第17話 もうやめよう


 いよいよ最後の日だ。私と永遠くんの最後の日。


 そして私の人生の最後の日。


 最後くらいめいいっぱいオシャレをしようか、なんて考えたけれど結局高校の制服とポニーテールに落ちついた。

 朝、おじいちゃん家の玄関を開けて、深呼吸をした。いつもより深く、長く。

 まだ少し朝焼けの匂いが残っていて、鼻にすっと入ってくる。

 澄んだ空気が私の心を落ち着かせてくれる。

 心臓に手をやるとドクンドクンを鼓動があるのを感じる。


 ああ、私生きてるんだ。


 伏せた目をゆっくりと上げて朝日を見る。一歩踏み出して、風に髪を靡かせる。


 さあ全てを今日、終わりにしよう。





 待ち合わせは永遠くんと出会ったあの場所。

 何度も何度も訪れた私が一番大好きな場所。


 今日は朝から少し風があった。冷たくも優しい風が私の髪を殴る。そんな風に抗うように歩き続け、ようやく目的地にたどり着く。

 予定の時間より随分早く着いてしまった。だけど待つのは全然苦じゃない。

 待っている時でさえ、私は永遠くんの事を考えて幸せな気分に満ちる。

 早く来て欲しいという想いと、まだ来ないで欲しいという矛盾した感情が私の中を巡っていた。

 少しして永遠くんが近づいてくる。その姿を見ただけで好きだ、なんて思ってしまった。

「おはよう、永遠くん」

「おはよう。」

 挨拶はどこにおいても肝心だからね、だから今日も二人で挨拶をし合って。

 そして私は歩き始めた。少し永遠くんより前に出てからゆっくりと振り返る。

「それじゃあ、行こうか。」

 これまでなら永遠くんと色々な所を回ってそれから神社に向かう。けれどもしも私の推測が正しいのなら永遠くんと話し合う時間が必要だ。なら今までと同じではいけない。予定を変更してでも伝えなくてはいけないことがある。

 そしてそれに相応しい場所は……。


「着いたよ。」


 長い階段を登り、大きな鳥居をくぐる。

「——神社? 」

 私は本殿の横に備え付けてある長椅子に腰を下ろす。永遠くんに視線を向けて椅子に手を置いた。

「少し、話をしようか。」

 永遠くんは何も言わずに私の横に座った。まず何から話そうか、と少し迷う。そういえば永遠くんが「何か隠し事ある? 」と前に聞いてきたのを思い出して、間を置いた後に口を開いた。


「……あるよ、隠し事。」


 その言葉に今まで俯いていた永遠くんが私の方を向く。私も永遠くんと目を合わせて口角を上げた。


 そして私の秘密を全て打ち明けた。


 私が今まで百回同じ時をやり直している事。

 それは私への呪いである事。

 それを解くには永遠くんを嫌いにならなくちゃいけないけど私にはそれができない事。

 だから私は自分が消えるという選択肢を選んだ事。


 永遠くんはそれをただ静かに聞いていた。話終わると永遠くんは立ち上がり私の前に立った。

 コートのポケットの中を探って何かを取り出す。そしてそれを私の前に突きつけた。

 私はその紙を受け取る。くしゃくしゃの紙を広げてみると、そこに書いてあった言葉に目を見開いた。


 ……何、これ。


 そこには『雪葉を信じるな お前の心に従え』と書いてあった。線がぐちゃぐちゃで急いで書いた事が分かる。けれどこの字は紛れもなく永遠くんの字だ。

「これをどこで……?」

 困惑からか、少し言葉が震える。

 そんな私をよそに、永遠くんは今まで以上に冷静だった。

「雪葉と会った日、この椅子で。」

 この椅子、ということは神社と言うことだ。とどのつまり……。


「——はは、やってくれたね。」


 顔に手を当てて全てを理解する。

 きっとこの紙は今の永遠くんではなく、前の——九十九回目の永遠くんが書いたものなのだろう。

 そして私が黒い『あれ』に飲み込まれる前にこの紙を投げ入れたのだ。

 私はいつものように、あの河川敷の近くに吐き出されたけれど、この紙は元々今まで無かったもの。つまりは不純物だ。だから『あれ』は、この紙をどう処理すればいいのか分からず、とりあえず投げ込まれた場所であるこの神社に紙を落とした、というわけだ。


「ほんと、つくづく予定外だよ。」


 そのせいで永遠くんは今回変な行動ばかりとっていた、という訳か。全ての辻褄が合い、私自身納得する。

 でも無駄な足掻きだ。

 何故なら結末は変わらないから。


「でもね、結局は同じ事なんだよ、永遠くん。」


 風が吹く。そして鳥居から現れたのは黒い球体。その漆黒は私の全てを飲み込む。

 これで終わりにしよう。私はまたあの球体に飲み込まれ、この人生を終わらせる。

 ああ、幸せじゃないか。だってこんなにも好きな人が私の最期を見ていてくれるのだから。

 怖くなんてない。私にとってはこれがハッピーエンドで……。


「——もう、いいよ。雪葉。」


 立ち上がり、永遠くんを通り過ぎて黒い『あれ』に近づこうとする私の手を握った。「離して」と必死に手を離そうとしても、男の子の力には勝てなかった。 


「本当は、消えたくないんだろ。」


 永遠くんに背を向ける私に対して永遠くんはそう言った。何を言ってるのだろう。私はそんなこと思ってないのに。

「僕は知ってるんだ。雪葉は消えたいなんて思ってない。だって雪葉は生きている事をちゃんと幸せだと思っているから。出会った時も、クリスマスも、大晦日も正月も。雪葉の笑顔に嘘なんて無かった。そんな子が本当に消えたいなんて思う筈ない。」

