深海を越えてまた会おう 08


 沙希ちゃんはすぐにひとに好かれるタイプで、そんなところも大好きで、沙希ちゃんのことを好きになるひとの気持ちがよくわかるのだけれど、そのおかげで予定が埋まっていることが多かった。


だけど三人のグループラインに


ももこ:しんどい。また話聞いてほしいよ~


とメッセージを送るとすぐに、


Saki:どうしたー? 予定決めよう


と返事をくれるのだった。


三人で予定を調整して、さらに私ができるだけ早く会いたいとわがままを言って、結局その週の金曜日、沙希ちゃんが別の飲み会が終わってから集まることになった。


仕事が終わって、一応人の目を気にしつつ駅で佐藤くんと待ち合わせをして、居酒屋に入った。とりあえずビールを頼んで、「おつかれ」と乾杯をする。


大学生の頃には苦いだけで全く美味しいと思えなかった生ビールを、最近好きになりかけていた。


「で、どうしたん? 相変わらず苦しんでそうやな」


と佐藤くんが切り出した。


「そうなんだよー。もうしんどすぎて。いろいろと聞いてほしい。でもその前にお腹空きすぎて死にそうだからなんか頼んでいい?」

「いいよ」

「佐藤くん、何食べたい?」

「何でも良いけど」

「めっちゃお腹空いてるから結構がっつりいきたいんだけど、いい?」

「いいよ。お好きなものをどうぞ。その代わり飯来るまで、一本いい?」

「いいよ。ご自由にどうぞ」


佐藤くんは仕事用の黒いバッグから煙草とライターを取り出して慣れた手つきで火を点ける。そして静かに大きく煙を吸って、顔を右側に向けてふうっと長く吐いた。私はメニューを選ぶことに夢中なふりをしつつ、その姿をこっそりと盗み見た。


今まで私が付き合ってきた数少ない男友達のなかに、煙草を吸う人はいなかった。煙たいし匂いが服や髪に付くのが嫌だし、小学校で散々健康への害を教え込まれたから煙草には凄く悪い印象があった。煙草を吸う人は例外なく、どこかに問題があるひとだと思っていた。だけど佐藤くんが煙草を吸うことは、そんなに嫌いじゃない。


一本目の煙草を灰皿で消す頃に生ハムのシーザーサラダ、豚キムチ炒め、カマンベールチーズのフリット、だし巻き卵、から揚げ、キムチチャーハンが続々と運ばれてきた。


「もうご飯もの頼んだの?」

「え? いかん?」

「いかんくないけど、酒飲めんひとのチョイスやなって思った」

「それってやっぱりいかんってこと?」


いかんくないって、全然。と佐藤くんが繰り返して笑うから、私も笑った。小皿に取り分けることもなく大皿に箸を伸ばす。沙希ちゃんがいないとこういうところが雑にラフになる。


「さすがにチャーハンは分けたほうがいっか」


たぶんよそうための大きなスプーンも付いていることだし、二人分の小皿にそれぞれ盛っていく。


「はい」


と佐藤くんの前に置く。


「ありがとう。なんか慣れとらん感じが出とる」

「えー、どこに? 別に普通じゃない?」

「全体的に」

「はいはい。いつも気が利かんくてすいませんね」

「こちらこそやらせてしまってすみませんね」

「いえいえ。構いませんけど」


私はチーズのフリットをはちみつに浸していた手を、佐藤くんはから揚げを口に運ぼうとしていた手を止め、内緒を共有している中学生の女の子同士みたいに顔を見合わせてちょっと意地悪に笑った。


「でもほんとにこういう取り分けるのとか苦手なんだよね。わざとらしくてさ。いちいち女子力とかって言われたり、男のひとがいる場面でやるとアピールしてるっぽくて、嫌なんだよね。まあやらんかったらやらんかったで普通に気ぃ利かんやつだなーって思われとるかもしれんけど」

