遅咲き鬱金香(チューリップ)の花咲く日

白妙 スイ@書籍&電子書籍発刊!

麗人の小説家

 花のようなひとだと思った。たとえるならば、春の野に揺れるたおやかな一輪。



 今日の寺子屋はがやがやと賑やかだった。「偉い先生がいらっしゃるんだって」「文学者様だって」などと子供たちが会話している。

 普段から子供が集まる場所であるので賑やかではある。この町の寺子屋で学びをしているのは、六つから十二までの子供たちだ。

「良い子にしていましょうね。先生のお言葉をきちんと聞かなくては」

 ぱんぱん、と手を叩いて子供たちに言い聞かせた、金香(このか)。毎日のように一緒に過ごしているだけあって、子供たちは、はぁい、といい返事をする。

 金香がこの寺子屋に勤めてから随分長い。寺子屋に入ってからずっと面倒を見ている子もいるくらい。

 子供たちも金香の言うことは素直に聞いてくれる。

 すべてではないが。

 やんちゃ盛りなのだから仕方がない。子供とはそういうものだ。

 おまけにやはり世の常として男のほうがどうしても立場が強いだけあって、男の子などは「女教師なんて」と反発してきたりもする。歳を重ねて、寺子屋卒業くらいの年頃になればそれも顕著になってくる。

 でもそれも仕方のないこと。本当は男だとか女だとかに関係なくわけ隔てなく接するような大人になってほしいのだけど。しかしそれもなかなか難しい。

 金香はじめ、子供たちを教育しているのは、寺子屋の大人たちだけではない。勿論、その子たちの家族である。

 やはり両親や祖父母、きょうだいといった家の者の影響のほうがどうしても強い。その領域はどうにもできないだろう。

 子供たちのすべてを思うように育てることはできない。この仕事について長いのだ。金香もそう割り切るようになっていた。

「巴(ともえ)さん。先生がいらっしゃいましたよ」

 口ひげをたくわえた、寺子屋の校長が金香の上の名前を呼びながら、引き戸を開けて顔を見せた。

 さすがに校長が顔を見せれば、子供たちはおとなしくなる。口ひげを生やして優し気な笑みを浮かべていることの多い、初老の校長。名は小佐田(おさだ)という。見た目は優し気なのだが……いったん子供を叱責するとなれば、容赦ない。

 校長室に呼ばれ、正座をさせられ、眉を吊り上げた鬼の形相で雷を落とされる……だけではない。

 ときには罰も与えられる。校内の掃除だの、校長や教師役の手伝いなど。

 それも簡単なものではない。夜まで及ぶこともあったし、数週間言い渡されることもある。ただ、罰則を与えることはあったが、お尻を叩く以上の体罰を加えることはないひとだ。そこは大変紳士的であるといえた。

 子供たちにとっては脅威であることに違いはないのだけど。

「はい! こちらは大丈夫です」

「よし。……お待たせしました。先生、こちらです」

 金香の返事に校長が答え、するりとなにか良い香りが入ってきた。

 これは香?

