第2章 空想の友と学校生活

第10話 届くな鼓動

 その時、俺はとある重大な事実に直面していた。

 それはいつものように朝早くに目が覚めてから、ふと目に入ったカレンダーの日付を見た瞬間にやってきた。




「夏休みが……、終わる……」




「そりゃ終わるでしょうよ。夏休みなんだから」

「夏休みが終わったら俺はこれからどうやって生きていけばいいんだ……」

「いや、普通に生活すればいいんじゃないの?」

「バカを言うな! 人生の楽しみのうち半分は夏休みなんだぞ!? それが終わるということは俺の人生も半分終わるということだ!」

「なんてつまらない人生歩んでるのよ……」

「ちなみにもう半分は正月休みだ」

「休んでばっかじゃない!」


 俺の16年の人生の中では長期休暇こそが最大の娯楽なのだ。こんな田舎じゃなにかのイベントに足を運ぶだけでも精一杯だし、友達が近くにいないこんな場所じゃあ外に出る理由もない。家でダラダラ体を休める。最高に楽しいじゃないか。


 母さんなんかはまとまった休みがあると休み明けに仕事に行きたくなくなるから細々こまごました休みがほしいって言ってるけど、俺にはよく分からないな。まとまってたほうが旅行とかいけるじゃん。まあ行かないけどさ。


「それによく考えてもみろ。夏休みが終われば沙夜も暇になるだろ? 俺という遊び相手がいなくなってさ」

「ま、まぁ? 少しは暇になるだろうけど……。だからといって夏休みが終わるのを止められるわけないじゃないの」

「できるんだなー、これが」

「え!? うそ、どうやんのよ?」

「なにかの特殊能力に目覚めてタイムリープする!」


 俺のえた提案に、沙夜は感嘆のため息を漏らす。ふふふ、今すぐそのアホを見るような目をやめてたたえてくれてもいいんだぜ?


「……あんたってやっぱりアホよね」

「直球でけなすのやめてくれない? 我ながらどうかとは思ったけどさ」



 迫りくる終わりからの逃走はこのくらいにして、そろそろ本題に入らないとな。

 要は夏休みが終わってしまうと何が問題かというと、俺が沙夜といられる時間が少なくなってしまうということだ。

 いや! 俺が沙夜とずっと一緒にいたいという訳ではなく! 沙夜の体をもとに戻すアレを探したりとか、沙夜を一人にするとアレだなとか、アレがアレでアレアレレ?


「とまぁつまりだ! 俺が学校に行ってる間沙夜はどうするのかって話だ!」

「何がどうつまりなのかは分からないけど、別に普通に神社で待ってるわよ」

「いや、それは俺が嫌だ。なんか待たせてるみたいで罪悪感ある」

「じゃあどうするのよ?」

「沙夜はなにかしたいことはないのか? 10年も元の生活から離れてたんだ。やりたいことの一つや二つあるだろ」


 俺の言葉に沙夜は首を傾げて唸りだす。

 結局夏祭りの後はどこにも行けてないしな。キャンプは俺と沙夜だけじゃ色々無理があって行けなかったし、代わりにやったのは近所の案内くらいのものだ。何か約束を果たせなかったみたいでスッキリしない。


「やりたいことって言ってもねぇ〜。……あっ! 一つあるかもしれないわ」


 少し悩む素振りを見せた沙夜は、そう言って笑みを浮かべた。

 でもなんでだろ、すごく何を思いついたのか聞きたくない。だってめっちゃにやけてるし。悪いこと考えついたって顔してるし!


「ふ、ふーん、そっか。まぁ頑張って」

「ちょっと! 聞いといてスルーはないでしょうが! 何を思いついたのか聞きなさいよ!」

「い、いやだ! だって絶対ろくでもないことだもん! 絶対若い頃にやりたかったことをやりたいとか言い出すもん!」

「言わないわよ! ていうかまだ若いし! 今がその若い頃だし!」

「沙夜、俺思うんだよ。今ってその人の人生の中で一番年寄りな時だよな……」

「何悟り開いてるのよ!」


 そんな押し問答をしばらく続けて、結局俺が折れることになった。

 まぁ、なにかやりたいことはないかって聞いたのは俺だし、今更やっぱなしってのは人としてどうかと思うし。


「えー……、それで? 沙夜は何がしたいんデスカ」

「もうちょっと聞きたいって感じを出しなさいよ!」


 だって聞きたくないし……。でもそんなこと言ったらまた怒られるから言わないけど。


 沙夜は仕切り直すように一つ咳払いをすると、正座させられた俺の目の前で仁王立ちをして声高に宣言した。




「私、学校に行ってみたいわ!」




「ガッコウ……。カッコウ……。カッコウを見に行きたいって?」

「そんなこと言ってないわよ!」

「いでっ!」


 ……頭をたれた。親父にも打たれたことないのにっ!


