第3話 行儀見習い

 大陸中央の東側に、ちょこんと東西にはみ出した半島がある。


 地図に書き起こしてみると反り返った剣の形をしていた。だから名前はシミター半島という。

 半島の北側には、まるで背骨のように山々が連なっている。山脈と呼びたいところだが、それほどの高さはない。


 そして南側は砂浜が広がっていた。

 遊べといわんばかりの地理条件だ。


 事実、この半島はリゾート地として名高い。施設の方も王族貴族の別荘、あるいは離宮から始まって、犯罪組織が仕切る裏カジノまで上下まんべんなく軒を連ねている。


 そんな事情もあり、この半島にはっきりとした統治者はいない。


 名目上はツジョカ領であるが、この半島を訪れる者達は船でやってきて勝手に上陸していく者がほとんどなので、入国管理も満足に出来ない有様だ。


 ツジョカとしては適当に税を掛けて、上前をはねるのが精一杯である。


 この半島を独占などしてしまうと、大陸全土を敵に回すことになるので仕方がない。


 統治者がいない状態では治安が心配だが、これほどのおいしい市場を下手なチンピラに荒らされてはたまらない、と犯罪組織の方が積極的に治安を維持しようとつとめている。


 もちろん、各国の警備隊も護衛と称して半島に乗り込んでくる。


 そのためにこの半島の治安は、実は大陸で一番良いのである。お互いににらみ合って、手も足も出ない状態というのが一番的確な状況説明であったとしても。





 

 シミター半島で中程度のホテル「盾と真珠」。

 そのホテルの二階の三室を借り切って、リコウトはそこにいた。


 今は部屋に食事を運ばせて、朝食の真っ最中だ。朝の光が窓の外に広がる海の反射でさらに増幅されて、痛いほどの白い光が部屋に飛び込んでくる。

 中程のホテルということで、部屋の大きさ自体はそれほどではない。


 ただ、そのホテル名に合わせたのか調度品から、壁紙まで白で統一されていた。そのために部屋の印象としてはかなりの開放感がある。

 朝の風に揺れる、レースのカーテンもやはり白。


「どうも私にはこういったリゾート地は肌に合わないようです。どうしてここもかしこもこんなに、明るいんでしょう。食欲が萎えてしまいます」


 文句を言いながらも、リコウトはやっぱり笑顔だ。


 季節は夏。


 暑いだろうに、性懲りもなくビロードの上着を着ている。どうも、貴族への意趣返しに機能的ではない服を着ているらしい。


 そろそろ付き合い始めて三ヶ月になるので、リコウトと差し向かいに座るリリィにもそんなことを考える余裕が出てきた。


「そんな吸血鬼みたいなことを仰らないで下さい。それにあまり説得力のあるお言葉とも思えません」


 確かに、通常の三倍の朝食を目の前に並べておいて、食欲がないとはよく言ったものだ。


 そのリリィは涼しげな水色のサマードレス。金色の髪は高く結い上げられており、これもまた夏仕様なのだろう。大きく開いた胸元にはサファイアの首飾り。自分の菫色の瞳に合わせたコーディネイト。


 おしゃれと言われるものの類は、リコウト相手にはほとんど効果がないと判明している。それならばと思い切って仕掛けた色仕掛け――こんなドレスだって本当は着たくないのであるが――なのだが、開いた胸元がいかにも頼りないので、滅多に身に付けないアクセサリーを引っ張り出してきて、胸元を隠している。


「そうです。この食事の量にも問題があります。ふざけんなバカヤローってレベルですね。これでまた普通の三倍の値段がする」


 にこやかに笑いながら、人に斬りつけそうな雰囲気だ。


「リコウト様。私のもそろそろ“その手”の言葉は理解し始めています。だから冗談を仰ってないことはわかりますわよ」

「……からかうのが面白かったのに」

「認めましたわね」


 リリィはキッとリコウトを睨む。リコウトは素知らぬ顔で切りそろえられたパンに不細工にバターをなすりつけて口に放り込んだ。

 