 そのひとの姿を見る前に金香が感じたのは、それ。

 鼻腔に心地よい香りの次に感じたのはやわらかな空気と落ち着いた声。

「お邪魔します」

 たったひとことだったのに子供たちはぴんと背筋を伸ばして彼に見入ってしまう。

 それほど『彼』の威厳は強いものだった。

 威厳なんてどこからきているのかわからない。だって彼はとてもうつくしい姿をしていたのだから。

 深い茶色をした髪は長く、髪紐でくくられている。

 顔立ちも整っていた。たれ気味の優しそうな目元の真ん中にあるのは焦げ茶の瞳。とてもあたたかい印象をまとっていた。

 ひとこと言われたその低めの声と高い身長が無ければ女性と言っても通ってしまうかもしれないほどうつくしいひとだった。

「皆。こちらが源清先生です。小説家をされている方です」

 彼が教壇の中心に立ち、続いて校長が入ってきて隣に立つ。校長が彼を示して紹介した。

「源清麓乎(げんせい ろくや)といいます。小説や詩歌を書いております」

 続いて彼が言った。先程のひとことに続く発声だったがその声もやはり低く、しかしやわらかくあたたかな響きを帯びていた。

 耳から入ったその声にしばし聴き入ってしまい、金香はそこではっとした。声に聴き入ってしまうほど彼に見入ってしまっていたことに気付く。

 しかしそれは男の人というよりも性別を感じさせない麗人を見たという感覚に近かった。ゆえに金香は、ほっとしていた。……大人の男性は、あまり得意ではなかったので。

「先生のご本を読んだことがある子はいるかな?」

 校長が質問する。はい、と手をあげたのは一人の女の子。

 来年寺子屋を卒業する、十二になったばかりの子だ。名を瑠衣(るい)という。

 本が好きで、その点で金香とよく話すことがあった。

 瑠衣は教室の中で自分だけが読了していたことを誇らしく思ったのだろう、「『流れゆく侭(まま)に』を読みましたっ」と、堂々と言ったのだが。

「ほう。嬉しいな。少し難しくなかったかい?」

 ふっと、源清先生が笑みを浮かべて瑠衣を見た。その笑みにあてられたように、瑠衣は顔を真っ赤にして一気にしどろもどろになってしまう。

「え、えっとっ、難しかったですけど、楽しく読みました!」

 ふふ、女の子らしい。

 金香は自分も『年頃の女の子』に入る部類であることを棚にあげて、むしろ微笑ましく思った。

 このように綺麗な男の人に笑顔と好意的な言葉を向けられたのだ。男性を意識してくるような年頃の女子には、少々刺激が強いかもしれない。

 しかし自分が『年頃の女の子』であるという自覚は、金香にはあまりなかった。

 むしろ『年頃の女の子』。

 そういう存在であることはあまり嬉しくない事実、むしろコンプレックスともいえる事案であったために、そう思わないように無意識にしていたのかもしれない。



 そのあと少し子供たちとやりとりし、そして講義へと入った。

 今日の講義は、小説家の先生を招いたのだから勿論作文だ。源清先生の出した題で、三十分程度の短い作文を書くことになった。

 金香はあらかじめ用意していた半紙を子供たちの机に配る。子供たちは持参している鉛筆をそれぞれ出し、課題へと取り組んだ。

 題は『大切な人』だった。

 文机の並ぶ間をゆっくり見て回っていた源清先生が、ふと足を止めた。

 なにか、と金香が思ったときに、その机の前に座っていた男児の前に先生が膝をついた。

「少し持ち方が歪んでいるね」

 それはまだ寺子屋に入って一年と少しの男の子だった。十にも満たない。

 先生は手を伸ばしてその子の小さな手に触れて包み込んだ。

「こう持ってご覧。はじめは書きにくいかもしれないが、慣れれば書き良いよ」

 実際に鉛筆を動かしてみて、鉛筆の持ち方を直してやる。男児は素直に「はい」と返事をして、先生の手が離れてからも、正しい持ち方で鉛筆を持つように頑張っているのだろう、拙くも手を動かしはじめた。

