2.スパイ殺し

「白鐘の禁忌狩り……愚者といった。奴はなかなかやるらしい」


 黒鐘家書斎。


 壁にもたれたユダは、頭を掻き焦りを見せる孫助に抑揚もなくそう言った。


「私が偵察に来たことで相手側にもスパイの存在がばれたと気づかれただろう」


「何故だ。ただ様子を見に来た部外者の可能性も」


「巫女呼びで一触即発的状況でこそこそ見に来る奴が部外者か?少なくとも黒鐘の関係者だ。加えて普段情報を探らせていた弥七以外の人間が情報を探りに来ている。つまり弥七に任せられない状態……スパイがバレた、ということを相手に知らせる形となってしまっている」


 あっ、と孫助は息を飲んだ。


 手の内がバレてしまっていると気が付けばもう孫助は頭を抱えるしかない。


 ユダを睨み孫助はぼやく。


「くそっ!おまえがもっとはやくこの事に気が付いていれば……」


「そう怒るな。まだスパイが死んでいることはバレていない。やりようはある。スパイの死体はどこだ」


 ユダは壁から離れ、背筋を伸ばして立つ。


 孫助は扉をすっと指して「一階の警備兵に聞けば連れて行ってくれるはずだ」とつぶやく。


 ユダはそれを聞き出ていこうとしたが、ふと振り向き人差し指を立てて孫助に見せる。


「あと一つ」


「なんだ」


「巫女呼びとやらは、巫女呼びの日とやらまで実行はしないのか」


「あぁ。それまでにできないこともないが、力が強大すぎるから世界征服でもする気じゃなきゃ普通はやらん」


「そうか、ありがとう」


 それだけ言うとユダは扉から出て行ってしまった。


 一方白鐘邸書斎には、ソファーにどっしりと腰を掛けた愚者とこじんまりと座る白鐘邸当主白鐘三十郎の姿があった。


 愚者は顎をぽりぽりとかきながらじっと何かを待っている。


「なぁ……愚者。これ以上は無駄ではないか」


「いいや、来るね。俺にはわかる」


 愚者はそうつぶやく。


 すると、とたとたと駆けてくる足音が扉の外より聞こえ、勢いよく扉は開いた!


「ご当主様、弥七より手紙が」


 愚者はにやりと笑って三十郎を見た。


「ほらな」

 

 彼はソファーから腰を上げて、扉の所に立ち尽くしている召使の手から折りたたまれた白い紙をつかみ取った。


「貸しな」


 呟いて紙を広げる。


「バレた、捕まる。恐らく一階正門正面から見て屋敷内左側一番奥の倉庫。この手紙は捕まる以前にしたためているので信用しすぎるな。助けてほしい」


 愚者が手紙をゆっくり目で追いながらたどたどしく読み上げる。


 読み終えると召使の顔をじっと見た。


「こいつはどこからどうやって届いた」


 愚者はぎろっと鋭く召使を睨みつける。


 召使はひっと軽く声を上げてびくつきながら小さく、本当に小さく……


「郵便屋です……黒鐘屋敷から出てきた男に至急これを白鐘屋敷に、と言われて金を握らせられた……と」


「その郵便屋はどこ行った!」


「か、かえりましたっ……」


 愚者は大きく舌打ちをするとソファーに戻り座り込む。


 三十郎はその様子に唖然としながら召使に礼を言う。フードを深くかぶり、愚者は機嫌悪そうにソファーにもたれかかっていた。


「しかし愚者どうする。弥七が捕まっている以上こちらの事情が筒抜けになる可能性はある。早急に救い出すか始末するかしなければ……」


 三十郎が焦ってそういう。


 だが愚者はぐいっと指を4本立てて三十郎の方に伸ばした。


「可能性は四つだ。本当につかまっているパターンで手紙は弥七から送られたもの。二つ目は本当につかまっているが手紙は黒鐘家からの罠。三つ目のパターンはもう死んでる場合で、手紙は弥七からか……罠か」