「そんなもん?」

「そんなもん。大変ですよ、女ってやつは」

「おつかれさまです」


ふふっと笑ってはちみつでベッタベタになったフリットを頬張る。


「おいしー」

「そういえば又吉、新作出したよな。もう読んだ?」

「読んでない。なんだっけ? また二文字だよね。確か」

「劇場な」

「そうそう。そういうバシッと短いタイトル付けるのってかっこいいよね。最近やたら長いタイトル多くない?」

「きみの膵臓を食べたい、とか?」

「そのへんは全然許容範囲だわ。なんだったかなー。急には思い出せんけど、ラノベならまだしも普通にタイトルめちゃくちゃ長いのあんま好きじゃないんだよね」

「わかる。それ」

「てか私、劇場の前にまだ火花も読んでないわ」

「あれは読んどいたほうがいい」

「読んどいたほうがいいかな? あそこまでバーンッて人気出てみんな読んでますーみたいな風になると食指が伸びんのだよね。映像化しますって大々的に宣伝やるやつとかさ」

「わかるわかる。その辺謎に天邪鬼になるよな。そんでブームから数年経ってなんとなく読んでみたら、めっちゃ面白いやん! なんであんときにハマらんかったんやろってなるのあるよな」

「そうなんだって! ほんとにそれ! 容疑者Xの献身のときとかそうだったもん。慌ててツタヤ行ってドラマと映画のDVD借りてきて一気見したわ」


目に付いたから適当に入った大衆的な居酒屋だったが思いがけず料理が美味しくて、お酒が進む。佐藤くんが注文のたびに「まだビールで大丈夫?」と確認をしてくれたけれど、今日はビールが飲みたい気分だ。


深刻な気持ちで二人に会いたいと連絡をしたはずなのに、肝心なことを話さなくてももう少しだけ救われていた。


「佐藤くんはもう劇場読んだの?」

「読んでない。あれ、主人公の男がクズらしいやん。読む勇気出んなーと思って。だから誰か先に読んでるひとにどんな感じだったか聞いとこうと思ったんやけどさ」

「なんで主人公がクズだからって読む勇気出んの?」


と私は笑った。


「共感できちゃったら嫌やん」

「共感できちゃったら嫌なの?」


佐藤くんのことばをそっくりそのまま借りて聞くと、彼は小さな声でうん、と答えた。このひとって嫌いなひとやことに対して冷たいくらいにはっきりと嫌いだと言う鋭さを持っているのに、もしかしたらとても繊細なのかもしれない。


「クズな登場人物でも共感できるとちょっと愛おしくならない? こいつめっちゃクズだわームカつくわーって思うけど、似てるよね、ちょっとだけわかるよって思っちゃう。そんでもってそいつに降りかかる不幸は自分の身にも起こりそうでちょっと身構える」

「確かに自分に似てるところあると嫌いになりきれんくなるけど、劇場の主人公はちょっとタイプが違うクズなんだよ」

「なにそれ。めっちゃ気になってきた。あらすじググっていい?」

「今はやめといて。帰りの電車でやって」

「なんで? めっちゃ気になるやん」


本当に劇場のあらすじを検索しようと、机の上に出しっぱなしにしていたスマホに手を伸ばすと、黒かった画面が灯る。


「あっ、沙希ちゃんだ。飲み会終わったって。どこにいる? って言ってるよ」

「どうする? 一旦出る?」

「そうだね。どうせならお店変えよう。駅で待ち合わせすればいいよね?」


メッセージをフリック入力していく。その間に佐藤くんは店員を呼んで伝票を貰っていた。


「結構食べたね。もう次はちょっと摘まむくらいでいいや」

「腹いっぱいだよな」

「てかお酒よりコーヒー飲みたくなってきた」

「酒とコーヒー飲める店探すか」

「あるかな。そんなとこ」

「あるやろ。都会やし」

「そっか。都会だしね」


駅まで戻って少し目の潤んだ沙希ちゃんと合流して、私の希望通りアルコールもコーヒーもあるお店に入った。


そこでようやくもともと二人を呼び出した理由でもあった仕事の現状の話をした。


一回の電話が終わるごとに時計が何分進んだか確認をしながら今すぐにでも二人に会って話を聞いてほしいと思っていたのに、そのころにはもうそこまで深刻なニュアンスが出なくなっていた。


一通り話を聞いてもらって大変だねと言ってもらっても、なんだか思っていたよりも響かなくて、ただこの週末の間だけでも仕事のことを考えないようにしようと決めて笑った。


それでもやっぱり日曜の昼ご飯を食べ終えた辺りから月曜日のことを考えると憂鬱になり何も手に付かなくなって、ただスマホでYouTubeの動画を流し続けるしかなかった。


夜になって布団に入るころには、サザエさん症候群なんて茶目っ気たっぷりな名前が付けられているこの症状に、本気でこのまま眠って明日の朝目が覚めなければいいなんて願いながら涙が出るほど苦しめられた。

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