 あの持ち方の歪みに、ちらっと見ただけで気が付くとは。

 金香は驚いた。

 あの子はもともと書くことにあまり慣れていないようで、持ち方にクセがついてしまっていたのだ。

 しかし金香やここに勤める大人たちが気付いたのは、つい最近のことだったのである。

 ここで開かれるのは、文字を書く講義だけではない。そして子供は少なくないのだ、全員をしっかり見ることはやはり無理がある。

 寺子屋では何ヵ月もかかったことを、一瞬で。

 けれどすぐに思った。

 小説家の先生だ。こんなこと当たり前なのかもしれない。

 小説家というのはなにも頭の中のことを文字にするのだけが仕事ではないのだ、と金香は感心した。鉛筆を、ペンを、筆を持ち、それを紙に滑らせること。

 それも大切なプロセスなのだろう。

 なにを書くかずっと悩んでいる子。

 夢中で紙の上に覆い被さるように一気に書く子。

 考え考え書くのか少し書いては空を見て眉根を寄せる子。

 作文の様子は十人十色だった。

 源清先生はゆっくりと文机の間を一周し、教壇前に戻ってきた。

 子供たちに課した三十分はまだ半分も終わっていない。

 校長は引き戸の前まで引いて教室の様子を見守っていた。

 そして金香はこのあと完成するであろう子供たちの作文の発表と添削の準備をしていた。赤い鉛筆、漢字を教える辞書や教科書。使うであろうページを開いて付箋を付ける。

 声がかけられたのは、教科書のあるページに金香がしおりを挟み込んだときだった。

「きみもなにか書いてみるかい」

 一瞬、それがなんだったのかわからなかった。話しかけられたのだとは思わなかったので。

 座っていた文机から顔をあげると、源清先生が腰をかがめてくださるところだった。

「え、わ、私は」

 その仕草が威圧的にならぬように視線をなるべく近づけようとしてくれたのだ、ということを知ってどくりと心臓が高鳴った。

 それだけ言うのが精一杯。

 そもそも男の人とこれほど近くで会話をすることがあまりない。

 寺子屋の教師でも男性はいるが皆、歳を重ねていたうえに妻子持ちであった。なので金香にとっては『近しい親戚など』のような感覚であったのだ。

 しかしこのひとは違う。外の人だ。町中ですれ違う、若い男性と同じ。

 源清先生の年齢をこのときの金香は知らなかった。

 しかし外見だけでも、三十にもまだ届かぬ若い部類であることはわかる。結縁しているかはわからないが。

 おまけに彼はとても美しいときている。そのような人に声をかけられれば、落ち着けというほうが無理であった。

「添削の準備もそうかからないだろう。ひとつ、試してみておくれ」

 源清先生がわざわざそんなことを言った理由がそのときの金香にはやはりわからなかった。

 ただ、まっすぐに見てそのように要求されたことにどぎまぎとしてしまう。

「巴さん。やってみてはいかがかな」

 少し離れたところから校長の優しい声が届いた。先生の言葉を後押しするようなもの。

「子供たちを見るのは先生と私がしよう。せっかくだから試してみては?」

 そこまで言われてはむしろやらないわけにはいかないではないか。

「はい、では、お言葉に甘えまして」

「有難う」

 金香の返事は先生のお気に召したらしい。平易な声ではあったが確かに嬉しそうに言われた。

 腰をかがめてくれていた先生が離れるとき。

 また、ふわっと香りがした。

 今度ははっきりとわかった。

 白檀の香りだ。

 近付いていた距離にまた金香の心臓が高鳴った。

 そのまま先生はまた子供たちの文机の間をゆっくり回る仕事に戻ってしまう。

 その背をつい目で追ってしまって、数秒してはっとして金香は自分に恥じ入る。

 少し声をかけられたくらいで視線を送ってしまうなど。

 時間はあまりない。気を遣ってはいられない。

 金香は教科書やノート、鉛筆、ペン、そして私物以外の教材などがある棚に手を伸ばした。

 そこから出したのは子供たちと同じ、なんの変哲もない半紙。一枚取り出して自分の文机に乗せる。

 文字を書く準備も整い金香は少しだけ意識を教室から自分の脳内へと集中させた。

 与えられた題は、『大切な人』。

 どう生かそうか、と考えるところからはじまる。

 金香は文を書くのが好きだった。

 それはもうずっと、子供の頃から。

 勤める前、自分が寺子屋に通う生徒の頃からそうだった。

