第19話



 多くの人を率いる立場に、偽りの者が立つ。


 正しくはないのだろう。


 いつか、軋み、歪み始めるかもしれない。


 それでも、それを願っている人がいるのなら。


 それでもいいと、言ってくれるなら。


 誰かのためになるのなら。


 そこに立つ。


 これから、なにが起こるのか、見届けるために。




「あたしたちを招いたのも、この騒動を見届けさせるため?」

 フィジが管財官に強い瞳で笑ってみせる。

「魔法士協会と術者組合に属し、世界を股にかけるあなたと、傭兵組合所属の一人としていまでも行動しているキスリング殿。この三つの組織にマンダルバの未来を正確に伝えるために必要と考えました。あなた方には、偽るものがない。見たままを組織の方々に伝えられることでしょう。このマンダルバが、いいほうに行っても、悪いほうに転んだとしても、事実を伝えることはできる。その手助けをしていただきたい」

 クイン・グレッド氏も深く笑う。

 キースは、フィジの隣で淡く笑っている。

 彼は、必要以上に存在感を誇示しない。

 あるがまま。

 人が生きるも、死にゆくも、すぐそばで見つめる人。

「それがあたしたちの役割であるのは確かだし、それはかまわないけど。でも、あのままで、いいの?」

 フィジが示唆したのは、アーノルト氏とユナム少年のことだろう。

 彼らが、今後マンダルバにおいて異物となる可能性が高い。

 そんなことは、この場にいる皆が知っている。

 クイン・グレッド管財官は、深く笑った顔のまま、眼だけを細めてみせる。

「アーノルト氏には、この舞台から、そろそろご退場願いたいものです。ユーリィン様も、騒がしいことと、憂いておられます。アーノルト氏のマンダルバへの不義の行動は、レナン様へのこれまでの攻撃により明らか。この度のことだけではありません。その他にもいろいろと、過去の事件で彼の仕業と判明していることもございます。そんな方に、いつまでも舞台の上に立っていられるのは、不快を通り越して、もはや害悪。マンダルバの害となる者は、かつての領主一族に連なる者だろうと、敵でしかない。ここは、領主が治める土地。その領主がひとこと発すれば、いつでも敵を一掃してご覧にいれる。それが、マンダルバ領民の意思。マンダルバの敵には、容赦は無用。カルトーリ様、いつでも、我らにお命じください」

 クイン・グレッド氏は、強い瞳でぼくを見る。

 息がつまる。

 それくらい、クイン・グレッド管財官の眼力には圧力があった。

 それでも、臆することなく、それを受け止めないといけない。

 リク。

 ぼくが、それを決めても、いいの?

 小さく息をついて、ゆっくりとリクを見る。

 リクは意思の読めない眼でぼくを見ている。

 リクは、簡単にぼくを甘やかしはしない人だ。

 いまも、なにも言わない。

 ぼくが思った通りに?

 それで、本当にいいの?

「おまえが、マンダルバ領主だ。自分で決めろ」

 とうとう、リクに言われてしまった。

 どうすればいいのかなんて、いまのぼくには判断はできない。

 だから。

「クイン・グレッド管財官」

 このマンダルバで、このマンダルバのことを知り尽くしている人に、思いを込めて呼びかける。

「はい」

「あなたが、アーノルト氏がこのマンダルバにとって有害なのだと、そう判断されたのなら。ぼくは、あなたのすることに反対はしません。あなたがこのマンダルバで、一番マンダルバのために働いてきた人だと思ってますから。だけど」

 一息ついて、真っ直ぐに管財官を見つめる。

「もし、彼らの中で、本当にマンダルバのために動いていた人がいるなら、機会をあげてほしい。よく、見極めてください。ユナムは、彼はもしかしたら、なにか考えがあってアーノルト氏に従っているだけかもしれない。だから、お願いします。よく、見て。彼を戻せるなら、自分の道に戻してあげて」

