四、稚児の誕生


 私の物書きという妄想の能力を生かして、二種類の稚児の人生をシミュレーションしてみよう。まずは一人の高貴な生まれの少年が稚児になる過程である。


 少年が生まれる。家は武家の棟梁あるいは由緒ある家系の三男。玉のような赤子であった。

 物心つくと父母を敬い、その前では正座することを躾けられる。身繕いは側人に任せる。腰を曲げることは一切許されない。立ち居振る舞いの美しさを厳しく教わる。

 5,6歳で家人、親から論語などの素読を教えられる。あるいは近くの寺院で同じ年頃の少年達と素読、礼儀、躾を教わる。

 家を継げないことより親により寺院に預けられる。教育を受け、長じては家長の補佐、あるいは僧侶としての出世を期待される。

 寺院では学問の他、茶湯、花、歌道、書道、音曲、舞踊を学び、将来を決めるまでは整えられた長髪、水干姿で高僧たちの仕事を手伝うようになる。化粧を習う。指導役の老僧が付けられる。

 数年経ちその容姿と振る舞いは僧や檀家で訪れる者達の目を集めるようになる。恋文で歌を送りつけられる。だが、大人の男がまだ怖く、返事もおぼつかない。高貴な家の生まれのお陰で複数の監視役が身を守ってくれる。

 座主からこれから身の回りの世話と教育を施される上司を与えられる。この僧が将来、少年が僧籍を選べば稚児灌頂の施主となる。

 数年、少年はあらゆる経典を学び、修行し、ついに僧侶の道をゆくことを選ぶ。

 禊(みそぎ)を課され灌頂の条件を満たした少年はある夜、稚児灌頂の儀式を受ける。


 その夜、主(あるじ)の閨にて夜伽をして稚児灌頂を完結する・・・と、言いたいところだが、必ずそうなったかは誰も証言する者がいないので憶測するしかない。まさに秘中の秘なのである。高僧の誰もがそういう道を辿ったなら、なんらかの傍証が出ても良い気がするが、傑出した少年であった親鸞や行基が夜伽をしたお稚児さんだったなどという話は聞かないのだ。

 あるいは稚児灌頂を受けた少年は成人後、資格剥奪され本当は出世出来なかった可能性もある。ある期間だけ夢のような生活を送れる・・・ということが少年達を稚児灌頂に駆り立てた可能性もある。稚児灌頂後の稚児達はどこへ行ったのか?!


 と、ここまでが下級の男色僧の手に堕ちない順風満帆の少年僧、上稚児の経緯だろう。


 一方で出自のよくない、あるいは下働きに売られてきた少年の場合はどうだろう。

 中世では領地争いが起これば人々は逃散し、よその国で捕らえられれば奴隷になるか売り飛ばされる。どこかの掟あるいは講などと呼ばれる武装集団に入らなければ身を守れない。私は網野史観の信奉者なのでそう考える。


 この場合は5,6歳、あるいはもう少し上かも知れないが、それまで特に教育を受けたことがない子である。

 10歳以上に育てば姿かたちによっては好色家の手が伸びるであろう。その大寺院には修行僧だけでなく僧兵、武士団、商人達が毎日出入りしているのだ。無軌道な男のやることを考えれば、身分の低い少年に何が起こるか想像できる。病気・干ばつが頻繁に起きたこの頃のあらくれ者は家、家族など失うものがない者も多かったのではないか。


 中稚児は、私の定義では名ばかりの「稚児」で、地位が比較的高いか要領の良い者ものは寺院で安定した生活が出来ただろうが、そうでない者は「物」同然に扱われただろう。


 中稚児には、学識と後ろ盾が必要な稚児灌頂を受けられる術(すべ)と条件がないのである。ここで注記したいのは、彼らは「生きる」ためにそうせざるを得ないという「運命」にあるということだ。逃げ出すことも奴隷でない限りは不可能でない。だが、逃げ出したらそれこそ他の組織の人間にひどい目にあうだろう。いわば娼婦と同じ「なりわい」であったという可能性もある。


 そういう「中稚児」や、時代を下がるに従って上稚児はいなくなり奴隷のような下働きの少年が増えたことにより、その扱いをたいそうに定義したものが『弘児聖教秘伝私』ではないだろうか。ただしその内容の中に「稚児灌頂を受けてない少年を犯す出家(僧)は三悪道に堕ち、受けた少年を犯す輩は仏果の菩提の証目となる(著者意訳)」などと書いてあるが、辻先生の論文を読むと、この部分が書いてある条は、『秘伝私』の中で「稚児灌頂」に関してたった10行ほどとってつけたように書いてあるようだ。後は前述したお尻の呼び名や指の暗号、閨の作法である。上稚児に対する処遇を拝借して私的メモを格上げしたかったのか。まったくいい加減な「秘伝書」である。



 今東光はこれをはじめて目にした時、書かれた内容よりは「稚児」という存在の間接的証明を得たことに喜んだのではないだろうか。その証拠に指の暗号や閨の作法などの描写は小説の中には一切なく、原文を引用という形であげたのである。

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