第5話

 魔術師は主に、夜から活動を始める者が多い。それは魔術の秘匿という絶対のルールがあり、周囲の目が限りなくゼロに近い夜の方が都合がいいからなのだが、それ以外にも理由はある。


 多くの魔物が、夜に活性化しだすからだ。おそらくは魔物も分かっているのだろう。人間を狩るには群れている昼ではなく、孤立する夜の方が効率がいいと。

 シンプルに、夜に力を増す魔物だっている。


 その代表例が、吸血鬼だ。


 現代になり、個体数も少なくなってきた吸血鬼ではあるが、その絶大な力は健在だ。人間の魔術師では遠く及ばない魔力量と身体能力もさることながら、全ての個体がなにかしらの異能を発現させている。

 体を霧に変えたり、不死身に等しい再生能力だったり、血を吸うことで力を増したりと言った種族としての能力も持つ。

 今まで、数多くの魔術師が犠牲となってきた。


 その吸血鬼にも弱点はあるのだが、生物とは常に進化を続けるものだ。弱点を克服した吸血鬼など、現代においては珍しくもない。


 とある地方都市の外れにある廃墟、そこを拠点にしている銀髪の女吸血鬼も、その例に漏れなかった。


「とは言え、やはり昼間だと力はかなり落ちますね。ご自慢の氷結能力は使わないんですか?」

「貴様、何者だ……?」


 コンクリートの床に膝をつき、銀髪の吸血鬼サーニャは尋ねる。魔術学院から追われているのは分かっていたが、まさか学院と関係のない魔術師からも狙われているとは。

 認識阻害のマスクをつけているようだが、サーニャにそれは通用しない。恐らく十代後半の少女だろう。

 結界を張ったはずのこの場所を見破られたことと言い、体術一つで自分をここまで追い詰めたことと言い、目の前に立つフードの少女は何者なのか。


 少なくとも、そこらの魔術師よりも腕が立つのはたしかだ。

 あの日に出会ったあの殺人姫と同等か、それ以上か。


 もっとも、サーニャも殺人姫とは直接戦ったわけではないので、推測の域を出ないが。


「申し訳ないのですが、名乗る名はありません。あなたに対して、というわけではなく、今の私に名を名乗る資格がないだけですが」

「言っている意味がよく分からんな。我になんの用があってここへ来た。わざわざ昼を選んだということは、狩りに来たのではないのか?」

「それは先程から言ってますが。対話ですよ。あなたと話し合うためにここへ来たんです。先に仕掛けて来たのはサーニャさんでしょう」


 呆れたように言った少女の口調には、なぜか親しげな色を感じられた。

 しかし、サーニャにこの少女との接点はない。五百年生きてきたが、吸血鬼となってから接してきた人間なんて両手の指で足りる程度だ。それがここ数年、更にこんな実力者であれば、忘れるはずもない。


「私はあなたの味方です。とは言っても、信じてもらえるとは思ってませんが」

「当然だな」


 敵だと思い攻撃を仕掛けてから戦闘が始まり、その最中で四肢の全てを切断された。再生が追いついたから良かったものの、そうでなければ次は首を飛ばされていたところだったろう。

 容赦なく己の四肢を切断した相手を信じろ、なんて言われても無理な話だ。


「だから、まずは対話ということです。サーニャさんはバカだけど、話の通じる吸血鬼だってことは知ってますから」

「ほう? 我のことをバカと宣ったか?」

「現場からこんな近い場所を拠点にするあたり、バカとしか言いようがありませんが。せめてほとぼりが冷めるまでは離れているべきだったでしょう」


 正論を言われ、サーニャはぐうの音も出ない。正しく少女の言う通りではあるのだが、しかしこの場から離れたところで気が急いてばかりになってしまう。

 なにもしないよりは、ここで調査を進めた方が落ち着くというものだ。


「そういうことなので、まずは自己紹介からですね。名乗れないとは言いましたが、呼び名がないとこれから不便でしょうし。私のことは敗北者ルーサーとでも呼んでください」

「我をここまで追い詰めておいて敗北者と名乗るか」

「皮肉ではありませんが。ただの事実です。そして、私がそう名乗るわけも、あなたには話します」


 ルーサーと名乗った少女が、おもむろにフードとマスクを外した。

 隠れていた豊かな黒髪が解放され、切れ長の目がサーニャを見つめる。これ以上戦うつもりが全くない少女の顔を見て、サーニャは驚愕した。


 あの日の夜、現場で出会った殺人姫、桐原愛美と瓜二つだったから。


「まず最初に言っておきます。私は、二十年後の未来から来ました」


 そして敗北者は語り出す。


 記録されることのない、未来の出来事を。



 ◆



 蒼と別れた後、織は愛美と桃に学院内を案内してもらい、その日は帰ることとなった。

 学院内は織の予想通り広大で、桃に転移で送ってもらい家に着いた頃には、ヘトヘトで歩けないくらいだった。同じだけ歩いたはずの二人はケロリとしていたので、織の体力が少ないだけだろう。

