【独眼竜異聞 本編】

葛城 惶

第1話 朔月

 その夜、月は朔だった。真の底闇の中を、松明の明かりで掻き分けるように、小十郎は、城へ向かっていた。


―いったい、何事か---―


 姉の喜多から使いが来たのは、夕刻だった。

 社の宮司を務める兄がいささか青ざめた表情で、急ぎ城へ上がれと告げにきた。

 十五の歳から出仕はしたものの、朋輩とは反りが合わず、ひとり神域の杜で剣の修行に明け暮れることが多かったし、つい一昨日も、つまらないことから同輩と争いを起こし、謹慎を喰らっていた。


 大手門ではなく、奥に近い乾門から入れ---と言われていた。 

 門番の中間は、なにがしか言い含められていたらしく、怪訝そうな顔をしつつも、中へと招き入れた。


 城の最も奥まった一角、離れになっている居室には、夜半を過ぎているというのに薄ぼんやりと灯りが点り、その前で、見慣れた影が手招きをしていた。


「遅かったではないか---」

ひそ---とした声で、しかし咎めるような姉の声音に小十郎は、ピクリ---と眉を寄せた。

「潔斎して参れ---と言ったのは姉上ですが---」

「声が大きい、早う此方へ---」

 と、喜多は座敷の内に小十郎を招き入れた。

 大柄な身体を折り曲げるように、室内に入ると、几帳の端から小振りな夜具の裾が覗いていた。

 はぁはぁ---と荒い息遣いが漏れている。熱に浮かされているらしいことは、すぐに判った。

「もそっと中へ---」

 姉に促されて入った室内には、頭に布を乗せた少年が、今にも絶えそうな息を継いでいた。

「これは---」

「梵天丸さまじゃ。急な病に倒れられて---3日も熱が下がらぬ。疱瘡じゃと医者は言うが---」


 喜多は少年の枕元に座り、新たな布を絞って、少年の額に当てた。

 高熱で顔は赤く、右目が腫れ上がっていた---が、疱瘡につきものの発疹は、あまり酷くはなさそう---と言うより、無いに等しかった。だが---


―何なんだ、これは--―


首筋の皮膚の一部が、硬く、鱗のようにせりあがっていた。


「お前も、覚えがあろう。」


 喜多の言葉に、小十郎はゴクリ--と息を呑んだ。

 確か---十になった頃か---いきなり、夜半に黒いものが口の中に飛び込んできて---三日三晩、高熱に浮かされた。

 歳の離れた長兄は、小十郎を急ぎ拝殿に寝かせ、三日三晩祈祷を続け---なんとか小十郎は一命をとりとめた。が、熱の下がった翌朝、兄は、とんでもない言葉を小十郎に告げた。


―祓えなかった---済まん―


 兄は、突っ伏すように頭を床に擦り付けて、言った。

 小十郎の中に飛び込んできたのは、龍であった---と。真っ黒な、何らかの理由で堕ちて彷徨していたのが、何かの拍子に飛び込んだのだと---。


―お前の中に封じるしかなかった---。―と。


 小十郎は、全くそのような話は信じようとはしなかったし、信じたくもないが---ただ、その『病』の後、左の首の付け根---耳の後のあたりに、硬い鱗のような皮膚が残った。


「まさか---」

 小十郎は、呻くように呟いた。

 喜多は、小さく頷いて、話し始めた。


 事の起こりは、数日前、喜多が目を離した隙のことだ。人一倍、やんちゃだった梵天丸は、城の敷地の中、めったに人の立ち入らない、馬場の奥の森に冒険に行った。

 そこには---、注連縄の張られた小さな洞窟があった。降り続いていた雨で地盤が弛んでいたせいか、いつもは石で塞がれていたはずの入口が、わずかに口を開けていた。

 梵天丸は、首を入れて、そこを覗き込んだのだという。

―そうしたら、真っ青な光が、一直線にわしに向かってきて---右目の中に飛び込んだんじゃ。―

 さすがに気の強い梵天丸も、あまりのことに驚き、怖くなって、一目散に喜多のところに駆け戻ってきたのだという。その晩から、高熱を出している---と喜多は青ざめた顔で、語った。


「祟られている---と?」

小十郎は、口を歪めた。まさか---。

「で、俺にどうしろ、と?」


―鎮めて欲しい―---と喜多は言った。


「お前の笛なれば、鎮まるかもしれぬ。」

 

 小十郎は、例の事があってから、兄に勧められて、以前から得意であった笛と剣の稽古にひたすらに打ち込んだ。身の内から沸き上がる得体の知れない怒りや血の猛りを抑え収めるために必死で精進を重ねた。

