第7話 弓張月

 城はその日、新緑に相応しく慶事に沸いていた。

 青葉が陽に照り映えるなか、正装に身を包んだ政宗は、輿が到着するのを複雑な面持ちで待っていた。


 傍らに控えていた小十郎は、主の初々しいその姿に微笑みながら、言った。

「ご心配には、及びませんよ。」


 政宗はいささか硬くなりつつも、うん---と頷いた。一生に一度の儀式である。---元服の時とは違う緊張感がある。


―三春からの輿が着きましてございます。―

 近習の者が、小走りで、控えの間にいる彼らのもとに花嫁の到着の報せを告げた。

―愛姫さま、無事お着きでございます。―


 さぁ---。小十郎に背中を押され、政宗は出迎えの途につく。

 

 花嫁は三春の田村氏の息女、愛姫。齢十二歳。政宗は十三歳。

 並んで座ると、まんま雛人形のようである。


―目出度きことよ。―


 小十郎は、宴席のやや末席に近いあたりに控えて、婚儀の儀式に臨む初々しいふたりを見詰めていた。

 花嫁は、若々しい---というより、可愛いらしくあどけない。咲き初めた桃花のようである。

 政宗も心なしか、頬を上気させ、横目で何度も姫の姿を見遣っている。

 小十郎は、内心、ほっ---としていた。なかなかに、似合いで、何より花嫁は、優し気な笑みで政宗を見ていた。

 戦国の世のこと、当たり前の政略結婚ではある。

 だが、それでも、互いに慈しみ合える夫婦であって欲しい---。小十郎は心の底からそう願っていた。

 幼少期から---あの事があって、片眼を失ってから、人の愛から遠く離れ、孤独な日々を過ごしていた政宗である。

 実際のところ、「あの事」があってから、周囲の者の多くが、政宗から離れていった。容姿を嫌うものもあれば、素行の荒々しさに耐えかねて離れていった者もいる。


―如何にも人というものは、物事の表面のみに捉われやすい---―

 師の虎哉宗乙の言うまでもなく、政宗は人の心の頼りなさを良く知っている。


―だからこそ---―

 人の心は頼りない。だからこそ、心底から信じ合える存在を必要とする。

 政宗は賢い。勇敢であり、その性根は繊細で愛情深く、優しい。

 だからこそ、この殺伐たる戦国の世ので人の上に立ち、天下を目指すためには、強くならねばならぬ。  

 けれど、強くなるためには、多くのものを失わねばならない。

 尚更、その心を志を支え、護るものが要る。


―愛姫さまには、どうか政宗のお心を癒やせる方であって欲しい---。―


 小十郎は、嫡子の誕生とともに、この若い---というより幼い花嫁に、切に願って止まなかった。いつ敵に回るかわからない---、命を狙われることもある。

 けれど---叶うなら、互いに真に支えあう夫婦になって欲しい。

 小十郎は心底、祈らずにはおれなかった。


 宴もたけなわになってきた頃、小十郎は密かに、宴席を抜け出した。

 新郎新婦は、既に場を離れている。城を出て、兄の社に馬を走らせた先に使いは出してある。

 今宵、少なくとも政宗は館には戻らない。

 まだ若い夫婦ゆえ、形ばかりとはいえ、同衾して契りを交わす---筈である。


―どうすりゃ、いいんだ。―

 尋ねる政宗に、小十郎は、

―その気にならずとも、手を取り合って眠るくらいのことはなさい。―

と教えてある。実際の手解きは綱元に任せて、然るべき女人と済ませてある---筈である。


 ただ---


―『あの事』はまだ明かしてはなりません。あの方は、まだ伊達の家の方ではない。---しばらくは伏せておいでなさい。―

とだけは釘を差しておいた。


 月が、東の空に姿を見せ始めた頃、小十郎は潔斎を済ませ、兄の待つ拝殿に入った。宴席でも酒の一滴も口にせず、膳にも箸を着けなかった。

 白の一重と袴に着替え、---神事に臨む小十郎の顔には、これまでとは異なる決意が覗いている。


「本当に、良いのか?」


 狩衣を着け、烏帽子を被り、正式な装束で儀式に臨む兄とて、初めて---のことである。

 小十郎は黙って頷いた。

 大幣を振り、場を清め、まず祓詞を奏上する。

 そして「ひふみ祝詞」---魂振りの祝詞を唱え、小十郎の裡に居る黒龍を呼び覚ます。

 小十郎の大柄な身体が震え、両の手が膝をきつく掴む。かなりの苦痛が体内を奔っていることは一目瞭然だった。

 兄は小十郎の背後に爛と光るこの世ならぬ眼を見留めると、おもむろに龍神祝詞を奏上し、宥めて、呼び覚ましたことを詫び、意図を告げる。

 それは---

―政宗の受ける穢れの全ては、自分が引き受ける。―という誓約であった。


 あの日、自分が人外のものを内に宿している---と、龍の宿りと知った時、政宗は怯むことなく、前を見て進んでいくことを決めた。

 小十郎は、その背中を何処までも護っていくことを改めて心に誓った。

 小十郎にとって、政宗は希望であり、光だった。同じ龍の宿りとして、その辛苦を知るただ一人の存在。伴にその辛苦を乗り越えていくことが、小十郎にとっても唯一の希望であった。