 この場合、おかしいのは二人の方なのだが、早速感覚が麻痺してきている織は自分の体力が少ないのだと思い込んでしまっている。


 この一週間で日課となりつつあった夕食の準備も手伝えず、疲れを取るために部屋で休んでいた織だったのだが。

 そんな織の元を愛美が訪ねて来た。


「その様子だと、随分お疲れのようね」

「情けないことにな」


 織にあてがわれた部屋には物が少ない。あの家にあった織の私物は愛美が運んで来てくれたのだが、元々趣味と言えるものも少なかった織だ。服は箪笥の中だし、テレビはそもそもこの家には一つしかないし、精々が携帯ゲーム機くらいだろうか。

 それでも座布団くらいはあるのでそれを出してやれば、愛美は素直にそこへ腰を下ろした。


「物が少ない部屋ね。もうちょっとなにか飾ったりしたら?」

「余計なお世話だ」

「私がいない時、いつもなにしてたのよ」

「家の手伝いして、あとは虎徹さんに見てもらいながら魔術の鍛錬」

「頑張るのはいいけど、程々にしなさい。休むことも鍛錬のうちよ」

「わかってるよ」


 まさか説教しに来たわけでもあるまい。本題はなんだと目で問いかければ、愛美はさっそく切り出した。


「一日学院を見て回ったわけだけど、なにか聞きたいこととかあるんじゃない?」

「あるある。めっちゃある」


 元々学院についてはあまり知らなかった織だが、今日実際に学院へ赴いてみて、さらに分からないことが増えてしまった。

 折を見て愛美か桃に聞こうと思っていたのだが、こうして向こうから訪ねてくれたのだ。分からないことは全部聞いてしまおう。


「まず、殺人姫やら魔女やらってなんなんだ? お前らのあだ名?」

「そういうものだと思ってくれて構わないわ。気になるのは、なんでそう呼ばれてるか、でしょ?」


 愛美の方は、今日の彼女の戦闘を見て少しだけ納得してしまった。

 人を殺すためだけに洗練された動きは、しかし鬼のような気迫よりも、舞うような美しさを感じさせるものだった。


 織と歳の変わらない美しい少女はきっと、これまでに何人もの魔術師をその手で屠ってきたのだろう。


「私の場合は、まあ織の察してる通りだと思うわ。魔術師を殺して殺して殺しまくってたら、いつの間にかそう呼ばれるようになってた」

「それは……」

「別に、誰かに強制されたわけでもない。仕事だから、与えられた任務だからこなしてただけ」


 無感情な瞳で、愛美は言葉を紡ぐ。

 けれどあの時、織はたしかに見ていた。愛美が笑っているのを。まるで人の命を刈り取ることを楽しんでいるかのような、凄惨な笑みを。


 そこには踏み込まない。踏み込めない。知り合ってまだ一週間しか経っていない織には、おそらくその資格がないだろうから。


 なにより、やはり織の中では、優しい表情を浮かべた愛美の方が強く印象に残っている。それを否定するようなことだけはしたくない。


「私のことはそれだけよ。桃の方は、まあちょっと複雑なのよね。私たちが別の吸血鬼を追ってるって話は、ちょっとだけしたわよね?」

「ああ。それも聞こうと思ってた」


 この家に来た日、織に状況を説明する中で愛美が軽く口に出していたことだ。

 織の両親の事件ばかりを調べていてくれたようだが、そちらはいいのかと気掛かりでもあった。


「まず、桃が二百年生きてるっていうのは本当のことよ。不老不死ってわけじゃないんだけど、どうも体を何回か作り変えて今まで生きてきたみたいね」

「作り変えてって、魔術でか?」

「そう。それが出来るだけの魔力を、あの子は持ってる」


 世界で一番魔力量が多い。これも、あの日に言っていたことだ。

 その片鱗は見せていた。織の魔導収束で魔力を吸われても平然としていたり、ただでさえ魔力消費の大きい転移を一日に何度も使用したりと、普通の魔術師ではあり得ないことをやってのけていたから。


