02 運命の人 1


 私が足を向けたその人だかりの中心にその人物はいた。


 絹糸のような繊細で柔らかな金髪。まるで夕焼けを閉じ込めたような瞳はとても優しい眼差しをしている。可憐な少女のように顔の線が細く、どこか儚げだ。しかし、時折見せるはにかんだ様な笑みは、まさに絵に描いたような王子様だった。


 いや、絵に描いたような王子様ではない。

 彼は第3王子、シヴァルラス・ヘリオライト。本物の王子様だ。


(生シヴァルラス様キターーーーーッ!)

「クリス、声がうるさい」

(はっ!)


 我を忘れて叫んでいた私は、2号を抱え直した。


 危ない危ない。気を抜いていたらジェットに余計な事までバレてしまう。私は落ち着きを取り戻すと、改めて令嬢達に囲まれているシヴァルラスに目を向けた。


 彼は全力でアピールする令嬢達の相手をしている。その熱烈なアピールに少し気圧されているのが遠目からでもわかった。


 しかし、私はそんな彼の姿を見て胸の奥が熱くなる。


(ああ、最推しが目の前にいるっ! それもまだ幼い顔立ち、華奢な体格。触ったら折れそうっ! ああ、髪もほっぺたも柔らかそう……推しの子どもの姿を生で見られるなんて……完全永久保存版決定っ! 脳裏に焼き付けるのよ、私!)


 自分でも訳が分からない事を口走っている自覚はある。しかし、オタクが最推しを目の前に落ち着いていられるはずがない。もしここが前世の私の自室だったらベッドの上でゴロゴロじたばたしていた事だろう。


(見ろ、人類よ。最推しが呼吸をしている。口と鼻から酸素を取り入れて二酸化炭素を排出している。最推しの二酸化炭素が原因で地球温暖化になっても私は許せる。今すぐ私は最推しが吸い込む酸素を作り、排出する二酸化炭素を取り込む植物に私はなりたい。この際、葉緑体でも構わん。私は何を言っているんだ)


 なお、ここまで一息である。


 一時的に冷静になった私は、こちらを見つめるジェットに気づいた。


 赤い瞳をやや不機嫌そうにしており、拗ねた子どものように唇を尖らせている。


 彼がそんな顔をするなんて珍しいと思いながら、2号の頭に触れた。


(ジェット、どうしたの?)

「べっつに~っ! さっさと挨拶してきたら?」

(でも、あんな中に行くのは難しくないかしら?)


 シヴァルラスは令嬢達で築き上げられた厚い壁によって囲まれている。その中に割って入るのは小柄な私には少し難がある。


「しょうがないなぁ~」


 ジェットはそういうと、人差し指をくるくると回し、指の腹の上に小さなつむじ風を発生させる。


 ふぅっとそのつむじ風に息を吹きかけると、庭園にさぁーっと風が通り抜けた。


 その風はシヴァルラス達に吹き付け、少しだけ隙間が空いた。


「ほら、今だよ。いってらっしゃい」

(ありがとう、ジェット!)


 私はシヴァルラスへと足を向けると、周りの令嬢達が私の存在に気づいた。


「え、誰?」

「お人形さんみたい」


 そう呟く声が聞こえ、令嬢達がクリスティーナの為に自然と道を開けた。


 私は彼の前に来ると、彼は一瞬驚いたように目を見開いた。そして、少し戸惑いがちに微笑みかけてくれる。


「お茶会にきてくれてありがとうございます。君は……」


 私はドレスのすそさばいて礼をする。


「お初にお目にかかります、シヴァルラス様。私はセレスチアル侯爵の娘、クリスティーナと申します。本日はご招待してくださりありがとうございます」


 私は練習してきた通りに挨拶をすると、彼は「ああ」とどこか納得したように頷いた。


「セレスチアル侯爵家の御令嬢でしたか。貴方のお父様やお兄様にはお世話になっています。どうぞ、お茶会を楽しんでいってください」

「ありがとうございます」


 無事に挨拶を済ませた私は、不自然に思われない程度に颯爽とその場を離れる。


 そしてお茶会が開かれている場所から少し離れた所へ行くと、2号を抱いていた腕に力が入り、ぐしゃりと2号の首が曲がった。


(生シヴァルラス、最高―――――――――ッ!)