 クイン・グレッド管財官は、柔らかくほほえんだ。

「仰せのとおりに」

 ぼくに一礼した管財官は、ずっと見守ってくれていた管財官補佐を伴い、広間を退出した。

 これから彼らがどう行動するのか、必要があることなら知らせてくれるだろう。

 クイン・グレッド管財官と、ジョーイ・ハーラット管財官補佐。

 この二人を、ぼくはとっくに信頼している。

 信頼している、なんておこがましいくらい。

 彼らのやることを信じられなければ、このマンダルバの領主となる資格がない。

 でも、さすがに、今日は気を張りすぎた。

 ぐったりと、卓上に手をついて、そこに顔を伏せる。

 髪を軽くかき混ぜられた。これはリクだな。

「ご立派でした、レナン様。いえ、カルトーリ様」

 シン・レが近くで、心のこもった声で言ってくれる。

 彼とも、もっと話をしないといけない。

 でもいまは、ちょっとしんどい。

 何度も深呼吸する。

「そうですよ。ちゃんと新領主に見えましたよ。よくがんばられました」

 エヴァンスが励ましてくれる。

 うん、ありがとう。

 でも。

 ずっと、胸の奥の不快感が消えない。

 顔をあげて、リクを見る。

「あのね、ぼくの、勘違いならいいんだけど」

 ぼくの顔を見て、正体不明の不安さをわかってくれたんだろう、リクはぼくを真剣に見返してくれた。

「ずっと、思ってた。アーノルト氏は、なにをしたいんだろうって。管財官から信用されてなくて、でも、あの態度を改めてはこなかった。それなのに、いまになって、管財官に従ってみせた。いままでの態度を変えて。管財官にはそれも信用されていないとわかっていると思うのに。あの人は、なにをしたいの? このマンダルバを、どうするつもりなの? とても、嫌な感じがする。気持ち悪い」

 言ってると、本当に気分が悪くなってきた。

 苦しくて顔をしかめると、卓の上においていた片手の甲の上に、リクが自分の片手で覆ってくれた。

「引きずられるな。おかしなことを考えている者の思考をそこまで読まなくてもいい。おまえは、よく人を見てるが、ああいう奴の考えまで先読みしすぎだ。耐えられるようになってからやれ」

 そう言われても。

 そんな調整、できるもんならとっくにやってる。

「人をよく見てらっしゃると思ってましたが、そんなことまでしてたんですか」

 エヴァンスが感嘆したような声を出した。いやこれはあきれ声かな。

 えーと、誰でもやってることじゃ、ないの?

 ぼく、人を見すぎてる?

「こいつが思ってることを全部口に出したら、きっとうるさいと思うぞ。いまでも目がうるさい」

「それは確かに」

 なんでみんなで笑うの。

 束の間の和みに浸かりながら、これから先のことも考える。

 この戦さは、まだ終わってはいない。

 これからのほうが、気がかりだった。

 まだ浮かない顔をしてるだろうぼくを気遣ってくれてるのか、リクの温もりを手の甲に感じながら、ぼくになにができるだろうと考えていた。

 自分の能力なんて、とくにないし、強いて言うなら、信頼する人に物事を任せるってことだろうけど、それはぼくじゃなくてもできることだ。


 ぼくの役割は、なんだ。


 どうして、ここにいる。


 これから先は、自分が選び取っていかないといけない。

 リクと、この世界で生きていくのなら。

「恐れ入ります」

 年配の男の人の声がして、顔を上げる。

 少し間を置いて、五十代ほどの白髪交じりの男性が控えめに立っていた。

「カルトーリ様、マンダルバ領主ご就任、感謝申し上げます。私は、この館で長らく執事を務めております、ドイレと申します。管財官殿よりの命により、カルトーリ様にこの館の主人となっていただくよう、役目を仰せつかりました」

 慌てて椅子から立ち上がり、彼の前に立って、頭を下げる。

「はじめまして。レナン、いえ、カルトーリです。この名前には不慣れで、呼ばれてもすぐに反応できないかもしれませんけど。あの、これからよろしくお願いします」

 これで合ってる?

 ほんとにこんな奴が領主でいいの?!