 リリィはじっとその様子を見つめていた。

 ゴックン。

 音を立ててパンの固まりを飲み込んで、、リコウトはこう返事をした。


「何か言いましたか?」

「いいえ。何にも」


 コンコン。


 部屋の扉がノックされる。


「どうぞ」


 リコウトが答える。ここはリコウトの部屋なのだ。リリィの部屋は隣で、このホテルに逗留してからは朝食を一緒するために、毎朝リコウトの部屋を訪れている。


 そんなわけで、ノックに応じて入ってきたエリアンも特に表情を動かすことはない。


 日頃から無表情な男なので、もしかすると主のこの状態に思うところがあるのかも知れないが、それは伺い知ることが出来ない。


 いつもの小姓のような軍服姿。手に持つ鞄はやけにふくらんでいた。


「エリアン。朝食は摂りましたか?」

「いただきました。エーハンスで」

「移動呪文が使える人はうらやましい」


 スクランブルエッグをフォークで器用にすくいながら、拗ねたようにリコウトが答える。


「報告に移ってもよろしいですか?」

「書類ではないのですか? その鞄に入っているんでしょ」


 二人は、お互いに敬語を使いながら会話を続ける。そんな主従をリリィは不思議そうに見つめていた。似ているようで、どこか対照的な主従でもある。


 聞けばスラム時代からの関係で、その時からエリアンはこのつかみ所のない主に仕えていたらしい。そのおかげでエリアン自身も十分につかみ所がない存在となってしまった。


 自分もいずれはああなるのか――と、リリィは思わずリコウトの顔をマジマジと見つめた。


「リコウト様。リリィ様が見つめています」


 その忠実すぎる報告に、リコウトは人差し指を立ててダメ出しする。


「もう少し形容詞を付けてあげるべきですね。せっかくの色仕掛けなんですよ。瞳を潤ませて、とか、頬を染めて、とか」

「ああ、それは失礼しました」


 素直に謝るエリアンに、リリィはどう返事をしたものか判断に迷う。そして、出てきた言葉は実に単純なものだった。


「……別に、色仕掛けじゃありません」

「その発言には根拠がありません」


「はい?」


「先日までのリリィ様の出で立ちより、肌の露出度が二割は増加しております。この場合一番適当な表現はやはり“色仕掛け”でしょう」


 冷静に、そして無慈悲にエリアンは言ってのける。


「いや、やはりエリアン。よくわかってくれます」

「ただ、すでに婚約が確実な男女間で色仕掛けという行為が行われるものなのかは疑問が残りますが」

「それは経験不足というものですよ。恋人同士の間でも色仕掛けが必要な局面というものがあるでしょう?」

「………………ああ」


 深く頷くエリアンに、リリィは真っ赤になって食ってかかる。


「そんなことありません! 私とリコウト様はそういうのじゃないです!」

「“そういうのじゃない”から、必要なのでは?」


 ――チェックメイト。


 完全に追い込まれたリリィは、沈黙することで自分のプライドを保つことに決めた。


 リコウトと婚約同然というのは本当のことだ。しかしそれは建前のことだとリリィは思っている。本当のところは、リコウトの監視だ。


 しかし貴族の令嬢が、男性と四六時中一緒にいるとなれば、適当な名目が必要で一番適当に思われたのが“婚約したので、そのための行儀見習い”ということになった。


 しかし、リコウトは行儀見習いに入り込むことが出来るような屋敷を持っていなかった。それどころかトルハランにすら決まった住居がない。


 スラム出身であるのに、どういうからくりなのか現在トルハランの王族というあり得ない存在であるリコウトだから、敵が多いことはわかる。


 そんな事情であるから、リリィもある程度覚悟していたが、それを差し引いてもリコウトはフラフラしすぎだった。


 エリアンに移動呪文を唱えてもらえる時はまだましで、金に糸目を付けずに馬車を用立てて深夜の街道を疾走したり、朝日と共にホテルを抜け出して畑のあぜ道を走って進んだこともある。


 この前は、チェックインしたばかりのトルハランのホテルの窓からこっそりと抜け出した。スリルを楽しむなどという、そんな物語のような余裕はなかった。本気で身の危険を感じた。


 ある意味、実に内容の濃い行儀見習いでもある。


 手荷物もトランク一つに絞り込んだのだが、それですら重荷になる行程だった。

 どこかのホテルに置きっぱなしにしたのは確実で、しかもそのホテルを覚えていない。


 幸いにも、この「盾と真珠」には長く逗留するとのことだったので、エリアンに頼んで着替え等を持ってきて貰った。おしゃれとかそういう問題ではなく、実に状況は逼迫していたのだ。


 だというのに、着替えの中にはこのサマードレスが入っていた。


 父の真意が本当に監視なのか怪しいものだ。やはり、本気で結婚させようと考えているのだろうか。


 ……どちらにしてもあまり成果は見られないのだが。


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