薫子と幼女当主と南蛮ビジネス



「頼むべきは次郎三郎(家康の通名)」



あれは……



桶狭間合戦の後のことだ。


同盟を結ぶために訪れた清須城で、そう言って真っ直ぐにこちらを見た、澄んだ光を湛えた力強い黒い瞳が、時を越えて今、そこにあった。


まごう事なき覇王の瞳。


(噂は誠であったのか)


未来の天下人は戦慄した。




 「何やらえらく顔を青ざめさせてお下がり申したが」


お付きの家臣たちに付き添われ、フラッフラッと渡り廊下の角を曲がって行く家康公を、大蔵卿局おおくらきょうのつぼねが心配そうに見送った。


「あら、私、何か言ったかしら……」


世紀の大スターとの会見を終えて、やれやれとくつろいで寝椅子にもたれかかり、サイドテーブルに置かれたガラスの器に入った金平糖を摘みながら薫子は首を捻った。


「左様なこと……いかさま悪しき事は何も……ねぇ?」

「ええ」

それでも不安げに侍女達は顔を見合わせる。

徳川殿とその家臣団の三河武士といえば、やたらと粘り腰なのが不気味で、太閤殿下も気を遣い、下にも置かぬ扱いをしているのでつと有名だ。

(三河侍の恨みをかっては、孫子の代になろうとも仇を返されるとか)

侍女たちはブルっと体を震わせた。


「おお!」

そんなショボンとした空気を破って、大局おおつぼねが膝を叩いた。


「今は亡き夫と同じく小姓衆であった者のご実家が、証人あかしびと(人質)時代の内府だいふ殿(家康)をお預かりされ申していたそうじゃ」


「うむ」

「ほう」


侍女たちは一斉に頷く。


「大層、お身体が弱くに遊ばしておられたとか。

故に内府殿は冷えてお腹を下されたのかもしれぬな」


なるほど、なるほど。


「それはお気の毒にのう」


「そうね、それで漢方の趣味がおありになるのね」


「腹下しに効く薬草をお届けせねばなるまい」


案外、噂の火の元というのは、その広がりを知らぬものでもある。


斯くして神君家康公の元には、二之丸殿御自らお手摘みのかたじけい、腹下しの薬草が、あいも変わらず届き続けるのであった。




そして、薫子の実家の現状の報告がもたらされた。


「へ?跡継ぎが死に絶えて、幼女が当主?」


尊い血統の王家の幼女と世間知らずの御側衆。

転生先にオススメで、ラノベになれはヒット間違いなしの神設定だが、現代の親切な「大きなお友達」とは大違い、戦国期の終わりかけの「お兄ちゃん」たちは不親切にも誰も相手にしてくれず、最早、家は風前の灯……


幼女って……


これは、これでは……

終わっちゃうじゃない!


「ちょっと!遣いを出して!

あ!殿下にちょっと来るように言って!」


とにかく援助をしなければ、薫子も生まれるに生まれられない。


薫子さん、大慌て。


いつもは「また来たか」と御渡りを苦虫を潰したような思いで迎える干し柿殿下のことも「まだか!はよこんか!」と待ち遠しい。


珍しく「二之丸様が急ぎお呼びで」と取次が入った殿下は大喜び。

「すわ!」と、小姓共々、袴の裾をからげて走ってきた。


「殿下っ!」


あまりの待ち遠しさに、居室から出て広縁に仁王立ちになった薫子は、ああ、まるで清須のあの城で、暁降あかつきくだち、桶狭間に向かうあの方のよう。


(鎧もて!太刀を佩け!馬を曳け!)

「は!」


それは長年に渡る条件反射。


「急ぎ伝令を!」

「は?」

グアシ


薫子は自分よりも小柄で華奢な、恐れ多くも、勿体ない天下人の襟首を掴み上げ、ズルズル引っ張って居室に連れ込んだ。


「にゃ、にゃにゃ」

何をするか

そう言いたいけれど、首が絞まって仔猫のような声しか出ない。

そこへ

「名家が滅ぶのは、人心を不用意に騒がしましょう。

しかも、ここで上様の慈悲を見せつければ、皆、感謝し、関東の護りとなること間違いなしでしてよ」


(名家で自尊心が高いので、成り上がり天下様にさっさと見切りをつけて、徳川家に乗り換えちゃうんだけど)


天下人を引き摺って居室に入った薫子は、文箱を差し出した。

そしてキョトンとしている天下人の態度に業を煮やして、御在所に上がり込んで腕を伸ばして


天下人の襟首を締めなおして


ガクガクガク


「早く!書いて!」


天下人を揺する愛妾の図。

これもこれで閨房政治か。


「わかった!わかったから」


離してほしい。


ガクガクガク

天下殿の襟首をつかみ上げて、揺すって了解を取り付ける。


まるでガチャで良いものが出ないと大騒ぎで揺すっているように。


「あ、あいわかったから」


天下様は涙目で料紙にサラサラと用件を認めた。


確か同じ足利家でありながら、いやだからこそ敵対する二人が婚儀をした話は、父親から散々聞かされている。


「いいですか」

天下人からの書状を手に入れた薫子は、早速祐筆に、幼女と御連判衆宛の副状を書かせた。


「腹立たしいでしょうが、今はお家の一大事です。昔のことはさておき、手を結ぶことが肝要に御座候」


お金を包んで天下人自ら手配した使いに持たせる。


天下人と足長おばさんからお便りを貰い、足利氏姫はさて置き、その御連判衆こと重臣、近習の皆々様のなかには、「それもいいかも?」という気持ちになる人々も少なからずいた。

