第20話 さよなら、初恋!

 ‎✿ ‎


「いやぁーまさか三年も寝てたなんてねぇー私ったらうっかりうっかりー」

 お姉ちゃんは自分の手で頭を触る。三年ぶりに話すお姉ちゃんは何も変わっていなかった。

 にはは、とはにかむ笑顔に、私の涙腺は刺激される。

 久しぶりなのに昨日も話していた様な、そんな感覚。


 目を伏せれば、今でも三年前の光景が浮かぶ。

 あの日、私の前に広がっていた光景は病院のベットで眠るお姉ちゃんとその横に立っている永遠くんの姿だった。

 お姉ちゃんが永遠くんのいる街で暮らすと聞いてから、もしかしたらなんて思ってはいたけれど、実際にその予想が当たると正直いって、かなり堪えた。

 永遠くんにどういう経緯でこうなったのかを問い詰めたかったけど、永遠くんの顔は私よりも辛そうで聞くのをやめた。

 私の終業式での選択が間違っていたのかもしれないけれど、それは全部私のせいなのだから自業自得だと思った。

「お姉ちゃん! ほんとっっっに心配したんだからね!」

 そう言って頬を膨らますとお姉ちゃんはヘラヘラ笑いながら謝った。

 私は三年前の話をお姉ちゃんにも聞くつもりは無い。

 二人が話したいと思った時まで、何も詮索はしないと、心に決めたから。

「あはは、ほんとに申し訳ない……。でも——大きくなったね、海花。」

 お姉ちゃんの口から自分の名前が出た時、ぶわっと涙が溢れ出た。ずっとお姉ちゃんが目を覚ますときを待っていたんだもん。

 私はお姉ちゃんの手を握って大声で泣いた。

「お姉ちゃんー! 本当に、本当に……心配したんだよ……!うわぁーん」

 病室だから、とか人前だからとか、そんな事を一つも考えず、私はただ泣き叫んだ。

 顔面はくしゃくしゃで、涙やら鼻水やらでメイクは落ちるし、もう最悪。

 力強く握ったお姉ちゃんの右手には、私の頬から流れ落ちた雫がゆっくりと染みていった。

 お姉ちゃんはそんな私の頭を、左手でやさしく撫でてくれる。お姉ちゃんの手首は少し細くなってて、頭に乗った手は心無しか小さくなっている気がした。

「まったく、すぐに泣いちゃって……あ、悪いけど永遠くん。っとあと……ごめんなさい、横にいる貴方。悪いけど飲み物買ってきてくれる? 病院の外にある、果物屋さんのイチゴミルク二つね。もちろん永遠くん達も好きなの飲んでいいよ。お金は後で返すから。」

 泣きじゃくる私の頭を撫でながら、お姉ちゃんは永遠くんにウインクをする。

 何かを察した永遠は、

「うん、少し秋上と話すから遅くなるかも。」

 そう言って秋上と共に病室を出ていった。その後も私は泣き続けて、お姉ちゃんは私が泣き止むまで待ってくれた。

 泣き止む頃には目は真っ赤に腫れていて、二人で笑い合った。

 私はさっきまで永遠くんが使っていたパイプ椅子に腰を下ろす。まだ少しだけ残る温もりが心を落ち着かせてくれた。

「さてと。泣き虫な海花も泣き止んだ事だし。海花、謝らせて欲しいんだけど、いいかな。」

 優しいのに、本気の瞳。

 嫌でも、私の気が引き締まる。

 その言葉でなんの事がすぐに分かった。

 でもお姉ちゃんは全然悪くないから謝らなくてもいいのに、と思ったけどお姉ちゃんの顔があまりにも真剣だったから首を縦に振った。

 私が、「何か事情があるんでしょ」と言うとお姉ちゃんは少し苦しそうに笑う。

 私から目を逸らして、俯きながらお姉ちゃんは話してくれた。

「私ね、知ってたんだ。永遠くんが海花の好きな人だってこと。それを知った上で永遠くんを好きになった。駄目だって分かってるのに。本当は冬休みが終わったらもう永遠くんとは会わないようにしようって思ってたんだよ。でも……」