 幸いにも---小十郎の身の内の黒龍もそれを希んでいるように思えた。

 自らが、天上界に帰ることが叶わずとも、この龍の貴公子と限りなく上昇していきたいと願っていることを小十郎は確かに感じていた。

 この無謀とも思える誓いは、しかし、思わぬ形で却下された。


―ワシが祓うてやるわぇ。―

 つ---と眩しい光が降り立ち、中空から声が響いた。少なくとも、兄と小十郎にはそい聞こえた。


―八幡---様?―

と呟く小十郎の身の内から、黒龍の野太い声がせり上がってきた。


―たわけ、八大龍王さまじゃ。―


 八幡神の謇属の龍神---であるという。 

 つまりは、系統は違うが、龍属の御子の修行に一役買おう---ということらしい。

 兄は平伏し、ひたすら祈っていたが、その耳には、


―龍の宿りどもには、人の穢れは寄らぬ。ただひたすらに道を進め。なれど、違えれば、お叱りはきつい。よぅ心せよ。―


と荘厳な声で語られた---と儀式の後に語った。


 小十郎は黒龍が八大龍王の謇属であったこと、とある理由で逐われたこと---をこの時、初めて知った。


―ワシの元に戻るも、あちらに従うも、そなたが選べ。―と、黒龍は八大龍王に詰め寄られた---らしい。

 そして、黒龍が出した答えは、

―こやつが、今、心の内に持つ願いを成就せしめたら---その時にお答え致します―


というものだった。


―お前、狡いぞ。―


と小十郎は思ったが、龍王は、―諾―---と赦したらしい。その黒い身体が畝り、脈打ち、耀変するように光った---ように思えた。


 どれくらいの時間だったのか---一瞬だったのか、その光が去り、再び静寂に戻ったとき、兄弟はまったく言葉を失い、その場に崩折れていた。


―玄姶(げんおう)---だそうだ。―


―え?―


―お前の龍の名前。そう

呼び掛けてたぞ。あの光の主―


 帰り際に疲れきった体の兄が、やっと口を開いて教えてくれた。


―ありがとう、済まなかった。―

―無茶はするなよ。―

―わかってる。―


 兄弟は、ありきたりの言葉を投げ合いながら、ただ、その面は此れから---の重さをしみじみと噛み締めていた。


 館へと帰る小十郎の目に、ひときわ大きく、弦月が光を放っていた。


--------


社から戻った小十郎が眼を覚ましたのは、早朝、まだ、陽も登りきらないうちだった。

 門外に、蹄がカツカツと乾いた音を立てて近付いてきた。

―まさか---―とは思ったが、急いで床をあげ、衣服を調えて、門口に出た。


―おぅ、起きておったか。

済まんが、我れの床を延べてくれぬか。―


 まさか、の当の政宗だった。政宗は、返事も待たず、つかつかと自分の居室に向かうと、障子を開け放ち、ごろり---と横になった。

 下女もまだ、出てきていない。自ら政宗の床を整える小十郎に苛立たし気に言った。

―早うせい、眠いんじゃ。―

―いったい何がございました。―

―話は後じゃ。寝る。―

 心なしか寝不足気味の顔を不機嫌に歪ませて、政宗は、小十郎のしつらえた床に潜り込み、すぅすぅ---と寝息をたて始めた。


 慣れぬことで緊張し過ぎたか---と、小十郎は小さく微笑み、朝餉の支度のための菜を摘みに畑に向かった。

 政宗の好きなずんだの餡に細かく砕いた胡桃を和え、膳に添える。

 菜の汁と七分づきの飯と蕪の漬物---朝の食事はいつもそんなものだったが、心ばかりの祝膳として、今日は、白米を炊いた。


 もっとも---こんな早い時間に帰ってくるとは露ほども思っていなかったので、支度は大急ぎだった。

 

 頃合いを見て、障子の外から声をかける。

―お目覚めですか?―

―おぅ。―

と、まだ眠そうな返事が返ってくる。

―朝餉の膳が出来ておりますが---―

と問うと、

―喰う。―

と一言。障子を開け、膳を運び入れると、寝間着のまま、その前に座る。

―お着替えは?―

と言うと、

―後じゃ。―

と面倒くさげに答えて、椀を取り、政宗は汁を啜って---ほぅ、と息をついた。

 飯を掻き込み、眼を輝かせて、餡を平らげ、膳のものを空にするのに、十分もかからなかった。

 昨日は、昼晩ともに大層なご馳走が並んでいたはずなのに---と小十郎がいぶかると、察したように政宗は、湯のおかわりを催促しながら、言った。


―馳走など並べられても、何処に入ったかわからん。―


 これには、小十郎も苦笑するしかなかった。

―それに---―

と政宗は忌々し気に呟いた。

―城で出されたものなど、危のうて、食せぬわ。―


 政宗の言葉は、ある意味正しかった。毒を盛られることなど、日常茶飯事の時代である。実際、政宗は日常では、小十郎の作ったものしか口にしなかった。城での食事も、弁当を作らせて持参した。

―用心深いことよ---。―

 過ぎてはいると思ったが、間違ってはいない。用心はするに越したことはない。

―それで---―

 小十郎は、さりげなく口にした。

―愛姫さまとは如何がでした?仲良うできそうですか?―


 政宗は、しばし考え込むような顔をしたが、とりあえず---といった口調で、応えた。


―まだわからん。---が、なにせ、相手は子どもじゃ。その気にはならんが、可愛いげはある、な。―


 政宗いわく、結局のところ、添い寝---をする羽目になったという。

 ならば、もう少しゆっくりしてくれば良いのに---と言うと、政宗は眉をひそめて、一言、言った。


―眠れぬ。―


 まぁ、相手は他家の娘である。何を腹の中に隠しているかは、わからない。警戒心の人一倍強い政宗は、うっかりと眠りに落ちることも儘ならないのであろう---と小十郎は思った。


----------


 その後も、政宗は朝に館を出て、城で成すべきことを済ますと、早々に館に帰ってくる。夜、愛姫のところを訪れても、早朝には、館に戻ってきてしまう。

 ---そんな日々が数年、続いた。

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