第39話 過去との邂逅

 最後の船が出港し、待合室が閉まってしまったので、私たちは近くの広場のベンチに座った。少し待っていて下さいと碧生さんは言ってどこかへ立ち去る。……きっと、楓香さんに連絡を入れているのだろう。いったいなんて言うつもりなのか。私と一緒、だなんて言えないよね。……嘘、つくのかな。

 どんな顔をして戻ってくるのだろう。暗い顔をしていたら、私はどうしたら――。


「お待たせしました」


 そう言って現れた碧生さんは、私の心配など杞憂だったかのように優しい笑みを浮かべていた。手には二本のコーヒー。「どうぞ」と、手渡されたそれを受け取ると、碧生さんは私の隣に座った。

 北斗とはこうして並んで座ることはあったけど、隣にいるのは北斗であって北斗じゃない。そう思うとなんだか不思議な感じだ。でも……。

 横顔を盗み見る。当たり前なんだけど、その横顔は北斗そのもので。あの日、海岸で話した時以来の北斗の姿に、胸がギュッと締め付けられる。


「……あの」

「え……?」

「急に引き留めて、すみませんでした」

「いえ……。私も、もう少しこうやって碧生さんと話をしたいと、そう思ったので……」

「そう、ですか」

「はい」


 ぎこちない空気が漂う。でも、それも当たり前だ。お互いに、こうやって話をするのはまだたったの三回目なのだから。

 飲み終えたコーヒーの缶を潰すと、碧生さんは私に言った。


「聞かせてほしいんです」

「何を……?」

「僕が、あなたの住む島にいた頃の話を」

「え……?」

「お願いします」


 碧生さんは真剣な表情でそう言った。

 碧生さんが――ううん、北斗が私の島にいた頃の記憶。

 色褪せることのない、大事な大事な記憶。


「あれは二年前の春のことでした。おじいちゃんが海岸で倒れていた男性を拾って帰ってきたんです。その男性は記憶を失っていて……私は彼を北斗と呼ぶことにしたんです」

「北斗……。それが僕があの島で呼ばれていた名前ですね。あの少年も、それに島の方々も僕をそう呼んでいました」

「はい」


 北斗と一緒に生活し始めた頃のこと、私が北斗を好きになったこと、でもいずれ帰ってしまう人だからと諦めていたこと、両思いだと分かった日のこと。そして――おじいちゃんの死。


「すみません、辛いことを思い出させてしまって……」


 碧生さんが申し訳なさそうにそう言うから、私は「大丈夫ですよ」と微笑む。そう、あの頃のままならきっと辛くて苦しかった。でも……私には北斗がいてくれたから。悲しい時も辛い時もどんな時も北斗がそばにいてくれた。だから、もう泣かない。


「あなたは強いですね」

「そんなことないです。……もしそうだとしてもそれは、北斗が強くしてくれたんです」

「え?」

「……私が立ち直るまでずっと、彼がそばにいて支えてくれたから。だから私は乗り越えることができたんだと思います」

「そう、ですか……」


 私の言葉に碧生さんは、複雑そうな顔で微笑んだ。


「悔しいなぁ」

「え?」

「あなたの記憶の中のぼくは、こんなにも幸せそうなのに――どうして僕はその記憶を失ってしまったんだろう」

「碧生さん……」


 そんなことを、言わないで下さい。

 そんなことを言われたら、まるで私と過ごしていた日々を、北斗として生きていたあの日々を、取り戻したがっているのかと、勘違いしてしまいそうになる。

 島で北斗と過ごしたあの日々は、私にとってそれほど大事な記憶なのだから……。


「……それで?」

「え……?」

「おじいさんが亡くなって、その後は……?」


 黙ってしまった私を促すように、碧生さんは言った。でも、その言葉に私は続きを話すことを躊躇してしまう。

 だって――碧生さんに、伝えてしまってもいいんだろうか。

 北斗との結婚のこと。

 重荷にならないだろうか。記憶喪失の自分と結婚だなんて、気持ち悪く思わないだろうか。

 拒絶されたら、私は――。

 でも、碧生さんは私の迷いなんてお見通しのように、私の首元にかかったネックレスを指差すと言った。


「それ、じゃないですか?」

「っ……なんで……」

「以前は否定されてしまったけれど……。それは本当に、僕の持っているこの指輪と、何の関係もないものなんですか?」


 碧生さんは、ポケットからもう一度あの指輪を取り出した。あの日、北斗が贈ってくれた揃いの指輪。

 それを碧生さんは……指にはめた。


「こうするとね……ピッタリなんです。僕の、左手の薬指に」

「っ……!」

「これは、僕とあなたの――結婚指輪じゃないんですか?」

「どう、して……」

「……僕の話をしてもいいですか?」

「え……?」


 碧生さんは私の問いには答えず、そう言って話しはじめた。

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