第13話 立待月

 政宗は、庭先でひとり佇んでいた。懐に手を入れ、ただじっと、登ったばかりの月を見詰めていた。


―政宗さま---―


 小十郎は、縁に正座し、その背を見ていた。


―我れは、---天下というものが分からなくなった。―


 小田原からの帰途、政宗はポツリ---と呟いていた。

 直に見た豊臣秀吉という男は、やはり醜悪だった。

 人懐こい笑みや仕草の内にドス黒い『何か』を感じた。聞けば、百姓の生まれだという。苦労を重ねた---というその容姿は、年齢よりもはるかに老いて見える。その事よりも尚、秀吉を醜悪に見せていたのは、

際限の無い『執着』であり、『飢え』だった。

―あの男は節度というものを知らぬ。品性というものを知らぬ。―

 餓えて育った者は、手にした物を喪うことを極端に恐れる。同時に、他者から奪うことに、何の躊躇いも持たない。

 鳥取城や備中高松城の攻略を聞くと、その発想の斬新さと共にえげつなさに胸にが悪くなる。飢餓は、人間が最も恐れるものだ。理性を破壊し、究極の『生』への本能的な渇望を露呈し、人を崩壊させる。

 そういう人間の人間たる最も弱い部分を突き、崩す。それは、政宗や武士であることを代々誇りとしてきた者達にはなし得ないことだ。


―わしは、あの男が嫌いだ。あの男に追従する輩も---な。―


 政宗は、元来、潔癖症である。小手森城以降、輝宗を我が手で殺さねばならなかったあの時以降、無用な殺戮は極力、避けるようになっていた。

 自分の血を分けた者を喪う、親しい者を喪わねばならない苦しみ-哀しみを、あの日、身をもって学んだ。

 だが、伊達家の当主である限り、家臣を、その家族を守らねばならない。領民達を守らねばならない。そして---、『天下を目指す』と決めた。如何なる犠牲を払おうと、どのような辛苦を身に付けようと、突き進まねばならない---と、若い政宗は思っていた。


―しかし---―


 相応しからざる者が天下を握った時、その有り様はあまりにも無様で、滑稽だ。権力の使い方も知らぬ、生かし方も知らぬ。

―だが、果たして、我れも分かっているのか?―


 政宗は、なおのこと、自分自身が分からなくなった。


 その後ろ姿に、若すぎる悩みを、小十郎は見て取っていた。


―あの館にいた頃は、考えもしなかった。―


 ここ岩出山に転封になる前に、小十郎とふたりで、子供だった頃に過ごした館を訪れた。遮二無二に、自分の内にある『闇』と『光』と格闘していた。ある種、「夢」の世界だった。あそこから出て、現実の「重み」と「理不尽」を知った。


―大人に、なられたのですよ。―


 館が存外に小さく感じられたことを小十郎に洩らすと、小十郎は小さく笑って言った。


 「政宗さま---」

 小十郎は、政宗の背中に声をかけた。

 「ん?」

 「明日---海に、行ってみませぬか。」

 「海---か。」

 少し、政宗の頬が緩んだ。

 「そうだな---。」

 「では、久方ぶりに小十郎めが、弁当を作りましょう。」

 主の表情が、ほんの少し和らいだ。―早うに出掛けますから、夜更かしなさらぬよう---―


 言い置いて、小十郎は自分の控えの間に下がった。


--------


 翌朝、まだ薄暗いうちに、主従は城を出た。東へ東へと馬を走らせているうちに、あたりが白々とした光に満たされてきた。


―陽は、海から昇るのじゃな---。―

 政宗は、眩しそうに昇ったばかりの太陽を仰いだ。

 米沢の近くの海は、陽が沈む海だった。凪いだ水面をゆっくりと朱に染めて沈んでいく太陽に見惚れていた。それが、ここでは、白々としま眩しい光を放ちつつ、昇る。水面は生まれたての陽光に金銀に煌めき、揺れる。


―それに、ここの海は青くて、波も盛んだ。---―


 政宗は、岩場を縫って、狭い入江の浜を見つけて、降りた。


「この海は、貴方さまの故郷でございます。そして、あの太陽も---」

 小十郎は、竹皮に包んだ握り飯を差し出して言った。

「我れが---故郷?」

「左様にございます。」

 小十郎は、波の彼方を指差した。

「政宗さまが共にあります龍は、東海龍王が御子。なれば、此方はその父君が御支配される海---。」

「そうであったな---。」

政宗は、握り飯をひとつ、ぱくりと口に咥えた。

―見ず知らずの土地に来たと思うていたが---。―

 政宗は感慨深そうに白波が勢い良く岩場に打ち寄せるのを眺めていた。

「今はまだ、学びの時でございます。」

 小十郎は、口いっぱいに握り飯を頬張る政宗に水筒を差し出した。

「あなた様は、あの昇り初めた太陽、一方、太閤殿下は---」

「沈みゆく太陽か--」

「はい。」

 政宗は、ふっ---と笑った。そして、眼帯を自ら外した。

 「政宗さま?」

 怪訝そうな小十郎に、政宗は、潮風に顔を上げて言った。

 「我れの龍に故郷を見せてやるのよ。---蒼波よ、お前が育った海ぞ、よぅ見ぃ!」

 政宗は両手を拡げ、すっくと立った。その身体を一瞬、うねるように、光の帯が奔り、あたりに雷のごとき閃光を放った。


 「小十郎、我れは決めた。」


 政宗は、胸を張り、朗らかな声で言った。


「我れは、我れの作りたい国をこの地に作る。借り物の、殻ばかりの虚しい天下ではなく、実り豊かな国を作り、日の本の国々に広める---それが、我れの天下じゃ。」


「御意にございます。」


 太陽が、一層強く水面を照らし、金色に波間が輝いた。

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