薫子とかの君の面影の聚楽第



「まぁ!まぁ!何処いづくかへ参りおられ申したか!」



薫子が帰ってきたという知らせを受けた大蔵卿局が、乳母の大局、饗庭局たちを率いてすっ飛んで来た。


「あらまあ、すごい形相だこと。心配をかけたみたいね」


大蔵卿局は薫子の袖を二度と離さないでか!としっかと握ると


「まずは湯浴みなされませ!」


さあさ、さあさ!

大蔵卿局は、他所でついた匂いを舐めとる母猫のように、薫子に湯浴みを勧めた。



綺麗に体を侍女達に拭きあげさせると、白絹の小袖を着付けさせる。

薫子は元大名家の深窓の姫君である。

侍女達の前で全裸になろうとも薫子の顔に、羞恥の感情は昇らない。

お風呂の時のみならず、毎朝晩のお着替えだって自分でしたことない、日本の伝統と格式に育まれた正真正銘のお姫様育ちだ。


侍女達を自分の手足のように扱う姿は、正に高貴な生まれを無言で示している。


「まぁ、ありがとう。気が効くわ」

当時はまだ貴重な木綿の布で、押し当てるように薫子の水を弾いて輝く滑らかな肌から水滴を吸い取っていた侍女が、薫子のはらりと前に垂れた髪の毛を後ろに撫で付けた。


薫子に香り立つような微笑みを向けられた侍女は顔を赤くして、俯いた。


薫子の華奢な丸みを帯びた肩に仕立て下しの白絹の小袖を掛けた侍女は、薫子が袖を通すのを袖口から手を回してそっと誘導をすると


「まぁ、ご親切なこと。助かってよ」


褒められた。


「お金を払えない分は愛想でしのげ!」が貧乏大名家の家訓である。


そんなことは知らない侍女は嬉しそうに唇を綻ばせ、同僚の侍女と目配せをしあった。


さりげなく労い、かしずく女達に仕えさせる喜びを与える。


滲み出る女王の風格に、大蔵卿局をはじめ、侍女達も深い満足を覚えた。


突如現れたことに対する不可解さも、これも「右府様の思し召し」と頷きあい、秘密を共有する事で連帯感も高まっていく。




「喉が渇いたわ」


着替えをすませると、薫子は運び込ませた、秀吉公と北政所もご愛用の寝台に横柄に横ずわりをし、遠慮という言葉も知らぬ風情で飲み物を要求した。


大柄でおっとりした顔の饗庭局が侍女たちに小声で囁いて、珍陀酒チンタしゅを運ばせた。


「あら、赤ワイン、美味しそうだこと」

薫子は上機嫌に紅に染まる美しい唇の右端をキュと吊り上げると、南蛮渡来品の高価なギヤマンの器に入った赤ワインを満足そうに一口飲んだ。


「甘口で飲みやすくってよ」


その姿を見ると、また侍女たちも満足そうに頷きあった。


(やはり!)

(珍陀酒は右府様の好んで飲まれた酒)


(間違いない)



その侍女たちの軽い興奮をも気にかけず、薫子はポートワインを啜りながら、大蔵卿局に職人を呼び寄せるように申しつけた。



「いいこと。居心地の良い美しいお部屋にしないと、心が貧しくなるわ」


薫子は腰に手を当てると、侍女達に言い聞かせた。

「思し召し通りに」

僅かな間に心を掴まれた侍女達も素直に頷く。


「万事、西洋式が最先端よ」


折しも、薫子の明治と同じく、西洋の文化が流入し、南蛮文化が花開いていた時代である。


但し、百年単位の誤差があり、細工に関しては細かく指示を出さなければならなかった。


戦国期の大名は、職人たちを家臣として召抱え、城郭内に住居を宛てがっている。

籠城になった折、何かと助かるからであり、本城の護りを硬くするためでもある。

その家臣の職人が呼び出されて、薫子の居室の次の間に平伏する。


「こういう寝椅子が欲しいの」


紙に描いた絵図を見せる。


アール・ヌーボーなどという近現代の意匠は、中世日本には、衝撃!以外の何物でもない。

本場の西洋にもまだ無い斬新な曲線、色遣いは職人たちの心をカッチリと掴んだ。


「何と!左様な斬新な意匠に御座り申すか」

呼び寄せられた職人達も、ほう、ほうと感心する。


少々、そんなものは……と思っても

前右府が天覧馬揃えでコスプレをして、西洋椅子に腰をかけて度肝を抜かせてからまだ十年足らず。

今と時代と違い、時の流れがさほどに早くも無い時代では、十年は一昔ではない。


「流石、前右府様の姪御前……」

ここでも大きく、前天下人の錦の御旗が翻る。


何しろ田舎の尾張の守護大名の股臣の三奉行から、街道一の弓取りの今川義元の首を掻き切り、天下取りレースに躍り出て、一気に天下人になった鮮烈な男の姿はまだ色褪せもしない。


また、戦国期の権力は、武力と政治力だけでなく、高い文化水準、それを裏打ちする経済力、この四つが揃わなければ、統治力を発揮しなかった。


ゆえに、文化を支える職人達はその人への畏敬の念もあって、感嘆の声を上げた。


「ああ、なんと!流石、前右府様の姪御さま……」


その感嘆を侍女たちは、満足そうに頷きながら聞く。


(やはり、これもそれも右府様の思し召し)


