2.予言

山蘭さんらん、僕はこの死神を隔離堂かくりどうへ連れて行く」


 氷鬼守ひきがみの声に呼応して引き戸が勢いよく開く。


 若い女が立っていた。


 紫の頭巾を被り、頬中に無数の管が付けられている。


 目の下には濃い紫色の隈があり、唇は綺麗な紅色で肌が真っ白なこともあり、より一層美しく見える。


 青と赤と緑の三枚の羽織りを重ねてきて、手には白い布製の手袋。


 手袋には妖術士特有の『封魔の門』が書かれていた。


 魔に対するまじないだ。


 彼女は両手を合わせて目を閉じていた。


 そしてしばらくユダの方を向き、黙り込んでいたがふと口を開いた。


「女はどうするのじゃ」


「見たところ体に傷はない上に夕能だ。魔が入り込めるわけがない。広間へ連れて行ってくれ。事情を話し協力を仰ごう」


 そこまでを比較的穏やかに言ったかと思うと一変、山蘭ににらみを利かせて言い放った。


「だが目は離すないでくれ、勿論あの事も話さず。魔と組んでいる可能性が消えたわけじゃない」


「承知した、優也」


 山蘭は振り返り御祓殿おはらいでんの中へと戻っていく。


 ユダはその背中を追い、肩に手をかける。


「待て。その様子だとウルフが魔に憑かれていると決め付けているようだな。だがそれは実際に調べてみないことにはわからないじゃないか。何を根拠に……」


「予言は常に我々に対処すべき悪夢を知らせてくれるのじゃ。其方そなたは黙ってわらわについてくるがよい」


 キッと山蘭はユダを睨みつける。


 眼光に一瞬怯えユダの手の力が緩まる。


 山蘭はそのままユダを振り払い奥へ奥へと進んでいく。


 心配だったのか、ユダは一瞬ウルフの方を向いた。


「そんな目をするな。すぐに誤解を解いて戻ってやるさ」


 そう言い笑う彼の顔に安心したのか、軍帽をかぶり直して彼女もまた御祓殿の中へと消えていった…。


「さて、氷鬼守さんよぉ。アンタどうして俺をこんな目に合わせるんだ?」


「貴様が害を成すものだからだ、死神」


 氷鬼守はそう憎らしげに呟くと、両手をぐっと握りしめる。

 

 すると、なんと言うことだろう。


 ウルフの体は発泡スチロールのように軽く宙に浮いた。


 それは糸による支配、氷鬼守の技。


 思わずウルフは声を上げる。


 だがそれも一瞬。


 浮いた体は急速に地面へと近づいていく。


 叩きつけられる……。


 そう彼が感じた時にはもう遅く、砂埃が舞った。


 ウルフの頬は砂に埋もれる。


 その様子を氷鬼守はゴミを見るかのように見下ろしていた。


 恐ろしく冷酷で、驚くほどの怒りを込めて。


「貴様を今ここで殺すことは簡単だ」


 絡みつく糸が少しきつくなる。


「僕がこの薬指の力をほんの少し……それこそ目に砂が入ったとかそういう言い訳をつけて力を加えれば、その体はあっという間にバラバラになる」


 睨みつける眼球が血走っている。


 どうしようもない怒りを抱えている。

 

 しかし理性はいまだ完全に保たれていた


「けれどそれでは山蘭も納得しない。何より僕と……正太郎の魂が許さない」


 氷鬼守が砂にまみれるウルフの顔を掴む。


 そしてその瞳をじぃっと見つめる。


「隔離堂で俺をどうする気だ」


「妖術士の封魔の術を甘く見るなよ。貴様の中の魔を体ごと痛い目に合わせてやるんだッ……!」


「やってみろよ、無駄だぜ?」


 ウルフは不敵に笑う。


 氷鬼守は少し苛ついたように歯を食いしばった。


 しかし無視し、御祓殿の横に止められた妖術士専用バイクのサイドカーにウルフを糸で器用に操り乗せると、自分もバイクにまたがりここから1キロ先の隔離堂を目指す。



 ……その名の通り他の施設から離れて隔離された小屋である。


 人ひとり入るのがやっと……といった広さで、名前と裏腹に処刑等に使われることが多かった。


 今では引き取り手が来るまで死体を置いていたりすることが多い、御祓殿の施設の一つである。



 ウルフは目を瞑り風を感じていた。


 そうすれば嫌なことを忘れられた。


 穏やかな気持ちになれた。


 それは風の魔法のようであり、辛いことばかりであったウルフの人生における安らぎのひとつだった。


 だがその安らぎは突然の衝撃により失われた。


 がたんっとサイドカーが揺れたかと思えば次の瞬間にはウルフの体は宙に浮き……。


 そして開かれた隔離堂の戸の中へと投げ込まれていた。


クラゥ・ラクスウォンテ・生を司る者よ

サーバニ・サン・ノマントール蜘蛛の巣の如く足掻け


 呪文が聞こえた。


 氷鬼守優也による妖術の詠唱。


 その声が辺りに響き渡ったかと思えば隔離堂は緑色に光る膜に覆われた。


「貴様はそこから出られまい。大人しくしていることだな……」


 嘲笑う糸使いは糸を飛ばし、器用に隔離堂の戸を閉めるとバイクにまたがり御祓殿へと帰っていく……。


 その後ろ姿を縦繁障子たてしげしょうじの隙間から見ていたウルフは、どうにか小屋から脱出しようと体を壁に何度もぶつける。


 ……だが、びくともしない。


「流石妖術士だ……。なかなかの強度じゃねぇか」


 ……


 ウルフの耳ははっきりと声を捉えた。


「……だ、だれだ。誰がいる」


 


