15

 宮下と合流した後、ヨドバシカメラに向かった。道中や店内では宮下にばかりしゃべらせることになった。


「高垣君はテレビ買う予定ないの」


「プラズマテレビっていつの間にか消えたよね。実家の居間でアレの五〇型使ってたんだけど」


「本当は三二型くらいほしいけど、予算がなあ。立花の奴、一万しか弁償してくれなかったのよ」


 僕は適当に相槌を打った。宮下は悪い人ではないと思う。けれど、髪を赤く染め、立花らと混ざって手を叩いて笑っている彼のことはどうしても好きになれなかった。


 これがたとえば、Twitterでだけの付き合いだったらよかったのにと思うことがある。彼のそうした顔を知らず、オタクとしての顔とだけ付き合えれば。けれど、現実の人間関係はそう簡単に距離を調整できるものでもなく、僕は彼の嫌な部分を否が応でも直視しなければならなかった。宮下はパナソニック製の二二型テレビを購入し、僕らはテレビの箱を交代で抱えながら宮下の家を目指した。再びJRに乗り込み、吹田駅を目指す。彼のアパートは駅から西に二〇分ほど歩いたところにある公園の裏手にあった。


 宮下の部屋は意外にも片付いていた。背の低い本棚に漫画が行儀よく並んでいる。テレビを置いていたのであろうラックにはHDDレコーダーとPS4が二段に分かれて置かれていた。


「意外だった?」


「まあ」


「俺、福島に住んでたんだよね。地震があってから一度も帰れてないけど。集めた漫画もずっと向こうに置きっぱなし」


 さらっとそんなことを言うので、一瞬聞き流しそうになった。三年前の地震のことは僕もよく覚えている。あの時、僕は昼間からTwitterをしていた。大地震が東北を襲った瞬間、関西でも強い揺れがあり僕は「ゆれ?」などと間の抜けた投稿をしたのだ。するとタイムラインでも次々に揺れの報告がもたらされる。震源は関西ではない。そのことに気づくのに時間はかからなかった。やがて緊急速報が入ってきて、東北で大きな地震があったことが分かった。その際、頭に浮かんだのは宮城に住んでいる僕と同い年のフォロワーだった。津波や煙を上げる原子力発電所の映像、刻一刻と増える犠牲者の数。続々と入ってくるニュースに目の前が暗くなるようだった。一週間後、タイムラインに彼がひょっこり姿を現し自分の周囲では被害が軽微であったことを報告するまでは気をもんだものだ。


「ゲーセンでバイトしてたんだけどさ。ありゃびびったね。筐体が揺れて横倒しになってさ。近くの中学校に避難して、家族と会えたのが夕方だったかな。そのあと屋内退避だって指示が出て、二週間くらい経ったら今度は自主避難しろでしょ。そりゃさあ。いつか実家を出る日が来るのは分かてたよ。でも、あんなかたちで独立するハメになるとは思わなかったな。まあ、生きてるだけでもましだと思わなきゃなんだろうけど」


 僕は何も言えず、テレビの配線をつなぐのを手伝った。テレビが点くと、宮下は「あ、点いた点いた」と大げさに喜び、チャンネルの設定を始めた。


「高垣君さあ。これってもう見た?」


 そろそろ腰を上げようということころで宮下はレンタルビデオ店の袋から昨年公開されたアニメ映画のパッケージを取り出した。


「まだですけど」


「じゃあ、見ていきなって」


 映画となるともう二時間は宮下の家に居座ることになるだろう。終わる頃にはすっかり夜だ。にもかかわらず了承したのは単純に映画が気になったからだった。


 宮下はビールを取り出し、僕に勧めた。映画はクリアな頭で楽しみたいとかもったいぶった言い訳をすると宮下は「かっこいー」とはやしたて、自分一人で缶を開けた。宮下は飲む前から酔っているのかもしれない。「ピザでも頼もっか」と言う彼を止めるだけのエネルギーは僕にはない。渡されたカタログからなるべく安いメニューを選び「本当にそれでいいの」と問う宮下を押し切って注文を確定させた。二人で食べるんだからMサイズでいいだろうに、宮下はLサイズを注文し、チキンとポテトの再度メニューまで付け加えた。


