好きと鳴かせて【2】

 帰ってきたわたしたちを出迎えた眞人さんは、何も言わなかった。

 わたしたちもまた何も言わず、玄関先で気まずい空気が流れた。


「眞人、僕、明日休み貰っていいかな。実家に行ってきたいんだ」


 梅之介が言うと、眞人さんが頷いた。


「分かった。じゃあ、明日は臨時休業にしよう。俺も、榊さんに連絡を取って引っ越す段取りをつけることにする」


 じゃあふたりとも、おやすみ。そう言って、眞人さんは部屋に引っ込んでしまった。


「僕も、明日に備えて寝るよ。白路も仕事だろう? 頑張れよ」


 梅之介が、わたしの頭をくしゃりと撫でて二階に上がって行った。


「おやすみ」

 誰もいなくなった玄関でひとり呟いた。

限られた三人の時間を大切にしたいと思っていたのに、きっとそれはもう叶わないのだろう。

 あの時間をもう一度だけ感じたくて、だから、あんなお願いをしたのに。なのに。

 立ち尽くすわたしの頬を、涙が一筋伝った。


 その翌日、梅之介は実家に行ってきて、両親と話し合いをしてきた。帰って来たとき、梅之介はすっきりした顔をしていて、「こんなに簡単に済むんなら、もっと早くに終わらせていればよかったな」と肩を竦めた。


「みんな、僕が死んだと思ってたんだって。すっげえの、もう涙々の感動の御対面」


 家族はみんな、梅之介が失意の果てに自殺したと思っていたらしい。兄たちは男泣きで出迎えてくれ、問題後に実家に帰ったままだった母親も、梅之介帰宅の連絡を受けると車をすっ飛ばして帰って来たそうだ。


「オヤジは、なんかすごく窶れてた。近々引退するってさ。ていうか、兄さんたちに追いやられた?」


 わたしの部屋に来て、ケラケラと笑いながら梅之介は話す。その顔は本当に晴々している。


「僕の元カノだけでなくて、お手伝いさんとお弟子さんにも手を付けててさ。引退と同時に離婚じゃないかな。ざまあ」


 元彼女さんは、息子を行方不明にした責任をとれと梅之介の母親に高額な慰謝料を請求されたらしい。それは一介の美容師に払えるような額ではなく、彼女はそのまま行方不明になったそうだ。


「可哀想だとは思うけど、自業自得だよね。それに、僕の友達からも責められたって話だし、まあ地元にはいられないよね。あ、そうそう、友達にも久しぶりに連絡してさ。なんと、お店紹介してもらえそうなんだ。今度、面接行って来る」

「ええ! 早いね」

「お店が決まったら、その近くで部屋探す。ここにいる間に少し貯金も出来たし、大丈夫だと思う。実家に、僕が前に使ってた家具や家電がそのまま残ってたから、それを持って行けばそんなにお金もかかんない」

「なんか……梅之介、行動的だね」


 話を聞いていて、驚くばかりだ。

 たった一日で問題を幾つも片づけて来たのだ。すごすぎる。

 感心するわたしに、梅之介がふふん、と笑う。


「いまの俺はすごいやる気が出てるから。なんでもやれる」

「そっか」

「明日からはまた働かなくちゃ。お金もいるしね。まあ、見ててよ」


 話し終わると、梅之介は「今日は疲れたから、寝るよ。おやすみ」と言って出て行った。


「おやす、み」


 閉じられた襖を見ながら、わたしはため息をつく。

 梅之介は、すごい。決めたら、すぐに行動を始めるんだもの。

 ぼんやりしていると、携帯が震えた。見れば真帆からのメールで、『アパートの件、オッケーだよ。明日詳しいことを説明するね』と書いてあった。


「わたしも、引っ越し準備、始めなくちゃ……」


 小さく呟いた。



 それから、三人とも新生活に向けての準備を着々と進め始めた。

 『四宮』の閉店を決めた眞人さんは、まず店内に閉店の旨を書いた貼り紙を出した。これには、多くの女性客がショックを受けた。


「嘘でしょ。私、ここに通うのをすっごく楽しみにしてたのよ?」

「青森なんて、ものすごく遠いじゃない……、やだぁ」


 泣き出す人までいて、まあそこまでは想定内。しかし、眞人さんと梅之助に駆け込み告白する女性が後を絶たなかったのは、驚いた。

 さすがの人気ぶりだと、息を殺して皿洗いに励む私だった。

 そんな中での梅之介の行動力は、すごかった。梅之介はあっという間にヘアサロンの就職を決め、そして新しいアパートまで見つけてきたのだ。

 梅之介の家族、特に母親は、梅之介が生きて戻って来たことを殊の外喜んでおり、新居の準備を頼まないのに済ませてしまったらしい。


「お蔭で、もう何もすることがない。いままで最低限の荷物で生活していたから、ここから持って行く荷物なんてたかが知れてるし」


 梅之介は、肩を竦めて言うのだった。

 そして、梅之介はさすがというべきのしたたかな人で、就職先が決まったと同時に、『四宮』のお客たちに転職の告知をした。


「まだ見習いみたいなものだから、すぐにはカットに入れないんです。でも、シャンプーやブロー、マッサージとかはさせてもらいます。だからぜひ、来てください。お願いします!」


