第2話:兄妹、話し合う
「まさか、お兄ちゃんがフレールに転生していただなんて……」
場所は変わって、使用人室からスールの自室。
スール改め妹は、いまだ信じられない様子でしみじみと呟いた。
「兄ちゃんも信じたくないです」
いじめっ子お嬢様の前世が俺の妹とかどうなってんの?
神様の采配に文句をつけながら、俺はテーブルの上にあったクッキーを口に運んだ。
あの後すぐ、妹の泣き声を聞きつけた使用人達が慌ててやってきた。
本当ならそれで引き離されていてもおかしくなかったのだが、ほぼ抱き合っている形になっていた俺達を見てみんな仲良く口をあんぐりとさせた。まあ驚くよな。使用人の間ではスールお嬢様がフレールをいびっているのは周知の事実だったわけだし。
妹は使用人達の混乱を利用して、「フレールと話すので自室に行きます。部屋にお茶とお菓子を持ってくるように」という主張を押し通した。ついさっきまで泣いていたのに、切り替えの早さはまさに俺の妹そのものである。
医者に診てもらった方がいいのではという言葉も遮って、俺達は二人きりで豪華な部屋にて向かい合っていた。スール付きのメイドも今は部屋の外である。
つまり人目はない。
聞き耳は立てられているかもしれないけど、俺も妹も大声を出さなきゃいいかという感じでそっちは気にしないことにした。
お互い自然体というか、前世モードだった。
「クッキーマジうまい、うまい……」
「お兄ちゃん食べすぎ」
「だって滅多に食えないんだぞお菓子なんてっ」
熱い主張をしながら、ぐびっと紅茶を飲む。紅茶もうまくて涙が出そうだった。
今の俺は下女であるからして、お菓子なんて嗜好品は滅多に食べられるものじゃない。紅茶だって、口にできるのは出がらしみたいな薄さのやつばかりだ。
妹の目しかないのをいいことに、俺は久々のクッキーを存分に貪った。
スールの兄であるセザール様が家にいた時は、仕事をがんばったご褒美だって言ってこっそりわけてもらっていたんだけどなあ。
妹のスールと違って使用人に優しかった跡取りの姿を思い出しながらクッキーを頬張る。
そんな俺に小さく溜息をついてから、妹は自分の紅茶を飲んだ。
「スールには兄がいるんだから、そっちに転生してもよさそうなものなのに」
「ほんとな!俺だって貴族の兄に生まれ変わりたかったわ」
妹……というかスールの顔がべらぼうに美人なので、当然そっちの兄であるセザール様も大変なイケメンである。しかも優しい。スール様はセザール様の爪の垢を煎じて飲めばよろしいのになんて、下女仲間の間で何度聞いたことか。
貴重なカロリー源だったので俺がインストールされていない時の俺もといフレールはただただ感謝していたが、身分違いの恋に憧れる下女の子も多かった。
正直俺が女だったらときめいていた自信がある(あ、体じゃなくて中身の話ね)ので、フレール時代の俺には感謝しかない。だって男が男にときめくとか、男としての意識がないころでもなんか嫌じゃん……。
それはさておき。
俺だって転生するなら、平凡顔の下女よりはイケメン貴族の兄の方がよかった。
転生ものって、漫画や小説を見る限りだと「つよくてニューゲーム」が多いはずなのに。しょせんはフィクション、現実は非情だということか。
「お前はいいよなあ。貴族のお嬢様に生まれ変われて」
そう思うと、貴族の娘というポジションに転生できた妹は羨ましい。
もちろん、本気で妬ましがったりはしない。俺はお兄ちゃんだからな。それにオタク気質の妹だから、アニメもゲームも漫画もない世界に転生したことは不幸かもしれないし。
「…………ぅっ」
なのでかるーい気持ちで言ったのだが、なぜか妹は一気に暗い顔になった。
「全然よくないわよぉ……!」
そう言いながら、うわーんとうつ伏せになる。
一瞬びびって扉の外を見てしまったが、今度は泣きまねだったらしく、妹の方から泣き声は聞こえてこなかった。
俺と口論した時の妹のくせなのだが、今はわりとシャレにならないのでやめてほしい。お前がセザール様みたいに品行方正じゃなかったら、使用人室から泣き声が響いた時点で俺だいぶアウトだったからな?
