薫子と骨董屋の店主と……

 

 薫子は、骨董屋に馬車を走らせた。


カポカポカポカポカ


馬のひづめが、石畳に音を立てる。

道路には背の高い街灯が整然と並ぶ。


ふっくらと髪を丸く結った女達。

洒落たステッキを持った、短い髪の男達。



自分の長年育ってきた時代に帰ってきているのに、異邦人のように感じる。


あたかもこちらの世界が夢のようだ。



薫子はゆったりと馬車の座席に座って、通り過ぎていく街並みを見つめた。


 



「ちょっと!あなた」



没落大名のやんごとなき深窓の令嬢から、今や、次期天下殿の家康公を裏で操るシャーマンにパワーアップしている薫子は、


ツカツカツカ


ブーツの足音も高く、骨董屋の店主に詰め寄った。




「おや、まあ!お久しぶりに御座います」



相変わらず、薄気味悪い店の深奥の澱んだような薄闇に溶け込んだように、ひっそりと座っていた店主が、白い顔を上げて微笑んだ。


「暫しお顔を拝見しないうちに、随分と貫禄をお付けになられました」



「そぅぉ?あなたは相変わらずね」


ニタリ

薫子は不敵に笑って見せた。


「私の貫禄は貴方のおかげよね。

そうでしょう?」


以前は勝気そうなだけだった皮肉な笑顔も、今は殺傷性の高い凄味のあるものになっている。


「ね。分かっているでしょう?あなた」

薫子は上がり框に、ふわりとスカートを広げて横座りになり、トンと店主の胸を白い指で突いた。


焚き染めた香の涼やかな香りが立つ。


「お陰で大変な目に遭っているのよ」



しっかりと、首根っ子を押さえられ、鋭い牙が肌に食い込んでいる。


普通の人間なら怖気をふるってしまうところだが、なんといっても戦さ場で修羅場を潜ってきた名刀の付喪神である。

いくら暴走を防ぐために、野風の「枷」が掛かっているからといっても、そのあたりへの効果はしれている。


ふふと店主は笑った。


「何の事でしょう」

と、惚けて誤魔化してもいいが、そんな気にはなれなかった。



「困りましたね」

「困っているのは私の方よ。」


覗き込むような上目遣いで艶やかに睨む。

「責任を取れなんて言いませんことよ。

私、そんな厚かましくはないわ。

ただ、少しだけ手伝ってくれれば、気持ちよくお口を閉じておけると思わない?」


「左様でございますね」


あれこれ言い触らされても、不思議なことが起きるか否かは、縁次第である。

知らぬ存ぜぬで、通すのは容易たやすい。

別段、「お好きになさって下さい」と突き放しても良いのである。


普通なら、そうしただろう。


しかし、アーモンドのような黒い瞳が、真っ直ぐと自分を捉えると、店主は心が動かされ、何とか役に立ちたいという気持ちが湧いてきた。


「ですが、不思議が起こるかいなか、或いは如何いかなる事が起きるかなど、私どもの存じませぬ事に御座います。

お買い求めになられる方が、それを引き寄せると申し上げても過言では御座いませぬ」


「そうなの ?」


薫子は口を尖らせると、くるりと辺りを見渡した。


「そうね。

確かに、あの時、この店に入った途端、目にあの南蛮灯が飛び込んで来たわ。」


薫子はあの日を懐かしく思い出した。

その南蛮灯は、まるで人混みの中で、旧知の友人に出会ったように、薫子に微笑みかけ、華奢な白いかいなを伸ばしてきた。


ように感じられた。



それは薫子を明るい世界へ導くように、店の薄闇の中で煌々と輝いて見えた。


結婚後、松村の父は用意してくれた屋敷に入った薫子は、とんでもない成金趣味のギラギラした調度に、呆然としたのだった。


大輪の赤い芥子の花の壁紙に、黄色い大柄の縞の椅子。

敷き詰められた厚手の黒と白の格子縞の絨毯。

大振りのシャンデリアが吊るされた天井には、小振りのシャンデリアが四方八方に配されていた。

確かに一つ、一つは良いものだが。



そう、まるであの聚楽第のように。


薫子は薫子なりに、松村との結婚に夢を持っていた。


実家に援助をしてくれるという松村に、及ばずながら自分の出来る事を積極的にして、松村の仕事を盛り立てていこうと思っていた。


でも、松村が望んでいたのは、綺麗な可愛いお人形のような妻だった。


「この壁紙、もう少し地味なものにした方が、お部屋が落ち着きませんこと?」

そう提案すると夫となった男は、目を大きく見開いて口籠った。


「でも、しかし、それは父が当代一の装飾家に特別にお願いして……」

「そうね、お義父様は親切な方ね」

薫子は思案顔になり、言葉を探した。


「その装飾家ってどなたかご存知?」

名前を聞くと、薫子は目を強く瞑った。


(なんてこと)


