薫子と太閤殿下と松村氏



 乳母の野望はとにかくとして、なかなか聚楽第ではうまくいっている薫子だが、どうも婚家の方ではおかしなことになっている。


「あらまぁ、松村がそんな事を?」


パクパクと腹を満たしていると、こちらの侍女たちが次々に松村の最近の不平不満を伝えてくる。


「そうね、私も悪かったわ」


公爵家の舞踏会は、決して忘れた訳では無かった。


あれは、ちょっと事情があったのだ。



 

 「これは、茶々」

目の前の猿のような男を見て、薫子は眉毛を思いっきり吊りあげた。



「本日は太閤殿下がお越しになり申す」

大蔵卿から言われていたが、もうちょっと公家公家しい男を想像していた。


(これは……取次とりつぎ(使者)?)


大蔵卿局に目を向けると、物凄い笑みが返って来た。



(これが)


皺だらけの顔を更にシワを深くして笑う、干物のような、干し柿のような男が


「上様」


「何じゃ」


(何じゃ!って、あらまあ)


おかしくなって薫子は噴き出した。


ほ〜ほっほっほ!



薫子の笑い声が狭くも賑々にぎにぎしい日本間に響き渡る。


ホッホ、ホッホ!


ヒ~ヒ~、ヒ~ヒ~


天下人を目の前にして腹を抱えて盛大に笑い、更には涙まで浮かべて笑い倒す薫子に、女たちは流石に狼狽うろたえたが、


「珍しく機嫌が良いの」


太閤殿下は膝立ちになって慌てる女たちを機嫌よく手で制した。


「そういえば、雰囲気も変わられたか」


上座に座ったその年老いやせ細った男は探るように薫子を細めた目で見た。


「すっかりお元気になり申して」

大蔵卿局おおくらきょうのつぼねはにじり寄り、酒を勧める。


「最近、模様替えもなされ、気分も替わられ申した」

こちらも乳母の饗庭局あえばのつぼねも、さあさと酒を空になった盃を満たす。

「造り酒屋から取り寄せました、純度の高い清酒に御座いまする。

グッとググッといかれてくだされ」


「おおそうじゃ!」


上等な着物に埋もれそうな細く小柄な殿下は、膝を叩いた。


「何でも奇抜な南蛮風に作り変えたとか」


グルリと顔を巡らせた。


「ここの部屋まではまだ手が回っておりませんのよ。」

薫子は首を振った。


「なかなか、思うような細工が出来ませんから、もう一年がかり……」


横を向いてため息をつく薫子は美しかった。



その横顔は……噂通り、この場ではちょっと名前を言うのにはばかりのある何方どなたかの面影が


「なるほど、流石に前右府様あのかたの血を引かれるだけのことはあるの」


しわくちゃの干からびた男は、憚りある名前を少しだけ袱紗ふくさに包んで、それでも敢えて皺の寄った唇に乗せ、少し恐れた影を目に宿して、愛想よく薫子を見た。



(あら、嫌だ、これはまずいかも)


薫子は適当にあしらって、気分が悪いと早々に臥所ふしどに入り、あちらへ戻るつもりだったのだ。




「さあ、もう一献いっこん

これまた乳母の大局おおつぼねが、太閤用に取り寄せたアルコール度数の高い清酒をしきりと勧める。


男はひたっと薫子に目を据えたまま、くいと盃を飲み干す。


(あら、あら、あら)


「自慢の居室を見せて頂こうかの」


「あら」


薫子は大蔵卿局の顔を見た。


「それではご用意を」


大蔵卿局は薫子に頷いて見せた。


(あらまぁ、ちょっとそれは嫌だわ)


薫子が言葉を探していると、侍女たちがつつっと寄ってきて、薫子を立たせ、寝室の方へいざなった。


「ちょっと!」


薫子が小声で侍女たちに文句を言うと

「心安らかにおいでませ」

などと他人事のように言う。


そりゃ、他人事に間違いない。


(んまあ!なんて事かしら)


裏切られた気持ちで一杯だ。


白の小袖に着替えさせられ、臥所に押し込められた薫子は、

(これはもう、ひと暴れしかないわね)


覚悟を決めた。


懐剣などはない。


得物は扇一本だ。


キリリと裾を帯にたくしこみ、うん!と力瘤を作ってみた。


(最期に頼むのは我が身のみ!ね)



香が変わり、甘く重い香りが寝室に流れる。


すすすと侍女の衣摺れの音がして、灯が絞られた。


薫子は、よし!と気合いを入れた。

(いざとなったら、几帳をなぎ倒して、燭台しょくだいを蹴倒せばいいんだわ)


干からびた干し柿のような男が、薫子とお揃いの白の小袖姿でするすると寝所に入って来た。


(キャァ)

薫子はにっこりと微笑みながら、心の中で悲鳴をあげた。


「これ茶々や」


いざ、右府殿を征服せん!


