氷眼の月夜

 その声は電話で聞いた女将の声とはたぶん違っていた。

 少女は白いユウガオ模様の着物を襷掛けにして浅葱色の角帯を締め、飛脚のように裾を捲り上げ、乗馬用の膝上まである長靴を履き、秋田風の塗り笠を被って梔子色の垂れ衣で髪を覆い、おまけに左右ひと続きの真っ黒な遮光グラスをかけていた。江戸から今日の流行までの要素を少しずつ搔い摘んだような、端的に言ってミョウチキリンな格好であった。

「わたし、城月夜しろ・つくよと申します。お迎えに参りました」

「ああ、よろしく頼みます。旅館の方でしたか」

「わたしの目は光に弱いのです。それだけ闇には強いのですが、ですからこのような」月夜はそう言って笠を一度両手で押さえた。「ブーツは川を渡るために。松原様、足のサイズは二十五・五とお聞きました」

「ええ」

 月夜は背中の麻袋からもう一足丸めた長靴を取り出して広げた。私が待合小屋のベンチに座って靴を履き替えると月夜は私が履いてきたウォーキングシューズを麻袋に収めた。

「荷物は私がお持ちします」

「構いませんよ。リュックサックひとつですから」

「いいえ。たいへん足場が悪いので少しでも重いものを持っていると危ないのです。体力もたいへん削られますから」

 月夜は私がベンチに置いたリュックサックを易々と担ぎ上げた。事前の忠告に従って減らしたとはいえ、荷の詰まった旅行用の鞄である。重心の使い方が上手いのだろう。

「わたしの肩に手を置いて、できれば襷を握ってください。必ず安全な足場を選びますから、それで大丈夫です」

 月夜は歩き出した。隣にいる老人の足取りを窺ってはいたものの、ずんずん藪の間を進み、斜面を登っていく。そのペースはもはや足早の域だった。

 私は夢中で付き従った。自分自身で足元を確かめている余裕もなかった。それでも何かに躓いたり、踏み外したり、そんなことは一切なかった。まるで魔法のようだった。私はいつしかただ平坦な傾斜面を登っているようなふわふわとした不思議な感覚に陥っていた。

 しかし実際にはごろごろした岩の上を渡り、高く張り出した木の根を踏み越えていた。

 やがて渓流に行き当たり、膝まで浸けて対岸へ渡渉した。長靴はこのためであった。

 岸に上がったところで月夜は立ち止まった。足音が消えると鵺の鳴き声が山に木霊しているのがよく聞こえた。笛と風穴を合わせたような不気味な鳴き声である。

「ここからは常緑樹がたいへん稠密ですので月の光も入りません」

 月夜はそう言って笠を脱ぎ、偏光グラスを外した。

 驚いた。

 月夜の髪は生え際から毛先まで全く真っ白で、おまけにその目の虹彩は透き通った氷のように青白かった。

 彼女の顔には人体をなす色素の気配がまるでなかった。すっぽり抜け落ちていると言っても過言ではなかった。

「ああ、松原様には私の顔が見えるのですね。この暗さでも。夜目がいいのですね」

「いいえ、これは失礼しました。わけもなく顔を凝視してしまうなど」

「いいんです。これが珍しいものだというのは、私にもわかりますから」

 月夜は歩き始めた。私も再び彼女の肩に手を置いた。

「これは奇形なのです。城は血統の濃い系譜ですので、わたしの他にも敗血症などの者が時折生まれたそうです」

「卑下することはありません。私は綺麗だと思いますが」

「奇形、というのは卑下ではありません。あくまで事実として、です」月夜は謙遜も恥じらいもなく答えた。

 「綺麗」という単語は彼女にとって人並みに受け取れるものではないのかもしれない。

 あまり立ち入るべき話題とも思えなかったので私は別のことを訊くことにした。

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