捨てられた女、それはわたし【10】

 ぷは、と息をついたところで、眞人さんが言った。


「うち、空いてるぞ?」

「へ?」

「あの部屋でよければ、住むか?」

「は?」


 ぽかんとしてしまう。そんなわたしの背後から、「何言ってんの、眞人⁉」と梅之介くんの怒鳴り声がする。


「分かってる? この家に女を入れるって言ってんだよ?」

「あれだけファンキーブスだのなんだの言っておいて、こんなときだけ女扱いするのか、クロ。お前とも仲良くなりそうだし、いいだろ」


 さらっと言った眞人さんは、わたしに向き直った。


「どうする? 朝晩二食付き。家賃はそうだな……四万、いや三万でどう?」

「はぁ⁉」


 叫んだのはわたしだ。だってそんなの破格すぎる。


「だ、だめですよ、そんなの! 相場、ご存知ですか?」

「いや、別に相場なんてどうでもいいし。まあ、今日みたいに皿洗いとか手伝ってくれたら助かるから、それも含めてってことでどう?」


「ど、どう、ってでもえっと……」


 それは、助かる、けど。だって、どこを探してもそんな値段で住めるところなんてない。それに、おいしい食事が毎日食べられるというのもすっごくすっごく魅力的だ。

 でも、そこまで甘えるのってダメだよね。しかもふたりは男性で、わたしは一応女なわけで。ひとつ屋根の下でいきなり共同生活を送るというのも、問題だよね。

 しかしそんなわたしに梅之助くんが言う。


「断れよ。だけど、襲われたら困りますしー、なんてクソふざけたことは死んでも言うな。お前みたいなファンキーブスなんかには、全裸で迫られても勃たないからな」


 むか。さすがに言い過ぎだと思う。


「わたしだって梅之介みたいなクソガキとは御免こうむる。こっちにだって選ぶ権利はあるもん」


 もう、『くん』なんて可愛くつけてやるもんか。つん、と顔を背けて言うと、「なんだって、このファンキーブス!」と梅之介が叫んだ。


「ふんだ。女だって顔が良ければすぐに服脱ぐわけじゃないんだから。童貞みたいなこと言わないでよね」


 べ、と舌を出してみせると、梅之介が「きー!」と声を上げる。


「ムカつく、まじでムカつくよこの女。眞人、絶対この女を住ませちゃだめだって!」

「梅之介は眞人さんの飼い犬なんでしょ? 犬は大人しくしてなよ!」

「うわ、うっわ! なんだお前、さっきまで大人しくしてたのは嘘だったのかよ!」

「嘘じゃないもん。梅之介が失礼だから、わたしもそれに倣って失礼になっただけですぅー!」

「お前、絶対この家に住むな。メイワクだ!」

「ふんだ、そこまで嫌がるなら住むもん。めちゃくちゃ居座るもん。梅之介のエリアをマーキングしてやる」

「あ! お前今僕を犬扱いしただろ!」


 言い合いをしていると、それを遮るように大きな笑い声が響いた。見れば、眞人さんが楽しそうに体を折って笑っていた。


「面白い。じゃあ、ウチに住むってことでいいの?」

「え」


 梅之介と言い合いしている流れで、ついうっかり住むって言ってしまってた。


「料理は俺が担当。クロは店の手伝いと掃除が担当。シロは皿洗い、かな。バアちゃん、毎日通うのはきついって最近零してたから、そうしてくれるとすごく助かる」


 にっこりと眞人さんが笑った。その笑顔はなんというか、破壊力がありすぎる。こんな美形に笑いかけられて動揺せずにいられる女がいるだろうか、いやいない。


「お、お願いします」


 気付けばそう言っていた。

 だって、どう考えてみても、いいお話なのだ。


「えっと、その。家賃は四万円払います。引越し資金が溜まるまででいいです。そしたら、出て行きますので、その」


 もごもごと言うと、眞人さんが「三万でいいのに」と笑う。


「じゃあとにかく、よろしく。部屋は昨日通したところでいい? 二階にも一応空き部屋があるけど」

「絶対やだ! この女の気配を感じたら満足に寝られない」


 眞人さんの声を遮って梅之介が言う。


「あの部屋でいいです。わたしも、梅之介に夜這いかけられたら嫌なので」

「きー! 馬鹿! お前すげえ馬っ鹿! 絶対ないし!」


 梅之介は、腹を立てると「きー!」と声を上げるらしい。しかも、子どものように地団太を踏んで言うものだから、思わず笑ってしまう。犬というより子ザルだ。


「何だよ、笑ってんなよ!」

「だってちょっとかわいいんだもん。子どもみたい」


 遠慮して子ザルとは言わずにいてあげたのに、それでも不満だったらしい。梅之介が顔を歪めた。「もう寝る!」と言い捨てて、彼は足音も荒く住居部分の方へ消えて行った。


「怒らせちゃった」

