第18話 趣味友

 ……あぁ、もうだめだ。俺はもう、一歩も前に進めない。


「ず、随分と長い石段ですね……。どうしてこんな……?」


 さすがの飯島もその顔に疲れをにじませ始める。


「さあ? でもさすがにこれは長すぎよね。だからあんなに人が来なかったんだわ」


 沙夜はそれほど疲れていない様子で、さすが神社に住んでただけはあるといった風体。

 そして俺はと言うと――。


「も、もうだめだっ……。ちょっと、ちょっとだけ休憩しよう……」


 今にも足がもつれそうになりながらなんとか石段にへばりついていた。


「なによ、情けないわね。それでも男の子なの?」

「馬鹿言うなってっ、俺はその前にお前を自転車に乗せて駅まで行ったりして、登り始める前に体力の限界だったんだよ……! もう無理、な、飯島も休みたいよな?」

「はぁっ、はぁっ……。はい、さすがに少し疲れました……」

「まったくしょうがないわねぇ。二人とも体力なさすぎなんじゃない?」


 人に重労働をさせておいて自分はこの余裕……。さすが圧制者は違うぜ……。

 沙夜が原因で俺がこんなクタクタになっているというのに、それはあんたのせいだとのたまって情けないとまで言われたらそりゃ頭に来るが、言い返すだけの気力もとうに奪われている。

 あ、そうか……、こうやって疲れさせて反論する気力を奪う、そういう作戦だったのか……。策士沙夜の術中に溺れたな……。



「飯島、飲むか?」

「すみません、少しいただきます」


 汗を流す飯島に麦茶のペットボトルを手渡し、俺は自分の分を口につける。

 絶対こうなるって分かってたから持ってきて正解だったな。まぁ、これらが重荷になっていることもまた事実なんだが……。


「ふーん、理恵には優しいのね」

「いや、沙夜はお茶飲めないだろ?」

「それはそうだけど、疲れてないかとか気遣ってくれてもいいじゃない」

「お前全然疲れてないじゃん……」

「まっ、そうだけどね」


 なんなんだ? 別に機嫌が悪そうでもないからただちょっかい出したかっただけか? 勘弁してくれ、今お前と舌戦を繰り広げるだけの余裕はないんだよ……。


 石段の中腹で座り込み、しばし休憩を挟む。

 ここから聞く夏の声はあいも変わらず騒がしかったが、沙夜と初めて会った時と比べれば、少し大人しいのかもしれない。


「もうすぐ夏も終わりね」

「まだまだ暑い日が続くけどな」

「そんなの気がつけば涼しくなって、あっという間に雪が降るわよ」

「このクソ暑いときに言われても実感わかないなぁ」


 風が吹き、汗で蒸れた体をなでていく。

 心地よさに思わず目を閉じて、大きく深呼吸をした。


「……さてと、どうだ飯島? そろそろ行けるか?」

「はい、だいぶ休まりました。このまま一気に頂上まで行きましょう」

「さっすが、理恵は情と違ってガッツがあるわね!」

「はいはい、俺にはガッツなんて縁遠いですよっと」


 立ち上がり、振り返る。

 見据えるのは頂上にそびえる鳥居。そして滴る汗もそのままに、俺たちは再び進み始めた。



「はい、とうちゃーく! なんかちょっと懐かしいわね」

「うむ、久々に実家に帰ってきたアラサー味があるな」

「ないわよ!」

「いでっ!」


 流れるようなツッコミ。さすが俺とコンビを組んでるだけはある。大道芸人じゃなくてお笑い芸人を目指すべきかな?