―---でなければ、狂っていたかもしれない―とは思うほど、身の内の猛りは激しかった。


「そう言うなれば---」


 小十郎は、懐から横笛を取り出し、唇に当てた。「秋月」と名付けられたそれは、父親の形見でもあった。

 密やかに奏で始めたられたそれは、ただただ静かに緩やかに澄んだ音色で、少年の居室を充たした。


 その音色が深まるにつれ---少年の呼吸もなだらかに、落ち着いて、穏やかになってきた。心なしか、顔の赤みも幾分、和らいだ気がする。


 一曲を奏し終わり、喜多を見ると、ほっとしたのか、身体の力が抜けているようだった。が、次の瞬間、ふたりは一度に硬直した。

 熱で意識も無いはずの少年が言葉を発したのだ。


―よい音色であったぞ。そこもとは、何者ぞ。―


 それは、明らかに少年の声では無かった。今少し年かさの青年---のようだった。


「お褒めにあずかり恐悦至極---と言いたいところだが、あんたは何者だ。人に名を訊くなら、自分から名乗るべきではないのか?」

 

 小十郎は、少年を---ではなく、少年の中にいるであろう「何者か」を睨み付けた。


「これはしたり---」

と言うと、なんと少年は、むくりと上半身を起こし、小十郎の方を見た。そして、ほぉ---と、少々、驚いたような表情を瞬時、だが浮かべた。


「龍の祝(はふり)か---これは稀有なことよ。」


 小十郎は、ムッとして口をへの字にした。どちらも---見たくはない自分だ。

 憤りのこもった、しかし静かな低い声で、言い放った。 


「俺は龍でもなければ祝(はふり)でもない。伊達家近習、片倉小十郎景綱だ。お前は何者だ。何故に、この童に仇をする!?」


―梵天丸さまです---―という喜多の声も既に耳に入っていなかった。


 少年は、いや少年に入っている何者かは、苦が笑いを浮かべて言った。

「まぁ、現し世では、そうでもよかろう。」

「我れは、東海龍王が一子、名は蒼波。---ちと悪戯が過ぎての。あの窟に放り込まれてしもうた。」


 蒼龍---喜多は息を呑んだ。 

 小十郎も、内心、蒼白になっていた。蒼龍となれば、神の部類だ。自分が抑え込んでいるようなものとは格が違う。


 少年の中の龍は、言葉を継いだ。

「随分と長いこと窟に籠っていて、退屈仕切っていたところを、折よくこの童が覗いたのでな、その身を借りて外に出た。」

 

「気が済んだら、早く、その子の身から立ち去れ」


 だんだん声の荒くなるのを堪えて、なんとか小十郎は言った。まだ幼い子供の身にあんたの霊力は強すぎる。


「まぁ、そう急くな。」

 龍は、ゆったりした口調で言った。

「配下の蛟達の言うに、今は戦乱の世という。なれば、この童とて、天下を望む大志を抱かぬではなかろう。」


されば---


「我れが力を貸そう。」

と龍は言った。空手形では天にも戻れぬゆえ---今しばし、この子に宿りする---と。


「人の身に神龍の霊力は強すぎる。ましてや子供だ。身が持つはずがなかろう。」

 なんと無茶なことを---小十郎は怒りを抑え切れなかった。が、その怒りをやゎりと逸らして、龍が言った。


「お前がおろう。」


「祝(はふり)なれば、神の宥め方も心得ていよう。ましてや、その方の内なる黒龍も、いずれは昇(あ)げてやらねばなるまい。」


つまりは---


「時が来るまで、お前が、この童の側近くに仕えておればよかろう。我れを宥め、そなたの内なる龍を浄め、時が来るのを待つが良い。」


 それだけ言うと、少年は再び夜具に倒れ込んだ。

 喜多が、悲鳴にならない悲鳴をあげて、少年を抱き抱えた。

 ぐったりとはしていたが、わずかに目を開けて、

「喜多---喉が渇いた--。」と、間違いなく、少年自身の声で告げた。熱も、引いていた。


 喜多が、ハラハラと涙を溢しながら、少年を抱きしめるのを余所に見つつ、小十郎は、そっと部屋を出た。


―そんな馬鹿な---有り得ん---―


 呟きながら家路に向かう小十郎の背を、暁の陽光が貫いていた。


 後日、父親である君主に召し出され、少年の傅役として仕えることになるのは、もはや必然だった。

 

 世にも稀な主従の絆の始まりだった。

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