第3話_手繰り寄せる一筋

 馬の蹄が野を叩く振動を身体に感じながら、私は思考を巡らせていた。

 数日に渡って頭から火が出そうになるほど考え込んでも浮かばなかった『名案』が、今更になって唐突に降って湧いてくるとは正直思えない。けれど、諦めることも出来るわけがなく、ぐるぐると考え続けている。

「ヴィオランテ様、あの丘を越えた辺りで本日はお休みしましょう」

「はい、分かりました」

 声を掛けられて空へと視線を動かせば、既に赤く色が変わり始めていた。早めに野営地を決めなければ、準備の前に暮れてしまう。言われるまで気付いていなかったなんて、少し考え込み過ぎていたらしい。軽く頭を振ってから、丘を目指した。

 地震のあった日の翌日、私は早速おばあ様に、交渉についての相談をした。するとおばあ様は少し考え込むように黙った後で、大きく一つ頷いてから、はっきりと述べた。

「ブラウン様は少々強引に頷いて頂きなさい。後のことはどうとでもなります」

「どうとでも……?」

 助言がアグレッシブ過ぎて正直、動揺した。しかし詳しく聞いたところ、ブラウン様はとても押しに弱い御方であり、且つ、多数派に付く傾向にあるのだと。現在、イネス様とおばあ様が投獄について反対を示しているが、ホワード様が国王陛下に対して異を唱えないと思うから、ブラウン様もその形を取っている可能性が高いということだった。数だけで言えば現状は二対二であるが、国王陛下側を重く受け止めるのは納得できる。

「『協力する』という明確な言葉を引き出すことは難しいでしょうが、『ホワード様次第で協力する』と言って頂ければ同じことです。そうすれば、あなたが攻略すべき相手はただ一人になるでしょう」

 成程、と思った。

 つまりおばあ様から見ても、最難関の存在がホワード様なのだ。実際、その後でおばあ様は「ホワード様を頷かせる材料が見付かっていません」とはっきり仰った。だからこそ、今は立ち止まるのではなく、まだ動かしようのあるブラウン様から対応すべきだと。

「分かりました。特にブラウン様はご挨拶も出来ていない御方ですから、直接お会いしてきます」

「ええ、そうね。対面でお話しすれば、あなたなら可能だと思います」

 そうして私はその日の内にブラウン様へと書状を出した。『今から向かうのでお会いしてください』という、おばあ様の助言に従った、かなり強引な内容だ。

 大急ぎで遠征の支度を整え、出発したのが翌日早朝。従者四名を引き連れ、現在、ブラウン様の屋敷へと馬で向かっている。彼が治める領地は王都から少し遠く、山を越える必要もある為、馬を利用して向かっても四日ほど掛かる見込みだ。

 最初は単身で向かう気だったのだけれど、おばあ様と両親に止められた。道程が長いことが理由ではない。そもそも、成人の儀として外に出るのも先生という護衛があって成り立つことだった。成人もしていない私が一人で領地外に出ることは認められていない。今後も認められない可能性はある。身分として私は『未来の領主』だ。無為に身を危険に晒すなんて、許されることではなかった。

 だからその時改めて、たった一人で王都から領地へと帰ってきた無謀を叱られてしまった。騒動で有耶無耶になっていたのに、藪蛇だ。

 気が急いていたのは確かだが、本来あるべき形は、事情を説明しつつ迎えを依頼する手紙をおばあ様に出し、それを待ってから、領地へと帰ることだったと。そのご指摘は尤もだと思い、深く反省した。そして此処に「減点だ」というお声が入ってこないことに、改めて、強い喪失感を抱いた。

「……お嬢様、眠れませんか」

 火を見つめ、毛布に身を包みながらぼんやりとしていれば、従者の一人が、温かな飲み物を差し出してくれた。礼を述べて受け取ると、私を安心させようとするみたいに、柔らかな笑みを向けてくれた。子を包み込む母のような慈しみを感じる。歳は四十より少し手前だったと思うから、私の年齢から見て「母のよう」と言うのは、失礼かもしれないけれど。

「ごめんなさい、ミリア。……野営なんて、侍女のあなたの方がきっと辛いのに」

「大丈夫です。それに馬に乗れる侍女は、お屋敷では私だけですからね!」

 自慢げに笑う顔には、辛さなんて少しも見えない。ほとんどを屋敷内で過ごしているような彼女が、領地外を馬で駆け、野営をするなんて辛くないはずがないのに、それでも私を気遣ってくれていた。