金がないのは切ないし、それよりもこの代で終了となれば、太平の世において、転仕できるのかと我が身の行く末こそ不安である。


また天下人とその寵妃から名指しで指定された婚儀の相手は、分家なのに本家の古河公方に楯突いたので犬猿の仲の小弓公方家でこちらも似たり寄ったり。

こちらは直系は絶滅し、楯突いた本人の次男の系脈の男児を立てていた。

が、最早往時の威勢はない。


名前だけでは生きていけない戦国期。


斯くして、源氏長者、関東足利家は、80年ぶりに三千五百石という、大名としては、かなり、かなりの小規模ながらも何とか統合され、存続が決まった。



「しかし、何事もお金ねぇ……」

足利氏姫の婚儀で相当な金品を動かした薫子は、政治にお金がかかる事を知った。



脇息にもたれ掛かって薫子は嘆息した。


今の境遇は豊臣家からの借り物だ。

正室ならまだしも、後ろ盾のない薫子の足元は不安定だ。


重要なのは金。

先立つ物は金。

人の縁も金。


地獄の沙汰も金次第。


「やはりここは、商売よね」


「右府様の天下取りの源流は、御尊祖父殿、御尊父殿の津島と熱田、この商業の都の把握から始まり申したもの。

この度は、我が御方様は金のなる木を自らそれを創り出されるご意志。


これはさても、さても流石!」


大局は大きく頷いて同意の意を現した。


となれば


「生み出しましょう!金銀財宝!

作りましょう!個人財産!」


天下取りに分厚い暗雲がかかっている二之丸御殿では、新たなプロジェクトが立ち上がった。




 薫子は、まず手始めに内々に商人たちを呼び寄せて、薫子プロデュースによるファブリックの販売を試みることにした。

いわゆるテストマーケティングである。


何事も小さなところから糞転がし。



「職人は、口の硬い織田家に関係したものが宜しゅう御座り申そう」


薫子の部屋の模様替えとは違い、ビジネスに変えていくには、信用の置ける職人達が必要だ。

そして、出来れば手先として動いてくれる口の固い商人も……




尾張出身の大局は、心当たりがあると胸を叩いた。



「確かに松坂屋は、元は織田家臣伊藤宗十郎だし、竹中工務店は普請奉行の竹中氏だよね。

尾形光琳の実家の「雁金屋」も元は、織田家の染物師だと言われているから有能なお抱え職人は多いはずだよ」


あちらで松村は話を聞いてそれがよかろと頷いた。


「出来るだけ、こちらの情報は流さないように」

薫子はそれを厳命した。


干し柿殿下に知られて潰されたら大変だ。


朱塗りの長柄、コスプレ盆踊り大会にコスプレ天覧馬揃えに左義長。

天下人自ら入場料を受けとっての安土城内覧会に城のライトアップ夕涼み会。

総金箔拵えの茶室。

石垣に天主、月代を剃刀で剃ること、道具による褒賞などなど、右府様から始まったことは多い。

干し柿殿下の意匠は右府様の模倣である。


鮮烈なクリエーターへの尊崇の念は、職人たちには根強くある。


「おまかせくだされ」


極秘プロジェクトは着々と進んでいく。


叛骨は蜜の味。


「これは、斬新な意匠……」

開いた茶会で披露する薫子の小物は、堺の茶人の心を捉えた。


南蛮蔦紋様の菓子入れに、藤の蔓で再現した曲線が魅惑的な吊り灯籠。


南蛮意匠の青銅製の鳥の羽模様のなつめ水指みずさし

南蛮船の描かれた茶碗。


ケシの花が揺蕩う硯箱


唐草模様付きの目器


孔雀の絵の色彩豊かな水盤


南蛮人の輸入品よりもお値段はお手頃で、更に日本人好みである。


お値段以上!

まさにそれ。


それを見た、公家の方々も手に入れたがる。


「作者は何方いづかたか?」

「ふふふふ」

薫子に指示された茶人は意味深に笑う。

「たまたま出入りの物が持ってきた中に、気に入り申した物を買い上げているだけにございます」


意味深な微笑みは、好奇心を刺激する。


「ここだけの話でございますが、これを采配しておるのは、亡き右府殿の所縁ゆかりの者でいてはるとか」

「右府殿が乗り憑って蘇っていると聞くあの側室殿でおじゃるか」

「はっきりとは申しませぬが、そうではないかという噂で御座います。」



「さても、さても、奇怪なことでおじゃる」


「妖しげなところがまた趣きがあるでおじゃる」


「わしも手に入れたいでおじゃる」

「では、内々にでおじゃる」


噂好きの公家たちはワクワクしながら、見守った。


天下のことなど、高みの見物だ。

何しろ代々の将軍たちが京を追われて落ちて行く度に、嬉しく庭石によじ登って見物したような輩である。

「良い暇潰しができたでおじゃる」


それはそれ、あれもそれ


それは、もう、右府様は恐ろしいし、豊臣家の支配はウザいし。

裏をかいてやっているというのは、スリリングで楽しいものだ。


こと文化人となればそう。

人の心は得てしてそうしたものだった。



そしてこの時、薫子たちは自分たちに注がれている熱視線に気が付いていなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る