1-07『好都合男とぽんこつダメ少女たちとの日常』1

 かくして始まった銅後輩の教室復帰作戦。


 ただ現状、何か訓練とか、そういったことをしようとは考えていない。

 一見した限り、銅後輩は会話自体は普通にできているように思う。


 まあ、ときおり何言ってんだかわからない表現を使ってはいるが、それくらいは個性の範疇だろう。

 教室に通うことすらできないほど重篤には、少なくとも見えなかった。

 それはそれで逆に厄介な気がしないでもないが――。


「私も詳しくは知らないんだがな」


 報告に行った際、美海姉は俺にそう言った。

 すなわち、銅後輩の問題は、高校に入ってから新しく発生したものではない。


「なるべく無理強いはしたくない。ある場合は無理にでも言ったほうがいいこともあるのだが、銅の件はそういう事情でもないと見ている。ただ、あまり時間も与えられない」

「時間、っていうと……」

「屋上の利用に関してだな。当然、教員側としては安易に看過できない。今は顧問として私が止めているが、鍵を取り上げて利用を禁じようと思う先生方が大多数だろう」


 先代部長氏とやらが個人利用していた程度ならともかく、授業に出ていない生徒が昼間から屋上に入り浸っているとなれば、教師だっていい顔はしない。

 当然の話だった。

 職員会議で取り沙汰されれば、おそらく屋上の鍵は没収されてしまうだろう。


「ほかの先生方に知られれば、私も味方はしてやれない。それは含んでおいてくれ」


 美海姉は言った。わかりづらいが、申し訳なさそうだったと思う。

 けれど、美海姉が最大限に融通を利かせてくれていることが俺にはわかった。銅後輩にとって、屋上は学校内で唯一の居場所なのだ。それを上から奪わないでいてくれている。

 これだけでも、充分すぎるほどありがたい措置だ。


 ――甘えさせてもらうことにしよう。




 明くる四月十六日。火曜日。

 四限の授業を終えた俺は、まず購買で昼食を買い(勘違いされがちだが、別に俺は料理それ自体が好きなわけではないし、得意でもない)、それから屋上に向かおうと思った。


 声をかけられたのは購買からの帰路。

 適当に買った総菜パンを手に、屋上を目指しているときだった。


「おっすー、伊吹。今日は購買?」


 奈々那だった。

 いっしょにいたらしい友人たちと別れ、小走りでこちらに駆け寄ってくる。


「おす。奈々那は学食?」

「と思ってたけど、どしよっかな。今日はいっしょする?」


 軽く小首を傾げての提案。

 二年になってクラスも変わったから、そういう機会も減るかと思ったが。意外と言えば意外な気もする誘いに、俺は思わず目を見開いた。奈々那は微苦笑。


「聞いたよ。登校して早々、美海姉に呼び出されたんでしょ。どしたのかなと思って」

「ああ……いや、別に大したことじゃないよ。ちょっと頼まれごとしただけ」

「そうなの? 美海姉が頼みごとなんて珍しいよね。なんか厄介ごとだったり?」

「……見方によっては、そうかもね。実は今からそれ関係で用事あって、今日は屋上で昼食べるから。誘ってもらって悪いけどごめん、パスで」

「屋上? 屋上なんて入れたんだ。それ知らなかったな……」

「んー、まあちょっと特殊な事情あってというか。普通は入れないと思うよ」


 俺はそう説明した。別に嘘は言っていない。

 だから、そこで奈々那の目がすっと細められたのは正直、予想外で。


「……奈々那?」

「まさかとは思うけど……また、他人の事情に首突っ込んでるとかじゃないよね?」


 語気が、そこまで強かったわけじゃない。

 それでも俺は、まるで責められているかのような気持ちになって、思わず口ごもる。

 そいつがよくなかった。

 俺の反応だけで、奈々那には充分すぎたらしい。