 共に来てくれている四名をひと纏めに従者と言ったが、三名は護衛として来てくれている兵士。一名が、侍女であるミリアだった。彼女は普段、お母様の身の回りのお世話を担当している。けれど彼女の言う通り、乗馬できる侍女が彼女一人である為、今回、私の世話をする為にこうして付き添ってくれていた。

「考えるべきことは多くあるでしょうけれど、しっかり休んで下さいませ。私達では決して代わることの出来ない役割を、あなた方は背負っているのです」

 優しい声に呼ばれるように顔を上げれば、その声と同じだけ優しい瞳が私を見つめていた。誰にも代わってもらえない役割。ブラウン様にお会いして、説得をするのは私でなければならない。その事実は私には厳しく、責務がずしりと心に重い。それでも、ミリアの表情には少しも厳しさは無かった。

「ですから、代われることは、どうぞ全てお任せください」

 ミリアがそう言うと、火の番をする為に傍に座っていた兵士の一人がぐっと親指を上に突き立てた。火の番、いや、きっと道中の護衛全てについて、任せろと言ってくれているようだ。思わず笑ってしまった。

「……ええ、皆、ありがとう」

 先生は今、傍に居ない。重い役割を代わってくれる誰かも居ない。だけど、支えてくれる手は沢山ある。息を吸い込むと同時にそんな温かさを身体の隅々まで取り込んで、私は肩から少し、力を抜いた。

 オリビア先生と旅をしていた時と違い、身の回りのことはミリアがやってくれて、魔物もほとんど兵士が戦ってくれた。私が剣を抜いたのは、この道程では一度きり。きっと成人の儀を終えてしまえば、これが当たり前になるのだろう。楽ではあるけれど、少し寂しいようにも思う。

 そうして彼らの支援のお陰もあり、大きな障害無く予定通りに目的の街へと到着した。お昼過ぎであった為、急げば本日中に一度お屋敷を訪れても非常識な時間にはならない。今回の遠征がそもそも非常識だけれど、それはさておき。とにかく身支度を整えるべく先に宿を確保し、一時間足らずで従者らと共にブラウン様の屋敷を訪問した。

 意外であったのは、すんなりと訪問を認めて頂き、応接室へと通して頂けたことだ。

 押しに弱いというご自覚があればもっと、私と話すことを警戒されるのではないかと思っていた。屋敷の者へ門前払いを任せてしまえば、ご自身で対応しないままに要求を突っ撥ねてしまえる。ともすれば、そのような対応が取れないことも、『押しに弱い』と称されているのだろうか。

 しかし数分後、そのように考えたことは間違いだったと思ったし、何なら最初から得ていた情報全てが間違いだったのではないかと思った。それくらい、ブラウン様は堂々と、気弱な様子もまるで無く私の前にいらっしゃった。

「私がこの領地を治める、ルーカス・ブラウンです」

 丁寧な御言葉の中にもはっきりとした覇気が含まれ、国王陛下ほどではなくとも、少々語気を強めるだけで多くの者が身体を強張らせるだろう。私は丁寧に、ブラウン様へ頭を下げた。

「アデル・コンティの孫、ヴィオランテ・コンティと申します。お会いできて光栄です。この度は突然の訪問にも拘らず、拝謁のご許可、心より感謝申し上げます」

 今の私はおばあ様の名代ではない。そうだとしても各地の領主様と厳密には対等ではないのだから、ただの孫でしかない今、私の地位は彼と比べてずっと低い。だが、今回は此方の要求を認めて頂く為にやってきた。弱いままでは居られない。

 着席の許可を頂き、それに礼を述べてからソファへと腰掛ける。ブラウン様は私の正面に静かにお座りになった。

「頂いた書状については確認しておりますが、お話は、オリビア殿の収監に関することでしょうか」

「はい。私の師、オリビアには収監される理由がございません。法の貴族として異を唱えて頂きたく、直接、お話に参りました」

 まず現時点ではイネス様と祖母アデルのみ収監に反対しており、ホワード様についてはブラウン様と同じ意見であることをきちんと伝える。そして頂いた返事に記載されていた『判断材料が足りない』と言う指摘についても、尤もであると認めた上で、私はそれでも反対であると告げた。