それは確かに欧羅巴ヨーロッパ帰りだが、そちらで知り合った紛い物を扱う輸出業者と手を組んで、松村のような成金相手に詐欺のような仕事をする男だった。

その口の旨さと、それだけは豊富な知識で、騙される人も多い。


「そうね。その方を私、知っているから、こちらの希望をお伝えしてみてもいいかしら」

「でも、もうお金は払っているし……父がなんというか」


ウダウダと言い募る松村に


「あのね……」


薫子は事の是非を説いた。


「我儘で高飛車」


薫子の実家の人脈をあてにした取引の件でも、口出しをすれば、万事が万事そうだ。


松村と離縁となれば、実家は困ってしまうだろう。


その頃の薫子には、現代めいじで金儲けをする方法が思い付かなかった。

また、今なら松村のような人間も扱えるだろうが、その当時の薫子にはどうしたらいいのか分からなかった。


息詰まるような環境の中で、薫子はただただ一人ぼっちで困惑をしていた。



(私が引き寄せた……)


自分が引き寄せたと言われるのは、薫子には小気味が良かった。

誰かのせいにして生きていくのは薫子の性に合わない。




「そうね、分かる気がするわ」

薫子はしみじみと感慨深げに呟いた。


「お幸せですか」


キラキラと薫子の黒い瞳が輝いている。


「ええ、そうね」

薫子は店主に視線を戻した。


「幸せだわね」


その言葉が、店主はその笑っても能面のような顔に、ポッとほのかな灯りを灯した。


「それはよう御座いました」


「あら、あなた。笑ったわね」


薫子は店主の顔を覗き込んで笑った。


「これは……」

店主は口元に手を当てた。

「参りました」


薫子は面白そうに笑い声を立てて、軽くその細い腕を叩いた。

軽い袖の向こうには、見かけとは違い、硬い筋肉の手応えがある。


「私達、奇縁ね。そうじゃなくて?」

薫子の笑い声に店主も微笑み返した。

「左様に御座います」


店主は薫子の笑い顔を、柔らかな瞳で見つめた。


きっとこの方は、あの方と同じで、どんな運命も受け止め、自分の力で切り開いていかれる。

孤独の極みに立っても冷静に……


静かな暖かい空気が骨董屋を流れた。


ふっと笑い顔を真顔に戻した薫子は、店主に確認をした。

「さぁ、私の助けをしてくれそうな、何かを見つければいいのね」

「はい、左様でございます」


そうねぇと白い顎に、優美な細い指を当てて、小首をかしげた。

歪んだ窓硝子から、昼下がりのとろりとした光が入り込み店内を照らしている。

くるりとまた見渡した薫子は一度店主の方を見た。


「あなた……」

トンとまた指でつく。

「え?」

店主の目が丸くなる。


「という訳にはいかないのね」


「左様に御座いますね。」

店主は噴き出しそうな顔で頷いた。


ふふふと薫子も笑った。


「残念に御座いますが」


薫子はその言葉に、軽く眉毛を吊り上げて見せた。

「ホントにそうね」

こくんと素直そうに頷く店主は、とても幼く愛らしく見えた。

「ほんに残念にございます」



薫子は一瞬口を開きかけたが、うっすらと微笑みを浮かべて口を閉じた。

そして、店内の品を吟味し始めた。


その様子を店主は切なそうな瞳で見つめた。


(私はその時代には居りませんから、お役には立てません)



崩壊した黄金の時の、最後の輝きの時代に生きる薫子にできることは少ない。

しかし、懸命に足掻き、道を拓いていく姿は、まさに旧主の血脈を彷彿させられた。


「必死に生きよ」


薫子の姿に、旧主の言葉が蘇る。


「さすればその人生は光り輝く」



どこに居ようとも。



「じゃあ。これは」


薫子が持ち上げたのは、小さな砂時計だった。

青銅製の羽根の生えた対の猛獣ライオンの像の間に、薄くセピア色に変色した硝子が収まっている。


摘み上げて、クルリとひっくり返すと、手吹き硝子特有のとろみのある質感の向こうで、細かく砕かれた水晶の透明な砂が、細い窪みからこぼれ落ち始めた。


サラサラと細かな光が滝となって落ちていく。


「良い判断に御座います」


付喪神が静かに宿るその品を見て、店主は頷いた。


「でも、どう役に立つかは分からないのね」

「はい、左様に御座います」


じっと強い視線で値踏みをするように見つめた後、薫子は店主にそれを差し出した。


「こちらになさいますか」


「そうね、お願い」


店主は砂時計を受け取ると、桐の箱にそれを入れかけて手を止めた。


「あ、それから」


薫子が振り返ると、申し訳なさそうに続けた。


「歴史は変えることは出来かねます」


「そうなの?」

薫子は目を丸くした。


「歴史に残っていない事なら、変えられます」


「あらまぁ、それではどうしようもなく、私は大坂城で死んじゃうのかしら」


店主は笑顔を曇らせた。


「そんなの嫌だわ」


「左様で御座いますね」


「いつもあなたはそうね」

薫子は思いがけず屈託のない笑顔を店主に向けた。


「あなたはあなたの使命を果たしなさい」

優しく店主の頬を叩いた指が、するりと離れていった。


「はい」


華やかな咲き誇る紅薔薇のような麗人は、回転扉を押して出て行った。

店主は、彼女の背中が消えた外の光を見詰めながら、そっとその頬に触れて頷いた。


「はい必ずや」







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