 私は声にできない分、心の中で叫び声を上げた。


(最推しが超良い匂い! 声変わりしてない声が最高に可愛いッ! はにかんだ笑顔が! 眩しい! よく耐えきった私の眼球! よく溶けなかった我が肉体! もう今日の私の仕事は終わった! 淑女の仕事は終わった!)

「クリス、声がうるさい」

(へ?)


 声が聞こえた方へ顔を向けると、すぐそこにジェットの顔があり、目を見開いた。


「きゃぁあああああっ! じぇ、ジェット! 一体いつからそこに⁉」


 驚く私を見て、ジェットはやれやれと呆れたようにため息をついた。


「生シヴァルラス最高って叫んでた辺りから」

「最初からじゃない⁉ 声を掛けてくれたらよかったのに……」

「声はかけたよ。君が聞こえてなかっただけ。まぁ、憧れの王子様との対面は良かったようで嬉しいよ~っ!」


 ジェットはさっきとは違い、とても上機嫌だ。それに何か違和感を覚えると彼はそのまま言った。


「もうちょっと長く会話してたら、イイ感じにちょっかい出してあげようかなって思ったんだけどなぁ~」


 彼の手には2種類のジュースが握られている。いい感じにちょっかいを出すって、こちらに引っ掛けるつもりだったのだろうか。どちらも引っ掛けられたら汚れを落とすのが大変そうだ。


「私と殿下にジュース引っ掛けるつもり?」

「2人きりになるチャンスを作ってあげようと思って。いや~、あの王子様の前でボロを出す君が見たいなんて思ってないよ?」


 絶対嘘だ。私はそう確信した。


「それより早く会場に戻ろうよ。ボク、お菓子食べたいし、お友達作らないとクリスママが『うちの娘は友達がいない』って新たな悩みの種ができちゃうよ?」

「うっ」


 心配する母の姿がありありと浮かんでしまい、私は言葉を詰まらせてしまった。


 最推しに挨拶をした事にもう満足してしまったというか、やり切ってしまった感がある。


「が、頑張らないと……」


 ゲームのクリスティーナには人数はかなり限られているが、友達がいる描写はある事にはある。しかし、正直な話、私はその友人達に関わりたくない。


(で、でも……お母様を心配させるわけにはいかないわ! ゲームとは関係のない女の子のお友達を作らねば!)


 そう意気込んだのはいいものの。庭園に戻った私は1人でクッキーをかじる事になる。


(みんな、玉の輿願望ありすぎだろ!)


 令嬢のほとんどが争うようにシヴァルラスと会話をしている。他の令嬢はもうすでに仲の良い友達や気の合いそうな相手同士と固まっていて、私が入る隙が見当たらない。だからといって、男の子の輪に入るわけにもいかなかった。


(詰んだ……そもそも前世でも友達が多い方ではなかったのよね……)


 隣の悪魔はニコニコしながら、1口サイズのパイを食べている。


「いやぁ~、君に友達はできそうにないねぇー」

(嬉しそうに言わないで!)

「そう怒らないでよ。でも、惜しいなぁ~……君なら王子の婚約者に余裕で選ばれるでしょ? なんですぐ戻ってきちゃったの? あ、クリス。あのケーキ食べたい」

(はいはい……)


 私がミニケーキを皿に取ると彼はこっそりと食べる。


(何度も言うけど、私は選ばれないわよ)

「クリスは完璧な淑女だよ? それはボクが保証してあげるよ。自信がないの?」


 確かに私は完璧な淑女ドールを目指している。しかし、それが仇となるのだ。


(……高嶺の花は、届かないからこそ、高嶺の花なのよ?)