 そんなことを言うとまた頭を叩かれかねないので、そっと胸のうちにしまっておくことにした。



「これは……、龍の手水舎ちょうずしゃですね。ということは諏訪すわ大社の系列でしょうか?」


 飯島は境内にたどり着くと、早速あたりを見回し始め、以前俺が写真を撮った手水舎に目を向けた。


「このへんだとよく見るよな。でもなんで手水舎が龍だと諏訪大社の系列ってことになるんだ?」

「諏訪大社でまつられているのは建御名方命たけみなかたのみことという神様で、龍の化身と言われています。このあたりは諏訪大社から勧請かんじょうを受けた神社が多いですから、もしやそうなのではと」

「建御名方命っていうのは聞いたことあるな。ていうかここの掲示板で見たんだった」

「掲示板?」


 俺はこれまた以前写真に収めた看板に飯島を案内した。


「……なるほど、この一帯はむかし戦に使われていたんですね。それで軍神でもある建御名方命を祀っていると」

「え、建御名方命は龍の神様だろ? 軍神でもあるって、一つの神様じゃないのか?」


「神は多くの場合いくつかの性質をあわせ持っています。建御名方命は軍神であり、山や農耕、五穀豊穣の神ともされていますね。日本神話に見られる国譲りの際に、最後まで抵抗した決意の神とも言われます」


「はぁ……、飯島はそういうのに詳しいんだな。俺今の話のほとんど理解できなかったぞ」

「私も興味半分でちょっと触れた程度ですので、そこまで詳しいわけではありませんよ」


 そう言いながらも飯島は少し嬉しそうだ。占い好きだって言ってたし、神話とかも好きなのかもしれないな。



「決意の神……。だからあんな事を言ったのね」


 先程まで懐かしそうに境内を歩き回ってた沙夜は、真剣な顔をしてこちらに歩み寄ってくる。どうやら飯島の話が聞こえていたらしい。


「あんなことって?」

「願いとは無償で叶えられるものじゃないから、まずお前の意思を見せろって。それって私の決意を図りたかったんじゃないかと思って」


 沙夜の話を飯島に聞かせると、飯島はしばらくの間何やら考え込んでいた。

 そして自分の中の感触を確かめるように一つ頷くと、ゆっくりと口を開いた。


「そう、かもしれません。まず沙夜ちゃんの決意を図り、それに応じて願いを叶えるかどうか判断した。そう取ることもできます」

「でも決意を図るったってどうやるんだよ? 別に沙夜は何かしたわけじゃないんだろ?」

「そうね、別に何もしてないわよ? 10


 そこで俺はなにか引っかかりを覚えた。


 決意を見せろといった神様。でも沙夜は別段何もしてない。ただ10年間世界から切り取られて過ごしてきただけ……。


 決意を図るには沙夜の持つ願いがどれほどのものかを知る必要があった……? そのための透明化? もしかして、決意を図る方法っていうのは……。




「「10年願いを抱き続けること」」




 同時に同じ結論に至った飯島と、思わず顔を見合わせる。


 もしかして今まで俺たちが試練だと思いこんでいた沙夜の10年間は、決意を図るための期間だった……? だとしたら試練は終わってないわけじゃなくて、今ようやく始まったばかりということになる。

 でも、そうしたら試練に耐えろっていうのは一体……?


「振り出しですか……」


 飯島は悔しそうに顔を歪め、苦々しく呟いた。


「いや、試練が今始まったばかりだってことが分かっただけでも収穫だよ。あとは何に耐えるのか、それが分かればゴールは目前だ」

「ちょっとちょっとっ! 何二人して盛り上がってるのよ? 私にも教えなさいよ!」


 自分のことなのに未だに理解が追いついていない沙夜に、俺は先程得た推測を話した。

 沙夜は一通りの推測を聞くと、感嘆の声を上げる。


「確かに! 願い続ければ叶うって言ってたし、そんな気もするわね。あとは何に耐えればいいのか、よね……」

「そこなんだよなぁ……」

「「う~ん……」」


 俺と沙夜の二人のうなりと、偶然タイミングが合った飯島の唸りが境内に漏れ出る。


 耐える、耐えるか……。この状況で沙夜が耐えなきゃいけないことってなんだ? 飯島とうまくコミュニケーションが取れないとか? それとも俺との間になにか耐えなきゃいけないことがあるのか? う~ん……。


