Vol.10 【米寿の祝い】

5月半ば。

梅雨前の春から初夏へと変わる頃。

ご近所にお住いのご家族が揃って来店されていた。

珍しいことに、60歳前後の祖父母、30半ばの父母、それと今年大学生に上がった娘と中学生の娘の計6人が一堂に集まっています。

普段ならそれぞれが別々に来られるので、こうして集まるのは本当に珍しい。


「それにしても、お父さんまでこのお店の常連だったのはビックリだったね」

「それを言ったら、おじいちゃんおばあちゃんって家では緑茶ばっかりだから、コーヒーも飲むって聞いてびっくりしたよ」

「わしはほら、ばあさんの実家が茶畑だろう。だから一緒になってからはずっと飲み物と言ったらお茶だったんだ。それまでは普通にコーヒーも飲んで居ったわい」

「あら、いつも美味しい美味しいって言って飲んでくれるから、ずっと緑茶が好きなのだとばかり思っておりましたわ。ふふふっ」

「そ、それは、あれだ。む、わ、わしの事はいいだろ。今日は別の事で集まったのだし」

「あらあら」

「おじいちゃん照れてる」


ふむ。いつの時代にもドラマはあったようですね。

と、ちょうど話の切れ目も良いのでコーヒーをお出ししましょう。


「どうぞ」

「うむ、助かる」

「ありがとう。はぁ、この抹茶ラテは良いわね。

うちのお茶にこんな飲み方があるのを知れたのは、このお店のお陰ですよ」

「え、じゃあ、ここの抹茶とか緑茶っておばあちゃんの所のお茶を使ってるの?」

「はい。お客様のお陰で、とても美味しく仕上がって、こちらとしても嬉しい限りです」

「いえいえ。最近は若者の緑茶離れが進んでいますから。

実家もとても喜んでくれていますよ。

ズズッ。ほんと、良いお味です」


それを聞いて大学生の娘さんがちょっと拗ねてしまっています。

下の娘さんは自分のカップを両手で持って静かにコーヒーを飲んでいますね。


「おばあちゃん、そう言うのは早く言ってよ。

そしたらもっと友達に自慢してたのに」

「あらあら、ごめんなさいね」

「さ、飲み物も来て一息ついたところで、今日の本題と行こうか」

「曾お祖母ちゃんの米寿のお祝いね」

「ええ。ここはやっぱりハワイにみんなで旅行が良いんじゃないかしら」

「香港のネズミーランドも良いんじゃない?」

「おいおい、流石にそんな予算は無いぞ」

「喜寿の時は箱根温泉に一泊旅行だったな」

「あれも喜んでくれたし、今回はそれ以上じゃないと」

「よし、わしもヘソクリを出すとしようか」

「やった!」

「それなら……」


段々と話し合いが白熱していく中、ふたり、祖母はにこにことして、下の娘さんは相変わらず静かに自分のコーヒーを飲んでいる。

話は旅行、買い物、アクティビティからカジノまで多岐に渡ってきて収集が付かなくなってきていますね。

ちょうどそう思った時、祖母と目が合った。


「そうね。マスター。お話は聞こえていたと思うのだけれど、どう思いますか?」


その一言で、白熱していた会話がピタッと止まり全員の視線がわたしの方に向いた。

なるほど。この中で全体の舵を切っているのは祖母なのですね。

しかし、こちらに振られましても、すぐに良い答えを導くことは難しいでしょう。


「そうですね。私自身、その曾お祖母様にお会いしたことが無いので何とも言えない部分もあります。

この中で最近、一番曾お祖母様と接する機会があったのはどなたですか?」

「それは、美沙ね。ってさっきから黙ってるけど、美沙も話し合いに参加しなさいよ」


そう言われて下の娘さん、美沙さんは小さくため息をつきながらつぶやいた。


「……意味、ないから」

「はぁ!?それってどういう意味よ」

「曾お祖母ちゃんなら、みんなが楽しそうなら、喜んでくれるから大丈夫。

それにみんな、自分のしたい事、話してる。だから、そもそも話し合いの意味がない」

「そ、それは」


その静かな言葉に、姉も母もすぅっと熱が冷めて行ったようです。

落ち着いたタイミングを見計らって、お聞きすることにしましょう。


「では、美沙さん、でしたね。

曾お祖母様は何をされたら一番喜んでくださるでしょうか」

「それは曾お祖母ちゃんに聞かないと分からない」

「聞いたらびっくりさせられないじゃない」

「曾お祖母ちゃん、そういうの苦手。それにびっくりして倒れたら危険」

「うっ、それはそうだけど」

「だから、激しいアトラクションとか、動き回るのとかは良くない。

旅行に行くなら近場が良いと思う。それも新しい所よりも懐かしい場所」

「懐かしい場所?」

「うん。日光とか。曾お祖母ちゃん、よく戦争の時に疎開していた時の話をしてくれるの。

その時に必ずと言っていいほど、日光の渓流で釣った魚が当時の一番のご馳走だったって言ってた。

いつかもう一度食べに行きたいね、美沙もきっと気に入ってくれるよって」


最初、ぽつりぽつりと話していた美沙さんは、後半は熱が入ったのかかなり饒舌になっていた。

きっと曾お祖母様の事が大好きなのですね。


「それなら決まりね。

曾お祖母様の米寿のお祝いは家族みんなで日光に行くという事で」

「渓流釣りかぁ。派手さは無いけど、そう言うのも面白そうね」

「お父さんは経験ありますか?」

「いや、わしも生まれた時にはもう、こちらに戻って来ていたから、日光に行ったことすらないんだ。

つまり、母さんはもうずっと帰っていないのだろうな」

「それなら、最高のプレゼントになるね」

「ええ。あ、そうそう。それなら私の緑寿のお祝いは実家で茶摘みをしましょう。

自分の手で摘んだ葉で飲むお茶は、それはそれは嬉しいものですよ」

「それいい! 茶摘みなんて絶対クラスの誰もやったことないから、みんなに自慢できるわ」


そうしてまた新しい話題で盛り上がる中、私にそっとカップが差し出された。


「マスター。お代わり、お願いします。

あと、ありがとうございました」


そう言って美沙さんは小さく笑った。

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