落とし物は、見つからなくていい 了


 どうしてかちょっとだけ不機嫌になった鵜住居うのすまいさんに、僕の思いついた推理を話すと、どうにか機嫌を治してくれた。

 そして鵜住居さんと話し合って、また次の日会う約束をして、僕は彼女の家を出ていそいそと帰路についたというのが昨晩のあらまし。

 待ち合わせ場所は例の通学路。

 僕と鵜住居さん、どちらの推理が正しかったのか、そこではっきりさせることになったのだ。

 僕の推理が正しかった場合、わざわざもう一度会う必要はないのだけれど、もしも鵜住居さんの推理の方が正しかった場合は、あのまま放置するのは忍びないという結論に至ったのだった。


「おはよう、ヒナくん。昨日は私、とてもよく眠れたよ!」

「おはよう、鵜住居さん。それはよかった。僕はいつも通り爆睡だったよ」


 夕方ごろ、約束通り鵜住居さんがやってくる。

 綿のワイドパンツに、英字のロゴ入りTシャツ姿の鵜住居さんは、ちょっとこの季節にしては肌寒そうにみえた。


「やっと鵜住居さんが来てくれて助かった。僕一人だと、まるで不審者だからね」

「うふふ。大丈夫だよ。私がいてもいなくても、変わらないって」

「一応きいておくけど、その変わらないっていうのは、僕一人でも普通の人っぽいってことだよね? 鵜住居さんが一緒にいても、不審者っぽさが拭えないって意味じゃないよね?」

「えー、そんなのどっちでもいいじゃん」

「いやいやよくないでしょ。絶対よくないよ。確実によくない」


 ヒナくんはうるさいなあ、と口をそぼめる鵜住居さんにクレームをつけながら、僕は通学路の方に視線を送る。

 するとしばらくして、やっと僕らの待ち人が現れる。

 どうやら今日は一人で下校しているらしい“彼女”の方に、小走りで僕らは駆け寄って行った

 ランドセルにはきちんと赤いお守りが結ばれていて、僕は思わず頬を緩める。


「や、やあ、アユちゃん。ご機嫌よう。僕たちのこと、覚えてる?」

「……優しいお姉さんと、ヘンタイのお兄さん」

「そうだよー。ありがとう、アユちゃん、私たちのこと覚えててくれて」


 声をかけられて、僅かに驚いた様子を見せたアユちゃんは、とりあえず僕と鵜住居さんのことを覚えていてくれたらしい。

 若干覚え方が悲しいというか、偏っているけれど、覚えられていないよりはマシだ。

 たぶん、マシのはずだ。


「なにか用? 今日は落とし物、してないよ?」

「うん。大したことじゃないんだけど、ちょっと確かめたいことがあってね。……ほら、ヒナくん」

「う、うん。昨日の落とし物のことなんだけど」

「……なに?」


 警戒の気配をみせるアユちゃんに、なるべく安心させるため、僕は屈んで視線が同じ位置になるようにする。

 あまり長く喋りすぎると、お節介な町の人に通報されてしまうかもしれない。

 僕は手短に話せるよう、言葉を頭の中で編集しながら、自らの推理を喋りだす。


「僕が思うに、アユちゃん、君は昨日、落とし物なんて、本当は最初からしてなかったんじゃないかな?」

「……」


 僕の言葉に、アユちゃんは何も答えない。

 知性のある眼差しで、僕を射抜くように見つめるだけだ。

 責めるつもりはないんだと、前置きを付け加えながら、僕は続ける。


「ショーヤくんから聞いたよ。今月だけで、もう落とし物をするのは三回目だって。だけどアユちゃんは頭が良いんだってね? これもショーヤくんから聞いた。それで僕は変だなって思ったんだ。アユちゃんみたいな頭の良い子が、そんな短い期間で何度も落とし物なんてするかなって」