 映画が佳境に差し掛かった頃、ドアをどんどんと叩く音がした。瞬間、宮下の肩がびくっと上下するのを僕は見逃さなかった。


「高垣君は気にせず見ててね」にこやかに言うが、表情がこわばっているのは隠しきれていない。


「はいはい、どちらさま」


「白々しいこと言うなよ。誰かなんて分かってんだろ」


 若い男の声だった。


「なんだよ、兄貴。いま客が来てるから後にしてくれない?」


「後ってお前、薄情だね。実の兄貴をこの寒空の下で待たせようっての?」


「どっかの店で時間つぶせばいいだろ」


「馬鹿、お前。その金がないから来てんだろ?」


「知らないよ。俺、今月余裕ないから」


「開けないとここで俺のロック魂が火を噴いちゃうよ? このアパートの皆様方にロックの神聖さを啓蒙しちゃうけどそれでいい?」


「分かったよ」


 宮下はしぶしぶドアを開けた。そこに立っていた男は宮下と同じくらい小柄で、レザージャケットをまとい、髪を真っ青に染めていた。


「なんだ、ホントに客いるじゃん。ちーっす」


「兄貴、用があるなら早く……」


「お前、人前でこういうの見ちゃうの? っていうかアレか。君、もしかしてオタク友達的な?」


「兄貴……」


「とりま、三万貸してくれる?」


「何に使うんだよ」


「見りゃ分かんだろ。スタジオ借りるだろ。そこでロックの神さまを震わせるようなセッションをするだろ? そっから崇高なるバンドの同志たちと打ち上げよ。ほら、見ろ。三万なんて簡単に消えるぞ」


「たまには他の人たちに出してもらってくれよ」


「馬鹿、お前。俺、リーダーよ?」


 宮下兄はそれが十分な理由になるかのように言った。


「リーダーが弟に金をたかるのかよ」


「分かってねえな。これだからロックの神さまを信じない奴はイケねえ。信心深い連中は俺たちの演奏がくそったれなくらいアメージングでくそったれなくらいすぐ分かるんだがな。いいか、愚かな弟よ。これは先行投資だぜ? 俺たちはいずれメジャーに打って出て、この国にロックの神さまへの信仰をあまねく広めるんだ。そうなりゃ俺たちは神官よ? そうなりゃお布施ってものががばがば入ってくるでしょうが。世間ではそれを印税って言うらしいがな。そのときにはこの程度の貸しは何倍にだってして返してやる」


「そんなの信じられるかよ。兄貴のバンド、しょっちゅう方向転換するし一向に芽が出ないじゃんか。ていうかクスリでパクられたドラムの代わりは見つかったのかよ」


「お前は物事の悪い側面しか見えないんだな」


「どれだけ良い面があったって、これだけ揃えばもう致命傷だよ。ロイヤルストレートフラッシュだよ。なあ、兄貴。頼むから普通に働いてくれって」


「お前もすっかり俗塵にまみれちまったなあ。俺と一緒にロックの洗礼を受けた頃のお前はどこに行っちまったんだ?」


「知るか」


「どうあっても、ロックの神さまにお布施する気はないんだな」


「当たり前だ」


「そうかそうか。よく分かったぜ」


 宮下兄が宮下のみぞおちに拳を入れた。宮下の口から「ぐふう」という音が漏れる。


「お前さあ、テレビは買って兄貴の面倒は見ないわけ? なあ、普通どっちが大事よ。テレビと実の兄貴。どっちが大事よ」


「兄貴は普通じゃない」宮下がうめきながら言う。


「そうだな。俺は普通じゃねえ。普通の奴はロックの神さまに選ばれりしねえからな。だがなあ、弟よ。だったらいっそ兄貴の方が大事じゃないか? 普通どころかくそったれなくらいビッグな兄貴の方がよ」


「兄貴はただのくそったれだよ。でかいのはくそだけだ。いまだから言うけど家族はみんな兄貴の後でトイレに入るのを嫌がってた」


「この国もいずれ、俺のくそにでも金を払うって奴でいっぱいになるだろうぜ。なんならここで一発ひろうか?」


 宮下兄がベルトに手をかけたところで、宮下が言った。


「分かった。分かったよ」


 財布から三枚抜き取り、自称ロックの神官に渡す。


「まったく最初からこうすればいいのによ。なあ、弟よ。お前はいま善行をした。ロックの神さまはちゃんと見てるぜ。ギターをかき鳴らす手を止めて、五線譜の端っこにお前の名前をメモしたはずだ。報われるべき人間の名前を忘れないようにな」宮下兄はげらげら笑った後、僕の方を向いて言った。「君の方からも弟がロックの神さまに祈りをささげるように言っといてくれ。後、お布施の方もな」


 ロックの神さまに選ばれた男は、ピザを一枚ひったくると、それを一気に飲み込んだ。ドアノブを握る前に、ピザの油分でべとついた指をしゃぶったのは彼なりの気遣いだろうか。いずれにせよ、帰りに宮下からティッシュを借りようと思った。


「シーユーネクストタイム。われらが神聖なるバンド、ビッグベン・ブラザーズをよろしく」


 そう言ってビッグな便のギタリストは去っていった。

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