 顔を上げると、ドイレ氏はほほえんでいた。

「丁寧なご挨拶、心から嬉しく思います。ザグゼスタ様の幼少の頃を思い出しておりました。ザグゼスタ様は、我ら執事はもとより、下男にさえも親しげにお声をかけてくださる方で、ときにはそのことで他の親族の皆さまよりご叱責を受けたりされておられましたが、意に介することなく、我々にお気持ちを向けてくださいました。この館の者皆が、カルトーリ様のご帰還をお待ちしておりました。ザグゼスタ様のご子息であるからというだけではありません。管財官殿より、カルトーリ様のおひととなりもおうかがいし、この館の主人としてふさわしい方と、一同喜ばしく思っております。すでにカルトーリ様をお迎えする手筈を整えてございます。どうぞ、おあらためくださいませ」

 ドイレ氏は少し熱意を込めた瞳と声で語り、頭を下げた。

 この立派な館の、主人。

 領主となったからにはそれは当たり前のことかもしれないけど。

 マンダルバは土地が雄大すぎて実感が湧かないし、この館にいたっては、いきなりすぎて現実味がない。

 困惑しすぎて言葉が出ない。

 ドイレ氏は顔を起こしたあと、柔らかなほほえみのままぼくを待ってくれている。

 これ以上リクに助けは求められない。

「カルトーリ様」

 エヴァンスの声だ。

 彼のほうへ顔を向ける。

 金髪碧眼の美男子は、ちょっと面白がる顔でぼくを見ていた。

「この館、立派すぎて気後れしちゃいますよね。でもいろいろ見て回りたいと思いませんか? お宝が眠ってそうで、なんだかわくわくしません?」

 ほっと気持ちが和む。

 ありがとうございます。

「そうですね。案内してくれますか? ドイレさん」

「はい、喜んで」

「あ、その前に、ここには、お客様に泊まっていただけるような部屋がありますか?」

「はい。そちらも、整えてございます。こちらにお見えの皆様をお迎えされますか?」

 ドイレ氏はにこにこと、とても品のよい笑顔だ。

「お願いします」

 ぼくは、みんなを見回した。

 キースとフィジは穏やかに笑ってる。

 エヴァンスはとても楽しそうで、セリュフはせっかくの装いも半減になるようなニヤニヤ顔をしていて、ヴィイは精悍な顔で少し口元が上がってる。ル・イースは相変わらず無表情でぼくと視線が合わない。シン・レは控えめな態度で側にいる。

 リクは。

 ぼくを笑みのない顔で見ていた。

「リク、一緒に、見てくれる?」

 リクは、返事をしなかった。

 拒否はしなかったんだから、これは容認。

「ドイレさん、まずは客室を見たいです。みんなを先に案内してください。それから、使っていた宿から、みんなの荷物を受け入れたいです。あの、皆さん戦士でいらっしゃるので、武器の持ち込みも許してほしい。これまで、ぼくをたくさん助けてくださいました。だからお願いします。初っ端からこんなにいっぱい要求しちゃってすみません」

 ドイレ氏は、ほころぶような笑みを浮かべた。

「はい、カルトーリ様の願い通りに。皆さま、どうぞご案内いたします」

 他にも館の人たちがやってきて次々に挨拶を受け、名前を覚えきらないままぼくも挨拶を返していく。彼らはぼくの付き添いに来てくれたみんなを受け入れてくれ、客人にふさわしい待遇で接してくれる。

 マンダルバ領主。

 館の主人。

 カルトーリ。

 レナンの名。

 すべて、ぼくが継ぐべきものではない。

 それでも、ぼくが自らそれを受け取ると決めた。

 これからを考えると胸の奥に不安がある。

 本来これらを受け取るべき人のことを思うと、切なくて、哀しくて、それ以上に彼が愛おしくて。

 ぼくは身代わり。

 その役割を受け取った。

 だから、本来の継承者に恥じない働きをしたい。

 カルトーリがこのマンダルバで皆に慕われ愛されるように。

 それは、本当の彼に、繋がるものだから。


 クイン・グレッド管財官は本当に忙しい人で、ほんのわずかな時間すらあますことなく政務に励む人だ。管財官は忙しい自分に代わり、ジョーイ・ハーラット管財官補佐をまた館に寄越してくれた。まだなにも知らないぼくには心強い味方。ドイレ氏に館を案内されるぼくに付いてきてくれて、たまに補足のように情報をくれた。

