――

少女は、スーツ姿の男が自分の家から出ていくのを見た。男は丸渕眼鏡の下の方を、ずっと擦っていた。

「さっきの人は、誰?」

民族衣装を着た翁が答える。

「文字を使う人だ」

「じゃあ、偉い人?」

少女は大きな黒い瞳を輝かせる。

「どうして、文字が使えれば偉いんだ?」

「だって、学校で習うし、先生たちはみんな文字を使えるから」

「ここも、文字の社会に飲み込まれるか」

炉の中で、パチンと火が爆ぜた。

「さっきの人と何かあったの?」

「どうして?」

「泣いていた」

「わしが、こう言ったからだ」



――お前たちは、我々の民族の言葉を盗んで、学者様になるのか?


この一言のために、この民族の研究者の世代は、一世代分いなくなったと言われる。



文字社会において、文字は権力である。

ではその権力をもって、他の民の言葉を搾取してもいいのか。



物語の文字化とは、権力との抗争でもあった。

しかし記録されなければ、かつての危機言語の物語を、神話を、伝説を、謡を、現代の我々が知ることができない。



















だから、今からここで、物語を始めよう。






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