第8話

 雨が降りしきる季節は過ぎ、木々の葉が風に揺れて日差しが強くなる季節になった。もう夏だなと感じながら、私は庭で服を洗濯していた。すると視界の端に水の橋のようなものが見えそちらの方を向くと、育てている野菜に魔術で水をあげているコトリの姿があった。


「おお、だいぶ上達したな」

「ありがとうございます。師匠が教えてくれるおかげですよ」

「いいや。私が見ていない時でも、一人で練習している君の努力のおかげだよ」

「知ってたんですね」


 二人でそんな会話をして、顔を見合わせて笑い出した。見えない所で努力をする所ばかり似なくてもいいと思うのだが、一緒に過ごしているうちに似てきてしまっているようだった。


「洗濯が終わったら、一緒にお茶にしませんか? 紅茶に合うようにスコーンを焼いたので」

「それは楽しみだな。あと少しで終わるから、先に行って準備しててくれ」

「わかりました!」


 駆けていく小さな背中を見送り、私は残りの服を洗って干した。成長したものだと思いながら、彼女が待っている台所へと向かった。どんなふうに作ったのだろうかと楽しみにしながら台所へ着くと、何かを抱える様に蹲るコトリの姿がそこにあった。


「コトリ?」

「ししょう……」


 振り向いたコトリの腕の中には、静かに寝ている様に見える白猫が抱かれていた。だが彼女の表情は悲しそうで、今にも泣きだしそうだった。


「メーアが…… 少し前までは、元気だったんです……」

「この子もだいぶ歳を取ってたからな…… こればかりは、仕方のないことだ」


 突然訪れた愛猫メーアとの別れ。それはコトリにとって、非日常的なことだっただろう。死神である彼女にとっては、死とは予告されているものであり、こうして訪れるものではないだろうから。


「メーアも長いこと一緒に暮らしていたからな…… 今は静かに寝かせてあげようか、コトリ」

「はい……」


 震えるコトリの肩を抱き寄せ、そのまま頭を撫でる。冷たくなった白猫も撫で、猫達と出会った日を思い出していた。コトリと同じように、雨の日に拾ってきたのがシエルとメーアだ。


「庭にお墓を作ってあげないか?」

「そうですね……」


 二人で庭に行き、花が沢山咲いている場所に穴を開けた。棺代わりになるような箱を家から持ってきて白猫をそこにそっと入れ、コトリが摘んできた花も一緒に添えて蓋を閉めた。


「コトリ。君がこの先どのような経験をするかわからないが、今日のことは忘れないでほしい。これが別れというもので、誰に予告されるわけでもなく突然やってくることがある。その時、多くの人は悲しむだろう。きっと、今君が抱えている想いと同じように」

「……はい」

「最後の祈りをしたら、メーアを寝かせてあげようか」


 並んで手を合わせ祈りを捧げてから、開けた穴の中へと箱を入れ土を被せる。薪を縄で組んで十字架のようにして、メーアの名前と日付を刻みつけ埋めたところに立てた。


「そういえば、師匠。あれって……」


 コトリが指を指した先には、三つの墓標が並んでいた。


「あれは、妻達のものだ。形だけになってしまっているが……」

「そうでしたか……」

「さあ、中に入ろう。外は冷える」

「はい」


 少しずつ落ち着いてきたようで、まだ鼻を啜ってはいるがもう涙を流してはいなかった。私自身も辛くないわけではないのだが、どうも彼女のように泣けなくなっていた。


「落ち着いたか?」

「はい、ありがとうございます」


 家の中に入り、コトリが用意していた紅茶を二人分淹れて彼女に片方の

カップを差し出した。静かな時間がお互いの間に流れ、窓の外にいる鳥達の囀る音が響いていた。


「そういえば、スコーンを焼いたと言っていたな?」

「あ、そうでした。今、机に出しますね」


 浅めの籠に盛り付けられたスコーンを棚から取り出し、二人が取りやすいように彼女はそっと机に乗せた。綺麗な色合いに焼けており、漂ってくる香りも良くてこれはジャムに合いそうだと思い、私は棚の中から木苺のジャムを取り出した。