 自分の頭の中のことを、文字に、文章にすること。たまらなく楽しいことだ。

 だから、嬉しい。

 小説家の大先生が「書いてご覧」と言ってくださったことが。

 まさか自分がものを書くのが好きだとご存知だったわけでもあるまいに。

 先程の緊張はどこへやら、金香の意識はすっかり楽しいほうへ傾いてしまった。

 『大切な人』。

 金香にとっては寺子屋のひとたちがそれであった。

 そのひとたちをどう魅力的に表現しようか。

 自分がどれだけこのひとたちを大切に思っていることを表現しようか。

 頭の中に浮かんだことをそのまま書きつけていく。すぐに金香の意識は書き物に吸い込まれた。

 頭の中の文字をどれだけ早く的確に鉛筆に降ろすか。思いつくほうが書くよりも早くあるゆえに。

 それは少々の焦りもあれど楽しい作業だ。

 書くことに集中する金香を子供たちの文机の間から源清先生が数秒見つめていたことに気付くよしもなかった。



 ときおり顔をあげて時計を見遣っていた金香は、きっちり三十分が経つ少し前に鉛筆を置いた。

 書いていた時間は十五分ほどだったであろうか。書いた半紙は二枚と少しになっていた。

 時間の少なかった割にはなんとか格好がついたと思う。

 即興で書いたものを小説家の先生に見せるのは少々ためらわれるのだが精一杯書けたと思う。

 そしてこれはいったん置いておいてまずは子供たちの書いたものを見てやる仕事に入らなくてはいけない。

「三十分だね」

 金香の視線と同じタイミングで源清先生が言った。彼も彼で時間を気にしてくれていたのだろう。

 終了を告げる先生の言葉にほっとしたようで子供たちは途端にがやがやと話しはじめた。周りの子らとお喋りをはじめたが、これでおしまいではない。

「はい、では順繰りに発表していきましょう」

 ぱんぱん、と校長が手を叩いた。

 流石校長である。

 子供たちは元通り、静かになった。

「はしから音読です。そのあと先生に文字を見てもらいましょう」

 普段は金香が添削をするのだが、今日その役目は源清先生だ。

 ご参考にしなければ、と金香も指導の様子を見せていただく気、満々であった。

 自分の添削は所詮素人仕事である。

 本業の小説家の先生は、どこをどう指摘するのか。

 仕事としての本題からずれてしまうとは思うのだが、今日ばかりは子供たちの書いたものよりもそちらが気になってしまった。

「わたしの、たいせつなひとは、おかあさんです……」

 一番はしの男の子が立ち上がり、掴んだ半紙を視線の高さまであげて緊張した固い声で読み上げていく。

 そう長い文章ではなかった。

 むしろ短い。半紙の半分にも至っていないようだ。

 年齢も違えば得意なことも違う子供たちが同じ教室にいるのだ。差異は相当ある。

 つっかえつつもなんとか読み終え、その子は安心したようにすとんと腰をおろす。周りの子たちが、ぱちぱちと拍手を送った。

 隣についていて穏やかな笑みを浮かべて聞いていた源清先生が、文机に置かれた半紙を覗いて指を指す。

「ここの『お母さんは、ちゅーりっぷのように笑います』。このたとえはとても良いね。きみの中でお母さんがどんなに魅力的に映っているかを表している」

 褒められてその子は顔を輝かせた。頬を紅潮させて頷く。

「直すところはそうだね……書くときに、文字の行をあけるともっと読みやすくなるよ」

 このくらいと赤鉛筆でしるしを入れてくれる。

 確かに文章として見た目が良くなるほかにも音読の際に読みよくなるだろう。

 そういうところまで考えて指導してくれるのか。はたで見ていながら金香は感銘を受けた。

 そのあとも源清先生の指導はとても穏やかだった。

「字が整っているね」

「文章の調子がとても良いよ」

「気持ちを丁寧に描写されている」

 必ず良い点を挙げてくれ、そのあとに直したほうが良い点を伝えてくれる。

 ひとつの指導を入れるためには同じかそれ以上の美点を伝えたほうが子供たちも受け入れやすいだろう。

 単純な話かもしれないが、実感として感じさせてくれるような添削であった。

 すべて見終える頃には一時間ほどが経っていただろうか。

 しかし子供たちは飽きることなく静かに聞いていた。

 珍しい。常ならばこのような静けさが続くことはない。

 今日のそれは先生の説明がわかりやすかったからか興味を引くものであったからか。もしくは先生の持つ穏やかな、しかし凛とした空気のためだろうか。

