくる微風に運ばれて、示し合わせたが如く私の手に収まる。

 紙……手紙、だろうか。艶やかな紅色の蝋で封がされており、中には数枚の書類が入っていた。


「えっと―――アンファール国立……パルミオーネ中央学園……。魔法学部、応用魔術科……編入、届」


「ん。特別推薦って奴だ、金は鐚一文ビタイチ取らねェから安心しな」


「パルミオーネ中央学園って……え、ええぇっ!?」


 春の終わり頃にレジータにやってきて、季節はもう夏に差し掛かっている。

 それだけの時間を過ごせば、さすがにアンファール王国の中心地、王都『パルミオーネ』の名前くらいは知っている。

 パルミオーネ中央学園とはつまり、王都にある学校のことで……もしかしなくとも、この大陸でも一番大きな町の、一番すごい学校で……。

 で、その、編入届? 特別推薦……?


「これってまさか……が、学校に行けってことですか!? わたしにっ!?」


「いやァ、俺もいきなりはキツイんじゃねェかって思ったんだけどよォ、が上手いことやったみたいでな。笑えるだろ? 完全に職権乱用だぜこんなの」


「そんな、悪いですよっ……! だいいち、わたし学校に通えるお金なんて払えな……」


「だから金は取らねェって。というかお前、自分の立場わかってねェな。俺が言ったこと忘れたのかよ」


「言ったことって」


 言われたこと……言われたこと……。アルトさんに?

 妖精の森が丸ごと様変わりして、わたしたちもこうして移住を余儀なくされたあの事件は、それはもうとんでもないショックだった。

 今日までにも何かと細かいやり取りがあったけれど、正直そのあたりのことは記憶が怪しい―――。


「……あ。もしかして……『妖精妃ティターニアの力のことは隠しておけ』、ですか?」


 心当たりがあるとすれば、それぐらいしかない。

 さすがにお父様とお母様には――事情を知るアルトさんと一緒に――今後について相談した。

 その時、わたしと両親の間であった会話のことは―――ここではもう少し、わたしの心にしまっておくとして。


 気になったのは、アルトさんの『信用できる人間以外には、ノエルわたしが"妖精の取り替え子チェンジリング"であることは隠せ』という忠告だ。

 アルトさんがかなり強く念押ししてきたので、とりあえず当面はわたしの家族と、アルトさんとリンゼさんだけの秘密ということにした。


 考えてみれば、同じ村でずっと暮らしていた隣人が、あの妖精たちと同じ存在だったと急に知らされたら……。

 わたしが自分で知った時ですらすごく驚いて、多少吹っ切れた今でも思うところはある。

 真実の伝え方を、考えなければならない。適切な時と、場合と、言葉を。

 そうして、みんなにわたしの正体を受け入れてもらえれば、いつかは森の妖精たちとも、過去の遺恨を超えて手を取り合えるかも知れない。


 ……そういう風に、わたしは理解していたのだが。


「いいか、この際だから本当のことを教えてやる。生きたままの妖精の取り替え子、それも300歳クラスの大妖精が、自分の魔力を注いで作った器なんてのは―――魔法使いの界隈じゃ、頭のてっぺんから爪先まで弄くり回してもまだ足りない、恰好のだ。王都でデカい組織の世話になるってのは、お前や家族を守るための手段でもあるんだぜ」


「はい!?」


 わけが―――わからない。

 わたしの知らないところで、そんな話になっていたなんて。というかわたし、え? ま、魔法使いの研究材料って、ええぇぇぇー……?


「やれやれ、前途多難だな。でもまァ……この国はそういう場所だ。どこを見回しても面白おかしい事件ばっかりで飽きないぞ。せっかく森から出たんだし、ぼちぼち慣れてけばいいんじゃねェか」


「慣れで済む問題なんですか……!?」


「俺ももう少しで今やってる仕事が落ち着くからさ、何かあったら連絡してこいよな。俺ァ肩書きはちょっとしたもんだが、王立学園ならそれなりのパイプが繋がってんだろ。とにかく」


 くるり、と野良猫じみた身軽さで一回転して、アルトさんは姿勢を整えた。胡坐のように膝を曲げて腰を落とし、爪先だけで細い窓枠に貼りつき続ける超人的なバランス感覚。あるいは、何かそういう魔法を使っているのかも知れない。

 箒星の魔法使いが笑う。アルト=ペイラーは努めて笑う。銀の髪の彼は、いつだってそうだ。彼にとって、世界とは―――――。


「―――めくるめく夢と希望の国、アンファール王国にようこそ。さァ、ボサっとしてる暇は無ェぞ? 次の演目が待ってるぜ!」

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