 最初に、みんなの客室を案内がてら説明を受けた。

 この館は領主としてではなく住居としての個人的所有物なので、例えば今回のミリアルグからの使者のように領主としての要人は、ここではなく本都の立派な宿に泊められる。

 この館に滞在するのは、領主個人の私事における客人なのだそう。ぼくのやり方は間違ってなかったとわかって安堵した。

 リクは、その後みんなが客室にとどまったあとも、ぼくの後ろについてきてくれた。

 一緒に、館の中を巡っていく。

 客室にできる部屋は他にもいくつもあった。広めのいくつかの談話室、多くの人が集まれる広間も最初の大広間以外にも二つ、ちょっとした休憩室のようなこじんまりとした部屋もあった。不浄場もいろんなところにあったし、風呂場も大小いくつかあるとか。

 そして。

 領主の書斎。

 そこはぼく一人でとドイレ氏に言われたけど、ぼくは無邪気を装ってリクを誘った。ドイレ氏は苦笑ぎみに笑って受け入れてくれた。

 領主の書斎は、三階建ての最上階、二方に窓がある広めの部屋だった。

 他の部屋のような白壁ではなく、落ち着くような淡い緑色の壁色で、窓以外の場所は色々な家具や本棚で埋められ、整理はされているけど雑多な書類や本がそれらにぎっしりと詰め込まれていた。

 ひとつの窓の前に、この館ではとても簡素な大きな机があった。管財官の別宅にあった机のほうがよほど立派なもので、この机は、太めの四つ脚に大柄な彫刻がしてあるくらいで、その上に厚めの天板が組み付けられて、何度も塗りを重ねてところどころ色むらができている。

 歴代の領主が使ってきた机。

 簡素な机の奥に、前領主が使っていた年季の入った塗り椅子。座面と背もたれの布張り地は少し擦り切れ、それでも丁寧に扱われていたのがわかる。

 ぼくは、書斎の外で中に入ろうとしなかったリクの手を取って、机の前に進んだ。

 リクは黙って、空の椅子を見ていた。

 表情はなにもない。

 リクは椅子から目を離すと、ゆっくりと書斎を見回し始めた。

 机の上の筆記用具。背の高い書棚の横にある小さな階段状の脚立。部屋の奥側にあるいまは使われていない暖炉。客が座るような幾つかの個椅子と四角い塗り卓。暖炉の近くには酒瓶と硝子杯が並べられた重厚な作りの棚。

 壁に絵画や飾りはない、実直な書斎。

 この館の中は、一階の大広間こそ少し趣向を凝らしてあるが、それ以外はとても質素で、この豊かなマンダルバの領主の館には見えないくらい。

 リクが窓に近づき、ぼくはその後ろをついていく。

 二方の窓は、一つは近景で森と断崖、そして、広い海が見える。

 もう一方の窓は、この館の高いところから、遠景で本都の街並み、広大な農地、このマンダルバを形成した冷厳なレッテ山脈が一番奥に、窓枠の額として、一枚の絵になっていた。

 それを見て、この館が質素なわけがわかった。

 この窓額の絵に勝るものはない。

 マンダルバ領主としての財が、そこに詰め込まれている。

 リクはその窓から、外を見ていた。

 ここに来るまでも、リクはずっと馬車の窓から外の景色を見ていた。

 いま、なにを思ってる?

 ここに来ることは、初めはもしかして考えてなかったかもしれない。

 ぼくがいたことで、リクの未来をも、変えてしまったかもしれない。

 リクは、これで、よかったのかな。

 リクがムトンのことを思っていることはわかってる。

 でも、マンダルバのことは、どう思ってたのかな。

 いまはどう思ってる?

 マンダルバは豊かで、でもそれは過去の領民たちが懸命に働いてきた証でもある。

 勝手に豊かになりはしない。

 豊かになるための努力を継続させることは、並大抵のことじゃない。

 そんなマンダルバの隣にある、ムトンの荒野。

 植物が育ちにくく、資源も少ない。

 すぐ近くにあるのに、両極端な土地。

 その二つを、リクの金の瞳が見つめている。


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