花夢

1.花囲いの塔

 右斜め四十五度に降る雨の中を男と女は歩いていた。


 草を踏む。


 濡れた草がきゅいっと悲鳴のような音を立てるが、それすらも雨音は消し去ってしまう。


 月も見えない暗闇の中を歩く二人はレインコートに身を包んでいた。


 透明のビニール製レインコートは、雨の中を歩くのに最適であった。


女――――ユダは片手に持った懐中電灯の後ろをトントンと叩いては、スイッチを入れたり消したりしているが明かりはつかない。


「故障か」


 残念そうにつぶやいたのは男……サイコウルフであった。


 サイコウルフは巨体のくせに背中に大きな木箱(倉匣わすれもの、という道具だが詳細は後ほど)を背負っているためレインコートが苦しそうだ。


 ユダはくるりと顔だけ振り向いて眉を下げて「どうやらそうらしい」と微かに笑う。


「どうすんだよ。こんな夜じゃ俺ぁもう歩きたかねぇぜ」


「だが進むしかあるまい。疑似太陽もここで使うにはもったいない」


 懐中電灯を懐にしまい、ユダは進行方向を向き直る。


 サイコウルフは、きょろきょろと辺りを見回してどこかに光でもないかと探すがなかなか視界に入りはしない。


 それもそのはず。


 この場所は一番近い町からも百キロ近く離れた辺鄙なところにある。


 加えて、砂の海がほとんどのこの星にしては珍しくほとんどが草に覆われた陸地である。


 そのため砂の海を渡るために使ってきた砂上バイクはもう二時間ほど前に降りて長らく徒歩。


 バイクのライトも使えないうえ、バイクに戻るも一苦労。


 もはや戻る選択肢はないのだ。


「なぁユダ」


「なんだ」


「俺たちは何のためにここに来たんだ」


「禁忌狩りだろう」


「俺もそうだと思うんだ。ただ……何の禁忌だったか覚えてるか」


「……さぁ」


「おかしいと思わないか」


「確かにおかしい」


「なぁユダ」


「なんだ」


「俺たちはすでにその禁忌の術にはまっちまってるんじゃないか」


 歩みは止まった。


 ユダの瞳はサイコウルフの不安そうな表情をとらえる。


 息がうまくできていないようで、彼の額を流れるのが雨なのか冷汗なのか見わけがつかなかった。


「なぁユダ。ちょっとあたりの様子をうかがってみねぇか」


「…………」


「ユダ……?」


 ころん


 ユダの首が転がって雨に降られて草の中に沈んでいく。


 草はまるで水面のように首を包み込んで抱きしめて取り込んでいく。


 ウルフは気付いた。


 その首はユダの首なんかじゃない。


 取り外し可能なただの人形の首だ。


 ガタリ、と音を立てて先ほどまでユダの体だったものが崩れ落ちる。


 それもまた人形の体。


 関節は球体のようなものでつながっている簡単な人形。


 息が荒くなる。


 じゃあユダは何処に行ったというのだ。


 これが禁忌による罠だとすればそれは一体いつからだというのだ。


 視界がぐらりとゆがみ、頭になたで切られたような派手な痛みが走る。


 とっさに痛む個所を手で押さえるが、手は頭に触れたとたんに氷をハンマーで叩いたみたいに粉々になっていく。


 思わず彼の口からは恐怖の悲鳴が漏れる。


 途端、喉の奥に違和感を感じる。


 何かがうごめいているような違和感。


 喉を抑えようとする片腕は既にぼろぼろに崩れている。


 ではもう片腕を……そう、重い視線を移すとそこには腕はなかった。


 能面をかぶったこけしが肩から腕の代わりに生えていた。


 能面はじっとウルフを見つめている。


 まるで自分を内部から何か黒いもので浸食しようとしているかのように……。


 黒い眼の中に光は見えない。


 能面はただ見つめる。


 雨音だけが耳に響き、それ以外に聴覚は何もとらえない。


 喉。


 嗚呼、喉よ。


 何故喉は震えているのだ。


 何が蠢いているというのだ。


 その蠢きはまるで口から外に出ようとしているかのように這い上がってきているではないか。


 喉彦に何かが触れて、舌の上をゆっくりと這う。必死に歯を食いしばるが信じられない力でこじ開けられる。


 そして口が開ききって、顔を出したのは。


 ユダ。


「お目覚めの時間だ、ウルフ」




「はぅあっ!」


 汗が噴き出す。


 慌てて額を拭う。


 息があれている。


 上体を起こして深呼吸をする。


 うーん、と体を伸ばせば体にかかっていた薄いブランケットが煉瓦れんがの床の上に落ちた。


 ウルフはそこでようやく自分が先ほどまで眠っていたのだ、ということに気が付いた。


 あれは悪い夢だったのだ、と少し安堵の息が漏れる。


「確かに夢ではあった」


 声がした。


 それは窓の近くから。


 部屋の唯一の窓から入る光を浴びてユダは腕を組み立っていた。


 レインコートは着ていない。


 いつも通りのバンカラな軍帽、軍服とマント。


 日の光で帽子の下の顔中に描かれた赤い縦縞たてしまのペイントはいつにもましてはっきりと見える。


「ユダ、どういうことだ」


「お前は確かに夢を見ていたのだ。ただそれはお前が自発的に見たものじゃない。明らかに≪外部の何か≫に侵入されていた。私が気付かなければお前は何者かの傀儡かいらいになっていたかもしれない」


