第5話 同時進行

 太陽は青い空で白く輝いていた。冬の弱い日差しに慣れた瞳には少しばかり眩しすぎるが、それも春が来たことの証だと考えれば、気持ちよく感じられる。


 そんな日差しの中、新緑も眩しく、まっすぐに続く並木道。


 木漏れ日が地面に複雑な模様を描き出す中を、一台の馬車が走り抜ける。


 四頭立ての馬車で、華美な装飾はなく実用一点張り。街中を走っている乗り合い馬車とほとんど変わらない。


 道が舗装されていないせいだろうか、それほどの速度は出さないまま、目的の場所へと進んでいた。


 やがて並木道は終わり、視界が広がる。

 そこが目的の場所、つまりクパワ金鉱。


 ジレル伯領の東端、ナルドラからは馬車で半刻ほど。


 元はクパワという山だったのだが、切り崩され赤茶けた地表が露出している今となっては、やはり鉱山と呼ぶのが相応しいだろう。


 止まった馬車の扉を開けて降りたのはラウハだった。そしてそれを迎えるのは、リコウトとリリィ。風が砂塵を巻き上げ、お互いの姿がはっきりとは見えない。


「待っていましたよ、ラウハ殿」


 そんな中、まずはリコウトがラウハに声を掛ける。それに対して、ラウハの第一声はこうだった。


「あなたが、あのエリアンって人のご主人様?」

「彼が何か粗相でも?」

「いや……そういうわけじゃないんだけど……」


 ラウハが歯切れ悪く答える間に、両者の距離はさらに近付いていった。


「まずは無事のご到着をお祝い申し上げますよ。移動呪文でいきなりここには来られないと思いまして。馬車の手配が役に立って良かった」

「確かに一度行ったところじゃないと、さすがの私でもね。馬車は助かったわ」

「本来なら、私が直接伺うべきだったのでしょうが、何しろ移動呪文が使えませんので、ご容赦下さい」


 そう言って、リコウトは右手を差し出した。

 それを冷ややかな目で見るラウハ。


「……何? キスでもしろって言うの?」

「握手ですけど」


 のほほんと答えるリコウトに、ラウハは怪訝そうな表情を浮かべる。


「握手?」

「ええ、こうやって手と手を握り合わせる挨拶です」

「言われなくても知ってるわよ……あなた、本当に王族なの?」


 握手とはすなわち対等の間柄だということだ。しかし、いくら魔族を退治してもラウハのようなスラム上がりの娘を対等と見るような王族、貴族は今まで一人もいなかった。


 それが目の前の男はいきなり握手である。


 よくよく見れば、ビロードの上着は立派だが全然似合っていない。吊ってある細剣も仲間達の武器に比べれば玩具にも劣るだろう。


 全体的に見ると、えらく貧相な男だった。それがふわふわと曖昧な笑みを浮かべたままこう返事をする。


「実は違います」

「は?」

「内緒でお願いしますよ」


 笑みを浮かべたままのリコウトの顔を見て、ラウハはエリアンの主がリコウトだということを納得してしまった。


「後ろの人が、伯爵令嬢?」


 ラウハはリコウトの後ろに控えるリリィに目を向ける。今日は会議の時と同じ軍服姿。

 だが、それでもやはり美しさに変わりはない。


「リリィと申します」


 短く挨拶するリリィ。そんなリリィをラウハは物珍しそうに見つめる。確かに、その美しさには目を見張るものがあるのだが、何よりラウハが驚いたのは身に付けている装飾品の少なさだ。


 ドレス姿でないということだけでも驚きなのに、見る限り装飾品は一つしか付けていない。額飾りだけだ。しかもそれは装飾品としてよりは身分証としての意味合いが強いことを、ラウハも知っていた。


「何だか、よくわからないけど婚約おめでとう」

「え!?」


 リリィは声をあげて、次には頬を染める。リコウトの方はといえば確信犯的な笑顔。

 どうもこの令嬢もまた、ラウハの知っている貴族とは毛色が違うようだ。


 ラウハの知る貴族なら、こんな時でも下々――つまりラウハなどには感情を見せることがない。どこまでも見下した冷ややかな眼差しを向けてくるだけだ。


「まぁまぁ、それはともかく早速坑道の方へと参りませんか? 優秀な金鉱であることがご理解頂けると思いますよ」

「う、うん。じゃあ行こうか」








「灯明」


 ラウハが短く呪文を唱えると“光戦の杖”の宝珠が白く輝き出す。


 坑道に入り先の見通しが悪くなってきたところで、ランタンを用意しようとしていたリコウトが間抜けな笑みのまま固まった。


「これぐらい簡単でしょ。あなたなら出来るんじゃない?」


 どこか自慢げなラウハは、リリィへと話を振る。


「は、はい。確かに基本的な呪文ですから。しかし、これほど強くは無理です」

「まあねぇ」


 胸を張るラウハ。そのまま一行を先導するように、坑道の奥へと進んでゆく。


「あなた、本当に魔法ダメなのね」


 振り向きもせずに、言ってくるラウハにリコウトは頭を掻きながら、


「お恥ずかしい。その“灯明”の呪文でさえ、習得には一年かかるだろうと言われまして、断念せざるを得ませんでした」

「ああ、それはひどいわね」

「それで、別な事に努力を振り向けることにしました」

「ふーん、何?」

「“人に信用されること”を頑張ることにしました。呪文を使える人に助けてもらえるようにね」


 笑いが含まれたその声に、ラウハは思わず振り返る。その視線の先、リコウトの向こう側のリリィの表情も複雑だ。

 ラウハの脳裏には、まったくリコウトを疑うことをしなかったエリアンの様子が思い出された。


「……それ」

「はい?」

「成功していると思うわ」


 何だか照れたようにラウハは前へと向き直ると、ズンズンと坑道を進んでゆく。








 およそ一刻ほどの行程で、三人は坑道から外に出た。わずかばかりの時間ではあるが、疲労困憊の有様で、エリアンの予告通り、全員が服と言わず顔と言わずじっくりと汚れていた。