 笑って話していたけれど、お姉ちゃんは今にも泣きそうだった。

 初めて見るお姉ちゃんの表情に、私の胸はチクリと痛む。

 それと同時に、自分に腹が立った。

 お姉ちゃんをここまで苦しめたのは、何も知らず無邪気に笑った過去の自分だから。

 何より大切で、大好きなお姉ちゃんの事を、私は何一つ分かっていなかった。

 血を分けたたった一人の姉の心を、私はずっと縛り続けていたんだ。

 お姉ちゃんは優しい人だから、きっと罪悪感で心が潰れてしまいそうになっていたんだろう。私のお姉ちゃんはいつもそうだ。自分よりも私の事を大切にしてくれる。

 お姉ちゃんのいい所は、私が一番良く知っているんだ。


 今「私の方こそごめん」と謝ったら、お姉ちゃんは凄く怒ると思う。

 それと同じくらい、また自分を責めるだろう。

 だからといって、「ありがとう」なんて言葉も言えなかった。

 だって、謝ってくれてありがとうなんて、微塵も思っていないから。

 こんな時、何も言えない自分の無力さを痛感する。

 お姉ちゃんみたいに、周りの事を考えられる人間なら、励ます事も出来たのに。


 だから、私の取った選択肢は『沈黙』だった。

 何も言わず、何も語らない。それが今の私に出来る最大の選択。

 その代わりに、私はお姉ちゃんの目をじっと見詰めた。

「お姉ちゃん、一つだけ聞いてもいい? 」

 きょとんとするお姉ちゃんに、私は笑いかける。

「お姉ちゃんが眠り続けたのは永遠くんのせい?」

 お姉ちゃんは考える間もなく首を横に振った。

 何も言わなかったけどお姉ちゃんの目は力強くてそれが嘘ではないことを悟る。

 それと同時に、二人がお互いを支えている事も理解してしまった。

「良かったー! もし永遠くんが私の大切なお姉ちゃんを傷つけてたら、私一生永遠くんの事許せないと思うから!」

 冗談交じりで笑うと、お姉ちゃんが優しく微笑み返してくれた。

 エレベーターが上がってくる音を聞いて、私は立ち上がった。

「それじゃあ、最後にもう一つ! 」

 カーテンを開けてお姉ちゃんに背を向ける。多分お姉ちゃんからは私の表情は見えていない。


「——永遠くんの事、好き?」


 お姉ちゃんはさっきよりも少し長めに間を置いてから、真面目な声で答える。

「うん。好き。大好きだよ。」

 分かっていたけれど、その声があまりにも好きで溢れている声で。

 その言葉が私の心に染みていった。

「……そっか! 良かった! じゃあ私はもうそろそろ行くねーまた明日、お姉ちゃん! 」

 知ってる。お姉ちゃんが永遠くんを好きな事も。永遠くんがお姉ちゃんを好きな事も。

 私が病室を出ようとすると、丁度永遠くん達が来た。私はイチゴミルクを貰って「ありがとう」と二人にお礼を告げる。

「あ、秋上! 少し用事あるから下まで行こう!」

 そう秋上に言うと、彼女は何も言わずに私についてきてくれた。

 永遠くんに別れを言ってエレベーターに乗る。イチゴミルクを一口飲むと、ほのかな酸味が口の中に広がっていた。

 思い出したのは、昔の記憶。良くお姉ちゃんと二人でここのイチゴミルクを飲んだっけ。

 前に店主さんから聞いた話だけれど、このイチゴミルクはイチゴ本来の味を楽しむ為に砂糖は使わないらしい。

 昔の記憶に浸りながら、私は秋上の方を向く。

「いやぁーごめんね、秋上! 無理に付き合わせちゃってさ。お姉ちゃんと永遠くんの感動の再開だったからさぁー」

 秋上に笑顔を見せると、彼女は私と裏腹に険しい顔をしていた。そして秋上は飲み物を持ったまま私に抱きつく。

「もう、無理しなくていい。海花は頑張った。頑張ったから。だから……」

 秋上の声は何故か泣きそうで、その温もりがやけに優しくて。せっかく止まった私の涙はまた溢れ始めた。

「……うっうっ……私、私ね、永遠くんの事、好きっだった……好きだったんだよ……私……!」

 三年前から永遠くんがもう私の事を好きにはならないって分かっていた。でもお姉ちゃんが眠り続けて、もしかしたら……なんて淡い期待を持っていた。けれど結局、私には何も出来なかった。永遠くんを支えることすら。

 私みたいな人間が、二人の間に踏み入る余地なんて、少しも無かったんだ。

 分かっていた現実が、今日再び突きつけられて私の胸が酷く痛む。

 秋上の言葉で私の中にあった永遠くんへの思いが全て溢れ出す。

「うん。うん……!」

 秋上は私を強く抱き締める。

 それと同時に、秋上の頬を伝う涙が私の服を濡らして、余計に泣き叫んだ。

「もう……なんで、秋上が、泣くのー!うわぁーん!好きだったんだよぉー!」

 結局エレベーターを降りてからも私達は泣きあっていて、病院の人や患者達から心配や、励ましの言葉や甘いお菓子を貰った。

 泣いてスッキリしたのか、私の中にもう泣くほどの水分がなかったのか。

 病院を出てからぐっと背伸びをして、秋上と笑い合う。

 泣いた目元は、ヒリヒリしてちょっぴり痛い。

 けれど、不思議と心は軽くてスッキリしていた。

 胸に手を当て、心の中で「もう大丈夫。」と言う。その言葉が嘘になるのか、本当になるのかは分からないけれどそれは明日考えることにした。今日はとりあえず……。

「遊ぼ! 秋上! 」

 立ち止まってくるりと振り返り、秋上の方を向くと彼女はとても優しく微笑んでくれた。

「……! うん! 」

 歩き始める前に、もう一度お姉ちゃんの病室を見る。正確な場所は分からないけど病室の方をを見て私は微笑んだ。


 ——さよなら、初恋!


 なんて青春の一ページに刻まれそうなキザなことを唱えながら私は歩き出した。

 せっかく私が気を利かせて二人っきりにしてあげたんだから、男らしいところ見せてよね。

 少しだけ先の未来を考えるとちょっとだけ複雑な気持ちになる。でも私の大好きなお姉ちゃんと大好きだった永遠くんなら、きっと誰よりも幸せになってくれるよね。

 そんな事を心で思いながら私はいちごミルクを飲んだ。

 うん、やっぱり甘酸っぱや。でも……悪くはないかもな。

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