びびった俺の気持ちなど露知らず、ううっと妹は湿った声を零した。
よしよしと頭を撫でてやれば、すんっと鼻を鳴らす音が聞こえてくる。
「私だって、悪役令嬢に生まれ変わりたくなんてなかったわよぉ……」
「俺の明日が怪しくなるので泣きそうな声出さないでくれ……って、ん?」
そういえばさっきも変なこと言っていたな、こいつ。バッドエンドがどうとか。
それで妹の面影が重なってビビッときたからあの時は気にしていなかったけど、改めて聞くと何言ってんだこいつってなる台詞だ。
「悪役令嬢って、自分を卑下しすぎだろ。確かにスールはめちゃくちゃ性格悪かったけど、まだ十三才なんだからバッドエンドを覚悟するには気が早いって」
「そうじゃないのよお兄ちゃん……」
何言ってんだこいつと思いつつも俺なりに慰めてみるが、首を横に振られた。
「お兄ちゃんは気づいていないと思うけど、この世界は乙女ゲームなのよ」
…………ぱーどぅん?
再びthinkingの絵文字になった俺は、しばらく黙った後、うんと頷いた。
「お医者さん、呼んでくるか?」
「可哀想なものを見る目で言わないで!」
「いやだってお前……」
いきなり妹から、この世界はゲームだよって言われた兄の気持ちにもなってほしい。
「中世ヨーロッパ風が舞台のゲームをやりすぎでは?」
「だって本当なんだもん!」
だもんって。
子供かよと思ったけど今は十三才だから子供だった。
「お兄ちゃんのところに来る前に本とか読んで調べてみたけど、地名とか用語とかどんぴしゃだし。キャラクターの名前だってまんまだし。つい昨日……じゃなかった、トラックにはねられる前の日の夜までやってたから、ばっちり覚えてる」
「はあ」
「信じてない!」
「だってお前、俺がこの世界はゲームだ!って言い出したらどう思う?」
「信じない」
「こら!!」
少しくらい悩め、即答するな!
結構本気のトーンで叱りつけたら、妹はびくっと肩を震わせた。
それを見て声を大きくしすぎたことに気づき、口を押えて扉の方を振り返る。……よし、誰かが入ってくる気配はないな。
ひと安心しながら、妹の方を振り返る。
だってぇと弱々しい声を零す妹は、人差し指を合わせながら困ったように眉をひそめた。俺や母さんに叱られた時に妹がよくやる仕草だ。前世でも今でも可愛いなあ可哀想だなあと思ってしまうのは、なんだかんだ俺が兄バカだからだろう。
どんな姿になっていても、妹は妹というだけで可愛い。
「えーっと、他に根拠は?」
なので頭ごなしに否定するのを止めて、ひとまず助け船を出してみた。
ゲームの世界かはさておき、俺が知っている中世ヨーロッパじゃないことは確かだしな。オリエンス王国とか聞いたことないし。
その質問には、妹は素早く返事を返す。
「さっきお兄ちゃんと階段から転げ落ちたでしょう?」
「うん。お互い頭を打つだけですんで何よりだったな。いや、打った結果、なんか前世とか思い出しちゃったんだけど。……だよな?」
そういえばそこの確認をしていなかったので念のため確認しておく。
こくんと首が縦に振られたのでよしとし、話の続きを促す。
「あの階段イベントは、ゲームの冒頭で絶対に発生するやつなのよ」
「うん。……うん?」
「その事故をいいことに、スールはフレールを家から追い出しちゃうの。途方に暮れていたフレールなんだけど、落ちていた高価そうなペンダントを自警団のところに届け出たところで、それの持ち主だった王子様と出会う……!」
最近やっていたゲームだからだろう。
次第に妹の語り口には熱が入っていき、どんどん早口になっていった。
そんな妹の話を要約するとこうだ。
王城での人間関係に疲れていた王子様は、みすぼらしいのに高価なペンダントを自分のものにせず、きちんと届け出たフレールの善良さに惹かれる。
そしてフレールの事情を知ると、王城で下女として雇ってくれるのだ。
そこからフレールは王子様をはじめ、攻略対象と交流していくことになり、ハッピーエンドでは攻略対象の誰かと結婚することになる。
……うん!
