真実編

第11話 夢の崩壊


「私、もうすぐこの世界から消えちゃうの。」


 それが、彼女の口から告げられた最初の真実だった。

 それまでの温かな空気は、一瞬にして張り詰める。

 いつもの様に優しい眼差しで僕を見つめる雪葉の姿が、少し不気味に思えてきた。


「は……? 何言ってんの……?」

 信じられるはずがなかった。そんな突拍子をもないことを。

 でも、それを冗談として捉えるには彼女の目線余りに痛い。

 それに、どうしてだか心臓が酷く苦しめられて、上手く息を吸えない。

 けれど雪葉は僕を無視して話続ける。まるで僕なんか居なかったかのように。


「知ってる? この世界はいくつもある世界線の一つって話。世界線はいくつもの枝のようにあって、無限に広がっていく。私ね、別の世界線から来たの。そして冬休みの間の二週間をずっと繰り返してるんだ。タイムリープしてるの。厳密にはタイムループ……かな。タイムループをするとね、別の世界線に飛んじゃうの。なんでかは、謎なんだけどね。」


 目が眩む。雪葉がスラスラと話しているのは、一体なんの事だろうか。

 状況も何もかも把握出来ない中、一つだけ分かっているのは、今の彼女は正常では無いということ。

 困惑で顔面を曇らせる僕は、ただただ雪葉の目を見る。

 彼女の瞳に隠れていた影は大きな牙となり、雪葉を噛み砕こうとしている。

 でも雪葉は笑っていた。いつものようにニッコリ笑って、そして淡々と話す。

「そんなの信じられない。」

 僕の口から絞り出された声は、いつよりも腑抜けたものだった。

 雪葉は僕を見て、平然と笑っている。口角を上げて、いつものように優しくて笑っていた。


「嘘。だって永遠くん、思い当たることあると思うよ。今まで感じなかった? なんで私が永遠くんの思考を読めるのか。まるで未来を知ってるみたいだな、って。」

 彼女の笑顔が僕の心までも見通した。

 その言葉で、僕は今まで感じていた違和感を思い出す。あった。確かにあった。

 出会った時も、一緒に話している時も。僕は雪葉に違和感を感じていた。でも気づかないフリをしていた。それに気づいてしまえば、何かが終わってしまうと怖くて。


「それに私は最初から言ってたんだよ『私は魔法使いだ』って。」

「だってそれは冗談だって……。」

 彼女は立ち上がった。僕の目の前に立つと、また笑う。僕は彼女の行動一つ一つが怖くてたまらなかった。

 それほどまでに雪葉の笑顔は僕の中にある恐怖心を煽っていく。


「そう、私は魔法使いじゃない。でも魔法使いはいる。魔法使いはね。」


 今までの話、全てを信じたわけじゃない。だって現実みが無さすぎる。

 噛み合わない話。非現実的な内容。それを平然と受け入れ、笑顔を絶やさない雪葉。

 全てが一瞬で狂った現実の中、僕は信じ難い光景を目にする。

 オカルトは信じない。お化けも幽霊も、妖怪も。そんなものは誰かの作り話だから。

 けれど、彼女の後ろに現れた『それ』はそんな次元の話ではなかった。


 ——なんだ、あれは。


 それは、鳥居から突然現れたように見えた。丸くて黒い『それ』は雪葉の元にゆっくりと近づいていく。


「これはね、魔法使いが作った私を食べるための道具。世界に不必要な私を飲み込んで、別の世界に吐き出す。だから永遠くんには無害だよ。」


 何故、彼女はこんなに落ち着いているんだろう。彼女はなんでまだ、笑っているんだろう。


「なんでそんなこと言うんだ。今までもそうしてきたから? 」


 上手く声がでない。『無害』と言われてもそれでも僕は恐怖していた。

 立ち上がることすら出来ないまでに、僕は怖かった。

 でも雪葉は違う。恐れていなかった。ただ、目の前にある現実を受け入れているだけ。

「ううん。これは単なる抗い。だから今まで行ってた駅前には今回行かずに、約三十分間の時間を作ったの。これで結末が変わるとか、そんなことは思ってないよ。あー、でも、うん。なら、これも抗いか。永遠くん、私ね——」

 それを彼女は言った。僕には理解出来なかった。けれど、それが彼女が言う『結末』だった。


「私ね、もうすぐ死ぬんだ。」




 沈黙。僕は何も言えなかった。けれど雪葉はまた話始める。


「死ぬは、ちょっと違うか。世界から私の存在が消えるんだから、抹消される……かな。」


 なんでそんなに幸せそうな顔で言うのが、僕には理解出来なかった。

 彼女の笑顔が、僕の眼球の裏にまでこびり付いて、気が狂いそうになる。

 笑っているはずなのに、雪葉の心が見えない。

 どうして、と出かけた息が行き場を無くして寒空に消えていく。

 もう、鼻が痛くて感覚が無い。寧ろ麻痺していると言った方がしっくりくる。

 ……そうか。麻痺しているのか。雪葉は、この状況に。その絶望に。

 痛みも、苦しみも悲しみも、何もかも感じなくなるほどに、現実を受け入れる事に慣れてしまったんだ。


 ——本当に?


