第12話

「ごめん、皆。絶対に手は出さないでくれ」


 不安そうな視線を背中に受けながら、なるべく皆が巻き込まれないよう距離を置く。



 危険目視による数多の赤い予測線が空中を走っている。


 屋上は太陽光パネルが敷かれている為、それによる小さな十字路がいくつも存在する。

 その内の一つの交差点の中心に立ち、目を閉じて赤い線を確認していく。


 目を開いた状態だと視界の範囲内しか目視できないが、瞳を閉じると自分の背後まで危険が目視えた。

 赤い線の濃淡から、攻撃が来る順番とタイミングを予測していく。


 俺の死は避けられそうにない。

 ならば、せめて奴が遊び飽きるまで抵抗して、仲間の命が助かる可能性を少しでも高めたい。


 ただ、一つだけ気になることがあった。

 奴が現れる直前まで、危険目視スキルが反応しなかったことだ。

 それは奴が言っていた能力の一つ、未来を変えたってことなのか?

 それとも、これは真の危機を──、


 ……いや、希望的観測は控えよう。

 雑念混じりで持ち堪えられるような相手ではない。



 確か、奴は翼を使わないと言っていた。

 であれば、あいつは自らの四肢のみで戦うということ。

 つまり、赤い線は奴の手足のいずれか。


 赤い線を辿れば、奴が攻撃する瞬間の場所は分かるかもしれない。



 いくつもある予測線の内、背後から俺の心臓を貫く軌道の予測線が、赤黒く染まる。

 最初はここか。


 右後方から伸びているということは、奴は背後に回り込んで右腕で手刀を作り、刺すように突くつもりか。

 冷静に解析出来るのは恐らく最初の一撃のみ。

 あとは必死に避けるだけで精一杯になるだろう。


 反撃するのなら、最初が最後のチャンスかもしれない。



「分かってると思うけど、いくね?」


 律儀に開始の合図をくれた吸血鬼に苦笑いしながら、俺は頷く。


「ああ」


 返答と同時に、コンクリートの床に亀裂を走らせながら、黒翼の少女アクラリムは消えた。


 漆黒まで染まった危険予測線の軌道から、やや右へ身体を捻りながら逃れる。

 振り向きざま、相手の身体が有ると思われる位置へと槍を突き出す。


 賭けだ。


 奴は吸血鬼と名乗った。

 ならば弱点は心臓か首を落とすことかだろうか。


 振り向いた瞬間、衝撃波と爆風が巻き起こる。

 予測線をなぞるように突き出た奴の右腕が、あまりの速度により空気を液体のように弾き飛ばしたのか。


 予測通り。

 俺の放った槍は奴の心臓目掛けて伸びていく。


 時間が希釈される。

 思考が加速し、時が遅延する。


 恍惚とした表情のアクラリムと、目が合う。

 三日月のように歪んだ唇。


 全身全霊の一撃。



 槍は

 アクラリムの心臓直上に到達し

 奴の

 左手の人差し指と中指に挟まれるようにして止められた。



「ッ!?」



 持てる全て力を込めた一刺は、木の棒で分厚いコンクリートの壁を突いたような感触だった。


 止められた。

 びくともしない。


 力に耐えられず、包丁と物干し竿を槍たらしめていたダクトテープがずれ、たわむ。

 槍は分離し、俺の手の中の物干し竿と奴の指に挟まる包丁とに分かれた。



「レベル2にしては良い一撃だったよ。はい、これ返すね」


 奴は何事も無かったかのように、俺の手に包丁を握らせる。


「じゃあ、続けよっか」


 少女が何かを言った気がしたが、最早俺の耳には入らない。

 今ので分かってしまった。


 無謀だ。

 圧倒的すぎる差が存在している。

 まるで巨大な隕石を、プラスチックのバットで何とかしようとしているかのような。


 遠すぎる。



 危険性を示す赤い予測線が、俺を取り囲むように展開される。

 死ぬ。