「ふーん、それで?」

「だから僕はこう考えた。この落とし物は、アユちゃんの自作自演なんじゃないかって。……あ、この自作自演って言葉の意味は――」

「じさくじえんのいみくらい知ってる。アユがほんとうは落とし物なんてしてないのに、落とし物したふりをしたっていみでしょ」

「そ、そう。物知りだね」

「いいから。それで? なんでアユがそんなことするひつようあるの?」


 苛立ちを隠そうともせず、アユちゃんが僕を睨みつけてくる。

 その反応は、ほとんど僕の予想が正しいことを表していた。

 やはりアユちゃんは、誰かにいじめられていたわけではなく、自分の意志で物を失くしていたのだ。

 アユちゃんが作り出したこの謎は、本来解かれる必要なんてなかった。


「これもショーヤくんから聞いたんだけど、君たちは最近こっちに引っ越してきたらしいね。それでたぶん、今ショーヤくんとアユちゃんは、別々の部屋で寝てるんじゃないかな?」

「そうだけど。だからなに」

「昨日も手を繋いで帰っていたし、前の家じゃ一緒に寝てたみたいだね。本当に仲の良い兄妹だと思う」

「たしかに仲はわるくはないけど……」


 鍵は引っ越しと、兄妹二人の部屋が別々になってしまったことにあった。

 ショーヤくんは言っていた。引っ越す前は一緒の部屋で、いつもくっついて寝ていたと。

 この言葉の肝は、彼の発言が過去形になっていたということだ。

 それはつまり、今はもう二人は違う部屋で寝ていて、くっついて寝るようなことはなくなってしまったということ。

 ロフトがある部屋みたいに、二人の人間が異なった場所で眠ることができる家に、彼らは引っ越してしまったのだ。


「家に帰っても、前みたいに、ショーヤくんと同じ部屋では過ごせない。それに付け加え、転校してきたばかりで、仲の良い友達もいない。だから君はこう考えた。……もし落とし物をすれば、兄であるショーヤくんが一緒に探してくれる。一緒に過ごす時間がつくれる。アユちゃん、君は寂しかったんじゃないかな?」

「……」


 アユちゃんは黙り込む。

 もはや苛立ちは影を潜め、その相貌に浮かぶのは気まずそうな顔色だけだった。

 いま思えば、昨日アユちゃんの表情から感じた違和感は、これだった。

 無愛想、苛立ち、気まずさ。

 彼女から感じ取れたのは、これらだけ。

 しかし、それは冷静に考えれば、不自然なことだった。

 最も強く浮き出るはずの感情が、抜けていたのだ。

 

 それは、不安だ。

 

 焦りや恐怖と言いかえてもいいけれど、とにかくアユちゃんからは、自分の落とし物が見つからないことに対する怯えがまったくなかった。

 普通落とし物をしたら、真っ先に考えるのは、見つからなかったらどうしよう、という思いのはず。

 特に昨日落としたのは兄から貰ったお守り。

 そんな大切なものを失くして、平然としている小学生なんて中々いない。

 それにも関わらず、アユちゃんは、まるで落とし物が最後には見つかるのがわかっているかのように、落ち着いていた。

 さらに実際にお守りが見つかった時にも、喜びはまるで見せず、むしろ申し訳なさそうな顔をしていた。

 これが僕が、落とし物がアユちゃんの自作自演だと考えた根拠だ。

 

 きちんと、丁寧に、こつこつと考えるだけ。

 そうすれば、小さな謎は解きほぐれる。

 

 落とし物は、見つからなくていい。

 ただアユちゃんは、大好きな兄であるショーヤくんと、一緒にいられる理由いいわけがあればよかったのだ。


「……そのはなし、おにいにいったの?」

「まさか。これはショーヤくんが知らなくていい推理だからね」

「そっか。なら、いわないで。その……はずかしいから」


 顔を俯かせて、指をもじもじとさせるアユちゃん。

 それは初めて見る、小学三年生の女子相応の態度だった。


「もちのろん! もしこの変態のお兄さんが勝手喋りだそうとしても、私が絶対に黙らせてみせるよ! 必要ならブタ箱にぶちこむ!」

「ほんと? ぶたばこに、ぶちこんでくれる?」

「うん! 約束する!」

「いやいや、変な約束しないでよ! だいたい僕は言わないって言ってるじゃないか!」


 これまで静観に徹していた鵜住居さんが、急にしゃしゃりでてくる。

 ブタ箱だなんて、なんて汚い言葉を女子小学生に言わせてるんだ。

 僕に対する言葉遣いだけ、鵜住居さんは異様に悪い。


「だけどね、私は思うんだ。アユちゃん。たぶんね、そんなことしなくても、ショーヤくんはアユちゃんと一緒にいてくれるよ」

「ほんと? でも、おにいにも、ともだちとかいるし……」

「ううん。大丈夫。こんな可愛い妹からのお願いを、断れる兄なんていないよ。私が保証する」

「ぜったい?」

「うん。絶対。だからもう、わざと落とし物なんて、しちゃだめだよ? これまではたまたま、ショーヤくんが素直に落とし物探しを手伝ってくれたけど、そのうち、大きな勘違いをしちゃったりするかもしれないから。変な勘違いさせて、心配させたくないでしょ?」

