老人の回想 中学一年生 冬

14−1 蔦莉 

 もうすぐしたら冬休みになろうとする頃、私の蔦くんに対する気持ちに変化が現れた。


––––始まりは7月にさかのぼる。

「倉井さん。ノート出して。」

天使のような『ころころ』した可愛らしい声とともに、低身長の低めのツインテールをした女子が近づいてくる。確か彼女の名前は、小林 紫花しいかだった気がする。

「可愛い。」

私は、思わずそう呟いてしまった。

「へ?!」

彼女の驚く声に我にかえり、私はなんてことを呟いてしまったのだろうかと自分自身に驚いた。私は急いで

「ごめん!気にしないで!」

と言った。そんな私を彼女は不思議な顔をして言った。

「なんで倉井さんが謝るの?」

「だって、嫌だったでしょ?」

彼女の問いに答えた私を、彼女はさらに首を捻って言った。

「なんで?私嬉しかったよ。てか、褒められて気分損ねる人いないでしょ。ありがとう!」

私は、初めて喋った人に流暢に感謝の言葉を述べられるのはすごいなと思った。

 それがきっかけで、私と紫花は週末に一緒に遊ぶ仲になった。今まで蔦くんとしか話さなかったから、とても新鮮だった。



 ある日の昼休みことだった。紫花が唐突に言った。

「あのさ、蔦莉ちゃん。伊藤君とはどう言う関係なの?」

妙に真剣な顔で言うから私は、何かテストをされているのではないかと、少し身構えた。

「どう言うって・・・友達だけど。」

「本当?」

紫花は私の答えを疑うかのように顔を近づけた。白くて毛穴のない綺麗な顔に動揺しながらも、私は答えた。

「ほ、本当だよ。」

私の答えに納得したのか、紫花はもとの体勢に戻りささやくように言った。

「私さ、伊藤君のこと・・・その、好きかもしれない。」

頬を赤く染めた紫花の言葉に、私は耳を疑った。紫花が蔦くんのこと、好き・・・。チクリと胸が痛んだ。

「・・・そっか。蔦くん、かっこいいから二人お似合いだと思うよ!美男美女で・・・!」

チクチクする心臓を抑えながら私は、無理やり笑った。ここで笑わないと、きっと嫌われる。

 蔦くんはかっこいいし、紫花は可愛い。お似合いだ!私なんかより、絶対お似合いだ。そう言い聞かせながら、言った。

「告白は・・・しないの?」

蔦くんへの友情以外の感情が生まれる前に、二人が恋人同士の関係になってほしかった。

「えっ・・・私そんな勇気ないよ。」

そう言ってはにかむ紫花が、憎らしくなった。こんな感情を抱くのはいけないと分かっていても、憎らしかった。

「・・・そっか。紫花ならきっと大丈夫だって!」

その感情を隠すために私は、笑った。きっと、紫花は私の気持ちには気づかないはず。

「そうかな・・・うふふ。」

幸せそうに笑う紫花を見て、頭に血が上りそうになった。そのとき都合よく、チャイムが鳴りそれは免れた。こんな自分は初めてだった。


 学校から帰ってきた私は、奈々さんに電話をかけた。

[もしもし。蔦莉ちゃん?]

私からの突然の電話に、奈々さんは心配げに言った。

「もしもし。奈々さん、相談したいことがあるんだけど・・・」

[えっと・・・じゃあ、久しぶりに顔見たいし、霞駅前の喫茶店で会おうか。そっちの方が話しやすいでしょ。]

この頃、週末は紫花と遊んでいた。連絡は取っていたものの、直接奈々さんに会っていなかった。

 私は制服から着替えて、喫茶店に行くことにした。


 電車に乗る。電車の中は暖房がかかっていて、暑いくらいだった。

 私たちの住んでいる霞市は大きく五つに分割されており、北から1丁目、2丁目、3丁目と南に行くほど数が大きくなっていく。私は4丁目に、蔦くんは5丁目に住んでいる。霞駅は、1丁目にあるそこそこ大きな駅だ。大型ショッキングモールや百貨店がある。

 電車の窓から、あたたかい光が差し込んでくる。その光が眩しくて目を閉じた。

 こんなに冷静さを保てない私は初めてだった。なぜそのような感情になるのか知りたかった。自分が知らない自分になるのが怖かった。

「次は霞駅。霞駅。お出口は右側です。The next station is Kasumi station. The doors on the right side will open. 百貨店・霞ショッピングモールへはここでお降りください。」