大いなる決意を込めて、その殿下は干からびた腕を、薫子の彫刻のように美しい体にかけた。





「キュ」






恐れ多くも天下人は白目をむいて、薫子の目の前でクタクタと崩れ落ちた。


「!」


倒れ込んだ男の首の後ろには、自分の半分ほどの質量の男に飛びついてバックチョークを決めた小柄だが太り肉の大蔵卿局おおくらきょうのつぼねがニタリと立っていた。


「あら……まぁ、まぁ!」


薫子は噴き出した。


「なかなかおヤリになること!」





早朝になると、如何にもといった風情で寝乱れた姿を作り、薫子は干し柿殿下を起こした。


と言うわけで、帰るに帰れなかったのだ。




「そうね、悪かったと思うのよ」


仕方がないじゃないと開き直るほど、薫子は子供ではない。


しかし、どうも侍女たちから聞く話を総合すると、松村だって代わりにそちらへいっている姫とよろしくやっている風である。


それなのに、事情を聞くわけでもなく一方的になじられると、あまり良い気はしない。


「もういいです。薫子さん。貴女には愛想がつきました。出て行きなさい」



(だから、下手な坊ちゃん育ちは嫌なのよ)


 旧家の躾は平民の彼らがフンワリとイメージしているのと違い、感情の統御など色々と厳しく躾けられる。


それなのに、何か意見が合わないと、あたかも薫子が我儘なので悪い。

所詮はお嬢さん育ちだから。

と思っているのが、垣間見えて何度となく嫌な思いをしてきた。


「それも良いんじゃなくって」



(でも、そうなると、姫に会えなくなるのはあなたなのにね。)


薫子は肩をすくめた。


ところが


あの魔法の南蛮灯を取り上げると悔し紛れに言う松村に、流石の薫子はカチンときた。


 「全てを諦めるならば、一年の貴女の賃貸料として、それなりの金を貴女の家に差し上げましょう」


松村はいやらしくそんな事を言い放った。


 お金には換算できない薫子の実家の人脈を買ったのは、ビジネスとしての取引なのに、どうしてそんなに上から目線になるのだろう。


正直なところ、彼らにはうんざりしていた。


 何をなんとすれば、そうなるのか?

物ではなく、肩書きで判断する松村家は、とんでもなく、詐欺師の皆様の上客である。


一々薫子が交渉したり、実家や知り合いの縁を辿って圧を掛けたりで何とかかんとか、手直しさせたり、交換したりさせてきた。


それを「薫子が〜ワガママで〜」というスタンスで、押してくる。


うんざりして目をそらした隙に、松村に腕を取られた。


(あらまあ……)

だ。


しかし


ことが終わって、罪悪感に満ちた松村の顔を見ると、

(嫌だ、使えるわ)


薫子は、わらった。

(何百年もの間、つちってきた貧乏大名の娘のしたたかさをごろうじろね)



優美な白い指をそっと松村の裸の胸に這わせた。


「ねぇ……」


南蛮灯さえ手に入れれば、勝ったも同然だ。

詐欺師ではないが、甘々の成金坊ちゃんの純情に付け込むのは簡単。


くして、姫は松村の妻に、薫子はこちらへと棲み分けることと相成った。




「な、なんですと!」


溺愛乳母の老女は、薫子から事の次第を聞いて腰を抜かさんばかりに驚いた。


あまりにも驚いたので、クタクタクタと床に座り込んで、侍女たちが慌てて助け起こしたくらいだ。


目の前で薫子と茶々が入れ替わるのを見て、卒倒して一週間ほど寝込んだ後は、流石に土性骨の据わった老女は


「よござんす」


頷いた。


「お嬢様がそう申すなら、この乳母めが一命にかえて、この茶々殿のお世話をし申します!」

乳母根性を見せつけた。


それになんだ。


日が経つにつれて

肝の冷えることの多い薫子とは違って、茶々姫の素直で愛らしいこと。

口が裂けても言えないが

(こっちが薫子さまでいいのでは?)

なぞと不埒な思いが湧いてきて、慌てて首を振る日が多くなってきた。


また姫は姫で、あの圧の高い体育会系大蔵卿局より、思い込みは激しいが、細やかな老女の方が話しやすい。


なんだかんだで相思相愛。




 そんなこんなである日のこと。


「あのね、子供が出来たみたい」


大蔵卿局に言うとぱあ!と顔が輝いた。



「あら、でも、あの殿下の子じゃなくてよ?」


大蔵卿局たちは勿論知っているはずだ。

お酒でヘベレケにしてみたり、バックチョークで落としてみたり、大活躍なのは彼女たちだ。


ニヤリと笑う。


「良いんで御座いますよ。後継者がいることが重要で御座り申す」


「あらま、悪い人」

薫子はクスクス笑った。


「さあ、我らの手で天下を掌握しょうあくしましょうぞ」

饗庭局も大局たちもニタリと笑った。


「あら、まぁ、天下」

ふふふと薫子は笑った。


「それは、面白いことね」


それも悪くない。



ところが


今後のことが気になって、松村家の方にいる侍女達に歴史書を集めさせた薫子はビックリした。



「んまぁ、神君家康公ともあろう方が、こんな手で来るなんて」



武家に産まれた薫子は、初代家康公には尊崇そんすうの念を抱くように叩き込まれている。

そりゃあ、御代みだいが変わっているのは知っていたが、そんなことは世の習い。

しかし、こんな風になっているとは思わなかった。


「女子供相手にこんな小狡い手を!」


しかもあろう事か、その女は自分であり、子供は自分の子だ。


「あら、あら、あら、あら!

のんびり天下をとってる場合じゃ御座いませんことよ!!」

薫子は頭を抱えた。


単なる二代目業務を引き継ぐだけだとお能天気に思っていたら


大阪城でこんな死に方は……


「これは、なんとかしなきゃ」


大蔵卿局だって、饗庭局だって、侍女たちだってみんないい人たちだ。

(女主人として、何とか生き延びさせてあげなきゃ)


それに……うちのご先祖様はどうしているのかしら?


頭を捻っている真っ最中に


無事に子供が誕生した。


「嫌だ、あらいやだ!男の子だわ」


史実通りに男児がめでたく誕生した。




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