 違う、違うよ。永遠くん。私はちゃんと受け入れてるんだよ、自分の結末に。だから大丈夫だよ、私幸せだから。

 目を瞑って私は今日までを思い返す。

 どんな時だって、永遠くんとの思い出が鮮明に蘇ってくる。

 いつも唐突な私に困惑しながら、一緒にいてくれる永遠くん。

 不意に笑うその笑顔は、何よりも私を喜びへと導いてくれた。

 私は、その笑顔を大切に心の中に仕舞い込んで、消えてくんだ。

 そして再び目を開け、永遠くんの顔を見ようとする。ちゃんと自分の口で言葉にする為に。


「それに僕は、雪葉に消えて欲しくない」


 私の口がピタリと止まる。

 消えて欲しく、ない……?

 今まで、百回も同じ日々を繰り返してきた。

 なのに、どうして今になって、そんな事を言うのかな・・・・・・。

 今まで一度も自分の願いを口にしてこなかった君が、どうして・・・・・・。

 そんなの我儘過ぎるよ、永遠くん。

 私はずっと前から全部決めてて、誰にもそれを覆す事なんて出来るわけない。なのに、その言葉はずるいよ永遠くん。だって、だって……永遠くんがそんなこと言ったら私、自分の決心が揺らいじゃうよ……。


 初めてだ、こんな感情。色々な思いが混ざりあって、一度に押し寄せてくる。

 頬を通る雫の道。ぽたぽたと砂利を濡らすのは自分の涙だった。

 そして永遠くんは優しい声で私の心に絡まりついていた鎖を解いていく。

「——もうやめよう。」

 その言葉に私は自分の本当の心が溢れ出した。たどたどしくも、私は声に出す。涙で顔がぐしゃぐしゃになっても尚、私の口は止まらなかった。

「本当は……消えたくないよ……。でも永遠くんを嫌うことなんて出来るわけない・・・・・・。だから、私は……自分が消える以外に選択肢、なんて……ない……!」

 気付いたら私は永遠くんの方を向いていた。永遠くんの顔を見たらますます涙が出てきて必死に拭う手は涙でびっしょりだった。

 永遠くんは私に寄り添い、私の体を抱き寄せる。


「私、永遠くんと一緒に……いたい、よ……」


 本心を吐いた。私の本当の心を全部。

 許されない本心は、心の奥底で固く閉ざしていたのに。永遠くんの優しい声が、そんな物を簡単に崩していく。

 涙が一粒流れ落ちる毎に、私の感情が一つ溢れ出す。

 泣く資格なんて、私には無いって思ってきたから、涙は私の中にあった何かを濯いでくれている様に感じた。

 こんなにも胸が締め付けられて苦しいはずなのに、どうしてか清々しくも感じる。

 堰き止めていた思いが、川のように流れていく。

 魔法にかかったようにとめどなく溢れる涙は、永遠くんの胸を濡らした。

 永遠くんの優しい鼓動が伝わってきて、私の凍った心を溶かしていく。

 けれど、だからと言って現実は変わらない。

 でも良かった。最後に言いたいことが言えて。やっぱり私は幸せ者だったな。

 黒い『あれ』は、もう私達のすぐそこまで来ていた。

 今回が、最後だ。もしかしたら、永遠くんまで巻き込まれちゃうかもしれない。

 私はゆっくりと永遠くんの温もりから離れて、涙を拭った。永遠くんと目を合わせて私は自分の歯を見せて笑った。多分今までで一番の笑顔で。 


「——ありがとう、永遠くん。」


 私は後ろに下がり、永遠くんと少し距離を作る。これなら永遠くんに『あれ』の影響は出ない。

 少しずつ球体の中に、私の体が飲み込まれていく。

 やっぱり消えたくはないけど、でも今は永遠くんと会えて良かったって気持ちの方が大きくて笑顔になる。

 目の前にいる永遠くんは、凄く苦しそうで、今にも泣き叫びそうで。

 そんな顔しないで、永遠くん。

 私、もうここから動けなくて永遠くんの顔に触れられないんだよ。涙も拭うこと、出来ないんだよ。

 痛みなんて無いはずなのにまた涙が出てくる。きっと永遠くんが今にも泣きそうな顔をしているからだ。本当に最後の最後まで永遠くんはずるいや。

 一番最後に伝えたいことは、やっぱり……


「——大好きだよ、永遠くん。」


 今まで怖くて足がすくんで動けなかった筈の永遠くんが、その足を動かす。焦った顔で必死に私の方に体を倒す。走り出した永遠くんはその手を伸ばした。


「待って、雪葉! 僕は雪葉が——」


 最後の方は聞こえなかったけど、もしも私が願った言葉を言ってくれたのなら。なんて、どうしようも無い事を考えてしまう。

 でも私は永遠くんの事がお見通しだから、きっと私の考えは当たっているんだろうな。

 あーあ、もし消える前に夢が見られるのなら、永遠くんと一緒に桜を見たかったな。

 私には一生訪れることの無い春。

 永遠くんはどんな春を過ごすんだろう。

 ……もう、眠くなってきた。少しだけ寝てもいいかな。

 私、百回も頑張ったのだから少しくらい休んでも、いいよね。

 だからちょっとだけ。


 ——おやすみ、永遠くん。

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