拾われたわたしの、新生活【5】


 眞人さんと梅之介とのんびりとした正月休みを過ごしていたら、太った。

 美味しいご飯と時間があれば、わたしの体は存分に脂肪を蓄えられるらしい。


『ファンキーな頭の上にデブったら、ゆるキャラグランプリに参戦できそうだな』


 ふふんと梅之助に鼻で笑われたので、ダイエットを決意したわたしである。が、眞人さん手作りのお弁当を拒否しないと、いつまで経っても体重は減らない気がする。

 だって今日も今日とて、お弁当の誘惑に負けてしまった。せめて、せめて小さめのお弁当箱を買って帰ろう……。


「生活が落ち着いてる証拠よ、きっと。私としては、安心できた」


 松の内もとっくに過ぎ去り、一月も半ば。昼休みの、休憩室である。

満腹になってしまった自分に自己嫌悪していると、横に座っていた真帆が笑った。


「独身の男と同居なんて聞いた時は本当に不安だったし、正月休みも気が気じゃなかったけど。でもいまの白路を見てると、いらない心配だったなって思えるわ」

「うん、大丈夫だよ。毎日が楽しいって思えてるもん」


 真帆の抱く心配なんて杞憂に過ぎない。へらりと笑ったわたしに、真帆は「達也の馬鹿につけられた傷も、思ったより早く回復しそうね」と言う。


「うん。自分でもそう思う」


 すっかり忘れたわけではない。夜眠る前には泣きそうにもなるし、他愛ない日々を思いだしては胸が痛む。アパートのドアを開けたら達也がクリスマスパーティーの支度をして、笑顔でわたしを出迎えてくれるという初夢を見て、泣きながら目覚めたりもした。

 だけど、この悲しみにはちゃんと終わりがあって、わたしは達也のことをすっかり忘れられる日が来ると、確信してもいる。

 わたしは、達也を失った辛さをゆっくりとだけれど過去のものにしていっている。


「大丈夫。次の恋愛だって、わたしはできる!」

「ふふ、偉い! あんたって馬鹿正直だし、大馬鹿がつくくらいひとが好いもの。不幸続きなんてきっと神様がさせないわよ」

「ありがとう……ってあ、あれ? これってちゃんと褒められてる?」

「もちろん」


 ふたりで笑い合っていると、休憩室のドアが開いて先輩である結川さんが入ってきた。わたしたちの近くの椅子に座り、コンビニの袋を置く。


「あー、疲れた。今日でようやく八連勤が終わりよー」

「お疲れ様です! 八連勤って大変ですね、結川さん」

「あたしさー、月末にグアムに行くから、連休取ってるでしょ。だから前半は働きづめ」


 ペットボトルのお茶を飲み、はー、と大きなため息をついて机に突っ伏した結川さんだったけれど、「あ、そうだ」と顔を上げる。


「松子さあ、もう男と別れそうだよ。他に好きな男ができたって」

「はぁ⁉」


 叫んだのは真帆だ。


「何ですかそれ!」

「あたしさー、最近ずっと、松子とシフト重なってたんだけどさ。休憩中に、すっげえいい男見つけたって自慢されたの。白路から盗った男どうすんのさって言ったら、とりあえずキープしてますーって。いやー、こえーわ、いまどきの若いオンナは」


 袋から唐揚げ弁当を取り出しながら、結川さんが言う。


「あの子かわいいし、ターゲットには鬼攻めするらしいし、すぐに次の男に乗り換えるんじゃないかな。つーか、白路のこと考えろって話だよね。盗ったって聞いたときは、まあそんなこともあるのかなー程度にしか考えてなかったんだけどね。もう次に乗り換えっていうのには、正直呆れた」

「は……」


 さすがの真帆も、言葉が出てこないらしい。口を開けては閉じ、を繰り返していた。


「あれ、相当な性悪だわ。もうひと騒動あるかもしれないから、気を付けなね、白路」


 もぐもぐと食べながら言う結川さんに「はあ、どうも」と頭を下げる。気を付ける、と言われても、わたしにはもう何も対処することはない。全て、終わってしまったことだ。松子と達也がどうなろうと、わたしには関りあいのないことだと思うしかない。

