第21話

 

『あはははは!君の怒った顔、最高ー!』


 甲高い笑い声と共に、脳内に直接アクラリムの声が響く。


 現在、恐らく50体はくだらないであろうゴブリンの群れのど真ん中。

 前触れもなく現れた闖入者に対してゴブリン達は完全に意表を突かれている。

 今、動くしかない……!


『太ももを狙ってみて。殺さない程度に』


 ナイフを素早く抜いた所で、再び脳内に鬼畜吸血鬼の声が鳴り渡る。


 言われるがまま、周りで呆けていた2、3体のゴブリンに対して、大腿部へナイフを滑らせる。

 悲鳴をあげながら倒れ込む仲間の声で、ゴブリン全体が臨戦態勢へと切り替わる。


 くそっ……!


『大丈夫っ。たとえ相手が100体居たとしても、同時に100回攻撃が来る訳じゃない。君の周りを囲う5、6体が関の山だよ』


 一転して落ち着いたトーンのアクラリムの澄んだ声により、焦る気持ちが押し流されて冷静になる。

 ひとつ息を吐いて精神を整え、戦う為の心構えをする。


 ゴブリンがそれぞれの武器を持ち出したことで、赤い危険領域がいくつも現れた。


『まずは避けることに集中してみようね』


 堰を切ったようにゴブリンが一斉に殺到する。


 背後から危険領域をなぞるようにして突き出された短剣を躱す。

 ナイフによる斬撃を、棍棒による大振りを、

 躱す。

 攻撃のタイミングが揃っていなければ、危険目視により防げる範疇だ。


『大概のゴブリンは筋力が足りず槍よりも短剣みたいな軽くてリーチが短い武器を好むよ。戦闘に特化した個体とかは槍も持つみたいだけどね。まあ、その群れならば囲まれてしまったとしても、君の周りを囲むゴブリンからしか攻撃は来ないと考えていい。』


 なるほど。

 近くのゴブリンだけに集中ってこと、……か!


 四方八方から繰り出される攻撃を、危険目視スキルを用いてなるべく引きつけて避ける。

 一対一での戦いならゴブリンに遅れを取ることはないが、こうも囲まれてしまっていては避けるので精一杯だ。


 ……くっ。

 運悪く危険領域が重なった。

 複数のゴブリンから同時に攻撃が来ちまう。


 ──避けられない!


『渡したスコップを相手の攻撃の軌道に配置して最低限の逃げ道を作ろう。それでも避けきれないなら、防具で弱い所を守ろう。君の敏捷ならやれるさ』


 それは……

 そうだ、見覚えがある。

 昨日のコボルトがやったスコップの先端の広い部分で防ぐあの技だ。


 危険目視の予測通りに振るわれた武器の数々を辛うじて避けているが、避けられない軌道の攻撃が出てくる。


 その攻撃に対し、軌道上に土木作業用の大きなスコップを配置して弾いて防御する。

 どうしても躱しきれない軌道にだけ、金属プレートが入った防刃グローブをかち合わせて命を繋ぐ。


『いいよーいいよー。ゴブリンは同種への攻撃を可能な限り避けようとする習性がある。攻撃を大振りして隙ができたゴブリンや、君が最初に足を痛めつけたゴブリンを肉盾として使おう』


 中々外道なことを言っているが、今は手段を選んではいられない。

 地面を這いずって逃げようとしている個体の腕を掴んで持ち上げると、他のゴブリンが僅かに躊躇いを見せる。


『いま君が同時に相手にしているのは5、6体だけど、壁や柱、その他障害物を背にすることで更に数を減らせるよ。回避し辛くなるというリスクもあるけどね』


 少しでも壁面に近づく為、今しがた掴んだゴブリンを一番壁に近い方向へ投げ飛ばす。

 放られたゴブリンを避けようと、おびただしく密集していた群勢が割れ、小さな道が出来る。

 活路だ……!


