第2話

 次の日の朝。私は朝御飯の用意を済ませ、まだ寝ているであろう少女を起こす為に、もう一度二階へと上がった。階段を上がって右側にある扉の前に止まり、ノックをしてから中の少女に声をかける。


「おはよう。起きているか?」

「おはようございます」

「朝食が出来ているから、食べにくるといい」

「ありがとうございます」


 彼女にそれだけ伝えて私は台所に戻り、準備した朝食を皿に乗せ降りてくるのを待った。少ししてから降りてきた彼女を座るように促し、朝食を運んでそれぞれの位置に置く。


「さあ、食べようか」


 少女の向かいの席に腰掛け、今日も手を合わせてから食べ始める。朝食の内容はベーコンエッグトーストにヨーグルト、オレンジジュースといったものだ。料理が得意ではない私は、毎朝このようにシンプルで手間のかからないものを作ることが多い。妻がいたら「もう少し栄養バランスを考えて」と言われてしまいそうだ。長らく一人で過ごしてきたため、今頃になってもう少し練習をしておけばよかったと後悔している。後悔するには遅すぎるとは思っているが。「美味しい」と言う笑顔を見たかった相手は、既にいないのだから。


「あの……」

「どうかしたか?」

「その…… 食べないのですか?」


 食事が進んでいなかったことに気づき「考え事をしていただけだよ」と伝え、私は自分の料理を食べ進めた。ふと、彼女の食べる仕草を見て気になることがあった。


「そんなに周囲を気にしても、私以外は誰もいないぞ?」

「そ、そうですよね!」

「どうかしたのか?」

「いえ、何も……」


 声をかけられた彼女は驚き、慌てた様子で否定してきた。


「心配しなくても、取って食ったりしないさ。食事が終わったら、また好きに時間を使うといい」

「いいのですか? その…… 手伝いとかは……」

「気持ちは嬉しいが、まずはこの生活慣れてもらうことが一番だ。それから、手伝いも増やしていくことにするさ」

「わかりました……」


 申し訳なさそうな顔をしながら笑みを浮かべる彼女を見て、撫でようと手を伸ばしたが少女が怯えたような顔をしたので、その手を引っ込めた。


「悪かった。怖いならしないでおくよ」

「すみません……」


 そう呟き、そのまま少女は部屋を出て行ってしまった。かなり無理をしてきたのだろうと、彼女の言動を見て感じた。手伝いを申し出てきたのに、他人に怯えていたこと。そして、私以外の誰かがいるかも知れないと気にする様子。今まで多くの人間を見てきた私だが、彼女ほど怯えている人は少なかった。


「これは、随分と酷い気がするな。心を癒やしてからでないと、色々と教えるのは骨が折れそうだ」


 先のことを考えながら机に残された食器を片付けていると、可愛らしい笑い声が聞こえてきた。彼女だろうかと思いながら窓の外を見ると、裏庭で飼っている猫達と戯れている姿が目に入った。ちゃんと年頃の子供らしいところもあるのだなと安心し、食器を片付けてから私も裏庭に出ることにした。


「今日はいい天気だな」

「そ、そうですね」

「猫達と遊んでくれていたようで、ありがとう」

「可愛らしい子達ですね」

「黒猫がシエル、白猫がメーアだ」

「シエルとメーア…… 良い名前ですね」


 彼女は猫達の名前を呼びながら、二匹とじゃれ合いはじめた。その姿に別の人物の影が重なり、無意識に名前を呟いていた。


「どうかしましたか?」

「いや、何でもない。独り言だよ」

「そうですか……」

「また近いうちに話すさ」


 彼女にそう笑いかけ、足元に近寄ってきたシエルを撫でる。名前をつぶやいた今は亡き妻の顔を思いながら「君は幸せだったのだろうか」と、答え無き問いを胸に抱き青い空を見上げた。妻や子供達と過ごした時間は、今となっては遠い過去となってしまった。だが、いくつ季節が巡っても、その時間は色褪せることはない。