 心は折れる寸前だが、有り難いことに体はまだ動く。

 ふらりと倒れるように、迫りくる危険領域を辛うじて逃れる。


 アクラリムが屋上の一等頑丈に作られた床に亀裂を残して消えた直後、暴風が吹き荒れ、顔のすぐ横を奴の手が通過する。

 何かの破片に頬を切られたのか、ずきりと痛む。


 避けられたことに喜びを感じているのか、少女は輝くような笑顔だ。


 あれだけ速いのなら、俺の回避に合わせて攻撃箇所を変更できるはずだが、それをしない。

 例えば、右に避けられたからもう一回右に攻撃しようなどと思われたら、速度に付いていけない俺になす術はない。

 超高速の見てから反応は予測の天敵だ。


 要するにこいつは遊んでいる。

 試しているんだ。

 俺の危険目視スキルの性能を 。



「それっぽっちのステータスで良く避けられるね。すごいよ。それじゃあ、もう少しだけ難しくするよ」


 新たに軌道が変化する。

 正面から心臓を狙う一撃。

 横に体を移動させてやり過ごそうとするも、予測線は俺に追い縋るように二叉に別れ、片割れが心臓目掛けて直進している。


「っ!?」


 アクラリムが出現するであろう予測線の先を目掛けて物干し竿を投げ付け、その反動で体を大きく捩る。

 無理な動きに歯を食い縛りながら、耐える。


 現実が予測に追いすがる。

 鋭い手刀による突きを伴った少女が出現。


 投擲された物干し竿を物ともせずに弾き、俺が直前まで居た位置に突きを放つと、間を置かず横へ避けた俺へと追撃。

 ギリギリで回避行動を終えた俺のすぐ横を猛スピードで通過する手刀。


 相手が攻撃をする前に避ける。

 それぐらいでなければ到底回避は不可能な速度。


 幾ばくか寿命を伸ばした俺を嘲笑うかの様に現れる二本の危険予測線。

 諸手による攻撃か。


 さらに、重なる。

 多数の予測線が俺の動こうとした方向に合わせるように浮かび上がる。


 回避、不能。



 先んじて予測していた両手による突きが放たれる。

 それを予め取っていた回避行動のお陰で、間一髪躱す。


 だが、

 この先が分かってしまう。

 詰将棋のように、俺の運命は決まってしまっている。


 続いて振るわれる、右腕による横薙ぎの一閃。

 体勢を崩しながらも上体を後ろに逸らし、首の皮一枚のところで命を繋ぐ。

 避けたと思ったが、僅かに掠めていたらしく、体躯に鮮血で横一文字が描かれる。


「……ッ!」


 攻撃は止まらない。

 危険領域は地面スレスレを覆っている。

 恐らく、少女のすらりと伸びた脚による下段、足払い。


 体勢を崩している現在、この攻撃は跳ばなければ避けられない。

 跳んでしまえば、次に来る一撃は防げない。

 詰みだ。


 しかし、それでも跳ぶしかない。

 包丁を強く握り締め、覚悟を決めて跳躍する。

 少女によって放たれた蹴りは、神話における草を薙ぐ剣のように、低空域を両断する大斬撃と化す。

 足より下方の空気が弾けるように唸りを上げる。


 そして、

 狙い澄ましたかのような、空中の俺の心臓まで達する危険予測線。

 これは、躱せそうにない。


 当たらないであろうが、破れかぶれに包丁を突き出す。

 大人しく殺されるのは性に合わない。

 俺の、ささやかな抵抗。



 奴の手刀が煌めき、予測線通りの軌道をなぞって行く。

 走馬灯というやつなのか、時の流れが緩やかとなり、この一撃だけは視えた。


 脳裏に、俺の人生のハイライトがあぶくのように浮かんでは消えていく。



 回避、


 不可。


 不可。

 不可。



「おやすみ」


 アクラリムの五指が、俺の胸部に突き刺さった。

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