「はあ。そんなこったろうとは思ったけど、結局またですか」

「い、いやいや。奈々那が思ってるようなのとは、たぶんだいぶ違うと思うよ?」

「そう? じゃあ大変だね。前科ばっかりで信用してもらえなくって」

「…………」

「他人に構ってていいのって、自分のことがしっかりできてる人間だけなんじゃない?」


 ばっさりと、奈々那はそれだけを言って立ち去っていく。

 嫌味ではなく忠告と、受け取ってはみるけれど。辛辣に響く言葉であった。

 ただ実際問題、あまり深入りというか、肩入れしすぎるのもよくないことだろう。


 ――あくまで先輩として、後輩にできる限りのことをする。それだけだ。



     ※



 屋上の鍵は開いていて、ということは、そこに銅後輩がいる。

 そう思い込んで扉を開いた俺は、けれど屋上にその姿を確認できず面食らった。


「あれ? いない……?」

「いいえ。ここにいますとも、佐野せんぱい」


 声が背後から聞こえ、思わず「うおっ」と肩が跳ねた。

 振り向くと、屋上の扉のある壁に、銅後輩は背中を預けて立っていた。ちょうど開いた扉の死角になる位置で、なぜか首元を枯草色の長い布が覆っている。


「おはようございます。そして、ここでファーストクエスチョン」

「えぇ急……」


 聞きたいことが多いのはこちらなのだが。

 ツッコむ暇がない。


「次のうち、わたしが怒っている理由とはなんでしょう」

「お、怒ってるの? えっと……俺に?」


 でもよく見れば、銅後輩の表情は確かにむくれている。

 涙を堪えているかのような。

 現に質問にも答えてはくれず、銅後輩はクエスチョンを続行した。


「一、朝からワクワクして待っていたのに、佐野せんぱいが来てくれなかったから」

「……えっと」

「二、一時間目の休み時間も来てくれなくて、だんだんと不安になってきたから」

「…………いや、」

「三、二時間目の休み時間もひとりで、もしかして佐野せんぱいとお友達になれたという過去は、わたしの幻覚妄想だったのではないかと不安に苛まれたから」

「……………………あの、」

「四、よく考えたら連絡先は交換したのに何も送ってくれてない。わたしは単に弄ばれてしまっただけの憐れな迷える仔羊で、やっぱり三時間目の休み時間もひとりだったから」

「…………………………………………」

「五、そして昼休みになった。わたしは今日もぼっちご飯。あれ、おかしいな。いつもとなんにも変わらないのに、なぜだか涙が出てくるよ? ……ぐすっ」

「……………………………………………………………………………………」

「――さあ、お答えは?」

「誠に申し訳ございませんでしたっ!」


 俺は即座に謝った。

 そんな心細い顔をされたらもう勝ち目がない。

 全面降伏して頭を下げる俺。そこでようやく銅後輩は、纏う空気を弛緩させて。


「せーかい、ですっ」


 にっこりと、花が咲くみたいに微笑んだ。

 ……どうやら怒ってはいないらしい。


「なので寛大に許してあげますね、せんぱい」

「そりゃどうもね。いや、まさか朝から待ってるとは思ってなかったんだよ」

「せんぱいはわたしのちょろさと面倒臭さをあまりわかっていませんね」

「自分で言うなよ……」

「まあ正解なので、佐野せんぱいにはゴールド銅ちゃん人形をプレゼントです」

「それ金製なの? 銅製なの?」

「純藁製です」

「藁の人形はちょっといらないです」

「外せません」

「ほら呪われてる!」


 銅後輩の藁人形だってんなら、そこは銅後輩が呪われるべきだと思うんですよ。なんで俺のほうが呪われちゃってるんですか。

 まあ確かに、呪われていて外せない装備なら、いっぱい持っている気がするけどね!

 まったく笑えないぞう?