 このひとはまるで師として人を導くために生まれてきたようなひとだ。金香にそう思わせてしまうほどに。

 ただし源清先生の本業はあくまでも『小説家』である。『教師』ではない。ゆえに今日だけの出張授業。

 今日だけ特別、であるのを金香は少し残念に思ってしまった。

 このひとがいてくれたらもっとこの寺子屋の勉強も楽しくなるのに、などと思ってしまったがゆえに。

 しかしすぐに撤回した。

 いえ、それでは駄目。今日の指導を参考に、私が同じように、……は無理かもしれないけれど、出来る限り近づけられるような指導ができるようにならないと。

 金香は自分に言い聞かせた。

 それでもそのときにはすでに、源清先生がこの寺子屋にきてくださり、指導をしてくださるのが今日限りであることを惜しむ気持ちが生まれていた。



「さて、最後に巴さんの作を聞かせてもらおうか」

 すべての子供の添削が終わり、源清先生は楽しげにも見える様子でこちらを向いた。

 そうなるとは思っていたけれど。

 緊張していた。

 まるで大トリ。

 教師の真似事をしている以上その立場になって然るべきであると理解していたが圧はどうしようもない。

「拙作にて恐縮ですが、謹んで読ませていただきます」

 立ち上がり、子供たちがしていたように半紙を視線の高さまで持ち上げる。

「わたくしの大切なひとたち。それはこの寺子屋に集うひとたちです」

 読みながら自分が寺子屋の生徒であった頃のことを思い出した。

 その頃の師が源清先生であったらどんなに良かっただろう。そうしたらもっと学びが愉しかったかもしれない。

「勿論、ときには手も焼かされます。この間などは、悪戯小僧に鶏小屋に閉じ込められて、閉口しました」

 そこでくすくすと笑いが起こる。勿論、『悪戯小僧』の犯人とその周りの子らである。

「それでも師たる大人に叱られれば自分のおこないをきちんと反省し、同じことは繰り返さない、素直な子たちです」

 しん、とした。

 金香がふざけたあとに褒めてくれたことが伝わったのだろう。

 先程の『悪戯小僧』はとりわけくすぐったそうにもじもじとしていた。

 そのあとにも少しエピソードが続き、「わたくしは大切なひとたちと過ごせるこのときを、大変幸せに思います」と結んだ。

 一拍おいて子供たちからぱちぱちと拍手が起こる。それは素直に「感心した」という様子であったので金香は、ほっとした。

 良かった、教師見習いとしては及第点のようだ。

 つい源清先生のほうに視線をやってしまい、そして。しっかりと目が合ってしまった。

 ぶつかるようにぴたりとひとつになり、どきりと金香の心臓が高鳴る。

「緩急がつき、よくまとまっている。面白くもあったね。皆にもわかりよかったのではないのかな」

 子供たちを見やった源清先生に子供たちは口々に「わかった!」「良かった!」などと言ってくれる。

良かった、子供たちの前で読むのだからと、敢えて難しい言い回しは避けたのだが、それは評価してもらえたようだ。普段はもう少し硬い文体で書くのだけど。

 しかしそれよりも問題なのは、先程合ってしまった視線だった。

 優し気な焦げ茶の瞳に一瞬ではあるが見つめられて、まるで火をつけられたように感じる。

 頬が熱かった。色として出ていないことを願うしかない。

 そして別のことにも恥じ入った。

 読み終えたあとまるで先生の評価を求めるように源清先生を見やってしまったこと。

 なんと子供っぽい仕草だったことか。

 堂々と読み終わり、堂々と着座しなければならなかったのに。

 自分の未熟さを露呈したも同然ではないか。金香の葛藤は勿論知られることなどなかっただろう。

「巴さんの文字については、あとで見よう。……校長先生」

「はい。では、今日はここまでです。皆、起立してまず源清先生にお礼を言いましょう」

 そのあとは校長が仕切ってくれた。それに場を任せながら金香は思った。

 確かに今、自分の書き文字について見て貰うと子供たちはほったらかしになってしまう。源清先生の提案は理にかなっていた。

 あとで見てくださることに頬が熱くなってしまった。

 それは小説家としての大先生に見てもらえるのだという高揚なのだと金香は自分に言い聞かせるしかなかった。

 先程の焦げ茶のあたたかな眼差しはしっかり胸に焼き付いてしまったけれど。

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