不可逆的な生き物たちの夜

桜田一門

プロローグ

 バイブレーターが震えている。

 明かりの消えた六畳間である。部屋の真ん中には丸い形のちゃぶ台が置かれ、その上でバイブレーターが震えている。彼らは特製のスタンドに固定され、めいめい色鮮やかに光り、自由気ままにピストンと振動を繰り返している。心臓まで冷え切ってしまいそうなほど寒いクリスマスイブの夜だった。部屋には四人の童貞がいた。

「……綺麗だな」

 童貞の一人が小刻みに震えるバイブレーターの先っぽを優しく指で撫でた。

「うん、綺麗だね」

 別の童貞の眼鏡がバイブレーターの光を反射して七色に光っていた。ほかの二人の童貞も口々に「綺麗だ」と呟き、頷いた。

 それは女と過ごすことが出来ない寂しさを紛らわすための無理やりな感傷ではなかった。好きな女の子とイルミネーションを見に行くことが出来ないのが悔しくて、光るバイブレーターを見ることでその代わりにしているわけではなかった。

 ちゃぶ台の上に円を描くように並べられた一〇本のバイブレーターが個性豊かに光を放ちながら震える光景は、実際にため息が出るほど美しかったのだ。赤、白、緑などに輝く光は寂しい童貞たち祝福するイルミネーションであり、ウィンウィンブブブブという鈍い振動音はジングルベルのように心に染み渡っていく。一〇本はうねり、震え、虚空をひたむきに突いていた。その健気な姿に童貞たちは、霜の降りた自分たちの心がやんわりと溶かされていくような温かい心地を覚えた。

「──さて」

 部屋の電波時計が暗闇の中に『21:00』と浮かび上がらせた頃。誰かが誰かの手を引いてホテル街へ消えていく頃。暗い部屋の広いベッドの上で向かい合った男女がどちらからともなく互いの服に手を掛ける頃。狭くて男臭くて煌びやかなのこの部屋の中では、童貞の一人が鍛え上げた筋肉をわずかに強ばらせながら静かに口を開くのだった。

「そろそろ始めよう」

 ちゃぶ台を囲う童貞たちはその言葉に居ずまいを正すと、バイブレーターに照らし出された互いの顔を確認しあって頷いた。

「聖なる夜の前日にわざわざ集まってくれて感謝する」

 三人分の拍手が振動の合間に響いた。

「『性の六時間』という言葉を聞いたことがあるだろうか」

 童貞が問いかける。

「十二月二十四日の午後九時から翌二十五日の午前三時までの六時間は、 一年間で最もセックスをする人間が多い『性の六時間』と呼ばれている。小学校時代に優しくしてくれたあの子も、中学校時代に通っていた塾にいたあの美人な先生も、高校時代に部活の試合で見かけた他校の女子マネージャーも、新歓で行ったサークルのフレンドリーな先輩も、今宵はみんな俺たちの知らない男と知らない場所で知らない愛を育んでいる。妬ましいし、羨ましいし、悔しい。悲しいことに俺たちは童貞だ。『性の六時間』から最も遠いところにいる人種だ。だがな、だからといって『性の六時間』を楽しんではいけないというわけではない。俺たちだって『性の六時間』を楽しむ権利はある。育む愛がなくとも、身体を重ねる相手がなくとも、俺たちにだって平等に『性の六時間』を楽しむ権利はあるんだ。『性の六時間』は非童貞たちだけのものじゃない。童貞のものでもあるんだ。そんな思いから俺は今、ここに、猥談百物語の開催を宣言する!」

 童貞の言葉に部屋の空気が強く振動する。感激の拍手が鳴り響いたからではない。バイブレーターが稼働しているからだ。

「では最初は主催の俺からいかせてもらおう」

 童貞は咳払いを一つし、極上の料理が盛られた皿をサーブするみたいにして静かに語り出す。

「──これは俺がまだうんこで笑っていた時代の話だ」

 心臓まで冷え切ってしまいそうなほど寒いクリスマスイブの夜である。七色のバイブレーターが震える部屋で、童貞たちが生唾を飲み下す。瞳を閉じ、童貞の声に耳を傾ける。早い者はもう股間に滾りを感じ始めている。

 聖なる夜の前日に、性なる夜が一足早く、童貞たちの前に訪れる。

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