 そうして三人頭をひねってみたものの、これと言った妙案は浮かんでこなかった。

 結局、進展はしたものの明確な解決には至らぬまま、俺たちは家に帰ることになるのだった。





 ――――





 俺の家に帰ってから、このまますぐ帰すのも何だということになり、沙夜が飯島に裁縫を教える運びとなった。

 沙夜先生の裁縫教室のはじまりだ。


「じゃあまず情、針に糸を通して」

「ちょっと待て、なぜ俺も参加することになってるんだ」

「なぜって、私は針にも布にも触れないじゃない。だから情が理恵のお手本になるのよ」

「俺が飯島のお手本!? 無茶言うなって! 俺服のボタン取るのは得意だけどつけたりなんて無理だって!」

「良く取れるなら余計自分でできるようにならないとね。いつまでもお母さんに甘えてばかりじゃだめよ?」

「ぐぅ……」


 ひとまずぐうの音は出た。

 でもさすがに裁縫なんて無理だって! なんか裁縫道具買わされた時点で嫌な予感はしてたんだよなぁ……。絶対俺にやらせる気だって。


 あわよくば自分の趣味を俺を通してやる気だな? 初めはボタン付けとか穴の空いた靴下を直したりとかで裁縫世界の入り口に立たせ、ゆくゆくはぬいぐるみを作らせる気だ! 俺に可愛い猫のぬいぐるみを作らせる気なんだッ! 俺は絶対に沙夜の傀儡かいらいになんてならないッ!



「違う、逆よ逆! そっちにひねったら糸が解けちゃうじゃないの!」

「え? 方向とかあるの?」

「反対にひねって……、そう。それで針の穴に通して……、あぁもうっ! 見てられないわ!」


 結局反抗虚しく、俺は沙夜のなすままに裁縫を行うマッシーンとなってしまった。

 今も見てられないと言った沙夜が俺の手を取り、針に糸を通している。これじゃあ本当に体を操られてマリオネットみたいじゃないか。


 あと距離が近い近い! そんな後ろから覆いかぶさるようにされたら胸が……、当たらなーい。胸がなーいから当たらなーい。


「いたっ!」

「あらごめんなさい、手が滑っちゃったわ?」

「は、針、針ちょびっと刺さったんですけどぉ……?」

「気をつけないと、ね?」

「……すんません」


 最早エスパー級だな、沙夜の女の勘は。

 しかし針を刺されてはたまらないので、真剣にやるとするか……。



 そうして糸通しに始まり、ボタンの付け方、あて布の方法、アップリケなんかを経て、俺と飯島は着実に裁縫スキルを身に着けていくのだった。


「手先の器用さが求められるので大変ですが、やってみると面白いですね」

「でしょう? 次は簡単なぬいぐるみを作るから。理恵も作り方覚えて家で自主練できるわよ」

「次はぬいぐるみやるから、作り方覚えて飯島も家で自主練だってさ」

「じ、自主練ですか……。がんばります……!」


 たじろぐ飯島の様子に、沙夜は楽しそうに笑った。

 ずっとできなかった趣味が間接的にでもできて、嬉しいのだろう。それに飯島という趣味友? もできそうな感じだし、余計に嬉しいのかもしれない。


 俺はおもむろに一眼レフを手に取り、そんな沙夜の笑顔と先程の復習とばかりに裁縫に勤しむ飯島にレンズを向けた。


 カシャッ、と小気味よい音を立てて世界を切り取る。

 撮れた写真に写るのは、俺が見た楽しそうな光景そのものだ。


「まーた勝手に撮ったわねぇ? せめてひと声かけなさいよ!」

「だってそうすると意識しちゃうだろ? 俺は俺の見た自然な風景を切り取りたいんだよ」

「なに格好つけてんのよ。素直に私と理恵の魅力にメロメロだって言えばいいじゃない?」

「メロメロって、今日日聞かないな」

「え!? もうメロメロって言わないの!? 嘘でしょ……」


 そんな風にショックを受けている沙夜のことは放っておいて、さすがに飯島には許可をとったほうがいいだろう。まぁ事後承諾になはるけど、消してくれって言われたら素直に消すし。


