薫子と落ちる城とあの日の思い出


ドォーン!ダン!


それは突然の大爆音だった。


その日もいつもと同じように、下働きの女達はご飯を作り、掃除をしていた。

ただし、聞いたこともない大きな音がしたら、すぐに着物を重ねて、城から出ていくように言われていた。


「それ!」


後も見ずに女達は走り出した。



「どうして!」

大蔵卿局がヒステリックに叫んだ。


「行きましょう」

薫子の声に大蔵卿局は振り返った。

「だって、御方様!」


皺の深くなった頬に涙が伝っていく。

「男達はいつも、いつも戦ばかり。私達女の苦しみなんて分からずに!」




「あなた……」

薫子の広げた腕の中に、大蔵卿局はワッと泣きながら飛び込んだ。

「我らが天下を取れば、女どもとて泣かずに済む世が作れると思うたのに」


「そうなのね」

(ちゃんと話を聞いて上げればよかったわね……)


打ち掛けの背中は、撫でればゴツゴツと背骨が当たる。

(苦労をかけられたと思ったのに、反対にかけていたわ)


太閤殿下が難波の夢は、今や崩れ落ち、この地上から姿を消そうとしていた。


あの日、燃えて消えていった尾張の麒麟の足跡のように。



もう二度と戻らない王者の夢。



その目も眩むほどの黄金の光の周りで、涙を散らした女たちの悲しみや苦しみも、贖われることもなく、歴史の中に消えていく。



(本当に、ごめんなさいね)


薫子は、老女を固く、身を託すように強く抱きしめた。


頬に当たる、老女の柔らかな肌。

鼻孔をくすぐる香り。


(ああ、懐かしい)


胸に郷愁が満ちる。

不思議なほどの安心感に包まれて、薫子は立ち尽くした。


(こんなに懐かしい)


ひたひたと満ちる暖かさは、薫子を奮い立たせる。


(ああ、覚えている……あれは)



しかし、その思考を追う暇もなく、その時、大蔵卿局の頭越しに、秀頼の小姓が合図をしているのを見た。


(私は役目を果たさなければ)




「関白殿下、左衛門佐……」

大蔵卿局たちは、突然名前を呼び始めた薫子を呆然と見上げた。

そして最後にクルリと砂時計を返した。


そこに薫子の名前はない。


砂時計は、返し手が自分の為に使うのを拒否するように、自分の名前を呼んでもその人の時を凍結する。


片手に老女を抱き、片手に砂時計を持った薫子が動きを止めた。


「お袋様」


膝を折った秀頼とその家臣団は、戦場絵巻そのままとなった大阪城を駆け抜け、河岸で待っていた荒木氏の船に乗り込んだ。







ドォーン

天守が火を噴いた。


最早、落城も目の前だ。


薫子は秀頼と左兵衛佐信繁達の乗った船の白い航跡を眺めると急ぎ、落ちるべきものは落ちたか、確認をさせた。


「落ちませぬか」

大蔵卿局が口を戦慄かせながら、そう問うた。


「そうね、全員は落ちれないでしょう?

私は彼等の為に一緒に死んでやらねば可愛そうよ。」


薫子の大輪の紅薔薇のような微笑みは、明治の御姫様ではなく、紛れもなく豊臣家の女主人のものだった。


薫子が大蔵卿局達を引き連れて、鉄球を撃ち込まれ破壊され、きな臭い城を歩くと皆が膝を折って、縋るような瞳を向けてくる。

「有難う、頑張ったわね!もういいのよ。落ちられる者は落ちなさい!」


薫子が呼び掛けると、兵士達は涙ぐんだ。


かつては磨き抜き傷1つ無かった廊下も、穴が空き、華麗な絵が描かれていた襖もなぎ倒されている。

どこそこで煙や炎があがり、敵軍の怒声や備の前進を告げるかねの音、法螺貝の不吉な声が響いている。


「お袋様!城門が破られ申した!」


城外の陣から引き揚げてきた毛利豊前守吉政が叫んだ。


「豊国廟へ!」

薫子は叫び返した。


大阪城に侵入してきた敵軍は、主郭の本城を目指して突進するだろう。


急ぎ主郭の虎口こぐちをい出て、月見楼の角を曲がり搦手に向かう石段を降りる。高く大きな石垣に沿って薫子達は走る。

走る。


極楽橋門の近くまで行くと極楽橋の方から、門を破ろうとしている大きな音が響いてきた。


そーれぇ!

ダン!


いいぞ!

その調子じゃ!


ダーン!


カンカンカンカン!