「やれやれね」

そんなことなど全く気が付かず、薫子は細かく指示を出さなければならないのには根をあげて、ドサリと寝台に座り込んだ。


そんな薫子を見て

「南蛮趣味だなんて」

「やはり右府様……」

侍女達は頷きあった。


全くを持って大満足である。



「いいんじゃなくって」

薫子も悪くない……と思っている。


ゾロゾロと長く引き摺る打掛も、少女の頃に着ていた物で馴染み深い


正直言えば、こちらの方がちょっとばかり……いや、相当かなり、物が良い。


どうも、お金には不自由してないらしく、希望がどんどん通る所が大変気持ちよく好ましい。


更には、どうも婚家の松村家よりも裕福なようで、誰も何もお金のことは言わないのも随分と、随分と好ましい。


ただ

折角のご馳走が、喉に通らない。


まぁ、なんだか、匂いが変に味噌くさいので、それは良しとしよう。


「甘い物を」


薫子が命ずると、豪華にも十も二十も高坏たかつきが並ぶ。


「あ〜ら、有平糖あるへいとう、懐かしいわ」


サラサラと口の中で溶ける砂糖菓子は、貧乏大名の実家ではなかなか口に出来ないお菓子だった。


父親である喜連川卿が帝とか、幕府の誰かとか、世が代わってからは政府の高官に会った機会に、コッソリ懐紙に包んで帰った、細かく砕けたソレを、兄弟で指につけて舐めたものだ。


ちょっとばかし、情けなくて、懐かしい。


「金平糖も有平糖も美味しくってよ」

薫子がそう言えば、お侍女たちは大きく頷く。

なんと言ってもその菓子も、右府様の好物だったのは有名だ。


(ああ!やっぱり!)


「冬になったら、干し柿を進ぜましょう」

面長の笑顔が愛らしい大局が嬉しそうに進言し、皆が笑顔で頷きあう。

(干し柿も右府様がお好きだったもの)

お侍女たちはウキウキである。




チョコレートが食べたくて、茶色くて、甘くて、艶のある……と説明したら

油を塗った黒砂糖の塊が出てきて以来、洋菓子の再現は諦めた。


そんなめんどくさいことに手を染めるほど、薫子はマメな人間ではない。


あちらで食べれば良いだけだ。


細く上品な指でつまんで金平糖を一つ口の中に放り込むと、また侍女たちが

「うふうふ」

「ウフウフ」

と小声で笑っている。


幕末、明治、残念なことに「さきの右府様」の評判は大層に悪く、薫子の知識には余り入っていない。


(平和なものね)


「お滑りを頂きなさいね」

高坏を回してやると、女たちは頬を染めて喜ぶ。


(かわいいもんじゃない)




 

 投扇も、貝合わせも、香合も、歌合も、薫子にとっては小さな頃からさせられたたしなみだ。



むしろ、結婚して以来、そうした風流な遊びとは無縁になっていた。


それを、「京極氏」「池田氏」など、薫子も知っている大名家から来ている側室仲間からお誘いが来るのも楽しい。


「何やら、お元気になられて、雰囲気どころか、面差しも変わられ申して……」

「あら!よく言われますの」


側室仲間たちの探るような眼差しを遮って、薫子はお上品にほほほほと笑う。


肝の座り具合は、貧乏大名家で、借金の取り立てにやってくる商人と渡り合って培った筋金入りだ。


「お人が変わったような」

「ええ、別人で御座いましょう」

むしろ斬り込んでいくスタイルの薫子の微笑みはまるで太陽のように燦然さんぜんと輝く。


そこまで平然と言われると、何やら「お留め(身代わり)?」とも聞きにくい。


「右府様、右府様」

他の側室たちの侍女たちも囁く。

お侍女たちの中には、他の側室に仕える姉妹、親類縁者がいるなんてのもいる。


縁を辿って噂は静かに広がっていく。


「確かに」

(どうしたことか、今は亡き右府様そっくり……)


「御血筋とはいえ、以前は似てると思ったことはございませんでしたが」

「まるで、乗り憑ったような」


ひえ!

京極竜子の侍女の一人が悲鳴をあげた。


乗り憑った!

何となればなり!


「なりますまいぞ、左様な噂は!」


かの右府様の家を葬ったのは、紛れもなく太閤殿下……


「左様な噂をらしたつまれば、どのようなことになるか……」

京極竜子は身を震わせた。


茶々様が生まれ育った小谷城を攻めた1番の功労者は、太閤殿下

そして、継父柴田殿を攻め、茶々様のお母上様を滅したのは、太閤殿下


暗いお心が引き合い、右府様が乗り憑られた……


ヒィィ〜


側室のお侍女達の悲鳴が響いた。


「なるますまいぞ、左様な噂、決して流してはなるますまいぞ!」



前の右府様が冥府より、居出奉られ、姪御様に乗り憑られたなど、そんな噂が太閤殿下のお耳にでも入れば……


なりますまいぞ!!



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