「クロはいつも怒ってるから、問題ない」


 眞人さんはどうも本当に、わたしと梅之介の会話が面白くてならないらしい。目じりに滲んだ涙を拭って、「これから楽しくなりそうだ」と言った。


「じゃあ、せっかくなんで乾杯でもするか」


 眞人さんが立ち上がって厨房の方へ行く。と、くるりと振り返った彼がわたしに訊いた。


「あ、と。明日仕事? だったらあんまり飲めないよな」

「いえ、お休みです。眞人さんは?」


 彼が、にっと口角を持ち上げる。


「定休日」


 言うなり消えた彼は、ジョッキを持って現れた。もしかして、お酒好き?

 あらためて、ふたりでジョッキを合わせる。少し飲んで、息をついてから訊いた。


「あの、でも、いいんですか? わたしなんかを急に」

「いいよ、全然。クロも、そんな感じだったんだ」

「梅之介も?」

「うん。もう、一年くらい前になるかな。あいつの場合は、ランチタイムが終わる寸前にふらっとやって来てメシ食ってたんだけど」


 昼の閉店時間を過ぎてもまだ居続ける梅之介を訝しく思っていると、梅之介は不意に『ここでしばらく働かせてくれないか』と言ったのだそうだ。


「これはあとから聞いたんだけど、事情があって家には帰れなくてね、あいつ。着の身着のままで出て来てたもんだから、財布の中に入ってる数万円の金しか持ってなかった。だから、住み込みで頼むって俺に言ってきたんだけど」


 厨房の隅でもいいから寝泊まりさせてくれと頼みこむ梅之介に、眞人さんは、『急にそんなことを言われても困る』と言った。


「まずは事情を説明してくれって言うんだけど、あいつは妙に頑固でさ。なかなか口を割らないのな。ただもう、真面目に働くから住み込みで置いてくれの一点張り」


 その時のことを思いだしたのか、眞人さんがクスリと笑った。


「で、俺もだんだん腹が立ってきて、『捨て犬じゃねえんだから、そんな簡単に家の中に入れらねえだろうが』って言ったんだ。そしたらあいつ、『捨て犬だと思って拾ってよ』だなんてしゃあしゃあと言ってな」

「ほ、ほほう」


 なんか面白い。身を乗り出して聴いた。

『それなら、犬になれ。俺の飼い犬としてなら置いてやってもいいぞ』

 怒った眞人さんがそう言うと、驚いたことに梅之介は「やった」と言ったそうだ。


「『なにも持ってないから、僕って犬みたいなものだしね。だけど犬より役立つよ』とか言いやがった。そこまで話をしてると、こっちもだんだんまあいいかって気分になってな」


 元々人手が欲しかったということもあり、眞人さんは梅之介を住み込みの店員として置くことにした。顔もよく、(表向きは)にこやかで愛想の良い梅之介のお蔭もあって、店は益々繁盛することとなった。

 いまではすっかり打ち解けて、仲良く暮らしている、と眞人さんは締めくくった。


「すごい始まりですねえ」

「うん。まあ、これも縁なんだろうなあ」


 独りごちるように言った眞人さんはくすりと笑った。


「シロも似たような感じだよな。昨日の晩、すっげえ形相で迫って来られたとき、不思議とクロの顔とダブった」

「あー……」


 『すっげえ形相』という言葉に、消え入ってしまいたくなるほどの恥ずかしさを覚える。酷い状態だった自覚は、十分あるのだ。


「もしかしたら、俺はこの子もこの家に住ませるようになるのかなあって思った。実は」

「え、そうなんですか?」


 思いがけない言葉にびっくりしてしまう。そんなわたしに、眞人さんは頷いた。


「うん。直感、ていうやつだろうな。でもそうやって暮らし始めたクロとはうまくやれてるし、この子とも多分大丈夫だろうな、とも思った」

「それは、何と言いますか……梅之介に、感謝ですね」


 まさか、ここまで親切にしてもらうことができたのが、前例がいたからだったとは。こんなことなら、さっきはもう少し梅之介に優しくすればよかった。


「だから、クロはシロがここに住むことに本気で文句は言えないんだ。自分も似たようなものだから、反対なんてできない」

「はあ、なるほど」


 話している間にジョッキが空になる。

 話も興味深いし、なにより料理が美味しい。進まないわけがない。

 そして、眞人さんは気付いたらふらりといなくなり、新しいジョッキを寄越してくれるものだから、ついつい飲んでしまう。

 ああ、これからご厄介になるというのに、こんなにもお酒に溺れていいのだろうか。だけど美味しい。

 それからわたしたちは、長いことお話をしながら飲み続けたのだった。

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