鉦が鳴り響き、女達は青ざめた顔で足を止めた。


「お袋様!」

毛利吉政が背中を押した。


「そうね、大丈夫よ。あの門は破られないわ」

はいと皆頷く。


破られないかどうかは知らないが、少なくとも、芦田曲輪の屋敷内で死んだと書いてあった。

そこに辿り着くまでは安心だ。


落ち着いた薫子の態度が皆を安心させる。


「さぁ!参りましょう」

薫子は着物の裾を掻取り、再び走り出した。


 山里曲輪の屋敷の式台を入る。

最奥にある茶室は秀吉が千利休、津田宗及達と侘茶を楽しんだ場所だ。

明の使者をもてなしたのはこの千畳敷だ。

薫子も侍女達と観桜や観月の宴を催した。

皐月には藤棚の下で、皆で一日中甘い香りを楽しんだ。


まるで夢のよう


「お袋様!敵兵が!」


もう逃げられない。


薫子は微笑んだ。

思い残すことはない。

この日本は薫子が描いた通り、家康の手で太平の世を作っていくだろう。


焚いたお香の香りの中、杯が巡る。


「それではお先に」

次々に侍女達が毛利吉政の介錯の元、旅立っていく。

鮮血が襖や畳を赤く染め、血の錆びた匂いが室内に濃くなっていく。


「御方様、申し訳御座いませぬ。」

大蔵卿局が白髪頭を地面に擦り付けた。


「馬鹿ね、私は貴女に感謝しててよ」

大蔵卿局は、手を取られ顔を上げた。


涙で赤くなった老女の瞳が真意を計りかねて、薫子の顔を彷徨う。

「私たち、皆でとても楽しくなかったこと?」


はいと局達は頷いた。

「楽しゅう御座いました」

その言葉にニコリと薫子は、美しく微笑んで見せた。


「良い夢を見たわ。ねぇ、そうでしょう?

あの世で私達の国を作りましょうね」

それを聞くと、局達は涙ながらに薫子の手を握り、微笑みあった。


それから、薫子は砂時計を取り出すとじっと見詰めた。


私が死んだら、あの姫はどうなるんだろう。

他の人が触れても変わりのない南蛮灯は、消し手を失ったら……


それは単なる思いつきで、ただの賭けだった。


「店主」


薫子は砂時計の天地を返した。



その瞬間、大砲が大きな音を立てて撃ち込まれた。


そして

まばゆい光の向こうに人影が立った。







 家康は崩れて紅蓮の炎を上げ始めた、その幻の城に、大輪の紅薔薇の花が散っていく姿を見て、静かに涙した。



 そののち。


細川与一郎忠興は、平戸の荒木商会に文を遣わせた。


「かつてお預けした、お袋様の遺品を譲り受けたい」


室町時代からの誼があり、かつ父の弟子である島津忠恒と話し合い、国境の地を用意した。


大阪から平戸へ、そして薩摩に向かった白い花のようなのかんばせの貴公子の言い伝えは、今も残っている。




忠興は胸を押さえて、空を見上げた。


止まぬ思いを追いかけて。






そこは薄闇の世界だった。


オレンジ色の灯りがポツンと灯った。


ゆらゆらゆらと南蛮灯が揺れる。


うふふ、ふふ

笑い声が上がって、フワリとそこに異国の少女が浮かび上がった。

金色の長い髪は、まるで黄金の滝のようだ。


薄い水色の瞳を薄闇の中に向けると、砂時計を宙に投げた。



少女がパンと手を叩くと、砂時計から慌てたように少年の姿を現した。


小さな翼を生やしたそれは、少女の顔を見ると微笑んだ。

ポウと小さな口から玻璃を取り出すと、少女はそれを手に取った。


パン!ともう一度手を叩く。

するとその七色の光の中から、もう1つ、南蛮灯が現れた。




まるで無声映画を観るように、静かで夢のように美しい。



その南蛮灯が、トロリと溶けて少女になった。

最初の少女にそっくりな少女だ。


二人の少女は嬉しげに抱き合った。


そこへ

「お待たせしましたね」

ぼうっと闇が明るんで、店主が姿を現した。


少女達がひとつになり、女達もあるべき場所に落ち着いた。




 それは南蛮灯の記憶だ。



そこには、小さな女の子が塗籠の中で、二つの南蛮灯を悪戯で火を灯す姿があった。

アーモンドのような大きな瞳が、楽しそうに笑っている。


まさに火を点そうとした瞬間、塗籠の扉が開いて、一人の美しい少年が顔を出した。


「たれ?」


誰何すいかした少女のきつい口調も、まだ幼く僅かに舌足らずだった。


「主は……」

「問う前に、きちゃまが名乗れ!下郎!」


「わしは、足利氏傍流細川侍従が嫡男、熊千代と申す」

姫は満足そうに笑った……


「あ、人が来申す」

少年は塗籠の向こうを振り返った。


「後でまた」


少年が去ると、少女は手にしていた灯を南蛮灯に入れた。

淡い灯が少女の顔を橙色に染めて、唇の右端が僅かに吊り上っているの照らした。



次の瞬間、その少女は小さな手に持った1つの南蛮灯諸共、姿が消えた。






そう、あるべき場所に戻ったのだ。




店主は南蛮灯の付喪神の薄い青い瞳を覗き込んで笑った。



あの海のような湖がそこにあった。




それは店主の記憶でもあった。





「それ、茶々にくだちゃれ」

美しい瞳の少女は、居城に遊びに来た同じ瞳をした叔父の顔を覗き込んでねだった。


「於茶々は、目利じゃが、斯様かような男の持つ物が欲しいのか」

美しい叔父は愉快そうに笑った。

恐れげもなく、膝の上でぴょんぴょんと跳ねる少女の笑顔は、大輪の紅薔薇のようで、叔父の心を癒した。


「茶々は、叔父上のお役にたちゅ!」


「左様か、さすれば是非もない。行く行くは、於茶々にやろうぞ」

叔父はその刀を捧げ持つ小姓を振り返って笑った。


「光忠を欲しいとはなんとも、勇ましい事よ!」



それは果たされなかった黄金の日の約束。


それでも良いと思った。


愛しい主の元を離れて、その大輪の紅薔薇のような姪御の守り刀になっても良いと。




「お茶々様」

店主はその美しい勝気な少女の名前を呼んだ。



今は光に溶けて見えないその姿。



「さぁ、参りましょう」


南蛮灯の双子の付喪神は頷いて、店主と手を繋ぐと、少年と一緒に薄闇の中に消えていった。


その叔父を蘇らせるために。


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