「前に作ったジャムをスコーンに付けて、紅茶を飲みながら一緒に食べてみないか?」

「いいですね、美味しくなりそうですね」

「君がこんなに美味しそうなスコーンを作ってくれたからだな」

「まだ食べていないのに、そんなに褒めなくても……」

「はは、悪いな。さて、食べようか」

「そうしましょうか」


 籠からスコーンを一つ手に取り、ジャムを乗せ口の中へと運ぶ。バターの風味と木苺の酸味が上手く合わさり、とても美味しくて後に紅茶を飲むと甘さがしつこくなり過ぎず丁度良かった。コトリの方を見ると、美味しそうな顔をしてスコーンを頬張っていた。


「そんなに美味しいのかい?」

「はい!」

「それはよかった」


 コトリの嬉しそうな顔を見て、私は少しほっとした。長い間悲しみの中に沈んでしまっているのは、とても辛くて苦しいものだというのは自分がよく知っていた。だから、彼女の顔を見て、私はもう大丈夫だろうと思った。


「どうかしましたか? 私の顔に何か付いてます?」

「いいや、なんでもないよ」

「そうですか?」


 少し首を傾げ不思議そうな顔をしつつ、彼女はスコーンをもう一つ食べ始めた。


「ほら、口の端にジャムが付いてるぞ」


 付いたジャムを拭ってあげ、私も追加のスコーンを手に取った。


「今日は修行はどうする、コトリ。休みにするか?」

「いえ、やります。確かに悲しいですけど、ここで止まっていたらいつまでも先に行けない気がします。私は先に進まないといけないので、止まるわけにはいきませんし」

「そうか。いつの間にか、強くなっていたんだな」

「そうですか?」

「あぁ、そうだよ」


 幼かった少女は、この数ヶ月でだいぶ成長していたようだ。身体だけでなく、心の方も。子供の成長は早いものだと感じながら、私はスコーンを頬張るコトリの横顔を眺める。いつの間にかこんなに大きくなっていた少女を見て、これからのことを思い浮かべる。この先更に成長して様々な人と出会いながら、色んなことを知っていくだろう。その中で大切な人にも巡り合うだろう。その時、私は何を思うだろうか。


「師匠、そろそろ始めませんか?」

「それはいいが、残りのスコーンはどうするんだい?」

「とっておいて、またあとで食べましょうよ」

「君がそれでいいなら、私はいいが」

「早く行きましょ?」


 ジャムと残ったスコーンをしまい、コトリに急かされながら私は修行用の部屋へと向かった。私が台所を出る直前、足元にメーアがいるような気がして探してしまったが、そこには何もいなかった。


「私は大丈夫だからな、メーア」


 コトリに聞こえないようにそう呟くと、安心したように鳴く猫の声が聞こえた気がした。


「師匠、遅いですよ」

「今行く」


 声をかけられ「仕方ない弟子だ」と思いながら、彼女に続いて部屋に入る。今日は何を教えようか。最近の彼女は吸収が良く、魔術を教えると早い段階でその術が使えるようになっていた。最初の頃と比べものにならないくらい彼女は成長しており、私を超える魔術師になる日もそう遠くないだろうと感じている。今では私が教えることは少なくなり、魔導書を読んでもわからなかったことを補足したりする程度になっていた。この調子なら一人で修行をさせても問題ないだろう。