「学校よ学校! あんたがこれから行こうとしている学校!」

「まさかとは思うけど、沙夜の行きたいのは俺の学校じゃないだろうな……?」

「? そうだけど」

「やっぱりそうなんかーい!」


 ほらなぁ! だから嫌だったんだよ! なんか嫌な予感してたんだよなぁ!

 俺の学校って、まぁ連れて行くのは百歩譲っていいとしてもだ、ちょっかい出されちゃたまったもんじゃないぞ。俺が独り言多め系男子になっちゃう。ただでさえ友達多くないのに一人もいなくなっちゃう。


「なによ、嫌なの? こーんな美少女と一緒に登校できるのよ? それも朝一緒の家から。情にとって人生最高の思い出になるわ」

「まぁ別に来るのはいいけどさ、あんまり話しかけんなよ?」

「ちょっと! 諸々私のセリフに対する反応をしなさいよ! 主に私の美しさについて!」

「授業中変顔とかするなよ? あとくすぐりとかも禁止な?」

「無視すんな!」

「いでっ!」


 またも頭を打たれた。打ったね!? 二度も打った!


 ていうか今のは俺何も悪くなくなくない? 自分で言っておいてツッコミがないと急に恥ずかしくなって暴力で誤魔化ごまかそうとするの、沙夜の悪い癖だと思いまーす。まぁそんなこと言ったらまた打たれるんだけど。


「分かったよ……。沙夜はかわいいよ世界一だよ君が一番大好きさ」

「……えいっ」

「いでっ! なんでまた打った!?」

「そこはかとなくムカついたから」

「なんて理不尽なの!?」


 結局三度打たれた。二度あることは三度あるってことか。骨身にしみたぜ……、文字通り。



「で。さっきの感じだと私が情の学校に行くことには賛成なのね?」

「賛成っていうか、反対しても無意味だから反対しないだけだな」

「それは賛成ってこ・と・よ・ね?」

「はい! 賛成でありますっ!」

「よろしい」


 なんて恐ろしい笑顔なんだ。笑っているはずなのに威圧感で押しつぶされてしまいそうなほどだ。

 なるほど、これが恐怖政治……。しかし恐怖による圧政はやがて反発を招く。覚えておけよ~沙夜。いつか俺はお前に反逆してみせる!


