1-2 慎一と真智子のふたり暮らし

 こうして一緒に暮らし始めた慎一と真智子だったが、ピアノが置いてある部屋で一緒に過ごしたり、それぞれが交代交代でピアノの練習をしたり、ふたりで向かい合って食事したりするのは付き合っていた頃からの延長だったが、加えて食事作りや後片付け、家の中の掃除、洗濯などの家事は多少分担しつつも、通院しながら大学生活を送っている慎一の体調にあまり負担をかけないようにできるだけ真智子が引き受けた。一方、慎一もまだ新生活に慣れない真智子のことを気にかけてくれて、スケジュールが詰まっていて忙しい時などは臨機応変に無理はしないようにと言ってくれていた。慎一は叔父と共同生活していた頃や留学時代に自分のことは自分でする習慣がついていたし、真智子とのふたり暮らしもできるだけお互いが快適であるよう、真智子の負担が大きくならないよう心がけていた。


 そんなふたりだったが、眠る時は一緒のベッドで眠った—。といっても一緒に眠っただけで、お風呂は別々だったし、キスしたり抱き寄せ合ったり—というのはごく自然な流れだったが、ふたりで暮らし始めてすぐのある日、慎一は真智子をさりげなく抱き寄せた後、改まったように真智子と向き合い、じっと真智子の目を見つめながら言った。


「お互いのために結婚するまではセックスはしない方がいいと思うんだけど、真智子はどう思う?」

「えっ……、そ、そうだね。慎一の体調のこともあるからね。一緒に暮らせるようになっただけでも充分、幸せだし、お互い音大の課題のこともあるからね」

真智子は内心、慎一の突然の問いかけにドキドキしながら答えた。


「そう、それにもし、真智子が妊娠なんてことになったら、今はまだ大変だからね。子どものことはお互いほんとうに欲しくなってからでいいと思うんだ。お互いに心から子どもが欲しいと思った時に真智子と結ばれたいと思ってるんだ」

「私は慎一の支えになりたいって思ってるから、慎一の思うようでいいよ」

「じゃあ、決まりだね。少し残念だけど、今は一人前の大人になれるよう、お互い頑張ろう」

「残念…な気持ちもあるの!?」

「まあ、僕も男だからね。でも、今はこうして顔を見ながらすぐに意志疎通ができるような環境になったところだし、せっかくこうして一緒に暮らせるようになったんだから、ふたりきりになれる時間を大事にしながら音楽のことでもお互いステップアップできるようにしていきたいんだ」

「そうだね。お互いしばらく課題のことでも大変だからね」

「……今までお互いとても忙しかったからね、こうして近くで支えてくれる人がいるって幸せなことだと思うよ」

「私も夢の中にいるみたいに幸せだよ。……そう、初めて出会った時に慎一が弾いていたリストの『愛の夢』に包まれているみたい」

「あの時、音楽室に来てくれたのが真智子でよかった。真智子が弾いてくれたドビュッシーの『アラベスク』は僕と母との思い出の曲でもあるからね。こうしてふたりで暮らせるようになって、天国の母が真智子と巡り合わせてくれたのかなって思うよ」

「じゃあ、私たちを巡り合わせてくれたリストとドビュッシーとお母さまに感謝しないとね」

「真智子のそういうところが好きだよ」


 静かに夜が更けていく中、そんな他愛ないことを語り合いながら眠りについたふたりを慎一の母の形見のピアノが見守るようにひっそりと輝いていた—。

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