第29話 トランジット(前)

 乗用車にロードバイクを積むにはいくつかのやり方がある。セダンなら前後輪を外して輪行袋に詰めれば、後席を倒して二台積める。ハッチバック車も同様である。ルーフキャリアを使えば、見栄えは良いが、高さがある分、積み降ろしに慣れが必要であり、高速走行時やカーブでも神経を使う。プロチームのサポートカーは、レヴォーグなどのルーフに四台も五台も載せて、アルプスのつづら折れ道を飛ばしているが、一般にはお勧めできない。

 ステーションワゴンなら、フロントフォーク固定タイプの床置きキャリアを使えば、前輪とサドルを外すだけで二台積める。その場合、後輪を分割して倒せば、三人乗れる。ワンボックスなら、5ナンバー車でも、後ろ向きに二台、その間に前向きに一台、サドルを外さずに積み込むことが可能だ。今回のシークレット・ブルベの参加者は皆、ワンボックスを用意している。レースやイベントでは、エントリーが当日の早朝であることも多く、前夜から乗り込んで車中で仮眠する者も少なくない。

 ハイエースのような商用車が一番簡単で、四人乗車で四台積むことも可能である。ハチケンのセレナは商用車に比べると荷室は狭いものの、二列目シートの背にかかる位置に、車内の左右に突っ張り棒を設置している。ここに、ブレーキブラケットを引っかける形でハンドルを乗せれば、三人乗車で二台を、そのまま積み込める。ハチケンは自分がこのブルベに参加する場合は、リヤゲートキャリアを使うつもりだった。

「ねえ、陽ちゃん、聞こえる?お食事中だったら気にしないで。お休み中だったら切ってもいいよ」

 陽子のスマホとペアリングしたハンズフリースピーカーから、君世が話しかけてくる。ハチケンのすぐ後ろを、黄色の軽自動車で付いてきているのだ。疲れ切った亜弓は、焼き穴子の串を握ったまま、既に寝入っている。ハチケンは追い越し車線でアクセルを踏み続ける。

「西宮神社の御朱印に押されている、三つ柏、あの社紋は歴代宮司を務める吉井家の家紋と同一視されているけれど、それもカモフラージュ。三つのオーブの共鳴を示しているの。陰と陽、それから・・・」

 急にノイズが入り、君世の声が聞こえなくなった。ハチケンがルームミラー越しに見ると、いつの間にか陽子も寝ていた。

           *

 車のナビは、阪神高速三号神戸線ルートを示している。これはダメだ。大阪方面行きは必ず渋滞する。

 美津根は運転を任せているチームの若手、安井に伝えた。垂水ジャンクションは直進、布施畑から阪神高速七号北神戸線、西宮山口東から中国道に入って京都東まで。距離にすれば百三十キロ、宝塚~吹田間は渋滞しやすいが、今日のこの時間帯なら一時間半で行けるはず。

 後を追ってきているはずの荻原真理子は、心配しなくても琵琶湖ですぐに合流できるだろう。迎えの車はもう道の駅あわじに着いている頃だ。ただ、気になることがある。さっき頂いてきた岩樟神社の御朱印、墨がにじんで字が流れている。神主に書いてもらった時は何もなかった。ちゃんと半紙をはさんで、にじまないように持っていたはずなのに。汗じゃない。おれのだけか?寝ている紗弥を起こすのは気の毒なのと、確認するのが怖くて、黙っていた。

 須佐乃男は風と雷を連れて走ったという。確かにアワイチはずっと向かい風だったが、大したことはなかった。あと、雷って言っても、予報では大丈夫だし。心配しすぎは良くないか。

 確認しようのない心配はしないのが美津根のタフなところであるが、須佐乃男が、ヒンドゥー教の三神一体論における、破壊と再生を司るシヴァ神の変化であることまでは知らなかった。

「なあ、安井くん。腹減ったら眠くなって走れなくなるのや。悪いけど、この淡路牛の串焼き、君の分も全部食っていいか?」

           *

 JR西明石駅の新幹線ホームは三階にある。シホが道の駅あわじ駐車場で、三宮方面に回送する大型バスの運転手を捕まえて強引に話を付け、高速舞子のバス停まで乗せてもらった。バスの中で大急ぎで自転車の前後輪とサドルを外し、輪行袋に詰める。

 舞子からタクシー二台を拾う。そのまま大津まで行きたかったのだが、いかんせん金が足りない。JR西明石駅へ向かう途中で、ミドリがひかり四六六号の切符を手配する。輪行袋を抱えて、三階の新幹線ホームまで駆け上がり、十一時二十分の発車時刻には間に合った。京都で湖西線に乗り換えて、堅田駅には十二時三十五分に着く。JRがいつものように遅れなければ。新幹線に乗り込み、やっと一息ついた。

「あー、疲れた。でも電車、間に合って良かった。ミドリ、ありがとうね。さすがに新幹線、西明石から京都まで三十分ちょいって、車で行くより絶対早いよ。それとメグ。あなた、本当によく頑張ったね。見直したよ。この調子でビワイチも頼むわね」

 メグは疲れた表情ではあるが、思ったより生き生きしている。

「ありがとう、シホさん。わたし、アイドルになる前に、会っておきたい人がいるの。でも、連絡先がわからなくて。このブルベのお願い事、あの人に会いたいな、会えるよねって思ったら、ここまで頑張れたよ。ううん、彼氏とかじゃない。一度言葉を交わしただけなんだけど、私にとっては特別な人」

           *

 大津方面に向かう車内で、最速店長三人は微妙な空気の中にいた。もとはといえば、脇本が、今日一日チームとして走るんやから、チーム名を決めたらどうかと、提案したことにある。庭島は若干困った表情で黙っている。猛井四郎は露骨に不機嫌になった。

「そんなもん、決めてどうなるんだよ。最速店長ズとかにしたいわけ?最速ってのは一人だけなんだから、チームになりようがないだろうが。それより、高速で事故渋滞とか引っかかったら、もう時間的にヤバいんじゃないのか」

 あー、言ってしまいよった。このスカタンが。それはフラグっていうやつや。ほんまに渋滞なったら、おっさんのせいやからな。と、脇本が口に出すはずはない。アワイチで溜め込んだ陽気のせいか、左膝の痛みは消えている。

 脇本のスマホに、あの男からアワイチ遂行確認のメールが入っていた。首尾は上々。ビワイチに向けた仕込みもばっちりや。おっさんどもは難しいが、あの女は使えるやろ。

 脇本は、自分のバイクのハンドル両端に嵌め込んだ、銀と黒の色違いのバーエンドを見やって、一人ほくそ笑んだ。琵琶湖に行ったらこっちのもんや。四郎も庭島も、利用価値がなくなった時点で置き去りにしてやろう。

(ネットでメビウスとか、適当に嘘混じりの情報流してくれて助かるわ。最後はおれの総獲りやな。なんちゅうても、「アンフィニ・ロード」の、ほんまの秘密を知ってるのは、おれ一人やからな)

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