「……なにガッツポーズしてんのよ?」

「沙夜、俺はいつか現代のスパルタクスになるぞ!」

「はぁ……。まぁがんばりなさい?」


 そのためには歴史を勉強したり、圧制者の意図を調べたりと勉強が必要だな。今度沙夜に手伝ってもらおう。

 ……あれ? でもそれだとなんか違う気がするような? まぁいっか。



「まぁそれはそれとして。沙夜、本当に余計なことはするなよ? 頼むから大人しくしててくれな?」

「何度も言われなくたって分かってるわよ! 私のこといくつだと思ってるのよ!」

「そんなの――」

「せいっ!」

「いでぇ!? まだなにも言ってないだろうが!?」

「今27歳って言おうとしてたもの」

「やっぱり理不尽!?」


 こんなに賑やかな感じで本当に大丈夫なんだろうか……? 俺は不安だぁ。

 そんな俺の不安もお構いなしに、夏休みは終わりに向かってゆっくりと歩を進めていくのであった。





 ――――





 夏休みが明けた朝。それは母さんの怒号と共に始まった。


「情! あんたいつまで寝てるの!? さっさと起きないと遅刻するわよ!」

「分かってるよぉ~……」

「分かってるならさっさと起きる! いつまで横になってるの! 全くもうベッドから転がり落ちてこんな床で寝てっ。風邪ひいたらどうするの!?」


 こんなのは学校のある平日では日常茶飯事だ。もう慣れた。

 いい加減朝くらいは一人で起きられるし、毎朝怒鳴るのはやめてくれと何度も言っているのに、母さんときたら耳元でギャンギャンうるさいったらない。


「ほら情。お母さんの言うとおりよ。さっさと起きて準備しなさい」


 そして俺を見下ろして声をかける人物がもうひとり。どこで知ったのかは知らないがうちの学校の女子の制服を着た沙夜が、期待に胸を膨らませた瞳で俺を見ていた。


「お前は気楽でいいよなぁ……」

「お母さんに向かってお前とは何事!? ちょっと情、聞いてるの!?」


 あぁ、全く。やかましい……。



 そんな騒々しい寝起きの後、母さんにグチグチと小言を垂れられながら朝食を食べ、俺は沙夜と連れ立って家を出た。


「それで、情の学校はどこにあるの?」

「街の方だよ。ここから電車で行くんだ。だからまずは自転車で駅まで行く」


 自転車を出してまたがると、さも当たり前のように沙夜が後ろに乗る。


「それじゃあ出発進行!」


 無邪気にはしゃぐ姿を見ていたらなんだか文句を行く気も失せてしまって、俺は素直にペダルをこぎ始めた。



「そういや沙夜はどこでうちの学校の制服を知ったんだ?」

「部屋に写真がおいてあったじゃない。それで見えない部分は想像で着てみたのよ」

「あぁ、入学式だかの集合写真か。よくあんなのでそこまで再現できたなぁ」

「ま、私も慣れてきたってことね!」

「そうだなー」


 いつもより重いペダルはギコギコと苦しそうな音を立て、まだ残る暑さに拍車をかける。

 気づけばポタポタと汗が垂れて、やっぱり夏休みが明けたのは早かったんじゃないかと不満も垂れる。


「……って、それだけ!? 何かもう少し感想あるでしょ!」

「んー。まぁ可愛いんじゃね?」

「んー? もうちょっと良く見たほうがいいんじゃないかしら? ほら、こっち向きなさいよ情。遠慮なんてしなくていいのよー?」

「いだいいだいッ! 首もげる! というか危ないから自転車乗ってるときはやめろ! 後で穴が空くほど見つめてやるからっ!」


 強引に俺の首をひねる沙夜に言い訳をして、どうにか首の自由を取り戻した。

 未だ後ろでグチグチ文句を言っている沙夜の手から、俺の肩に痛いほど不満が流れ込んでくる。というか痛い! ほんとに痛い!? そんなに握りしめられると俺の肩の肉もげちゃう! 情の肩ロースになっちゃう!


 というかこれでも俺的にはだいぶ努力したんだけどなぁ。浴衣のときは似合ってるとしか言えなかったけど、今回は可愛いってはっきり言ったし。

 控えめに言っても沙夜より可愛い女子はうちの学校にいないと思うし、中身アレでも見た目は高校生だからよく似合ってるし、素直に感想を述べたはずなんだが……。

 どうやら沙夜はこのくらいじゃ満足しないらしい。一体俺にどこまで求めるんだよ……。情君の対女子力はもうゼロよ?



 その後駅で電車を待つ間に穴が空くほど見つめてやったのだが、するともう見るなと言われて叩かれた。


 見ろと言ったり見るなと言ったり。乙女心と山の天気は変わりやすいとはよく言ったものだ。あれ、秋の空だっけ? まぁ山の天気もすぐ変わるし、同じだろ。



 それからやってきた電車に乗り込む。

 車内はそれなりに混んでいて、誰かと体を触れ合わせずに乗るのはなかなか難しいくらいだった。


「……で、なんでお前はそんなに近いんだよ! 俺以外とは触れないんだから少し離れろ!」

「嫌よ! 知らないおじさんと一体になる気持ちがあんたに分かる!? 触れなくたって臭いは分かるんだから!」


 小声でそんなやり取りをしながら、周囲のおっさんから逃げるようにして俺の方へ寄ってくる沙夜。

 言わんとすることは分かるけど、その結果俺と密着することになるってこいつ分かってんですかねぇ!? もうほぼぴったりくっついてるから色々当たってヤバいことに……、あれ? なにも当たらない。当たるべきものが当たらないぞ?


「……ちょっと、今なにか失礼なこと考えたんじゃないでしょうね?」

「……」

「都合悪くなったからって黙るんじゃないわよ!」


 まぁ出るとこ出てなくて助かったけど、それでもこいつやけにいい匂いなんだよなぁ……。

 ダメダメ! 意識しないでいよう。沙夜のいい匂いじゃなくておっさんの加齢臭に全神経を集中するんだ! ……あぁ! おっさん臭いッ!!


「……」

「それはなんて顔なのよ?」


 沙夜、さっきはごめんなぁ。おっさんってこんなに臭かったんだなぁ。確かにこれは一体化したら耐えられないよなぁ。


 そんな同情の気持ちを込めて臭さを我慢する表情を浮かべていると、俺の顔のすぐ真下にあった沙夜の顔がみるみるうちに赤くなっていった。



「……って、なにどさくさに紛れて密着してんのよっ! この変態! ケダモノ! 童貞!」

「しょうがないだろ……! おっさんと一体化したくなかったらこうするしかないんだしっ……!」

「~~~~ッ!」


 ものすごく恨めしそうな目でにらまれたが、もともと寄ってきたのはお前の方だからな!? 俺は被害者! そんな痴漢ちかん男を見るような目で見られても冤罪えんざいだから!


 しかし、それからの沙夜は思ったほど暴れることもなく大人しいものだった。

 俺にくっついているのも慣れたのだろうか? でも沙夜さん、胸に耳を当てて俺の心音を聞くのはやめてくれませんかね? なんかわけも分からずめちゃくちゃ恥ずかしいからっ!


 おぉぉ……! くそうっ! 一度はおっさんズ加齢臭で無の境地へと至った俺の煩悩ぼんのうが再びぶり返してきたじゃんか! 沈まれ俺の心ぉ……!


 そうして電車が街につくまでの間、俺は精神統一に集中しなくてはいけなかったのだった。

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