第58話 武智亜弓(前)

 それは、忘れようもない、祐二の愛車、カタナGSX1100ファイナルエディション。細かい仕様は分からないけれど、立ち上る匂いが記憶の扉を開けてしまう。ガソリンタンクには、緋雷のステッカーを剥がした跡がうっすらと見える。まるでそこに祐二が跨っているようだ。見ているだけで、懐かしさと切なさでカタナの姿が潤んでくる。でも、なぜそれが、今ここにあるの?なぜ、祐二が一緒にいないの?

「いちいち説明はしないけどな。結構苦労して探したんだよ。埼玉の和光市に住む奴に売ったところまで調べたら、後は割とすぐ分かった。言っとくが、買い戻すのは極めて紳士的に、公正に交渉したんだぜ。向こうも人の情けが分からん奴じゃなかったから、こっちも助かった」

 平井工業の一人親方である、何でも屋の平井さんは、傍らでちょっとニヤけている、寿司職人見習いの音塚閃太郎くんと顔を見合わせ、ほっとした表情だ。

「で、閃太郎くんが電車で引き取りに行って、乗って帰ってきたの?」

「うん。埼玉の買い主は、何だか乗るのがもったいないって、ほとんど室内で飾ってたらしいんだ。おかげで、祐二のチューンのままだった。ほんとに久しぶりに乗ったんだけど、排気系と駆動系の仕上げは絶妙だったね」

「平井さん、このオートバイ、どうするんですか?」

「ああ、緋雷も解散しちまって、祐二は伝説のライダーになっちまったんで、まあ、当分は記念ってことで、会社のガレージに置いとくしかないな」

 わたしは祐二から、何もプレゼントとか、形に残るものはもらったことがない。写真すら、一緒に撮ったことがない。祐二を感じられる、何か手触りがほしい。

「それ、わたしが乗ったらダメですか?」

 唇まで出かかった言葉を、飲み込んだ。

          *

 子どもの頃から早寝早起きの習慣が変わらないのは、基本的には健康的で良いんだろうけれど、神戸港午前一時発のフェリーに乗るために、午後十一時に家を出た。家から二十㎞、一時間で港には着くけれど、余裕を見て早めに出発した。少し気分が昂ぶっているのか、眠くもないし、絶対眠れないだろうな。ナイトライドは車速や車間距離が分かりづらいので好きじゃないけれど、国道二号線の北側を東西に延びる山手幹線は、トラックがいない分、走りやすい。

 昭和感が色濃いジャンボフェリー、女性専用室のカーペット敷き(和室と書いてある)で毛布をかぶって雑魚寝する。結構混んでいるのと、学生のグループがトランプをしていてうるさい。シャワールームもあるが、行列に並ぶのも嫌なので諦める。こりゃきっと、朝からフラフラだなと、少し憂鬱になる。アイマスクと耳栓をして、とにかく横になる。

 海風が恋を運ぶとか、船が二人を結ぶとか、必要以上にチャラチャラして耳につくオリジナルソングが流れて目を覚ました。午前四時四十五分。ほとんど徹夜を覚悟していたけれど、三時間くらいは寝たらしい。時刻表通り、高松に五時十五分に着き、六時に再び出発する。二度寝できるほどわたしは神経が太くない。小豆島の南東、坂手港に着くのは七時十五分。天気は晴れ。先週までの猛暑は一段落したけれど、お彼岸にしては暑くて、湿度も結構高い。

 あの、シークレット・ブルベが終わった時に初めて言葉を交わした、滋賀県守山市のスポーツサイクルショップ、ドラゴンスクエアの脇本店長。その場ではお互いの健闘をたたえ合って、LINEを交換した。スポーツカメラマンのハチケンこと鉢元健一さんに聞いたら、ヨーロッパで活躍した、元プロ選手で、全日本最速店長選手権で毎年表彰台に上がっている。すごい人らしい。ブルベでは、最後の最後で膝を傷めて着外になったけれど、そのおかげで心を入れ替えて、見た目通りの善人になったと、ご自分で言ってた。

 その脇本店長から、小豆島のパワースポットは本物みたいやから、いっぺん行っておいでと連絡が入った。どうせなら、一緒に走るお誘いの方が嬉しかったのだけれど、周りを見てもヒマなのはわたしだけだし、モデルをしている姉の雛形陽子も、ハチケンさんと東京で同居を始めて、関西のマンションから居なくなってしまった。本音を言えばちょっと淋しくなったこともあり、陽子の親友で、サイクルライフナビゲーターをしている八王子の田中君世さんに、小豆島のことをメールで聞いてみた。