「……うん。よけいなしんぱいは、させたくない」

「でしょでしょ? だから、ちゃんと言うんだよ。自分の気持ちを真っ直ぐと」

「わかった」


 鵜住居さんの言葉に、アユちゃんは強く頷く。

 聡い子だ。

 自らの行いが、大好きな兄を騙していることにもなってしまっていると、きちんと気づいたのだろう。

 すると後ろの方から、おーい、おーい、という大きな声が聞こえてくる。

 振り返ってみれば、不思議そうな顔をしながら、こちらに駆け寄ってくるショーヤくんの姿があった。


「あれ、きのうのやさしいお姉さんとヘンタイのお兄さんじゃん。アユがなんかしたのか?」

「ううん、違うよー。たまたま、また会ったから、ちょっと挨拶してただけ」

「そうなのか? アユ?」

「……うん。あいさつ、してただけ」


 何も知らないショーヤくんは、やけに神妙な様子のアユちゃんを不思議がったのか、首を傾げている。

 そして鵜住居さんは、アユちゃんに何か耳打ちすると、その小さな背中をそっと押した。


「ね、ねえ、おにい」

「なんだよ、アユ」

「……いっしょに、かえってもいい?」

「は? なんだそれ。いいにきまってるだろ。ほら、かえろうぜ」


 意を決したかのようなアユちゃんのお願いに、ショーヤくんは二つ返事で答える。

 力強くアユちゃんの手を握ると、爽やかで、なおかつ頼りになる笑みを浮かべて、昨日と同じ様に歩きだす。


「それじゃあ、おれたちはかえる! じゃあな、やさしいお姉さんとヘンタイのお兄さん!」

「うん、ばいばーい。二人とも」

「気をつけてね。あと僕は変態じゃないよ。絶対にご両親とかに、その呼び方で紹介しちゃダメだよ。僕、ブタになっちゃうからね」


 元気よく、空いている方の手をぶんぶんと振りながら、ショーヤくんは立ち去っていく。

 そして大好きな兄に手を引かれるアユちゃんも、嬉しそうに微笑みながら、こちらを振り向き、小さく手を振ってくれる。


「ありがとー! 優しいお姉さんと……ヘンタイで、優しいお兄さん!」


 からからと、秋空に響く可愛らしい声。

 変態は変態でも、優しい変態なら、世間も許してくれるだろうか。



「……やっぱり、ヒナくんの推理が正しかったね。私が余計なことを言って、変に大事にならなくてよかった」



 仲睦まじい兄妹を見送った後、溜め息混じりに鵜住居さんが言葉を紡ぐ。

 どことなく、寂しそうで、儚げな表情。

 僕はその隣りで、何を言えばいいか迷ったあげく、無意味に変顔をすることにした。


「は? なにそれ。全然面白くないよ」

「ごめん」

「うふふっ」

「あ、いま、笑った!」

「え? ち、違うから! 今のはそのクソつまらない変顔で笑ったわけじゃないですぅ」

「じゃあなにで笑ったの?」

「それは……えへへ、秘密。当ててみてよ」

「えぇ、ヒントが少なすぎるよ」

「落とし物の謎は解けるのに、こんな簡単なことは解けないなんて、やっぱりヒナくんはボンクラだなあ」


 失礼極まりない発言をしながら、それでも鵜住居さんは嬉しそうに笑う。

 だから僕は、結局また彼女を許してしまう。


 穏やかな秋風が吹き抜け、笑い声が澄んだ夕空に舞う。


 鵜住居さんがどうして笑っているのか、僕にはわからなかったけれど、べつにそれでいい気がしていた。



 なぜならそれはきっと、解かなくてもいい謎なのだから。





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