1-11『好都合男はいつだって都合よく使われたい』1

 中学生の俺には、未来を見ることができなかった。

 それは何も能力が失われたからとか、そういうことじゃない。そもそも未来視なんて、ないほうが当たり前の力なのだ。

 そんなものに頼らずとも、人間には想像力がある。

 ああ言えばこうなるとか、こうすればどうなるとか、どうやればそうできるかを考える力をこそ、未来を見る力と言うべきだった。

 俺にはそれがなかったのだ。


「優しさとはな、伊吹。つまりは想像力のことを言うんだ」


 かつて美海姉に説かれた言葉だった。

 深く、納得した記憶がある。


「他者への共感能力。自分の言動を受けて、相手がどう思うのか。それを想像する力が、優しさというものの根幹なんだよ。親切の押し売りや下手な同情は、あくまで自分自身の感情から生ずるものでしかない。誰かに優しくすれば自分も気持ちがいい――なんてのは子ども向けのお為ごかしだ。時に優しさは自分を救わない。それは、覚えておくべきだ」


 この言葉は今も、俺自身の深いところに根づく価値観を形成している。


 だから俺は、自分が優しい人間ではないことを知っているのだ。

 俺は他人に甘いだけ。相手のことを想う、そのための想像力がなく、ただ場当たり的に自分が心地いい選択肢を選んでいるだけ。

 底の浅い、それは自慰であり示威だった。


 頼られることで自己の存在価値を感じた。

 頼みに応えれば不快にならなくて済んだ。


 たったそれだけの、徹頭徹尾、自らのためだけに選んできた行為。

 それが最後は破滅に繋がる選択であるのだと、わかっていてもほかが選べない。

 その時点で選択ですらない。


 けれど、そんな俺にだって――優しくあろうとすることならできるはずだから。


 都合のいい男で、なんら構わない。

 俺は、であろうとした。


 なぜなら俺にとって、それが唯一の《優しくなれる》方法論だったからだ。

 自分で選択できないことは、相手に選んでもらえばいい。相手が都合よく、便利に俺を利用してさえくれれば、俺は相手にとって最適の選択肢となり得る。

 そういうふうに考えたのだ。


 誰かに頼りにされたかった。

 頼られている自分には価値があると思えた。


 ゆえに俺は、他者から頼られる自分に、自分を頼ってくれる他者に――依存していた。

 周囲もまたそんな俺を、上手く使ってくれていたと思う。


 あるときまでは。


「――そういうの絶対によくないよ」


 と。そんなふうに俺を叱ってくれた奴がいたのだ。

 それが幼馴染みの、空閑奈々那だった。


 ――彼女のお陰で今がある。

 俺にとって、奈々那は友人であり、家族であり、そして恩人だ。

 誰かひとり、無条件で自分の価値を認めてくれる人がいることが――俺にとってどれほどの救いだったろう。


 でなければ俺は、果たしてどうなっていたことだろう。



     ※



「聞いて驚け、銅後輩。実は俺には、未来視の特殊能力がある」

「えっ、なんですかそれ超カッコいい……!」

「いや信じるなよ。そのリアクション、こっちの想定とだいぶ違うわ」


 初手から期待の斜め上を行く、銅後輩であった。


 四月二十九日、月曜。その放課後。

 屋上。

 あの日からだいたい二週間が経過していた。


 ――この間、冬泉が学校に登校してきたことは一度もない。

 明日には四月も終わるというのに、冬泉は結局、始業からひと月を家から出ることなく過ごし続けている。

 俺も何度か訪ねては、そのたびに社会復帰を迫ったのだが、それらが実を結ぶことはなかったし、気配すらない。やっぱりいいように騙された気がする。


 進歩といえば、銅後輩とすっかり仲よくなったことくらいか。


 こちらもこちらで、やはり教室に顔を出せていないことは問題だろう。

 こういうものは時間が経てば経つほど取り戻しにくくなってしまう。実際、潮時は近くまで迫っていた。


 とはいえ、何ができるわけでもなく。

 まあ、物は試しというか。未来視について、せっかくだから銅後輩にも少し話を振ってみることにしたのだ。

 こんな話、普通は信じるはずもないため、別に言ってもいいだろうと思ったのだが……なんでこんなあっさり信じるんだ。それ逆に困るんですけど。