「私ね、今まで九十九回、永遠くんと出会ったの。だから次が百回目。そして次の一月七日に私は消える。でもね、私幸せなの。きっと最期に見るのは永遠くんの顔だから。」


 幸せだ、と雪葉は言う。

 なら、どうしてそんなにも泣き出しそうな笑顔で笑っているんだろうか。

 そうだ。慣れるわけ無い。苦しんでいないはず無い。

 辛くて、痛くて、苦しくて、今にも吐き出してしまいそうな感情を全部、全部押し殺して。

 笑う事で感情を捨て去ろうとしている。

 だって、そうじゃなくちゃ、時折見せていたあの悲しげな瞳も嘘だったという事になる。

 全部が偽物で、偽りで、ただの作り物だったなんて、僕は認めない。

 あの時の、遠くを見詰めるその瞳に嘘も偽りも無かった。


 僕は多分、彼女の話を半分も飲み込めていない。

 もう、雪葉の間近まで迫っている『それ』を見て、口を震わせることしか出来ない。


 ……止めなくちゃ。助けなくちゃ。


 頭では分かっていても、僕の足はすくんで動かなかった。この世のものではない物を見ていた恐怖したから。

 ほら、僕は臆病なんだ。だから、雪葉。もうこんなことはやめて僕の元においでよ。僕が見たいのはそんな顔じゃないんだ。

 現実逃避が僕の得意技。でも今はきっと逃げている時じゃない。だから僕は自分に問いかけた。

 本当にこのままでいいのか。これが、雪葉の望む未来なのか?

 僕は雪葉が望むことはいいものだと思っていた。でも、でも! これだけは違う。これだけは間違っている。

 なら、ならどうすればいい。もう全部が手遅れだ。僕には黒い『それ』は止められない。雪葉も止められない。


 黒い『それ』はゆっくりと雪葉の背中を飲み込み始めた。


「永遠くん、私ね、」


 考えろ。今できる最善を。


「永遠くんに出会えて本当に嬉しいんだよ。」


 考えろ。考えろ。


「だから消えるのも怖くない。」


 今の僕にできないのなら、変えられるのは……。


「永遠くんのこと、大好きだから。」


 この結末になったのはなんでだ。それは僕がずっと分かっていたことを知らないフリをしたから。


「だからね、永遠くん。」


 怖いなんて思うな。だって。だって僕は、本当は……!


「さよなら。」


 彼女が飲み込まれる寸前、僕はポケットの中からペンと紙を取り出して、紙に書いた。

 雪葉を一飲みしたその物体が消える間際に、紙を投げ入れる。

 黒い『それ』は、雪葉と一緒に紙も飲み込んだ。


 冷たい風が、神社を包み込む。

 分厚い雲は、白い結晶を静かに落としていった。

 それがどうしてだか雪葉の心の様に思えて胸が苦しくなる。

 何も気付けなかった自分に嫌気がさす。

 もっと早く彼女の異変に気付けていれば。もっときちんと、彼女の言葉に耳を傾けていたら。

 もう、過去には戻れない。彼女が消えてしまったこの世界は、いつも通り明日を迎える。

 彼女の居ない明日を。

 白い雪は、深々と降り積もり地面を純白に変えていく。

 でも、人は純白では無い。

 感情を持ち、それは色となって心を染めていく。

 喜び、悲しみ、怒り、苦しみ、楽しいという感情が心に染みて、自我を生み出す。

 だから、もしも雪葉という人間の心が雪で埋もれているのなら、僕はそれを見過ごす訳にはいかない。

 四方八方に降り注ぐ雪を仰いで、僕は雪葉の言葉を思い出す。

 彼女は、この物語の結末をハッピーエンドだと言っていた。

 もし、それが本当だとしても。それを雪葉自身が望んだとしても。

 ……僕は、僕だけはそれを認めない。


 待ってろ、雪葉。僕がキミを助ける。


 こんな結末は壊してやる。


 雪葉の夢は崩壊させてやる。

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