 白鐘の当主の表情が固まった。


 何か口に出そうとするが、それを押さえて愚者は言う。


「スパイがバレているのは間違いない。だが……これは使える」


呟く愚者の声には、笑みが混じっていた。




 黒鐘家正門を見渡し、彼女はそのまま屋敷の方に入っていく。


 そして一階を突き抜け階段を上り二階の書斎へと戻った。


 中では貧乏ゆすりをして苛立ちをどうにか抑え込もうとしている孫助の姿がある。


 孫助はキッとユダを睨みつけて「首尾はどうだ」とまくしたてるように言った。


「うまくいかなくとも相手の動きが見れる。よい機会だ、気長に待とう」


「気長に待っとる時間などない! 貴様そんな悠長なことが言ってられる状況だと思っとるのか!」


 孫助は立ち上がりユダの頬を思いっ切りぶった。


 ユダの顔はその衝撃に少し揺れたが体制は崩さなかった。


 彼女はほほに赤い痛みを負おうとも顔色は変えなかった。


「黒鐘孫助。この屋敷に地下はあるな」


「それがなんだ」


 肩で息をしながらいまだ苛立つ孫助は吐き捨てるかのようにそういう。


 ユダは頬を軽くさすりながら続ける。


「何故スパイを地下に閉じ込めない」


 孫助の顔が一瞬ひきつったが、仕方がないと腹をくくったような顔をする。


「地下はそういう場所ではない。地下はあくまでも巫女呼びの実施場所なのだ」


 そうはっきりといった。


 本来は言うつもりではなかったのだろう。


 それほどユダのことを信用していないらしいな、と彼女自身感じた。


 そういう扱いを受けることは少なくないが、少し苛立つものである。


 彼女はすこし息を吐き気持ちを落ち着ける。


「そういうことか。わかった……ではスパイは一階の倉庫に閉じ込めたままでよかったんだ」


「ああ、構わん」


「ならば……使いはすぐに来るだろう」


 ユダが死体の持ち物を漁っている際、靴が厚底になっていることに気がついた。


 調べてみると、そこには小さく折り畳まれた紙が入っていた。


 それは助けを呼ぶ手紙で、彼自身いつバレるかわからないからと用意していたのだろう。


 この手紙を発見した瞬間彼女は『あえてこれを白鐘家に配達し、敵の出方を見る』という手を思いついた。


 準備は整った。


 彼女は今は待つしかなかった。



 ちくたくと音を立てて回る時計の針は、ユダたちに時刻を伝え続ける。


 ユダと孫助が書斎で向かい合いながら使いが来るのを待ちだしてどのくらい経ったろうか。


 ユダには思い出せなかった。


 やがてごーんと時計の鐘が鳴り……


 足音が聞こえた。


 一階で一斉に警備が動く音。


「来たな」


 呟きユダは錫杖を片手にすくっと立ち上がり部屋を出る。


 孫助ももたもたしながら部屋を出て二人そろって一階への階段を下りていく。


 そうして一階倉庫までたどり着くと、中では脅える若い男が立っていた。


 警備兵に貌まれて明らかに震えている。


 孫助が問い詰めるために前に出ようとするのを、ユダは静かに止めて自分が部屋の中に入っていく。


 男は胸の前に何かを抱えていた。


 ユダはそれに目を向けながら、少しだけ微笑む。それは敵意がないことを示すためであった。


「怖い思いをさせてしまい申し訳ございません。黒鐘家は今少々トラブルに巻き込まれておりまして警備兵も敏感になっているのです。どうか、ご無礼をお許しいただけませんか」


 普段の冷たい声色とは違う。


 柔らかなその声に男もすこし落ち着いたようだった。


 震えもやんでいる。


 彼は小さく頷く。


 ユダは視線を男から外し、警備兵の方を見る。


 それに反応し、警備兵は一歩後退する。


「ところで、ここにはどのような目的で。申し訳ございませんが黒鐘家にはその報告が届いていないようで……あなたは」


「私は、孫助さまに用事があって参ったのです。魔術器具専門店の厚井です……」


 ちら、とユダは視線で孫助に問う。


 彼の瞳は身に覚えがない、と訴えていた。


 彼女はそれを確認すると、警備兵に下がるように伝える。


 戸惑いながら下がる警備兵の中には、いったいどうするつもりだ、と顔をしかめる孫助の姿もあった。


 ユダはそれをまったく気にもせず、厚井に向かって言った。


「書斎にご案内します」


 書斎のソファーに腰を掛けてテーブルをはさみ、厚井と向かい合う孫助は不満そうな顔をしていた。


 このいかにも怪しげな厚井という男を書斎に招くメリットというものが、全く思いつかなあったからである。


 この状況を導いたユダはというと、壁にもたれかかって目を閉じたままである。


 だが、口は動いた。


「申し訳ない。黒鐘家は私のような部外者を雇うような……まぁ少々危険な状況で、報連相も少々乱れているのだ。用件を聞きたい」


 厚井はユダの言葉に躊躇いつつも、抱えた箱をテーブルに置いた。


 それは、包装された菓子であった。


「ご当主、中の確認を」


 ユダの指示に従い、孫助は包装をゆっくりと解く。


 その中身は、何の変哲もない菓子であった。


 だが、孫助はそれだけでないとすぐに気付いた。


 すっとその菓子を調べる。


 その箱は二重構造になっていた。


 そしてその底には……


「お金」


 賄賂だ。


「いつもは別の方がきているみたいなのですが、今日の……たしか一時間ほど前に黒鐘の使いさまが『今月は巫女呼びもあるので早めに……できれば今日にでも願いたい』と……そうおっしゃられましたので。私たちもこれを献上していますおかげで多少の不正をいつも黒鐘さまには見逃してもらっていますので……早めに早めに……とこう来たわけです。使いさまが本日の受け渡しは倉庫が良い、ともおっしゃっていましたので」