「ああ、なんだ。嘘なんですか……残念です」


 落ち込んだふうの銅後輩。

 この子、この手の話題は好物らしい。


「世界のどこかには、きっと能力者がいると思うんですよね、わたし。ロマンです」

「能力者て」

「それがせんぱいだったら超すごかったんですが。やはりそう上手くはいきませんね」

「……んーまあ」


 反応に困る感じだった。

 実際、目の前にいるわけだが。証明しろと言われても無理だしな……。


「未来視。カッコいいですよね……! 魔眼って感じです」


 魔眼て。そういうの本当に好きだな、こいつ。


「何。銅後輩は、未来が予知できる能力、欲しいと思う?」

「天邪鬼でもない限り、普通は欲しいものじゃないですかね。拒否る理由がないです」

「ああ。まあ、そう言われればそうかもな。でもほら、都合の悪い未来が見えちゃうかもしれないし? 未来のことなんて、わからないほうがいい的な価値観もあるだろ」

「不都合な未来なら、回避できるかもしれないじゃないですか」

「あー、どうなんだろうな、その辺り。もしかしたら、避けられない未来かもしれない」

「そうですかね?」


 と、銅後輩はこくり、首を傾げる。

 それから奇妙なことを言った。


「もしもどこかに、未来予知の能力者がいらっしゃるとして。その方は、どういう理屈で未来を見てるんでしょう?」

「いや、理屈って……そんなもんに理屈も何もないだろ」

「そうですかね。仮に実在するなら、それなりの理屈は立つものかと思いますよ? 一応それも現象なんですし」

「ん? そりゃどういう意味だ」

「――《ラプラスの悪魔》ってご存知ですか?」


 聞いたこともない。漫画か何かの固有名詞だろうか。

 俺は言う。


「知らないけど、あれだろ。銅後輩が好きそうなヤツだろ?」

「はい、そうです! ……いや、ぜんぜん違いますよ。何を仰いますか」

「一回認めちゃったじゃん」

「まあそういうのが好きなのは認めますけど。今はそういう話ではないのですよ。これは物理学のお話なのです。かしこみ!」


 まさか《かしこみ》を《賢い》的なニュアンスで使っているのだろうか。

 かしこくなさみがやばたにえん……。


「ふみゅ。そうですね……佐野せんぱい、たとえばわたしが今、屋上から佐野せんぱいを突き落とすとするじゃないですか」

「しないで」

「しませんよ、たとえです」


 嫌なたとえだった。

 それ、リンゴとかじゃダメかな。俺じゃないとダメ?


「そしたらせんぱいはどうなると思いますか?」

「死ぬよ」

「もしかしたらギリギリ生き残るかもしれませんけど。まあ通常、この高さならほぼ即死でしょうね。この屋上の端から、わたしが佐野せんぱいを突き飛ばせば、たぶん地面までせんぱいは落ちます。……そんな顔せずとも」

「いやあ……」


 銅後輩はなんの気ないたとえのつもりなのだろうが。

 俺は、あまり思い出したくない記憶を想起させられて心臓が痛い。


「それって一種の未来予知じゃありませんか?」

「……うん? いや、突き飛ばされたらそりゃ落ちるだろ。予知も何もない」


 銅後輩の言葉に首を傾げた俺だったが、当の本人は首を横に振って。


「いえいえ。まだ起きていない未来に対する確信である以上、それは予知と同じですよ。現在の状況から考えて、未来に対する計算を働かせる。そういう未来予測です。何か奇跡的なことが起きて助かる可能性も、ないじゃないですけどね」

「そういう言い方をすればそうだろうが……それ言ったら、なんでもアリじゃないか?」

「これは、ほかの要素を無視できるような状況だからわかるだけです。わたしが屋上からせんぱいを突き落とせば、落ちて死ぬことはわかっても、落下のスピードやどういう形でせんぱいの死体がバウンドするかまではわかりません」

「俺での比喩をやめてほしすぎる」

「そんなに仰るなら、じゃあ代わりにわたし行きますけど」

「コンビニ行くみたいに言うなよ……まあいいけど。それで? それがなんなんだ?」

「結局、こういうのって物理現象の積み重ねじゃないですか。ならこの状況で、たとえば佐野せんぱいの体重とか、風の向きや速さ、屋上から地面までの高さ……諸々の要素を、全て観測して、計算できる存在があるとすれば――完璧に未来を予測できるわけです」