「コトリ、そろそろ一人で修行を始めるか」

「いいのですか?」

「あぁ、随分とできるようになったからな。ただし、わからないことがあれば今までのように聞きに来ること。いいな?」

「はい、わかりました」


 その後はコトリを一人で修行させつつ、私は奥の部屋で薬草の調合などをして過ごした。


 修行や薬の調合をして一日を過ごし、もう辺りは暗くて寝る時間となっていた。


「そろそろ寝ないとだな。コトリは先に寝てると言っていたな」


 少し前にやってきてはそう声をかけられ、私もそろそろ寝なければと気が付いた。やっていたことを片付け部屋に戻り、服を着替えてからベッドに横になった。


「明日もいい日になると良いが。おやすみ、アリシア。おやすみ、子供達」


 立てかけてある写真に向かってそう呟き目を閉じる。今日の出来事が瞼の裏に浮かんでは消えていき、次第に意識が沈んでいった。


 夜中に目を覚ました私は、驚きながら辺りを見回した。


「夢か……」


 コトリの腕の中で私が眠りにつく夢。彼女が泣きながら何かを言っていたが、何を言っていたのかわからぬまま目を覚ました。


「この先起こることだろうか、それともただの夢なのか……」


 あまり細かいことまで覚えていなかったが、今よりも成長した姿のコトリの泣き顔が脳裏に焼き付いて忘れられなかった。私はいつか彼女に、あのような顔をさせてしまう日が来るのだろうか。もしその日が来たとしら、私は彼女に何を伝えられるだろうか。ぼんやりと夢の内容を思い出そうとしながら横になり、気づけばまた意識が遠くなっていた。


「お父さん、早く早く」

「父さん、置いていくよ」


 白い髪の少女と黒い髪の少年が目の前を駆けていき、私はその後を追いかけている。


"待ってくれ、行かないでくれ"


 必死に彼女達を呼ぼうとするものの、何故か声が出てくれない。口だけが虚しく、金魚みたいにパクパクと動くだけ。今、あの子達の元に行かなければ。


「メーア、シエル!」


 名前を叫び手を伸ばすが、それは虚しく暗い天井に向かって伸びるだけ。腕を降ろして、目尻から流れた涙を拭う。夢であることはわかっているが、私はまだあのことを受け止めきれずにいる。もしあの日出かけることなく家にいれば、子供達は連れ去られることなく、妻が殺されることもなかっただろう。


「すまない、アリシア…… すまない、メーア、シエル……」


 気づいたら涙で枕を更に濡らしながら、私はそう謝っていた。幸せな日々はもう二度とは戻らないことを知りながらも、どこかで奇跡を願ってしまっている自分がいる。どんなに祈りを捧げたとしても、失ってしまったあの笑顔は二度と戻ってこないというのに。


「可能性が、無いわけではないが……」


 頭の中に浮かんでくるのは人体を蘇らせるための術や、その術の組み立て方や魔法陣や呪文の言葉。禁忌であることはわかっているものの、脳内ではどんどん術を完成させようと式を組み立ててしまっている。


「やめよう。コトリがいるのにこのようなことをしてしまったら、それこそ私は家族に会えなくなってしまうな……」


 自分の子供達と変わらない年頃であるコトリを独りにしてしまうのは、あまりに可哀そうなことだ。私と出会うまでの彼女は誰にも頼れず、独りで彷徨うように日々を過ごしていたのだろう。そして私が亡くしたものを取り戻そうとすれば、コトリは再び独りになってしまう。そうなってしまったら彼女は今度こそ、誰も信じられなくなるだってしまうだろう。


「だけど、もし……」


 もしも本当に術が成功して再び会うことができるのならば、今の私はどちらを選ぶのだろうか。私が生涯で愛した女性と共に育んだ家族と、師匠と慕ってくれている一人の少女。昔ならば迷うことはなかっただろうが、今はそういうわけにもいかない。だが、家族が返ってきたとしても、私は昔のように妻や子供達と過ごせるだろうか。起きてしまった悲劇に目を背け、泡沫のような時を家族と再び笑って過ごしていけるだろうか。答えはきっと「できない」だろう。それができるならば、私は長い間悲しみの中にいることはなかった。そして、悲しみを乗り越え再び誰かと関わりを持ち、もう一度あたたかな家庭を作っていただろう。家族を忘れないわけではないが、忘れられないが故に私は孤独に生きてきたのではないだろうかと、今頃になって考えている。そして、そんな私を師匠と呼んで、この家で帰りを待ってくれるコトリを独りにすることはできない。


「アリシア。まだ長くなりそうだが、子供達とそっちで楽しく過ごしててくれ」


 届かない願いをぽつりと溢して、私は再びベッドに横になり休むことにした。

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