「そこをどけッッ!!!」


 大声で相手を威圧しながら、スコップを振り回して突撃し、無理矢理体をねじ込むことで壁面に到達。

 壁に背を預け、ナイフを握る。


 再度赤い危険領域が殺到するも、周りを取り囲まれていた時よりかは数が少ない。

 これなら先程みたいに複数の攻撃タイミングが重なってしまっても余裕を持って捌けるかもしれない。


『そろそろ反撃に転じてみよっか。こっちもきらりんに窓から見える個体を狙撃させるね』


 直後、窓際にいたゴブリンの頭が西瓜のごとく弾ける。

 姿の見えない新たな襲撃者に、ゴブリンが警戒の雄叫びを上げる。


 ナイスだ。

 ゴブリン全体に混乱が広がり、恐怖から浮足立つ。


 ゴブリン同士の連携に僅かなほころびが生まれ、攻撃が更に捌きやすくなる。

 冷静に危険を目視、相手の攻撃の軌道から手の位置を逆算。

 ナイフを相手の武器を握る位置に合わせて振ることで、持ち手を切り裂く。


 手の甲を深く切られたゴブリンは悲鳴をあげて武器を取り落とした。

 同様に1体、また1体と手の甲を刻んでいくと、周りのゴブリンに躊躇いが生まれ始める。

 恐怖が芽生えたか。


 ゴブリンだって人間同様、自分だけが危険に遭いたいとは思わないだろう。


 もし、何十人かの人が山の中で野生の熊に襲われたとして、数人が犠牲になれば逃げられるかもしれないという状況の場合。

 その最初の数人になりたいと思う人間など、きっと居ないだろう。


 ゴブリンにだって恐怖心はあるのだ。

 ならば、その恐れる気持ちをもっと大きく育ててやろう。


 不安と恐怖と怒りが複雑に入り混じった目でこちらを睨むゴブリンに対して、わざと大きくスコップを振り回し、より大袈裟に振る舞おう。

 作為的に大きな音を立ててゴブリンが持つ武器を弾いてやる。


 俺に注目しているゴブリン達の視界の外では、最初に太ももを切り裂かれたゴブリンや投石による狙撃で肉体の一部を欠損したゴブリンの悲鳴が聴こえる。

 その叫びがゴブリン達の心をじわりとじわりと蝕んでいく。


 更にもう1体、新たに手を切り裂かれた犠牲者の悲痛な叫び声により、ゴブリンたちの瞳が揺らいだ。


 芽生えた恐怖心が、ついに花を咲かせる。

 震え戦慄き、群れ全体が恐慌状態へと陥る。


 場を、空気を、支配する。



 好機が到来した。

 今度はこちらから攻める番だ。


 手近に居たゴブリンの武器をスコップで弾き、懐に潜り込んでナイフで一閃。

 腹部を裂かれたゴブリンは絶命するまで大音響の悲鳴を生み、それがさらに恐慌状態を雪だるま式に加速させてゆく。


 恐怖は群れの隅々にまで伝染した。

 もはや彼らは烏合の集に等しい。


 ここまでチームワークが乱れてしまえば、一対一サシで戦っているのと変わりない。

 周囲のゴブリンに対して手当たり次第に致命傷を与えていく。


 最初は真正面から向かって来ていたゴブリン達が、次第に背中を見せることが多くなってきた。

 我先にと逃げ出し始めているらしい。


(戦う意思が無いのなら見逃してやっても───)


『ダメだよ。殺さなきゃダメだ。こいつらは深層心理の奥底まで人間を殺すように刷り込まれている。ほとぼりが冷めれば確実にまた人間を殺しはじめるよ』


『君が今気紛れで見逃そうとしたゴブリンが、どこかで見知らぬだれかの命を奪うかもしれない。その人間は君に殺されたようなものだ。君が殺したようなものだ。こいつらは元々はこの世界には居なかった異物だ。この世界の為に、殺してしまわなければならい。君が殺さなければならない。それが力を持つ者の責務だ』

『殺せ、殺せ、殺せ……』


 迷いが生じた瞬間、狙いすましたかのように吸血鬼もどきからメッセージが届く。

 声しか聞こえないが、きっとアクラリムは向こうでいつもの三日月のような笑みを浮かべているのだろう。


 だが、確かに。

 逃げ延びたゴブリンが仲間を殺されたことの復讐心で、より一層人間を殺すようになるかもしれない。

 一度手を出してしまったのなら、アクラリムの言う通りにするしかない。


 床にいくつも転がる短剣を拾い上げ、背中を見せて逃げようとしたゴブリンに投げ付ける。

 刃は吸い込まれるように、戦う意思なき者の背中に深々と刺さる。


 自分の中で何か大切なものが壊れてしまったような気がしたが、すぐに意識が順応する。

 最早負い目など何も感じない。


 俺は機械のように無心で手足を動かし続けた。


 ゴブリンは恐ろしい化け物を見るような目で俺を見る。

 彼らには俺の姿のが何倍にも大きく、恐ろしく、強そうに見えているのかもしれない。


 戦いを始めた時よりも体が軽いので、実際に強くなっているのかもしれない。

 戦闘中に幾度か力が満ちる感じがしたし、きっといくらかレベルアップしているのだろう。



 気が付けば、立っているのは俺だけだった。

 あれだけ居たゴブリンが全て物言わぬ物体と成り果てて転がっている。


 ずきりと体が痛む。

 無我夢中で気がつかなかったが、いつの間にか体中に切り傷が沢山ついていた。

 極度の緊張状態が解除されたことで、痛覚が戻ってきたのだろう。


 生きている実感が湧かないが、今はその痛みだけが俺が生きている証明となる。



 偶然かもしれないが、上手くいった。

 上手くいってしまった。


 こんな敵の中に単身放り込まれて生き残ってしまうなんて、最早どっちが化け物か分かったもんじゃない。


 ……いや、何か少し引っかかる。


 そうだ、アクラリムには確か未来を書き換えるっていう能力が無かったか?

 まさか、上手く行くように未来を書き換えたというのか?


 思えば、様々な物のタイミングが良かった。


 吉良さんの投石のタイミングも、ゴブリンに恐怖心を刻むのにドンピシャだった。

 いくつもの偶然が重なったおかげでゴブリン達が恐慌状態に陥り、俺が生き残る目処が立ったのだ。


 本当にこの場と空気を支配していたのは、この場には居ないアクラリムだったのではないだろうか。



『おつかれさま。使えそうな武器は回収しようね』


 アクラリムの優しげな声音も、今はなんだか恐ろしかった。

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