「…………」


 これは物理学の話だと、そういえば銅後輩は言っていたか。

 なるほど確かに、宇宙に存在する物体の運動を全て観測できるのなら。

 それらが次にはどう動くか計算できるのならば。

 その存在には、宇宙の未来が予測できる。


「そういう架空の知性を想定して《ラプラスの悪魔》と呼ぶのですよ。現在、宇宙にある全ての物質の状態を知ることができ、かつそのデータを理解、解析できるだけの知性ある存在を仮定するなら、には次の瞬間の未来のことが完璧にわかるわけです」

「はあ、なるほどな……まあ言ってることはわかる」


 悪魔というよりは、いっそ神様みたいな存在ということらしい。

 もちろん俺はそんな悪魔ではないし、そもそも実在するはずもない概念なのだが。


「人間には無理ですけどね。ただ一定範囲の周囲の状況や、運動とかを、もしも直感することができるなら――未来予知の能力者とは、それで未来を知っているのかもしれないと思うわけです。悪魔のように、ですね」

「……まあ面白い話ではあったな、確かに」


 そして、もしそうなら未来を変えられるかもしれない、というわけか。


 観測している状況、要素。

 計算に必要な数値を、別の数値に変えてしまえば自ずと解も変わるのだから。方程式そのものは理解できていなくとも、代入する値なら変えられる。

 かも、しれない。


 恵介とはまた違った、なんというか、これはこれで銅後輩らしい知見だった。


「とはいえ、だから、わたしはあまり未来予知はできないと考えているのですけれど」


 銅後輩は言う。

 彼女は否定的な立場らしい。意見としては常識的だが、そんな常識的なことを銅後輩が言うという状況は、なかなか非常識的だった。

 銅後輩は、未来予知とかそういう話、結構好きそうだと思っていたのだが。


「否定派なのは意外だな」

「超能力があってほしいと思うのと、あると思うかはまた別のお話ですから」

「なるほど……」


 意外とクレバーなことを言う銅後輩だった。

 いや、意外でもないか。銅後輩はむしろ理屈を求めるタイプっぽい。


「というか、この手の因果的決定論って、量子力学の進歩によって、とっくに否定されているんですよね。不確定性原理というヤツです。原子の位置と運動量を同時に知ることは原理的に不可能だそうですよ? 宇宙の全ては悪魔でも知ることができないのです」

「詳しいのな、銅後輩」


 正味、話していることの半分も理解できたかどうか。

 割と感心した俺に、銅後輩は少し照れつつ。


「いやまあ、ふわっとしか正直わからないですけどね? ……名前がカッコいいので」

「その理由は聞きたくなかったかもしれない……」

「形から入るタイプなのです……えっへへ」


 はにかむ銅後輩だった。

 まあ、かわいいからいいか。


「じゃあ、銅後輩は《未来予知なんてできない》ってスタンスなのか」


 訊ねてみると、銅後輩は当たり前みたいに答える。


「だってわたしは、佐野せんぱいを屋上から突き落としたりしませんし」

「……そりゃされるとも思ってないけど」

「いえ。要するにこういうのって、人間の意志みたいなものを完璧に無視してるわけじゃないですか。人の心は計算には入れられない、ということですね。――ふっ」


 銅後輩のキメ角度はともかくとして。


 それも確かに。

 未来は実際、ただの物理現象としての話ではない。そこには人間の意志というものが必ず介在している。

 宇宙規模の物理現象には干渉できずとも、自分という人間の未来くらいなら、人が人の意志で左右することくらいはできる――できていいはずだ。

 俺にとっての未来もそう。


 単純な話、俺がそれを選ばない、と強く思うことさえできるのなら。

 あんな予知未来、俺の意志でいくらでも変えられる。


「ま、なにせ悪魔ですからね、悪魔。あるいは未来を予知しようとするのなら、人の心の動きさえ完璧に読み取って計算に含める……そういうことができるのかもしれません」


 風になびかれながら銅後輩は言った。

 もう、風になびかれないほうがむしろ格好つくんじゃない?

 そう思ったが黙った。


「心の動きさえ完璧に読み取れる悪魔でもいなきゃ、人の未来なんて予知できない。そういうことか。……そうなのかもな」

「ええ。だからもし、せんぱいが未来を視ることがあったとしたら」


 くすりと悪戯っぽく微笑んで。

 銅後輩は、こう告げた。


「それは、神ならぬ悪魔からのお告げ、かもしれませんよ? 信じるかは慎重に、です」

「……そいつは、恐ろしい話だな。注意するよ」


 銅後輩はあくまで冗談のつもりだったのだろうが。

 神社で悪魔に唆されたのなら、なかなか笑えない事態だと俺は思った。

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