「さて、私は家の中に戻る。君はまだ猫達と遊んでてもいいからな」

「ありがとうございます」

「ゆっくり過ごすといい」


 そう言い残し、私は家の中へと戻った。


 私が家の書斎で読書をしていると、外の方から悲鳴が聞こえてきた。少女に何かあったと感じ、慌てて声のした方へと駆けた。


「お前達、何をやっている!」

「魔女が来た、逃げるぞ!」


 私に気づいて、彼女を囲っていた二人の男は逃げていった。


「大丈夫か、コトリ」

「怖かったです、エリックさん……」

「もう大丈夫だ。私が君を守るよ、コトリ」


 彼女を抱き寄せそっと頭を撫でると、張り詰めていた糸が切れたようで、私の腕の中で泣きはじめてしまった。


「大丈夫だよ。ここは冷えるから、家に入ろうか」


 コトリを促して家へと入り、しばらく他人を寄せつけないよう周囲に結界を張った。


「家の中なら、そう簡単に人も入ってこないだろう。怪我は無いか?」

「はい…… エリックさんが来てくれたので大丈夫です」

「怪我がないならよかった。怖い思いをさせて悪かった……」


 ハンカチで彼女の手足等、土で汚れた部分を綺麗にしていく。私がコトリのところへと駆けつけた時、男達は彼女の髪を引っ張り暴言に浴びせていた。私が側にいれば防げたであろう出来事わその可能性があり、自責の念を感じていた。


「エリックさん、あの……」

「なんだい?」


  ほとんど拭き終わった頃、彼女が私に声を掛けてきた。


「あの人達が口にしていたのですが、エリックさんは魔女なのですか?」

「魔女と呼ばれることは多いが、魔術師のほうがおそらく合っているだろう。怖いか?」

「いえ、ただ……」


 そう言うとコトリは、何か言いにくいことでもあるかのように黙り込んだ。魔女と呼ばれた人物を怖がるのは当然だろうと思ったが、彼女はどうやら違うようだ。この国の中心には魔術を扱う者が多く、時には禁忌を犯す者もいると聞く。それが、魔女と呼ばれる者達だ。


「何故魔女と呼ばれるているのですか?」


 やはり、この質問がくるか。私は彼女からの質問に答えるため、今まで話さなかった過去を少し話そうと口を開いた。


「随分昔の話になるが、この家には私以外に妻と子供二人の四人で暮らしていたんだ。だけど、ある事が起きてからずっと一人だ」

「ある事とは?」

「私が家族を殺したと言ったら?」


 嘘であり本当でとあることを告げ、コトリの反応を待つ。怖がるようなら、街へと戻そうと考えている。ここにいたら、再び怖い思いをすることになるだろう。だが、彼女からの反応は違っていた。


「それは嘘ですよね?」

「何故そう思うんだい?」

「その話が本当なら、何でエリックさんは辛そうにしているのですか?」

「私が辛そうにしている?」

「はい」


 彼女は真っ直ぐに見つめてきて、私の返答を待っていた。


「ただ一人が正しいことを言ったところで、大衆の声の方が大きければ、間違いも正しくなってしまうのだよ……」

「それじゃあ、エリックさんは」

「真実は今でもわからない。ただ、あの時に私がいれば守れたのは事実だ」


 だから、私が家族を殺したとも言えるだろう。


「私は、エリックさんがどのように過ごしてきたのかはわかりません。でも、あなたが嘘を吐いていないのはわかります。私は大人達に騙され、酷い目に合ってきました。なので、嘘を言っているのかくらいわかります」

「はぁ…… わかった、私の敗けだ」


 彼女の言葉に圧され、あの日の出来事を全て話そうと考えた。


「その日、私は隣街のルスティロに出ていた。あの頃はまだこの森もそこまで広いわけでもなく、ルスティロに行くのは難しくなかった。朝に一人で家を出ていき、色々と買い物を済ませて夕方頃に帰ってきた。だか、その時には既に手遅れだった」

「と言うと…… ご家族は」

「妻は玄関の所で。子供達はいくら探しても、家にいる気配が無かった」


 どれだけ探しても、子供達は見つからなかった。まだ幼く、どこかに勝手に行ってしまう子達でもなかった。


「連れ去りでしょうか……」

「私もそう考えていた。だが……」

「だが?」

「数日後、私の所にこの街を守る騎士団の一人がやって来た。妻子殺しの罪を告げに」

「そんな。エリックさんは隣街にいたはずですよね」

「勿論、私もそう言った。だが、その時間に私がこの家に戻ったと言う人が何人もいた。一人と多数。どちらの方が、人は信じようと思う?」

「それは……」

「つまり、誰かに嵌められた私は、生涯『魔女』という烙印を押されたのだよ」


 私の過去を聞いたコトリは、悲しそうな顔をしながら何も言えないでいた。彼女にとって、おそらく想像もできないことだろう。悲しみも苦しみも、これは私だけのもので誰のものでもないから。