 だけど、何も感じないかと言われたら嘘になる。

 あんなに乱暴に奪っていったのだから、せめて幸せになって欲しい。そうでなくては、わたしの哀しみも涙も全部、意味がなくなってしまう……。


 それから僅か数日後のことだった。松子がカフェだかバーだかのマスターに一目ぼれして店に通い詰めている、という話を別のスタッフから聞いた。


「いい加減にした方がいいよって忠告したんだけど、今度は本気です、だって。みんな呆れてる。武里チーフには、あたしたちからも松子の早い移動を頼んでおくから」

「ありが、とう……」


 そんな日に限って、松子とシフトが重なっている。嫌でも視界に姿が入ることに、気分が滅入る。あの子はどうして、こんなことをしておいて平気で笑っていられるんだろう……。

 わたしの勤める駅中店は、出退勤は裏の関係者通用口からと決まっている。

 その日の帰り、わたしはなるべく松子とかち合わないようにのろのろと帰り支度をして店を出たけれど、通用口で鉢合わせしてしまった。わたしに気付いた松子がにやりと笑う。


「おつかれさまでーず」

「あ、お疲れ様」


 ベージュのコクーンコートを着た松子は、カツカツとロングブーツの足音も軽やかに出て行った。


「笑顔で挨拶かよ、すげえわ」


 わたしの傍にいた結川さんが乾いた笑いを零す。


「ま、気に病まないようにね、白路。あれ、多分あたしらとは別の星の住人だよ。相容れない」

「はは、ありがとうございます」


 早く家に帰ろう。眞人さんの料理をつまみ食いして、一緒にご飯食べるんだ。梅之介と他愛ない口喧嘩をしていたら、きっとすっきりするはずだ。ああ、今日の賄は、何だろう。お魚とか食べたいなあ。

 気持ちを持ち上げそうなことを考えながら外に出た私は、その先に立つ人を認めて足を止めた。

 そこには、達也が立っていたのだ。


「ど、して……」


 思わず呟く。どうして、達也がここにいるの?

 その問いをわたしの代わりに達也に向けたのは、先に出た松子だった。


「何でここにいるわけ?」


 苛立った声には棘がある。達也は困ったように頭を掻いて笑った。


「もちろん、迎えに来たんだ」

「はあ? 頼んでないんですけど。私、今から夕飯食べて帰るんだよね。達也さんは部屋に帰っててよ」

「夕飯食べて、ってこのところ毎日だろ? 今日は一緒に帰ろうよ」

「嫌! ていうかうざい! 私、そういうことされると萎えちゃうんですけど」


 わざと大きく身震いしてみせた松子は、くるりと振り返ってわたしを見た。


「白路センパイ、幻滅しません? このひと、私の気持ちが離れそうだから、慌ててフォローに来てるんですよ。まあ、仕方ないですけどねー。このひとね、ウチのパパの会社で雇ってもらったんで、私とは別れたくないんですよ」

「は?」


 意味が分からないでいると、松子が笑う。


「私のパパ、結構大きなジュエリーショップを経営してるんです。だからそこに、無職の達也さんを押し込んであげたの。私は社長の末娘だから、この人必死なわけですよ。上手く行けば、幹部になれるかもしれないですし。ね、達也さん?」

「な……っ、そ、そんなのじゃないよ。何言ってんだよ、松子」


 初めて聞く話だった。そっか、ジュエリーショップなら達也の経歴もきっと生かせる。松子のそういう部分も、達也の心を掴んだひとつなのだろうか。 

 社長の親どころか、親族なんてほとんどいないわたしには、そんなことは出来ない。

 のろのろと達也に顔を向ける。バツの悪そうな顔をした達也はぱっと視線を逸らした。


「ほら、帰ろう。な?」

「あーやだやだ。私の顔色窺って、情けないったら。もっと素敵な人だと思ってたのに」


 はあ、とため息をついた松子は「そうだ」と明るい声を出した。


「白路センパイ、達也さんを返品してあげましょうか?」

「は?」


 この場には、これは修羅場かと足を止めていた人が数人いた。その中の、うちの店のスタッフ全員が同じ声を洩らした。

 達也が「いい加減にしろ!」と声を張る。


「何言ってるんだよ、松子! 俺、お前の言う通りに別れてやったんだぞ⁉」

「あーもう、冗談だって! わざわざ迎えに来てくれたみたいだし、帰ってあげますぅー」


 怒っちゃってー、と無邪気に笑う松子が達也の腕に手をかける。


「じゃ、お疲れ様でしたー」


 ひらりと手を振って、達也と去って行く松子。誰も、その背中に声をかけることをしなかった。


「サイッテー……」


 誰かの呟きが、その場に静かに落ちた

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