EpisodeⅠ - 星屑の行方

第1話「彼と彼女」

 誰もがその偉業を知っていながら、大いなる災厄の時代を終わらせた者、赤竜ゼドゲウスを討った人間について知られていることはあまりにも少ない。


 決戦の時、人類の最後の砦である城塞都市・ヴァルミアネには名だたる英雄が集結していたが、その人物の素性を把握している者は居なかった―――彼を己が陣営に引き入れた張本人、イヴド・マルサ将軍を除いて。


“赤竜殺し”の記述が災厄の時代の伝承に登場するのはただその一度きりであり、イヴド将軍もまた生涯にわたって秘密を明かすことは無かった。

 一説には、イヴド将軍は強力だが邪悪な魔神と契約を交わし、自らの寿命を代償としてゼドゲウスの討伐を願ったのだとも言われた。

 これにまつわる真実はどうであれ、イヴド将軍がある時期から病に臥せりがちとなり、ヴァルミアネの決戦には参上していなかったことはいくつかの史跡から判明している。


 そしてアンファール王国の北東、あえて訪れる者もない辺境の地に棲まうわずかな住人たちの間にのみ伝わるがある。


 曰く、赤竜ゼドゲウスはその最期の時、胎に己が子を身籠っていた。

 悪名高き魔王の娘とはいえ、生まれたばかりの無垢な赤子。未だ人を喰らった試しも無い。

 幼き命から母親を奪ってしまった“赤竜殺し”は、罪悪感に耐え切れず、その子竜を庇護して逃げた。赤竜の討滅により得られるはずだったすべての栄誉を捨ててまで。


 子竜はやがて、母と同じ赤い鱗と強い魔力を持った立派なドラゴンに育つ。

“赤竜殺し”と共に長い時を過ごした子竜は、いつしか母の仇であった彼を許し、自らを育ててくれた恩を返すため、魔法で人間の女に姿を変えて夫婦となった。

 そうしてふたりは東の『竜の谷』へと移り住み、故にかの地には今も、彼らの末裔が息づいている―――――。




――――――――――――――――――――――――――――――




「…………ん……」


 ―――――目が、覚めた。

 意識はまだ少し朦朧としている。ちょっと寝過ぎたかな。

 とりあえず外に出てみる。太陽の位置は、それなりに高い。


「ふあぁ……」


「おはよォさん。いや、お寝坊さんって言った方が正しいか?」


 ……この声は予想外だった。朝っぱらから微妙な気分だ。

 声の主は、家を出てすぐの位置に生える大きな木にもたれかかっていた。やたら裾の広く長い黒の外套コートを羽織る、雪原めいた銀髪の男。

 人間の世俗や美醜観に疎いアタシから見ても、それなりに整った顔立ちをしているとは思うが、相変わらず目つきと笑い方が最悪なので台無しになっている。


「……チッ。……何の用だよ。今は王都に帰ってるんじゃなかったのか」


「あァ~ん? お前こそ挨拶の一つも無しにその態度たァどォいう了見だ。多忙の父がわざわざ顔を出しに来たというに……」


「馬っ鹿じゃねぇの? テメェを親だと思ったことなんざ一度も無ぇよ。アタシの親は母上だけだ」


「ちぇっ。つまんな」


 大の大人がそう言ってしゃがみ込み、そっぽを向いて左右の人差し指を突き合わせる。相変わらずめんどくせぇ野郎だ。

 よっぽどこのまま追い返してやろうかと思ったが、この男が多忙の身なのは事実で、それに本来ならアタシとの関係も微妙な立場ではある。

 多分、気安い世間話をしに来たというわけでは……いや、こいつのことだから決してそうではないとも言い切れない……。

 まぁ話を聞くだけならタダだし、それから追い返せばいいや。


「で? 何の用?」


「そういうとこ好きだぜ。っと、ともかく今日は真面目な用事なんだ。悪いが真面目に聞いてくれよ」


 一瞬思わず手が出そうになった。が、わざわざ念押ししてくる辺り、今回に限ってはマジっぽい。

 仕方ないので腕を組んで聞く姿勢に入る。


「実は、北方の近くで人間の目撃情報があってな。こいつは王統政府と魔術師ギルドの合同調査中にあった話だから、単なる見間違いって線は無いはずだ。具体的にはここから森2つ、山2つ向こうの」


「デルセンの丘か。あのへんは確か『赤斑アカブチ』の縄張りだろ、小鬼ゴブリンが人間を攫うのがそんなに珍しいか?」


「だったら諦めもついたんだが、そう単純な話でもねェよ。んでその後日、今度は調査隊の連中にも犠牲者が出た。下手人はゴブリンどころか、姿も曖昧なキラキラした“光の粒の群れ”で、いきなり現れたかと思ったら調査隊の役人をひとり捕まえて、跡形もなく消えちまったらしい」


「はぁ……そいつはまた、気の毒に」


「それからは安全第一ってことで調査隊は撤退して、最終的に俺にお鉢が回ってきたってところ」


「大体わかったけど、それがアタシと何の関係があるんだ」


 男の表情から笑みが消えた。視線がアタシの瞳で焦点を結ぶ。

 こいつは基本的に他人と話す時に目を合わせない。それはこいつ自身が他人の視線が嫌いで、視線というものの力をよく理解していて、こういう使い方が効果的だと知っているからだ。


「―――頃合いだと思って、な。無理にに迎合しろとは言わない。ただ、お前の力をこのまま腐らせるのも惜しい。これは俺の我が儘だが……」


 外套の襟に着けた鈍色の飾りに触れ、男は少しだけ考え込んでからまた口を開いた。


「俺に手を貸してくれないか、リンゼ。お前の力が必要だ」


 差し出された右手をしばらく見つめる。男で、それも使にしては細っこく小綺麗な指。

 ……ズルい奴だ。もしくは、律儀な奴というべきか。


「―――うるせぇよ。改まっちまって、気色悪ぃな」


 きっとアタシには、この手を振り払う権利があるけれど。

 アタシがそうしたくないと思う理由を作ったのも、間違いなくこいつなのだから。


「そんな面すんな。頼み事のひとつも聞けない仲じゃねーだろ」


 ただ握手をするというのも癪だったので、アルトの手をぱちんと叩き、拳で胸元を小突いて済ませる。

 出かける準備をしてくる、そこで待っていろ、と付け加えて玄関を後にした。リビングに向かおうと振り返る寸前、横目に見たアルトの顔は……どうにも間抜けで少し面白かったので、しばらく忘れないようにしよう。

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