 そもそも、魔術の才能は殆どが持って生まれた魔力で決まる。

 それは量だけでなく、その質も問われるのだ。量が多くても質が悪ければ魔力の燃費が悪くなるし、質が良くても量がなければそもそも使えない。

 使い手の技術によっても左右される。


 例えばだが、織の場合は質も量も中の中。悪くもなければ良くもない。才能がないとは言わないが、それでも凡人の域を出ない。


 魔導収束を使う以上、そこはあまり関係ないのだが、それはまた別の話。


 ともあれ、体を作り変えるだなんてそんな常識外れな魔術行使は、その全てを兼ね備えていないとできない。織がどれだけ魔術を極めたところで、到底不可能な所業だ。


「なんでそこまでの魔力を持っているのか、そんなに長い時間を生きているのかが、私たちの追ってる吸血鬼に関わってくるのよ」

「生まれ持ったものじゃないのか?」

「人間が持てる範囲を超えてるわよ、あれは。本来なら内側から食い破られてもおかしくないんだから」


 濃すぎる魔力は人間の体には毒だ。空気中にある魔力ですらそれなのだから、体内に存在していればどうなることか。

 想像してみて、織はゾッとした。内側から食い破られて楽に死ねるならまだマシ。何日も苦痛に苛まされた末に死ぬ可能性だってある。もしくは、死ぬことも許されず永遠にその痛みと付き合うかだろう。


「あなた、賢者の石って知ってる?」

「話には聞いたことがある。父さんが追ってた事件の資料に、軽く概要が書いてあったな」


 膨大な魔力を秘めている石。端的に言えばそんなところだろうか。

 大昔、半永久的な魔力炉を求めた魔術師たちが作り出したやら伝説級のなんやら。その資料も流し読みした程度なので、織の持つ知識はそれだけに留まっている。


 改めて愛美から説明されるも、織のその理解は間違っていないようだ。


「その賢者の石なんだけどね、今は桃の体内にあるのよ」

「は?」


 信じられないことを平然と言ってのけた愛美は、しかし呆れたような声と表情をしている。


「だから、賢者の石の所有者が桃で、体内に埋め込まれてるの」

「……いや、いやいやいや、なんでそうなった?」

「私に聞かないでよ……」


 愛美とて魔術師の一人だ。そんなものが身近な人間の体内に存在しているという事実に、思うところがあるのかもしれない。


「一応、桃から経緯を聞いてはいるけれど、あなたも聞く?」


 頷いた織に、愛美は桃瀬桃について語り出す。


 今から百八十年ほど前。日本ではまだ刀を差した侍が道を行く時代。ロンドンでは賢者の石についての研究をしていたらしい。そこには実物もあって、多くの魔術師が研究の行く末を見守っていた。

 桃はその研究メンバーの一人だったという。

 当時の桃はこれと言った才能もなく、異能も持たない凡人だった。ただ、他より研究熱心なだけの一般的な魔術師。実力で言えば今の織と大差ない。


 そんな彼女がのめり込んでいた、半永久的に魔力を生み出す賢者の石。そんなものを、悪しき輩が放っておくはずもなかった。


 ある日のことだ。海外との戦争でごたつくイギリス国内だったが、それでも魔術師たちはいつものように研究を続けていた。

 魔術師に限らず、当時の多くの国民にとって戦争とは遠い海の向こうの出来事だった。その行く末に関心を示しはするものの、それだけだ。まるでスポーツのワールドカップでも見ているような感覚、と言えば現代の人間にも伝わるだろう。


 だからこそ、その日も平常運転。平和な日常を研究に費やす日。

 そのはずだった。


 研究所が襲撃されたのは、その日の作業もひと段落して、さて帰ろうかという夜のことだった。後片付けをして、研究に携わっている魔術師がまだ、全員その場に残っていたタイミングで。

 男の吸血鬼が研究所に現れ、その場の全員を殺戮して回ったのだ。


 目的は賢者の石。

 その強大な力を我が物にしようとした吸血鬼による犯行。

 桃が生き残ったのは、幸運と呼ぶ以外他にない。殺される仲間たちに背中を向け、ただ彼女が一番近くにいたからという理由だけで賢者の石を持ち逃走した。

 しかし、平凡な魔術師である当時の桃が強大な力を持つ吸血鬼から逃げられるわけもなく。


「追い詰められた桃は、咄嗟の判断で賢者の石を口に入れて呑み込んだ。その時に暴走しかかって魔力が体から溢れた結果、周囲十キロは暫く誰も立ち入れない場所になったらしいわ。まあ、そのお陰で吸血鬼も逃げてくれたらしいけど」