 『四宮』閉店を受けて悲しみにくれるお客様たちに、笑顔で営業をかましたのだった。可愛らしいお顔と爽やかな口調でお願いをする梅之介に、誰が「ノー」と言うだろうか。みんな、「絶対行く」と梅之介に誓っていた。

 半端でない人数の新規客を引き連れて行けば、さぞかし売り上げをアップさせられることだろう。梅之介、なんて恐ろしい子。

 眞人さんも、青森行きの支度を進めていた。

 向こうでは、榊さんの御宅に住み込むことにしたそうで、住居を探す手間が減ったと言っていた。

 荷物も、最低限の物しか持って行かないそうだ。

 引っ越し作業と並行して、閉店の処理を進める。出発の二日前に店を閉めることになった。

 わたしも、真帆の後に入居することが決まり、荷物整理を済ませた。婚約者の修一さんの家具や家電があるから、わたしの為にいらない物は残してくれるそうで、大いに助かった。

 ここに来て家具や小物なんかが幾つか増えたけれど、しかしわたしの荷物は大した量ではない。来たときに使ったボロリヤカーに詰め込んで、引っ越しするつもりだ。

 そんな、バタバタした日々を送るわたしたちだけれど、関係はあの晩からぎこちないままだった。

 最低限の会話しかしないし、賄の席も、食事が済めばさっと解散してそれぞれの部屋に戻ってしまう。

 梅之介と眞人さんは、目も合わさない。時折、眞人さんが梅之介を見ているけれど、梅之介が視線を合わせることはなかった。

 眞人さんは、わたしを見ることもあった。けれどこれは、『飼い犬』に拘るわたしを憐れんでいるんじゃないかと思う。

 視線に耐えきれず、えへへと笑ってみせると、眞人さんは眉間に皺を寄せてふいと顔を逸らした。僅かな時間でさえ、眞人さんにストレスを与えているだろうか。だけど、もういいですとは、言えないでいる。


 ……このまま、終わっちゃうんだろうな。


 ここでの思い出もだんだん風化していって、そして、いつか忘れてしまうのかもしれない。

 そんなことを考えて、泣き出しそうになる。

 寂しいのに、どうにかしたいのに、でも、もうどうしようもできない。


 そんな日を繰り返して、小料理屋『四宮』は昨日、たくさんの人に惜しまれて、閉店した。

 閉店の翌日から二日間、引っ越しの為休みを貰っていたわたしは、朝早くから家じゅうの大掃除に励んでいた。

 わたしは明日の朝、この家を出る。

 当初、青森に出発する眞人さんを見送って、それからわたしも新居に移る予定にしていた。梅之介もそうするつもりだと言っていた。

しかし、わたしたちふたりの予定を聞いた眞人さんは、「見送らなくてもいいよ」と言った。そういう湿っぽい事されるの苦手だから、と頑なに言って、わたしたちは彼の出発の前に出て行くことにしたのだ。

 最後くらい、ちゃんとお別れをさせて欲しかったのにな。


「よし。これくらいでいいかな」


 壁掛けの時計の針が正午をとっくに過ぎたことを示している昼下がり。わたしは自室にしていた和室の中心に立ち、室内ををぐるりと見回した。

 窓は綺麗に磨いたし、畳も拭いた。電燈の傘も、ピカピカに磨き倒した。

 開かずの間だった他の部屋も、同様に綺麗にした(腐りかけた畳はどうしようもなかったけれど)。

 半年にも満たない間だったけれど、お世話になりました。


「起つ鳥、痕を濁さずだよね」


 うむ、と頷いたところで、襖が鳴った。


「シロ、いいか?」


 眞人さんの声だった。朝からどこかに出かけていなかったけれど、帰って来たのらしい。頭に巻いていた埃よけのバンダナを外し、「はい、どうぞ」と言う。

 入ってきた眞人さんは、部屋を見渡して「おお」と声を洩らす。


「ここもすごく綺麗になってるな。家じゅうを掃除してくれたんだ?」

「この家に、今までのお礼をしてたの。明日にはここを出るでしょ」


 えへへ、と笑うと、眞人さんが「ありがとう」と言った。


「それでな。今晩、みんなでメシを食おう」

「え?」

「朝イチで市場に行って、食材も調達してる。最後だし、三人でいいメシ食おう」


 眞人さんが、「いいか?」と訊く。

 わたしは、迷うことなく頷いた。


「うん! すごく嬉しい」


 今晩は、三人別々に食事を摂ることになるかもしれないと思っていたので、嬉しい。最後くらい、きちんとしてたいもの。


「よかった。クロも、それでいいって。じゃあ、十八時になったら店の方へ来てくれ。俺、準備しておくから」

「わかった!」

「じゃあ、仕込みに入るから」


 言って、眞人さんは部屋を出て行った。


「そっか。最後、か」


 小さく声にだす。

 本当に、もう最後なんだ。本当に……。

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