 このお茶会で彼は婚約者を選ぶ事はない。なぜなら、彼は自信の無さから綺麗で愛らしい令嬢に気圧されてしまうのだ。


 『センチメンタル・マジック』では、各攻略対象にテーマが存在する。


 シヴァルラスルートでは『嫉妬』がテーマだ。

 シヴァルラスの兄達はそれぞれ秀でた才能がある。


 好きなものにのめり込むだけのめり込む頭脳明晰な変人の長男(お兄様の類友)


 剣術、武術ともに優秀で筋肉は全てを解決すると思い込んでいる脳みそまで筋肉な次男。


 ある意味才能溢れる2人の兄と比べて、彼に突起した才能はない。強いて言えば優しさがあるのだが、それは才能とは呼べない。


 それ故に、綺麗で愛らしい、そして才のある令嬢を遠ざけてしまうのだ。


 そんなシヴァルラスに恋をしたクリスティーナは彼に釣り合う女性になるべく、完璧な淑女を目指すのだが、それが全て裏目に出てしまう。


 だから、私が完璧である限り選ばれる事はないのだ。


(といっても、我が家の変態父兄が「うちの娘はめちゃくちゃ可愛くてなんでもできる小さな淑女リトルレディだ」と言いふらしまくっているおかげで国王陛下の耳に留まって私は婚約者候補という形で収まるのよねぇ……可哀そうに、クリスティーナ……)


 何も知らないジェットは「高嶺の花ねぇー」と首を傾げた後、赤い瞳をきらりと光らせる。


「まあ、君に友達が出来なくても、ボクがいてあげるし! それに君に嫁の貰い手が現れなかったら、ボクがどうにかしてあげるから、心配しないで?」


 天使のような笑みを浮かべる悪魔に私は苦笑する。


(具体的には?)

「君がボクに魂を差し出してくれるなら、一生可愛がってあげる」


 天使の笑みが悪魔の笑みに変わった。まさに悪魔の取引である。


(できれば遠慮したいわ……ジェット、次は何を食べたい?)

「うーん、そうだな……あ、あれとか美味しそう!」


 私は取り皿を新しく取り、ジェットが食べたいものを乗せてあげる。


 皿に乗せているのを彼はウキウキした表情で見つめていた。


 ジェットはお菓子を食べている間は大人しいので、私はホッとする。


(暇だとなんでもやらかすからなぁ~)


 セレスチアル侯爵家で起きた数々の珍事件を私は思い出す。


(忘れもしない……池の魚に人の顔を描き、庭のバラを極彩色に変え、私が嫌いな人参に食べても食べても減らない魔法をかけた事を……)


 悪魔にしては可愛らしいイタズラだが、私はわりと必死だった。


 庭にある生垣の迷路を半日も出られなかった時は本当に泣いた。


(このままご機嫌でいますように……)


 私はジェットと一緒にベンチに座り、1口サイズのパイを自分の口に放り込んだ。


(あ、美味しい!)


 さすが城のお菓子だ。とても美味しい。パイの中身はチョコレートでアクセントにオレンジピールが入っていて、オレンジの香りが口の中に広がる。


(これはジェットもご機嫌になるわ……)

「おい、お前!」

「?」


 私とジェットがお菓子から顔を上げると、私達の前に見知らぬ男の子が立っていた。といっても、私には友達がいないから知らないのは当たり前なのだが。


(誰? この子……)


 燃えるような赤い髪は真っすぐ背中まで伸びていて、首の後ろで1つに括っている。勝気な瞳はまるで海のような深い青色。口はへの字に曲がっていて如何いかにも生意気そう。そんな印象だった。このお茶会に参加しているという事は、名家でなくても身分は保証されている家の子だが……


(それにしたって、ちょっと態度でかすぎない? チビのくせに)


 私も小さい方だが、今日はヒールのあるパンプスのおかげで身長が少し高くなっている。そんな私が少し視線を下げてしまうような相手だ。彼は腕を組んでこちらを不躾にジロジロと見ている。


「おい」


 再び彼は口を開くと、さらにふんぞり返った。


「お前、オレが声を掛けてやってるのに挨拶もしないのか?」

(なんだ、コイツは……)