車内アナウンスが流れる。私は立ち上がり、ドアの前まで歩いた。

 霞駅前の喫茶店は、『くれおめ』と言う名前のお店で、レトロな雰囲気が漂っている。10代から70代まで幅広い年代の人が訪れる店だ。霞駅からその店まで、徒歩1分も掛からずに着く。正真正銘の駅なのだ。

  プシュー

 ドアが開き、冬の冷たい空気が流れ込んでくる。階段をのぼり、改札を通る。改札機に表示される大人料金にまだ慣れていない私は、いつも驚いてしまう。

 コツコツと靴が鳴る音を聞きながら、『くれおめ』へ向かう。

   カランカラン

 ドアを開けると、ドアベルが鳴り、コーヒー豆を焙煎する香ばしい匂いがした。少し薄暗い部屋は、魔女の隠れ家を思わせる。

 店内を見渡し、奈々さんがいることに気づいた。彼女が座っているテーブルに近づき、声をかける。

「こんにちは、奈々さん。」

私に気づいた奈々さんは、ニコっと微笑み言った。

「おぉ、こんにちは。久しぶりだね!」

奈々さんの声が私に安堵を与える。

「久しぶり。2ヶ月くらい会ってないね。」

私の言葉に懐かしそうに目を細め奈々さんは言った。

「そうだね。・・・蔦莉ちゃん、ちょっと背伸びた?」

そう言えば、154cmから157cmまで伸びた。さすが奈々さんだ。

「分かった?そうなの!実は、3cm伸びたの!」

一気にテンションが上がる私を見て、奈々さんは嬉しそうに微笑んだ。

「そこ、座りなよ。」

奈々さんは、改まった口調で自分の前の席を指差して言った。私は「ありがとう」と呟き、座った。

「相談って何?」

「・・・あのね、奈々さん。私、自分の気持ちがわからないの。」

「どうして?」

「私、1学期の終わりに友達ができたの。紫花しいかって言う可愛い女の子。」

「うん」

奈々さんは優しく相槌を打ってくれる。

「その子がね、蔦くんのことを好きになっちゃったの。友達の恋は応援するべきなんだろうけど、紫花のことを憎たらしいって思っちゃったの。胸が、こう・・・チクチクして・・・。それでね、なんか蔦くんの何気ない言葉に嬉しくなったり、悲しくなったり、モヤモヤしたり。今までの自分じゃないような感じなの。」

口に出したら、そんなに大したことなかった。でも、心のモヤモヤは晴れない。

 若い男性の店員さんが「お冷をお持ちしました」と言いながら水をテーブルに置いた。「ご注文、お決まりですか?」という店員さんの問いに対して、奈々さんは「私、モカで。」と慣れた口調で言った。私はステンドグラスから入る光を眺めながらとしていた。そんな私に

「蔦莉ちゃんは?」

と奈々さんは声をかけた。私は我にかえり、

「いいの?」

と聞いた。

「もちろん。私のおごりだよ。」

軽く微笑む彼女の顔に見惚れながら

「セイロンティー、ストレート。ホットで」

と言った。奈々さんの笑顔は本当に綺麗だ。

「かしこまりました。5分ほどお時間頂戴いたします。」

そう言う店員さんも、奈々さんのことを眺めている。彼女には人を魅了する力があるのだ。店員さんが厨房に入ったのを見計らって奈々さんは口を開いた。

「蔦莉ちゃん。それは、恋・・・だよ。」

「恋?」

意味がわからなかった。

「うん。蔦莉ちゃんは、蔦くんのことが・・・好きなんだよ。」

奈々さんは、(私が?そんなわけないでしょ)と思いながらも何も考えられない私に言った。

「紫花ちゃん・・・だっけ。その子を憎らしく思ったり、胸がチクチクしたのは、嫉妬。今までの蔦莉ちゃんじゃないのは蔦くんを好きになったからなんじゃないの?恋は人を変えるって言うしね。彼の言葉に嬉しくなったり、悲しくなったり、モヤモヤしたりするのが何よりの証拠なんじゃないの?」

私が蔦くんのことが好き・・・。奈々さんの言葉が、ごちゃごちゃに混ざって頭が痛くなった。

「お待たせいたしました。モカコーヒーとセイロンティーのストレートです。」

テーブルの上にカップが置かれた。カップからは、湯気が立っている。

「ご注文は以上でよろしいですか?」「はい。」「失礼いたします。」という、店員さんと奈々さんの会話が、ぼんやりと聞こえる。

「お茶飲んで、ゆっくりしな。」

あからさまに混乱している私に、奈々さんはそう言った。

「うん。」


 その日から、私は蔦くんを意識するようになった。


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