「エリックさん。今度は私の話をしてもいいですか?」

「私に合わせて無理しなくてもいいからな?」

「いえ、私が話したいので」

「わかった」

「私は十三柱の一族の生まれで、所謂貴族の一人でした」

「通りで、幼い割には言動がしっかりしているわけだ。だが、どうして過去の様に語る?」

「二年前に家を出てしまい、それから家族とは連絡を取っていないからです」

「君が嫌じゃなければ、家を出た理由を聞いてもいいか?」

「十三柱の間で結ばれている、とても大事な契約があることは知っていますか?」

「ああ、その契約は知っている」


 この世界には魔力とは別に、能力を持つ一定の者達がいる。その者達の能力は世界に深く影響し、均衡を保つための役割があるという。能力者達は「代理者」と呼ばれ、魔力の有無は関係なく血統によって左右されるという。そして代理者達は現在十三の家系があり、それぞれの家が違う役割を担っているそうだ。


 その十三の家系。十三柱と呼ばれている家系では、契約が結ばれているという。


「代理者が能力に呑まれた時、別の代理者がそれを排除すること」


 昔の文献に記されていた一文を思い出し、彼女に告げた。


「そうです。そして、代理者は一世代に一人というのが普通でした。でも、二人目が生まれたとしたら?」

「色々と想像したくはないな……」

「ええ。大人達には酷い目に合わされ、親友は能力に呑まれて亡くなりました」


 掛ける言葉が見つからず、私はただ黙っているしかなかった。


「私は彼等にとって、都合の良い実験台コバイユだったんです」


 どこか諦めたように話す彼女の姿は、やはりその幼さには似合わないものが感じられた。小さな背中に背負ってきたものは大きく、言葉で言い表せるようなものでもないだろう。私がコトリのために何か出来ることは無いだろうかと考え、一つの魔法が思い浮かんだ。


「励ましにもならないかもしれないが……」


 コトリの前に手を差し出して指を鳴らすような仕草をし、手の中に一輪の白い文目イリスを咲かせた。


「わぁ…… 綺麗な花ですね、エリックさん」

「イリスという花で、花言葉は希望、知恵、賢さと言われている」

「希望、知恵、賢さ……」


 私が言った言葉を繰り返し呟き、彼女は何か考えているようだった。それを邪魔しないように、静かに言葉を待っていることにした。


「エリックさんは、自分のことを魔術師だと言っていましたよね?」

「ああ、言ったな」

「ということは、他にも扱えるのですか?」

「一通りは扱えるな。初めての魔術は式を見ないと難しいが」

「凄いです!」


 そう言って私の方へと身を乗り出してきたコトリは、瞳をキラキラさせながら言葉を続けた。


「私にも教えて下さい!」

「どうしてだい? 私じゃなくても魔術師はいるだろう」

「エリックさんは、見ず知らずの私にとても優しくしてくれました」

「ただの気まぐれだ」

「気まぐれでもいいです。それに私は、自分の能力以外で生きていく方法を知りません。なので、教えてほしいです」

「能力だけではだめなのか?」

「私の能力は、他の代理者とは違いかなり特殊で厄介なので、簡単には使えません。それに……」

「それに?」


 一度言葉を切った彼女は、悲しそうな顔をしていた。


「代理者は能力を使い過ぎると、その代償が自分に返ってくるのです。それが私達なのです」


 彼女が呟いたことを聞いて、私は大変なことを言ってしまったのだと気づいた。そして、コトリに魔術を教えようと決めた。一人の少女の未来のために、生きるための術を増やしてあげることも必要だろうから。


「わかった、君に魔術を教えよう」

「本当ですか!」

「ただし」

「はい」

「魔術だけでなく、他のことも教えていくからな。しっかりと覚えるように、コトリ」

「はい、師匠!」


 師匠と呼ばれ苦笑しつつも、それが嫌ではない自分がいた。数日前までは無駄に時間を過ごしていたのに、今ではコトリに振り回され魔術を教えることに。


「本当、この世界は何が起こるかわからないな」

「何か言いました?」

「何でもないさ。そろそろティータイムだし、お菓子でも作ろうか」

「はい、師匠」


 楽しそうに隣で笑う少女と一緒にキッチンへ行き、私は紅茶に合うお菓子を作り始めた。

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