 1人でお菓子を食べていたから、同年代子どもの輪に入れない寂しい女だと思われたのだろうか。その通りだよ。


 隣ではジェットが、棒状のビスケットを無言でポリポリとかじっている。彼の口元が若干持ち上がっているのは気のせいであって欲しい。気のせいであってくれ。


 私は皿を置いて、スカートをさばいて礼をする。


「失礼致しました。私、クリスティーナ・セレスチアルと申します」

「ふーん」


 まるで値踏みをするような視線。

 そして、隣から聞こえてくるビスケットを齧る音。


 私にしか分からない不穏な空気が漂い、私は内心で冷汗を流す。特にジェットの沈黙が嫌に怖かった。


 いくら私がクリスティーナでも、中身は完璧な淑女を演じているだけのただのオタクである事を忘れないで欲しい。


「……よしっ!」


 この不穏な空気を先に破ったのは、赤毛の男の子の方だった。


「お前をオレの婚約者にしてやるっ!」


 そう赤髪の男の子が言い放った時、私の中で時が一瞬止まったような気がした。


(なんだコイツ)


 突然挨拶を強要してきたと思えば「オレの婚約者にしてやる」発言。


 もう1度言おう。


(なんだコイツ)


 私が何も言わない事も気にせず、彼は「どうだ、嬉しいだろう」と誇らしげにしている。その後も相手はずっと喋り続けているが、私はまったく聞いていなかった。


 そもそも、この子は一体誰なんだろうか。人の名前を聞いておいて自分の名前は言わない。それに私は誰かと婚約するつもりはないのだ。このまま順調に進めば、私はシヴァルラスの婚約者候補になる。これは将来、彼とヒロインのイチャイチャを見る為のベストポジションを獲得する事を意味している。たとえ、シヴァルラスと結婚できなくても私は彼らが結ばれれば私は幸せになれる。


(だから、ちゃんとお断りしないと……)

「おい、ちゃんと人の話聞いているのか!」


 私が返事をしないのに不満があったようだ。実際に私は彼の話をこれっぽっちも聞いていない。


「お前、人の話もちゃんと聞けないのか? お前が1人で寂しそうにお菓子食べてるからオレが話しかけてやってんのに!」


 何様だろう。この傲慢ごうまんさはこの子が大人になった時が心配だ。きっと政略結婚でもない限り女性からはモテはしないだろう。


(見た目もそうなんだけど……なんていうか…………)

「小さいなぁ……」

「はぁ⁉」


 男の子の荒上げた声を聞いて私は口に出してしまった事に気づいた。


 相手は顔を真っ赤にしてこちらを睨みつけている。


「誰が小さいだ! お前も小さいくせに! それにオレは小さくないからな‼」


 小さくない! オレは小さくないからな! と半泣きで男の子は私に怒鳴り散らしてくる。


(もしかして……私、地雷踏んだ?)


 彼は自分が小柄なことを気にしていたのかもしれない。私が小さいと思うほどだ。小学生くらいの男の子なら「小さい小さい」とからかう子もいるに決まっている。しかし、言ってしまったものは仕方ない。


 目の前にいる男の子は感情に任せて私に怒鳴り散らし続けていた。


(いやー、どうしようかしら……あ……)

「お前、オレが誰だか分かって…………ぶっ!」


 彼の顔面に白い物体が当たり、それはふわりと地面に転がった。


 ──それは、食べカスのついた綿だった。


「グチグチ、グチグチうっせぇーんだよ、このクソガキ!」


 くぐもった声がすぐ隣から聞こえ、私はハッとしてジェットの方を向いた。さっきまでベンチに座っていたはずの彼の姿がない。しかし、彼がいた場所には……


(2号っ⁉)


 そう、2号がベンチの上で仁王立ちをして棒状のビスケットを齧っていた。


 おかしい。作ってないはずの口が存在し、サメのようなギザギザ牙が生えている。何より愛らしい2号の顔が凶悪面へと変貌していた。


(な、なんで2号が勝手に⁉ いや……もしかして……まさか!)

「さっきから聞いてりゃ、調子に乗りやがって! ティーポットに入れて蒸らしたろうか! テメェを蒸らしたらどんな色が出るんだろうなァ!」


(ジェットォオオオオオオオオオオオオッ⁉)


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