 何しろ先に進めば進むほど、足下は悪くなり、天井は低くなり、予測できない方向へと行く手はうねっている。


 しかも、ここが金鉱だということをラウハがなかなか納得しなかったのだ。


 ラウハは金の固まりがごろごろしているような状態を思い浮かべていたのだが、もちろんそんなわけもなく、大半は岩に青い何かがこびり付いているような状態である。


 とても金には見えない。


 もちろん優秀な金鉱であることに間違いはなく、時折キラキラと光る金そのものが岩にこびり付いている部分を見て、ラウハは何とか納得した。


 もっともそれも、リリィからこの金鉱の実績を聞かされたからで、それがなければ坑道の奥で大爆発を起こして落盤事故に発展していたかも知れない。


「……なんとかご納得頂けたようで、何よりです」

「あなたの言うことは信用できなかったのよ」

「さっきと言ってることが違うじゃないですか」


 情けなさそうに応じるリコウトを無視して、ラウハは自分の髪についた汚れを必死になって取ろうとしていた。髪の状態に関しては、リリィも同じだったけれど、彼女はとりあえず我慢している。視線が上の方へ向かって踊ってはいたが。


「なんか、汚れを落とす用意があるって話だったけど」

「そうでした。すいませーん」


 リコウトは大声を上げる。すると坑道の横、茂った木々の向こうから一人の女性が現れた。長い茶色の髪――手入れがなっていないのか、でれでれっとした感じにたなびいている。人なつっこうそうなハシバミの瞳。


 年齢はそこそこには達しているようだが、あまり年相応には見えない。


 だらっとした紺色のローブの上に、フリルがたくさん付いたエプロンを付けていて、この鉱山の雰囲気とは、あまり合っていないように思える。


「遅い! お湯が冷めたでしょ!!」

「そういう文句は、この人にお願いします」


 リコウトはあっさりと、矛先をラウハへと流した。


「ああ、今日来るっていうお客さん……ってラウハじゃない!」


 女性は急に大声を上げた。

 その声にラウハは顔を上げて、相手の顔を見る。そこで、ラウハは硬直してしまった。


「嘘……スーリ姐さん……」

「嘘ってことはないだろう。あたしはあたし。スーリだよ。忘れられてはいないようだけど」


 スーリ――ラウハにそう呼ばれた女性は、腰に手を当ててムンとどこか偉そうに胸を張ってみせる。


「お知り合いでしたか?」

「ああ、クックハンのスラムでね」


 リコウトが尋ねると、スーリは気軽に答えて見せた。


「それは好都合。あなたにはラウハ殿のお世話をお願いするつもりだったんですが、お知り合いということであれば、何とも好都合なお話です」


 ニコリと笑って、リコウトはラウハへと向き直る。


「この先の小屋に湯浴みの準備がしてあります。もっともお湯が冷めてしまったらしいですが、お知り合いとのこと。つもるお話もあるでしょうから、少しぐらいお待たせしても構いませんよね?」

「え? ええ……」


 ラウハは、どこか呆然とした様子でうなずく。スーリがおいでおいでと手招きすると、夢遊病者のような足取りでその後に付いていく。


「これは内緒の話ですが」


 二人の姿が完全に消え去った後、リコウトはどこか視線をさまよわせるようにしながら呟いた。


「リコウト様のお話は、人に言えないことばかりですわ」


 ため息をつきながら、リリィがそう応じるとリコウトは今まで以上の笑顔で振り返った。


「リリィ様――私は今なかなか複雑な心境です」

「え? ええと」

「あのスーリという女性はこちらの仕込みです」

「ちょ、ちょっとすいません。話が繋がらないんですけど」


 実にもっともな文句を言うリリィ。そんな彼女に向かって、リコウトは笑い顔を引っ込めると、スタスタとリリィへと歩み寄ってゆく。


「あ、あのリコウト様」


 怒らせてしまったのだろうかと、リリィは慌てる。


「今日のこの計画、私も勉強になりました。お恥ずかしい話ですが私も鉱山の事についてあまり詳しくは知らなかったので」


 リリィが話しかけるが尚もリコウトは止まらない。笑顔も戻らない。


「そ、それと私達もかなり汚れてますよね。どうしましょう?」

「ああ、確かに」


 リコウトの顔に笑みが戻る。

 それを見て、リリィも笑みを浮かべる。


「と、とりあえず屋敷の方に行きましょう。馬車もありますし。ラウハ殿なら、帰りにはいらないでしょうし……」


 リコウトはすでにリリィの目の前だ。


「リリィ様」

「は、はい」


 リリィの声が上擦る。


「一緒に湯浴みしましょうか?」

「ひゃ!?」


 一瞬の混乱。そして――


 パッシーーン!!


 リコウトの右の頬が高く鳴った。

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