 古代史研究のネットサークル会長をしていた君世さんは、小豆島には前から強い関心を抱いていたらしい。なかでも、北に六百メートル級の中山、南にオリーブビーチ、東に県道二九号、西に伝法川という、まさにオリーブ公園の場所が風水的に最もすぐれているので、それを中心にして、大きく廻るルートが、時の天皇さえも求めた、自然界のパワー吸収には良いのではないかということだった。小豆島一周プラス寒霞渓ヒルクライム、通称マメイチ。何とか日帰りできそうなので、ソロで走ってみることにしたのである。

 朝の七時過ぎ。港の売店などは開いていない。買っておいたジャムパンとドリンクゼリーにビタミン飲料で朝食とする。熱中症対策に、ウェットマフラーを首に巻き、マグネシウムやカリウムを摂るためにマルチミネラル錠を飲んでおく。軽くストレッチをして、島の南東部の坂手港を出発したのが八時。淡路島と同じく、時計回りに走る。海と空、醤油の香りとオリーブの木々、そして奇岩そびえる寒霞渓。

 仁徳天皇の父である、応神天皇が、千三百年前に行幸した際、この島に切り立つ岩山に鉤を懸けながら登ったという。なぜ天皇自身が、そんな危険なロッククライミングをしなければならないのか、今の感覚では理解困難だが、それほど惹かれる何かがあったのだろう。鉤懸が神懸になり、寒霞渓になったと言われる。平安時代から南北朝の頃までは、皇室の御領だったらしい。

 島の南部を走る国道四三六号線は、交通量も多い。土庄から南の海辺に行けば、干潮時に小島と砂洲がつながるエンジェルロードが、カップルの聖地として人気だが、わたしには関係ないのでパス。

 島の西部の土庄から県道二五三号に入ると、めっきり車も減る。コンビニもなくなり、海岸線を小さなアップダウンが延々と続く。少し飽きてきた頃に、大阪城の石垣にするために切り出した山肌が、ピラミッドのようにそびえる。小さな道の駅があったので休憩していると、誰かがサウザーの聖帝十字陵みたいだと言ってた。オリーブの葉を粉砕して茶にしたのを練り込んだアイスクリームを食べる。無料の資料館には石切道具が展示してあり、人感センサーで解説が流れるが、あまり面白くないので途中で退場する。段々日差しが暑くなってきた。日焼け止めを塗り直して、島の北部から東部を一気に走る。橘トンネルを抜けてセブンイレブン内海店に着いたのが十一時。ここまで六十二㎞、三時間で一周した。

 せっかくの島ライドなので、名物ひしお丼を食べようと、坂手港まで戻る。島の食材と、醤油もろみを使用した丼であれば、ひしお丼を名乗れるので、島全体で三十種類くらいのひしお丼がある。店先のスピーカーから、にぎやかなJポップを流している、古びた食堂はなかなかの人気店で、昼前には満席になるが、ここのひしお丼は普通の海鮮丼だった。

 港の待合室で体を少し冷やして、午後のライド開始。南東部の半島は十四㎞ほどの距離だが、アップダウンはきつい。北東部の福田港まで戻って、ここからヒルクライム開始。寒霞渓へのルートは、東西南北の四コースあるが、東ルートは激坂もなく、七パーセント前後の上りが続く。

 八百十六メートル、島で一番高い星ヶ城山には、備前児島の佐々木信胤が築いた城跡が残っているが、道路の最高地点は六百九十八メートルで、そこから結構下る。あれ?大丈夫かと思った頃にロープウェー山頂駅に着いた。一時間と五分。時間的には六甲山の東ルートと同じだけれど、六甲のように、自分を何とか鼓舞しないと上れないというきつさはない。

 山頂駅付近は、最高地点よりは数十メートル低いものの、さすがに見晴らしは良い。ただ、視界の広さという点では、しまなみ海道の亀老山展望公園の方が開放的な気分だった。

 ソフトクリームを食べたが、まだ小腹が空いていたので、オリーブバーガーも食べて、ダウンヒル開始。西ルートは一番斜度がきつく、カーブも多いし、十八パーセントの下りなどでは、あっという間に時速六十㎞を超えるので、ブレーキングに気を遣う。対向車がほとんどないのがありがたい。土庄まで下って、四三六号線を今度は東に走り、映画のロケで有名なオリーブ公園に寄る。いろんな建物が斜面の公園に散在していて、道の駅という感じはしない。ここで行列のできていた、オリーブソーダフロートをいただく。無料でホウキの貸し出しをしていて、風車をバックにジャンプして写真を撮る人が多い。脇本店長が古代史研究オタクの百太夫から指示された、メビウス・ショードのミッションだと、ロードバイクに跨ってジャンプするらしいが、さすがにそんなバカなことをしている人はいない。

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