「何故なら拘束すべきという判断材料もまた、明確ではないのです。理由となったのは、よりにもよってその『悪しき存在』からの言葉です。それは正常な判断と言えるのでしょうか」

 私の言葉に、ブラウン様は眉を寄せた。指摘について考えて下さっているのか、反論を不快に感じられているのかは読み取れない。

「疑いがある者を一時的に捕らえるのは、他の罪でも有り得ることでしょう。しかし、そこには常に、確かな『被害』があるはずです」

 国王陛下は、先生が火山帯へ皆をいざなったということを真に疑ってはおられなかった。『悪しき力を宿している可能性』が収監の理由であるのだと。だが先生の力の源泉が本当にあの悪しき存在であったとしても、先生はあの力を、この国を守る為に戦争で用い、そして人々を守る為に使っていた。……私刑紛いのことにも使用されていたのは知っているが、それでも、国を陥れるような悪意は一切無い。いつでも先生は、弱い存在を守ろうとしていた。先生の中にある『正義』の為に力を振るっておられた。国に刃を向けたことなど一度も無いはずだ。その何処に、収監されるべき『被害』があるだろう。

 被害が出る前に対処したと言えば聞こえも良いが、それならば他の罪についても同様の措置が取られるべきだし、またそのような理由が全て許されてしまえば、国民全ての自由と権利は失われてしまう。

「……なるほど」

 私の主張を聞き終えたブラウン様は短くそう言って、大きく息を吐く。

「つまり貴殿は、陛下が今『異常な判断』を下されていると?」

「そうではありません、私は――」

「コンティ家の後継といえども未だ成人にも至らぬ身で、こともあろうか我が国を統べる御方へ何たる無礼か!! 己の身分を弁えられよ!!」

 その怒号は広い応接室に響き渡った。先程、『語気を強めれば』と想像した以上の攻撃的な声に、私の後ろに控えている兵二名がたじろいだ気配を感じた。けれど私は特に動かず、表情を変えることもなく、じっとブラウン様の目を見つめ返していた。

 ――人は、少しも怖くない。

 怒鳴られようが睨まれようが、それについては何の問題も無い。陛下の場合とは意味が違う。あの時、私は発言権を取り上げられた。御前で顔を上げていることすら、本来は陛下の許可が無ければいけない。だから私はあの時、口を閉ざし、頭を下げたのだ。陛下のお怒りやお声が、恐ろしかったわけではない。

 むしろそんな私を見たブラウン様の瞳の方に、微かに怯えの色が滲んだ。私はゆっくりと息を吸い込み、努めて静かに言葉を発した。

「異常な判断とまで、申し上げるつもりはございません。ただ、前代未聞の『悪しき存在』を前にして慎重になり、行き過ぎた判断を下されていると考えております。……表現を間違えました。ご指摘ありがとうございます」

 今の判断が『正常ではない』と述べればつまり『異常』と言ったことに等しい。陛下の御前であれば許されない失言となった可能性もある。感謝の念は本心だった。短く頭を下げた後で、再び、ブラウン様を真っ直ぐに見つめる。

「一番の問題は、私の師ではなく『悪しき存在』の対処です。唯一あの存在と戦うことの出来た師の力は、不可欠と言えるでしょう。その為には師を『収監』していてはいけないのです。使。……己の師に対してこのように述べるのは問題でしょうけれど」

 まるで息を潜めるようにして私を見つめていたブラウン様は、再び長い息を吐くと、先程とは対照的に覇気を緩められた。肩から力を落とし、ソファの背へと軽く身体を預けられる。

「……分かりました、要求に応じましょう」

 随分と柔らかな声だった。ブラウン様の傍に控えていた従者が驚いた表情をして、窘めるように小さくブラウン様のお名前を呟いたけれど、ブラウン様はそれに対して軽く手を振る。

「良い、見ていて分かっただろう、私はこのお嬢さんには敵わん。全く御当主様にそっくりだ。恐れ入った」

 雰囲気が一変して、流石に少し驚いた。目を瞬く私に、ブラウン様が目尻を緩める。応接室に入って来られた時とは別人に見えた。

「年の若い女性ならば、威圧的に怒鳴ってしまえば容易く引くだろうという、愚かな考えでした。無礼は私の方です、大変失礼した」

「いいえ。御言葉に間違いはありませんでした」

 部屋に漂っていたぴりぴりとした空気が緩和する。ブラウン様は目の前のお茶に手を伸ばす前に、私にもお茶を勧めて下さったので、礼を述べて一口飲む。すっきりとした香りのある爽やかな茶葉だ。後に残る少しの苦みにも嫌な感じは無くて、お父様が好みそうな味だと思った。お土産に買って帰ろうかな。