「ともあれ。おはようございます、佐野せんぱい。来ていただけて嬉しいです」


 銅後輩は素直に言う。

 口調こそ淡々としているが、表情は結構ころころ変わる。本当に喜んでくれているのがわかりやすく、俺としても、嬉しいやら気恥ずかしいやら言葉に迷った。


「おはよ、銅後輩。……なんでそんなとこいたの?」


 マフラーというよりはスカーフか。顎の先までを隠す、だいぶサイズの大きな枯草色の布地を、長くひらひらとはためかせる銅後輩。


「今日は佐野せんぱいが上がってくる気配に気づいたので、影に潜もうかなと」

「前半と後半の繋がりがまったくわからない」

「そうそうわたしの死角は取れない、と示したかったのですよ」

「なるほど」


 わからん。


 早々に銅後輩への理解を諦めたくなるようなことばかり言わないでほしい。


「ふっ」


 銅後輩が言う。

 出たよ。さあ今日はなんだ?


「ところで佐野せんぱい。今日のわたしはどうですか?」

「……どう、って?」

「お友達と会うので気合いを入れて来たわたしですよ。何か言うことがあるでしょう?」


 言うなり銅後輩は斜め下を向いて。

 右手を顔に、左手を右の肘に当てると、再びこちらを向き。


「どやっ」


 顔の半分を覆い隠すような、そんな――無駄に格好いいポーズを決めた。

 たなびくスカーフ。うんまあ、似合ってるっちゃ似合ってるとは思うけれどね。

 俺はありったけの優しさを込めて言う。


「それ、ほかの人の前ではやんないほうがいいかもよ」

「何を言いますか、佐野せんぱい。――わたし、ほかに見せる人、いません」

「そっか。じゃあいいね」

「よくはないですけど……あの? 聞いてます?」


 まあ、お気に入りのポーズと意匠らしいので、とやかくは言うまい。

 格好いいとは俺は思うよ。一般的かどうかは知らないけど。


「それより。銅後輩、ちゃんとご飯持ってる?」

「え? あ、はい。お家から、お弁当を持ってきています」

「そっか。オッケー、ならよし。いっしょに話しながら食べよう。付き合ってよ」

「おぉ……っ!」


 途端、目を爛々と輝かせる銅後輩。なんだろう、目がしいたけみたい。


「お、ど、どした?」

「いえいえいえどうしたもこうしたもそうしたでああっ!」

「えっ怖っ」

「すみませんテンション上がりすぎました」


 謝る銅後輩だったが、嬉しそうなのが何も隠せていない。

 存在しない仔犬の尻尾が、ぶんぶん振られている様子が幻視された。

 ここまで喜んでくれるのなら、俺としても誘った甲斐があるが。


「佐野せんぱい佐野せんぱい。わたし、お友達といっしょにお昼なんて初めてです」

「俺の目の前で悲しい過去を覗かせるんじゃねえよ甘やかし散らかすぞコラ」

「せんぱい!?」


 大概にしてほしかった。

 俺のほうがなんなら銅後輩よりもちょろいまである。


「これでお母さんから『お弁当どうだった?』って訊かれたときも、『ツレといっしょにマジサイコーの青春っしょウェーイ』と嘘をつかなくても済みますね……!」

「リア充に対する想像力の貧困さが泣ける!」

「はっ。だからお母さん、いつも微妙そうな顔をっ!?」

「いい加減にしろ。しあわせにされたいのか俺に」

「どちらかと言えばされたいですが!?」


 会話の噛み合わない俺たちだった。


 危ない危ない。あくまで俺は先輩として、後輩を助けているに過ぎないのだった。

 別に絆されたとかそういうアレじゃあ断じてないわけ。そう。これくらいは当たり前というもの。

 俺はあくまでも、美海姉の頼みを聞き届けたからここにいる。そうでしょう?


「よし、銅後輩」

「え。あ、はいっ。なんでしょうか」


 俺は言った。


「……銅後輩の分もジュース買ってきたから。差し入れ。ちゃんと飲みなさいよね……」

「へ? は、はあ……。それはどうも、ありがとう、ございます……?」


 もう本当に俺という奴は。


 どうして、こうもダメな男なんだ……。

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