「ほら飯島、こんな感じだ。消してほしいとかあったら言ってくれ。消すから」

「いえ、別に私は気にしてませんのでいいですよ。……でも、やっぱり沙夜ちゃんは写らないんですね」

「え? あぁ、飯島には見えないんだったな……。俺にはちゃんと見えるのになぁ」


 針を手に必死の形相で布と向き合う飯島の横で、楽しそうにそれを覗き込む沙夜が、俺にははっきりと見えている。

 でも飯島には見えないらしい。カフェでのときもそうだったけど、本当に俺にしか見えないんだな……。



「写真には撮れるのに諏訪部君以外には見えない。なんだか不思議ですね」

「だよな。なぁ沙夜、なんでこうなるのか心当たりとかないのかよ?」


 未だ自分の言葉が死語だったショックから立ち直れていない沙夜に声をかけると、沙夜は首をひねって逡巡しゅんじゅんした。


「そうねぇ……。やっぱり私と情が運命でつながっているから、じゃないかしら」

「なぁ飯島、なんでなのかな?」

「ちょっとぉ! 無視すんじゃないわよっ!」


 なんの解決にもならない答えを言う沙夜は放っておいて、俺はまともな答えをくれそうな飯島に尋ねてみることにした。

 沙夜はそんな俺の態度にふてくされ、ベッドに体を投げ出す。


 飯島はあごに手を当てて沙夜と同じように逡巡する。


「そうですね……。おそらく沙夜ちゃんは諏訪部君にだけ認識できる存在になっているんだと思います。今沙夜ちゃんはどこにいますか?」

「えっと、ベッドに座ってるな」

「ではベッドは沈んでいますか?」

「沈んでるな」




「でも私から見てもベッドは沈んでいません」




「え?」


 飯島の言葉に驚きを隠せず、俺は改めてベッドに座る沙夜を見てみる。

 ……いや、たしかに沈んでるな。体を預けている部分は俺の目から見ても明らかに沈んでいる。


「諏訪部君が見ている世界は沙夜ちゃんが存在している世界。でも私が見ている世界には沙夜ちゃんは存在しないんです」

「つまり……、俺と飯島の見てる世界は別、ってことか?」

「そうです。別位相いそうとも言えるかもしれません」


 別の世界、別の位相? なんだか難しい話だが、要は俺と飯島の見ている世界は違うってことだよな?

 でもそれって、俺の目だけみんなとは違う世界を映してるってことだよな……? なんかそれって……。


「……特殊能力みたいでかっこよくね?」

「かっこいいかどうかはともかく、たしかに特殊ではありますね」

「だよなぁ? 魔眼開眼って感じ?」

「はぁ、男の子ってホントそういうの好きよねぇ」


 沙夜はばっかだなぁ。魔眼とか男のロマンじゃん? めちゃくちゃかっこいいじゃんか、なぁ?

 なんかかっこいい名前つけようとか思ったけど、沙夜を映す目とかそんな安直なやつしか思いつかなかったのでやめることにした。



「ほら、魔眼がどうたらはもういいでしょ? それより続きやるわよ、続き! 情にもぬいぐるみを作れるようになってもらわないとねっ!」

「はい先生! ぬいぐるみ作れるようになればモテますか?」

「モテないわね。むしろ引かれるわ」

「一体俺はなんのためにこんなことをやらされているんだ……」

「頑張りましょうね、諏訪部君」


 そうして俺は、女子二人によって裁縫地獄へと引きずり込まれていくのであった。

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