「その場所、今は?」

「当時の学院が立ち入り禁止にして、最近ようやくまともな土地になったそうよ。といっても、まだ草木の一つも生えてないんじゃないかしら」


 予想以上に想像を絶する過去だった。

 仲間を全員殺されただけに留まらず、死にゆく仲間たちに背を向けて、逃げることを強要された。その上で、賢者の石なんていうものまで体内に取り込んでしまったのだ。

 生きるため仕方なかったとは言え、こんなのあんまりだろう。


「桃曰く、当時は周囲十キロで済んだけど、もしも器がない状態で賢者の石が暴走を始めれば、どれだけの被害が出るかは分からない、だそうよ」

「そもそも、なんで暴走なんか……」

「桃ですら器として相応しかったわけじゃなかったってことでしょ。だからあの子は、今日まで生きてるの。賢者の石を託せる誰かを探すため。仲間を殺した吸血鬼に、復讐するためにね」


 生きた時間と、手にした力。彼女が魔女と呼ばれるようになるのは、もはや必然だったのだろう。


 容姿を変え、名を変え、元の自分を知っている者がいなくなってもなお、彼女は望まぬ使命と果たすべき復讐のために生き永らえてきた。


「もしかして、父さんと母さんは賢者の石についてなにか掴んでたのか……?」

「桃は織の両親を知らない様子だったわよ。たしかにあの日は、その吸血鬼を探す協力を得るために織の両親を訪ねたとは言え、会ったことはないって言ってたわね」


 ならば織の両親は、一体なにについて調べていたのだろう。殺された理由と関係があるはずだ。それも、とても深く結びついている。


 こんなことならあの時、もっとちゃんと資料を読んでおけば良かったと後悔する織だが、時間は戻らない。両親の死が賢者の石と関係しているのなら、あの資料は既に破棄されているだろう。もしくは、犯人に持ち去られているかだ。


「そう、話が逸れて悪いんだけど、織の両親の事件で一つ、不可解なことがあるのよね」

「というと?」

「吸血鬼は、招かれていない家に入れない」


 考え込むように視線を落とした愛美が、ポツリと零した。

 それは、吸血鬼の弱点の一つ。太陽の光や銀、十字架などと比べればマイナーではあるものの、やつらに関連する本を読めば、必ずと言っていい程に出てくるものだ。


 だが、その話は学院長室では出なかった。魔術学院の学院長を任されている男からすら、そのようなことは一言も、だ。


「吸血鬼の中でも更に強力な個体は、弱点を克服してるとも聞くわ。実際、私たちが追ってる吸血鬼は太陽の光を克服してるし、銀や十字架もどれくらい効くか分からないって桃も言ってた」

「なら銀髪の吸血鬼、サーニャってやつもそれを克服してるんじゃないのか?」


 なんせ弱点としてはドがつくほどにマイナーだ。戦闘の際に有利を取れるようなものでもないし、このご時世に不法侵入なんて出来る家も限られる。いや、相手は吸血鬼なのだから、人間の常識で測るべきではないなもしれないが。


 なんにせよ、学院長がわざわざ口にしなかったのだ。克服していると見て然るべきだろう。


「銀髪の吸血鬼の正体を突き止めたのは私たちよ? それからその吸血鬼についても調べてる。学院長も言ってた通り、人間に対しては友好的な吸血鬼だったことも裏が取れてるわ。学院の一年生に、亡くなった両親がサーニャと懇意にしてたって子もいたから」

「その子はサーニャと面識は?」

「あったみたい。だから話をした時、信じられないって顔をしてたわね」

「つまり、家に招かれたこともあったってわけか」

「ええ。毎回両親がどこかで待ち合わせして、迎えに行ってたそうよ」


 それが偽装工作だとは考えられない。吸血鬼にとって、人間と手を取り合うメリットなどなにもないからだ。

 吸血鬼は人間よりも何十倍、何百倍も強い。魔力、身体能力、知力、生命力と挙げればキリがないほどに、吸血鬼のほうが優っている。その気になれば単体で国一つを落とせるのが吸血鬼だ。


 実際の話をするならば、そこに人類最強なり魔女なりの規格外が立ちはだかるので殆ど不可能だろうが、それさえ排除してしまえば話は現実味を帯びる。


 そんな吸血鬼が、彼らから見れば劣等種でしかない人間と仲良くする。おまけにその劣等種からは常に敵視されている。人間と仲良くしたところで、警戒が解かれるわけではない。

 いっそペット感覚で接しているのなら分かるが、人間とて有害な生き物をペットにしようとは思わないだろう。それと同じだ。


 だから、吸血鬼側にはメリットなんて一切ない。あったとしても、それは一時的なものだ。そう簡単に信頼関係を築けるわけもないのだから。


 そうだと言うのに、わざわざ自らの弱点を偽ってまで接するか?