「要求は飲みますが、……恥ずかしながら、私のような辺境の領主は貴族の中でもあまり立場が良くないのです。ホワード様を含む三名の反対が揃えば、私も応じるという、限定的な対応にさせて頂きたい」

 おばあ様が予想した通りの御言葉に、私は頷くことを躊躇わなかった。ホワード様が応じ、その知らせを受ければすぐに対応できるように準備はしておいてくれるとのことだ。今の私には最上の結果を得たと言えるだろう。ホワード様については何も解決していないけれど。

「貴殿からは、情けの無い領主に見えることでしょう。私には、御当主様や、ホワード様のような強さも才覚もありません」

 その言葉は、おばあ様から聞いていた彼の人となりを思い起こさせた。けれど、話を聞いた時のような印象ではない。この方は気が弱いから『押しに弱い』わけではないのだろう。謙虚であるから相手の話を聞いてしまう。敵を作れば領地に危険が及ぶかもしれないから、折衷案を考える。それはおばあ様や、ホワード様とは在り方が違ったとしても、領主としての才覚の一つだと私は思う。だけどそんなことを私のような若輩者が告げることもただ失礼で、口を閉ざすしかなかった。

「ですので、領主としても法の貴族としても、これ以上、貴殿へ何も申し上げられない。ただ、ルーカス・ブラウンという一個人として。御当主様の強さの欠片を持っている貴殿の道が、開かれていることを願っています」

 遠回しでも『応援している』と伝えてくれる優しさに、私は作り物ではない笑みで応えた。

「次にご挨拶に参ります折には、ご領地の色んなお話を聞かせて頂ければと思います」

「ええ。いつでも歓迎いたします」

 帰り際、忘れずにお出し頂いていた茶葉の銘柄を聞いて、ミリアに伝えておく。この街を発つ前には手に入れて、お父様に持って帰りたい。ミリアは他にも何か屋敷へ土産になるものを見繕うと言って、兵士を一人連れて市場の方へと向かってくれた。私は残りの二人と共に一度、宿へと戻る。気持ちとしてはこのまますぐにでも領地へ急ぎたいところだが、此処で無理をしたところで事態は急変しない。

 そう思って大人しく宿でおばあ様に宛てる手紙をしたためていたのだけど、少し悩んだ後で、私の筆は当初考えていたのとは異なる文字を綴った。そしてもう一枚、違う相手へも。

「――おかえりなさい、それからごめんなさい。皆さんに無理を言う形で申し訳ないですが、領地に戻る前に、ドウォールに立ち寄りたいと思います」

 ミリアと兵士が市場から戻るなり、私は四人に向かってそう言って頭を下げる。今、おばあ様への手紙へもそう記載した。ホワード様のお屋敷がある街、ドウォールに向かう。彼にも一度対面できちんと話をして、解決すべき課題を明確にしたかった。

 私の言葉を聞いて、ミリアと兵士らが顔を見合わせ、そして何だか楽しそうに笑った。

「ええ、承知いたしました。構いません、アデル様はそうなるだろうと仰っておりましたから、私共も元々その心づもりです」

「おばあ様……!!」

 肩を落とした。完全に思考と行動を読まれている。私は私なりに、一生懸命に考え、悩み抜いた結果だと言うのに!

 私の反応にミリアはくすくすと笑ってから、私が書き終えた手紙、おばあ様宛てとホワード様宛ての二通を出して来ると言って、再び兵士一人と共に宿を出て行った。働き者で頭が下がる。コンティの屋敷の中で最も無能なのが私である気がしてきた。立派な人ばかりに囲まれて、自尊心がごりごりと削られていく。

 だけど、落ち込んでも仕方ない。ミリアが言ってくれたこと、『私にしか出来ないこと』を思い、顔を上げる。この街からドウォールまでは三日と少しくらいだろうか。お会いできたからと言って納得してもらえるとは思えないが、少しでも情報を得たい。遠い東の空が赤く染まっていくのを睨み付け、心だけは強く持っていようと誓った。

 地震とかが起きなければ、多分、心くらいは、大丈夫。

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