 少女の声で。


「名を答えろ!くっそ、誰なんだ」


 ウルフは頭を抑えて壁にもたれる。


「仲間?なんの話をしてるんだ?くそ…!早く説明しろ」


 


 ころころと子供のように……だが儚げに。


「わからねぇ……。わからねぇわからねぇ……!端的に言え……君は誰だ」


 そしてウルフは叫んだ……。


 狼のように激しく……激しく……。


「ぅうぁあああああああぁぁあぃうあああ‼︎‼︎」


 ●◯●◯●◯


「声?」


 広間は広く四角く、その四方の角に提灯が置かれ暖かい光に包まれていた。


 広間の四つの壁にはそれぞれ扉がついており、それぞれ入り口、妖術士用居室、客室、妖術長室に続いているようであった。


 その中央の座布団に座ったユダは、不可思議そうに首を傾げた。


「そうでおじゃる。サイコウルフと名乗る男が何者かの声を聞いたような素振りはなかったのかと妾は問うておるのじゃ。どや、どや」


 山蘭はその向かいに正座をし、膝の上に乗せた木箱を撫でていた。


 まるで我が子を可愛がるかのように。


「少なくとも私はそんなそぶりを見たことはない。それがどうかしたのか」


「…なァるほど。其方はそれを知らぬと…。宜しい、教えてしんぜよう」


 しょうがない、とため息をついて言う。


「魔が人間を支配する際、魔は傷口から体内へ侵入し対象に呼びかけることによりその対象を乗っ取るのじゃ。少なくとも其方はそのような光景を知らぬと」


 その問いにユダは小さく頷いた。


「だがしかしそれは其方が知らぬだけなのじゃ……。これを見よ!目をかっぴらき刻み込むのじゃ‼︎」


 山蘭はそう強く言うと、木箱の蓋をパカリと開いた。


 ユダは見た。


 その中に広がる死の世界を。


 内部に溢れんばかりに溜まった血。


 その中に埋もれる腕、足の関節が折れ曲がり、四角形になった男の体……。


 ユダでさえ一瞬、吐気を催すほどであった。


「此奴は妾の同僚であり優也の親友であった妖術士の正太郎じゃ……。数日前、御祓殿の前で無残な姿で発見されたのじゃ」


「自殺の可能性はないのか?」


「其方は人が自分の関節を全て折り曲げて死ぬことができると思っておるのか?正太郎は逃げられぬようアキレス腱も切られておった。それは全くもって意味のないことになるでおじゃる」


 山蘭の首の管からドクドクと激しい怒りの音がする。


 ユダは上げかけた腰を再び座布団に戻して山蘭をちらりとみた。


 彼女の隈は少し濡れていた。


「加えて妾は予言を見た。左腕のない男が妖術長様を突き刺す光景を‼︎魔があざけりながら正太郎を侮辱ぶじょくする声を……ッ」


 山蘭の声は震えていた。


 怒りか?


 悲しみか?


 それはわからない……。


 だが同様にユダはその予言の意味がわからなかった。


「……山蘭。ウルフは私と共に二日前石榴塔にいた。そこからここまではあまりにも離れている……。この距離でウルフが正太郎と言う者を殺し石榴塔ざくろとうに来る事は不可能だ」


「魔は空気に漂っておる。正太郎を殺した時は別のものに取り憑いていたのじゃ……。正太郎のアキレス腱には犬の咬み傷がついておった。魔は犬に取り憑き……それがどのタイミングか不明じゃが、サイコウルフに移った。これなら矛盾はあるまい!」


「山蘭や」


 ヒートアップする議論の最中、後方から突如響いたそのしわがれた声に反応し、ユダは振り向いた。


 目深にかぶった軍帽のツバを少し上げて声の主を探す。


 たるんだ胸には紫色の妖術紋が描かれ、腹には封魔の門が刻まれている。


 両腕には黄金色に塗られた木製のブレスレット…端的に言うなればユダの目が捉えたのは裸の老人であった。


 山蘭は彼の姿を見るや否やスッと衣摺きぬずれの音のみさせて静かに立ち上がり、箱の蓋を閉じ彼に手渡した。


「正太郎は箱の中に閉じ込めたか」


「……はい。……妖術長様」


「よろしい。ならばわしは部屋に篭ろう……。予言をより正確なものにするのじゃ」


 妖術長は抑揚のない声色でそう告げる。


 少し視線を下げる山蘭を横目に、老人は妖術長室のあるであろう廊下へと消えていった。


「山蘭……。妖術長とやらは何をしようとしているんだ」


 思わずユダは呟いた。


 山蘭は一瞬喩えようもない悲しげな表情を見せて言葉を紡ぐ事を躊躇ためらった。


 ユダは自分の失言を恥じて何事もなかったかのように装おうと軍帽のツバを下げる。


 その時であった。


「妖術長様は人を超えようとしてらっしゃるのじゃ………」


 山蘭のその呟きは懺悔のようにも聞こえた。

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