「おまけに、特大の情報も追加よ。そのサーニャとかいう吸血鬼は、私たちが追ってる、桃の仲間の仇の吸血鬼とは敵対関係にあった」

「いよいよきな臭くなってきたな……」


 これら一連の事実を紐づけるのは、賢者の石だ。

 織の両親は賢者の石についてなにかしら掴んでいたと考えられ、その両親を殺したと見られるのは銀髪の吸血鬼、サーニャ。そのサーニャは人間に友好的であり、敵対しているのが愛美と桃の二人が追う吸血鬼。その吸血鬼は、かつて賢者の石を狙っていた。


「桃にこのことは言ってるのか?」

「ええ。今日はとりあえず学院長に話を任せて、余計な口は挟まないで置こうって話だったわ。あの子、南雲仁のことは信用してないみたいだから」


 昔に戦ったことある、みたいなことを言っていたか。優しげでちょっと頭のネジがぶっ飛んでる老人という印象を抱いた織だったが、あれで昔はやんちゃしてたとかも言っていた。


「まあ、あくまでも可能性の話よ。可能性の話ではあるけど、こう考えてしまったら全部が結びつくのよね。サーニャは何者かに、恐らくは私たちの追ってる吸血鬼に嵌められて、濡れ衣を着せられただけなんじゃないか、って」

「それもこれも、実際に会って話を聞いてみないことには分からないな……」


 この場でどれだけ推理を重ねても、結局そこに帰結する。織の目は未来を映すことこそあれど、過去を映すことはないのだから。


「そうね。まだ推理を続けるにしても、桃がいた方がいいわ。事件の話はこれでお終い。ほかになにか質問はない?」


 パン、と手を打つ愛美に、次の質問を促される。とは言え、事件のことで頭がいっぱいになってしまった織からすると、今日はもう聞くことはないのだが。


 ああ、いや。あと一つだけ、どうでもいい質問が残っていたか。


「愛美は、あの学院にいて楽しいか?」


 事件とはなんの関係もない、至ってシンプルな質問。だからだろうか、愛美も少し驚いた素振りを見せて。

 しかし直ぐに笑みを浮かべて答えた。


「楽しいわよ。学院長は青春がどうのと馬鹿なことを言ってたけど、そういうのもあながち馬鹿にできないとは思えるくらいにね」


 これで話は終わりと言わんばかりに立ち上がった愛美は、でも、と付け加える。


「ヒロインがどうのは真に受けない方がいいわよ」

「お、おう……」

「それとも、先にごめんなさいって言っておいた方がいいかしら?」

「いや、なんに対してだよ」

「私が可愛くてごめんなさい?」

「自分に自信持ちすぎじゃね?」

「そう? だって私、可愛いじゃない?」


 そうやって小首を傾げる様はたしかに可愛いのだけど、自分で自分のこと可愛いとか言ってるあたりは可愛くないだろ。思っても口には出さない織である。


「じゃ、そういうことだから。私に惚れられても責任取らないわよ」

「俺がお前に惚れる前提で話を進めるな!」


 織の叫びも虚しく、愛美は楽しげな笑みを浮かべて部屋から出ていった。

 全く、美少女に小悪魔的言動で振り回される男の気持ちも、少しは考えて欲しいものだ。本当に惚れちゃったらどうするんだよ。


 なんて考える織に、突然目眩が襲った。未来視の予兆だ。


 見えた未来は、直近のものを考えるととても平和なもの。織が風呂場に向かい、そこで愛美と鉢合わせて、本気の回し蹴りを食らう、という。

 少なくとも、両親の死やら迫る火球やらよりかはマシなのだけど。


「これじゃあマジでラブコメじゃねぇか……」


 未来視の中で見てしまった愛美の裸に、織は悶々とした夜を過ごすのだった。


 大事なところは隠れてたから、蒼が言った通り無意識化の高速演算が未来視の正体という話は現実味を帯びてきたのだけど、それにしたって胸が小さすぎだろう。どうなってるんだ俺の演算は。


 この未来が変わらないことを、織はまだ知らない。

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