 厚井の語るその情報に孫助は目を丸くし、額を汗が流れ落ちる。


「普段からしていたのか」


 ユダが呟いたが、孫助は何も言わなかった。


 否定などできなかった。


 ユダはため息をついて厚井の方を向く。


「護衛をつけますが、かえって大丈夫です」


「あ、あの……一体何が」


「黒鐘も少々ごたごたに巻き込まれているのです。あなたにそのごたごたの被害が及ばぬよう、護衛をつけるんです」


 戸惑う厚井であったが、頷き部屋を後にする。


 「今後ともよろしくお願いします」という言葉を最後に、部屋はしばらくの静寂に包まれた。




「愚者の仕業だ」


 短くユダが言う。


 それはなんともいえない確信があった。


「そうだろうな。ワシは「今月は早めろ」などとは言っておらん。そもそもあの倉庫には近づけさせん!」


「厚井の話がそもそも本当なのか……本当であれば黒鐘の使いを名乗るものが屋敷の状況を調べるために嘘を吹き込んだろうが、嘘ならばあの厚井自身が白鐘の使いだな。いずれにせよ、ここで彼を帰さなければもし彼が本当に魔術器具店の人間だった場合、器具店側に不信感を与えることになる」


顎をさするユダ。


 何か策をとってくるだろうと考えてはいたが、この調子ならばあまりボロも出ないかもしれないな……とすこし肩を落とす。


「何かきっかけがあるはずだ……何か」


 彼女がそうつぶやいた瞬間、ドアが開いた。


「孫助さま!巫女様が!巫女様が!」


 警備兵が複数人慌てた様子で部屋に入ってくる。


 息も整っていない。


 孫助の顔が曇り、唇は震えながら言葉を紡ぐ。


「一体どうしたというんだ!説明をせい!」


 怒鳴った。


 警備兵たちの顔がこわばり、書斎外に他召使たちが野次馬に集まってくる。


 煩わしそうに睨みつける孫助。


 その様子に警備兵は脅えながら先の問いに答えた。


「巫女様が……部屋からいなくなってしまっていて……」


 彼らが絶望的な、青ざめた表情をしているというのに、ただ一人それを予測していたかのように動じていない人物がいた。


 ユダである。


 孫助の顔がきっと赤くなり、血管も浮き出る。


「想定していたのか!」


「まさか。だがなかなかうまい手を使ったものだ、とな。厚井は囮、本命は巫女を連れ去ること。警備兵が厚井に夢中になっているうちに巫女は消えた。」


 口元が微かに歪み、彼女は手で覆い隠す。


 ユダはそうして自分の顔に浮かぶ微かな笑みを覆い隠して、部屋の外に集まっている野次馬含めたこの屋敷の人間を見据えた。


「なるほど」


 ユダはそれだけ言うと振り向いた。


 孫助はソファーに座ったままユダのその様子をぼうっと見つめていた。


 怒りはあるだろうが、ユダの意見を聞くべきだとも思っているようだった。


 だからこそユダは言った。


「内通者だ」


「なに」


「そこに内通者がいる」


 野次馬をユダは指さした。


「相当上手くやったらしいが、ボロは出た。警備兵、巫女の部屋に私を連れていけ。証拠を探す」


 ユダのマントが風に揺れ、彼女の足は部屋の敷居をまたぎ外に出ようとする。


「待て」


 その声は孫助。


「おまえには内通者が誰だかわかっているのか」


「勿論」


 ユダの足は完全に部屋をまたぐ。


 そして彼女はその場に立って、ポケットに手を突っ込んで背筋を伸ばす。


 野次馬の顔を一人一人見る。


「だが状況証拠のみだ。物的証拠がなければできないだろう」


「なにができないというんだ」


 その問いにユダは錫杖を掲げて答えて見せた。


「証拠がなければ内通者が殺せない」


 野次馬たちには、銀に輝くその錫杖が血に濡れているかのように見えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る