 彼女は壁に立てかけていた錫杖に手を伸ばし、遊環ゆかんをちょいと触れる。


 ちりんと高くきれいな音が鳴る。


 小さな部屋にはただそれだけの音でも充分に響きわたった。


「この弥勒みろくは魔や禁忌を対象とするようにできているのだ。対人戦でも使えないことはないがその真の力は魔や禁忌に対してのみ発揮される。これがお前を救った」


 ちりんとまた音が鳴る。


「ウルフ、ここは二人では危険だ。頼りたくはないがCMH(禁忌対策本部)から応援を呼ぼう。一度外へ出るぞ」


 そう言い、錫杖をぐっと握りユダは帽子のつばをつかみ目深にかぶりなおす。


 ウルフもブランケットを片付けて立ち上がる。


「なぁユダ……実はここも夢の中でしたなんてことはないよな」


「完全に否定はできない。その可能性は常に頭の隅に置いておこう。そうすれば、またああいう状況に追い込まれても少しは冷静でいられるだろう?」


「……かもな」


 ウルフは扉に向けて足を踏み出す。


 耳を澄まし、部屋の外の反応を探る。


 何の音もしない。


 恐ろしいほどの無音だった。


「ユダ、俺たちゃこの塔の付近で起こる不可解な現象の調査にここに来たんだよなァ」


「そうだ。この花囲いの塔の周辺で起こる異常な殺人の解決にな」


「死体は……頭以外が人形と挿げ替えられている……っていう不気味な状態で……間違いはない……よな?」


「ああ。あってる」


「とりあえずさっきの夢みたいに何も覚えてねぇってことはないみたいだな」


 呟いた声は、不自然に部屋の中に反響した。


 まるでその言葉を部屋自身が拒否するかのように。


 途端に部屋が揺れる。


 地震のような揺れではない。


 この部屋だけが、この部屋の煉瓦が伸びたり縮んだりしながらぐやんぐやんと揺れている。


 ウルフは伸び縮みする煉瓦を観察する。


 それは、明らかに伸び縮みするたびにサイズが少しずつ小さくなっていた。


「ウルフ!窓だ!」


 叫ぶユダを見れば、彼女の片足はすでに窓枠にかけられていた。


 窓はガラスなどもついていない開きっぱなしの窓で、ユダはそれからためらわずに窓の外に身を投げた。

 

 彼女に続き、彼も窓へと走る。


 部屋が縮み切ってしまう前に……それだけを考え足を動かす。ただひたすら前に。


 片腕を倉匣にまわす。


 倉匣にある無数のスイッチの一つを押すこと……それがウルフの今すべきことであった。


 何故か。


 この倉匣には、ウルフの人知を超えたような身体能力が封印されているのだ。


 窓から落ちても五体満足でいるためには、そしてこの得体のしれない状況を打破するためには……この倉匣の封印を解くしかないのだ。


 このスイッチを押して。


 人差し指に力を籠めれば、体がすこし軽くなった気がした。


 足も先ほどよりよく動く。


 耳も鼻も目もすべてが敏感で、この異常な状況の危険性を嫌というほど脳みそに伝えてくる。


 だがウルフはそんなことに思考を割いている時間はないのだ。


 今は窓に足をかけて。


 ウルフは足に力を籠める。


 縮みゆく窓をどうにか抜けて。


 ウルフは飛んだ!


 空中を舞う。


 いや、落ちる。


 落ちていく……。


 ぽふっと……地面に激突したのとは違う感触がある。


 墜ちることに夢中で機能していなかった視界が戻ってきた。


 目の前には、ユダの驚き半分で笑う顔があった。


「上出来だ。よくやった」


 ユダに抱えられたウルフは、その言葉にただぎこちなく笑って。


「アンタに抱えられたぁ……はたから見たらなんと奇妙な光景だろうな」


「そんなことを気にするのか」


「ふ……そんなこと……だな。確かにどうでもいいことか。しかし、あの縮む部屋っていうのは……」


 雄たけびが辺りに響いた。


 ウルフは目線をその声の方向に動かす。


 先ほどまで自分たちのいた塔だ。


 いや、そうではない。


 塔ではない。


 あれは塔なんかではなく……。


 巨大な埴輪はにわだ。

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