「妹よ、質問よろしいか」
「なんですか兄よ」
「さっきから話を聞いていると、お前がやっていた乙女ゲームの主人公は俺みたいに聞こえるんだけど俺の気のせい?気のせいだよね?」
「気のせいじゃないですね……」
一縷の望みにかけてみたが、妹からの返答は非情だった。
「『サンドリヨンに花束を』。このゲームの主人公はフレール。つまりお兄ちゃんです」
「…………」
俺は頭を抱えた。
いやいやいやいやいや。
この世界はゲームだというトンデモ話を、別の意味で信じたくなくなる。
だって俺は男ですよ!確かに今はフレールという女の子ですけど!
それでも魂はばっちり男だ。同じ男とくっつくなんて論外オブ論外である。
「そして私は、王城ルートと教会ルートのどっちにも登場するライバルキャラのスール・ルクスリア。どのルートでも破滅が約束されている悪役令嬢よ……」
「待って、今教会ルートって言った!?」
「階段から落ちた時に選択肢があって、『とっさに手を伸ばす』を選ぶと王城ルート、『頭が真っ白になった』を選ぶと教会ルートに分岐するの」
「どっちにしろ落ちるのか……」
「ちなみにその場合は、怪我を理由に教会に預けられるという名の厄介払いをされるわ」
「どっちにしろ追い出されるのか……」
衣食住が保証されている分、教会ルートの方が遥かにマシだが。
いや、王城ルートとやらでもいずれ城に雇われるのだから変わらないのか……?
ついどちらかがマシか考えていると、とにかく!と妹がテーブルを強く叩いた。こらっ、紅茶が零れそうになるからやめなさい。
「フレールに家を出ていかれると、私の破滅ルートが始まっちゃうの!だからなんとか引き留めようと謝りにきたんだけど、まさかフレールがお兄ちゃんだったなんて……」
なるほどなあ、と納得する。
道理で神妙だったわけだ。妹視点では、あそこでフレールに許してもらえるかどうかが文字通り運命の分かれ道だったんだから。
「私、幽閉も流刑もされたくない……どうしよう、お兄ちゃん……」
納得顔の俺とは対照的に、妹はまた泣き出しそうな顔でそう言った。
十三才の女の子を幽閉とか流刑とかマジかよ……と思ったが、そういや導入の階段イベントの後は年単位で話がスキップするんだったな。いや、それでもフレールは十八才でスールは十七才なわけだからちょっと……って感じだけど。
しかし、待って欲しい妹よ。
「俺がこの家を出なければいいだけの話だろ?」
「……うん」
「じゃあ平気じゃないか。俺はお前の兄ちゃんなわけだし」
そう、フレールは今やばっちり俺なのだ。
そもそも俺は追い出されることを危惧していたわけで。追い出そうとする張本人が余計なことをしないなら、俺が出ていく理由なんてこれっぽっちもない。
妹の話をまるっと信じたわけではないけど、だからって可愛い妹が破滅する可能性がある行動を、この兄がとるわけがないのだ。
「…………あ」
妹も根本的なことに気づいたらしく、間の抜けた顔になった。
「というか、そもそもお前が俺をいじめなければいいだけのことなのでは?」
「……それもそっか!」
ダメ押しの一言を添えれば、さっきまでの悲壮な様子はどこへやら、パァァァと妹は顔を輝かせた。
「でも物語の既定路線で、私がいじめなくても勝手にそうなってしまう可能性が……」
かと思えば、そんなことをぶつぶつと言い出す。
いじめていなくてもいじめたことになるって怖くない?どういう世界の強制力だよ。
妄想もとい想像力たくましい妹に呆れつつ、クッキーに手を伸ばそうとする。そんな俺の手を、妹はがしっと掴んだ。
「お兄ちゃん!」
「は、はい?」
「私が破滅ルートに行かないよう、協力して!お兄ちゃんさえ攻略ルートに入らなければ、さすがに破滅フラグも立たないはずだし!」
「お、おう」
すごい台詞だな……。
どうやら妹は、この世界が乙女ゲームだという主張で話を進めるつもりらしい。
転生してもゲーム脳なのが変わらないことを兄は心配になるが、まあ断る理由もない。こくりと頷けば、妹は嬉しそうに俺の手を握りしめた。
「うっ」
性悪お嬢様ただし美少女のスマイルに、俺は思わず胸を押さえた。
可愛い!妹のくせに!いや妹だから可愛いんだけど!
「お兄ちゃん気持ち悪い……」
「辛辣な反応すんな!」
そんな俺に、妹はジト目を向けてくる。お前本当に変わり身が早いな!
呆れていると、そうそうと妹は思い出したように言った。
「スールのお兄様、セザールも攻略対象だから」
「マジで!?」
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